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ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第127回

手は小指、足は親指。

-Zino Francescatti
Bazzini “La Ronde des Lutins”

-Itzhak Perlman  
Fiocco “Allegro”

-Kremer 
Kreisler“Schön Rosmarin” 

弓が勝手に跳んでる?
-James Ehnes 
Dinicu“Hora Staccato” 

右手の脱力&柔軟性、それぞれの違いを

ご堪能ください。


Bach “Partita no.3”  

-Heifetz 

-Menuhin

-S. Kuijken

-A. Ibragimova

随分、昔の話だが、常勤トレーナーが急に来られなくなったとかで、
某文系G大オーケストラの合宿に、代理で呼ばれたことがある。
初めての学校なので、様子見に合奏を聴かせてもらう。噂通り、
オーケストラはなかなかの腕前。と、1stヴァイオリンの後ろの方に
一人、ひどく態度の悪い男子がいる。雰囲気はOB?

 

だらっと座り、だらっと構え、だらっと弾いている。
でも、じっと見ていると、やる気がない訳ではなさそうだ。
実によく弾けている。真剣に指揮者の言うことも聞いている。
だったら、なぜ? 合奏が終わり、パート練習をして、
気付けば、飲み会タイム。新しいトレーナーが珍しかったのか、
周りに4年生やOBが集まってきて、ヴァイオリン談義となる。

 

件のOBもいた。それも隣に。噛み付くように話を聞いている。
別の話題が切れたタイミングで、彼が質問を投げ掛けてきた。
「“脱力”って、どういうことだと思います?」
そうか、そういうことか。
「どこを抜くと演奏が楽になるか、いろいろ試してるんですけど…」
「でも、あれは違うよね」「ですよねぇ、そう思いました」

 

―“脱力”
身体の力が抜けること。
身体から力が抜けて、ぐったりしてしまうこと。
意欲・気力が衰えること。気持ちの張りがなくなること。

 

そう、我々が言う『脱力』は辞書的な意味ではない。
「余分な力を入れない」「不要な力を使わない」「無駄な力を出さない」
そして、「力まない」という意味で用いることが大半だ。

 

でも『脱力』という言葉が独り歩きして、かえって、
黒い霧となって、ヴァイオリン弾き達を迷わせている感もある。
こんな禅問答のような会話を聞いたことがある。

 

「脱力したいんですけど、どうすればいいですか?」
「力を抜けばいいんだよ」…いやはや、まったく。

 

 

ヴァイオリンの演奏には、ほとんど“力”は必要ない。
ピアノのように、重たい鍵盤もないし、
チェロやコントラバスほどの弦の抵抗もない。
弓も軽いし、ヴァイオリンも左手で必死に支えるものではない。

 

なのに、ひどく力が入ってしまう人がいる。
右手に力が入って、ボウイングがままならない人がいる。
左手に力が入って、思うように指を動かせない人がいる。
それ以前に、身体全体が強張っている人もいる。

 

すると、先生は言う=「力を抜いて」。そう言われて、
「あ、そうか。力を抜けばいいのか!」と何の問題なく、
『脱力』をクリアできる人もいる。一方、眉間に皺を寄せ、
「え? ボク、どこか、力、入ってます?」…ここから悩む人もいる。

 

そうして、最重要検討課題になるのだ。
『脱力』なるものが。

 

古今東西のヴィルトゥオーゾたちの演奏写真を並べ、
姿勢や左手の構え方&弓の持ち方などを見てみると、中には、
いかにも力が入っていそうなスタイルのものもある。

 

例えば、フランチェスカッティの弓の持ち方などは、
静止画で見ると一見、突っ張っているようにも見えなくはない。
(このタイプの持ち方は手の大きい人によく見られる)、が、
一旦、その手が動き出せば、それが懸念だったことが分かる。一方、
見るからに力が抜けていて、驚くほど柔らかい手の持ち主もいる。
パールマンなんて、まさに「脱力の神」。

 

柔軟性と脱力は直結している。しかし、必ずしも「身体の柔らかさ」と
実質的「力の抜け度」はイコールではない。特別、身体が柔らかくなくても、
(力まなければ)十分、弓はコントロールできるのだと先人は証明してくれる。

 

ただ…。弓への働き掛けなしに、絶対に音は変わらない。だから、
「それ」が見えていない場合も、見えない場所では何かが起きている。
例えば、右手は何もしていないように見えるのに弓が勝手に跳んでいる、
そんな超魔術的スラー・スタッカートで魅せる奏者がいる。そして、
こういう繊細なコントロールは、不要な力が入っていたら絶対できない。

 

身体の硬い人は、“脱力”を味方に付けなければいけない。

 

 

常日頃から、“脱力”問題で悩んでいる人もいるが、
自身、その認識がない人も少なくない。
あれができない、これができないと真剣に悩むものの、
その理由が「力が入っていること」にあると気付かない、
そんな例を、随分見てきた。

 

そういう意味ではやはり、基本的なスタンスは重要だ。
例えば、右手。弓をギュっと、挟み込むように、
あるいは握るように、あるいは摘まむように持つ人がいる。
例えば、左手。指板を、親指と人差し指でグッと挟んで、
あるいは、親指と人差し指の付け根で握り込んで持つ人がいる。

 

見た目がそうでも、力が抜けていれば問題ない。しかし、
そういう持ち方は不要な力が入りやすいのも事実。要注意。

 

機能性が高く、敏捷性も瞬発力もあるヴァイオリンの弓、
使いこなせているだろうか? 力ごなしで弾いていないか?
その動きを、邪魔していないか? 殺していないか? 

 

そんな危うい持ち方でも、人は、
ある程度のテクニックをこなせてしまう。
人間って凄い。でも、その凄さが裏目に出る。

 

“脱力”の問題に直面するタイミングというものがある。

 

ヴィブラートをかけようと思ったら、全然手が動かない。
そこで初めて、自分の左手に力が入っていたことに気付く。
スピッカートをしようと思ったら、弓を持ち上げられない。
そこで初めて、弓を弦に押し付けて弾いていたことに気付く

 

最初に、姿勢や構え方、持ち方を煩く言われる所以だ。

 

音が荒い、雑音が多い、繊細な表現ができない、
スタッカートが止まらない、移弦がぎこちない、
シフトの動きが鈍い、変なグリッサンドが入る、
トゥリルが上手く入らない、装飾音が重くなる…。

 

 

ヴァイオリンは本来、楽器自体も自在に動く状態が理想だ。
かといって、それを不安定と感じ、不安に苛まれるようでもよくない。
メンタル面の演奏への影響は、想像以上に大きい。

 

右手…弓を「持とう」として力が入り、
左手…楽器を「支えよう」として力が入る。
そこには大抵、“不安”がある。

 

弓を取り落としそう…、ヴァイオリンが滑って落ちそう…、
どこかが不安定だと、変なところに変な力が入る。
それは、悪循環を引き起こすこともある。

 

下半身に力が入っていれば、当然、上半身は硬くなるし、
下半身が緩み過ぎると、上半身だけで安定させようとして力が入る。
呼吸が浅いと筋緊張が誘発され、身体が硬くなるし、
歯を噛み締めたり、顎や舌に力を入れたりすれば、首や肩が硬くなる。
そういう意味では譜面台の位置や高さは重要、加えて、
視線の固定は身体の固化にも繋がるので気を付けなければならない。


「力が入ってるよ」 それは、なんとなく分かる。
でも、どこに力が入っているのかと聞かれると…???
脱力したい場所がどこなのか、それが分からず、
むやみやたらに脱力すると、あのダラダラ兄さんになる。

 

自身の『今』の身体の状態を把握すること。

 

よく言われるのが、「一度、力を入れてみる」という方法だ。
指先、指、手、手首、腕、肩、背中…それぞれの場所を意識して、
グッと力を入れる。そして、フッと力を抜く。

 

構えた形でもやってみる。
弓を構え、指にギュっと力を入れる→力を抜く。
弦の上に左指を並べ、力を入れて弦をギュっと押さえる→力を抜く。

 

指一本ずつ、別々にそれをやってみる。他の部位も意識してみる。
思っている以上に力が入っていたり、思わぬところに力が入っていたり。

 

今休んでいる筋肉だけが、次の動作に使えるのだ。
休ませることを覚えよ、と。

 

 

特に重要なのは“接点”かもしれない。
どんなに肩の力が、肘の、手首の、手の力が抜けていても、
指(先)に力が入ってしまっていたら、他の部分の脱力は台無し。

 

その感覚は、よくラケットやバットを握る感じに例えられる。
もう少し小さいもので言えば、箸や鉛筆?

 

「お箸や筆記具の使い方が下手な人は、大抵親指に変な力が入っている」
→「小指や薬指に意識を向けると、他の三本の指が楽になる」

 

そう、ポイントは“親指”。
親指に力が入ると、あちらこちらに力が入る。
そして、親指が使えないと手の機能は半減する。
いかに親指をフリーにするか、それについて考えるべきなのだ。

 

力が入りやすい親指の位置・向き・形というものがある。
これは構造的なもので、誰しもに共通するものだ。

 

左手は比較的、分かりやすい。(すぐ直せるかは別にして)
問題は右手。親指の場所は何となく皆、似た位置にあるのに、
人それぞれ、随分自由度が違う。

 

親指をスティックの真下に突っ込むように持つのは、もちろんダメ。
腹をスティック(あるいはグリップ)にベッタリ付ける形は、
親指に力が入りやすいので注意。ただ、その形は、
太い音・強い音や粘着性のある音が出せる。必要な時には使おう。

 

基本として適しているのは、位置としてはグリップとフロッグの隙間、
(親指がスティックにもフロッグにも接する。安定感・安心感もある)
向きとしては親指の爪の横の辺りがスティックに接するような形。
これが、理論的には最も力が入りにくく、機能的な持ち方である。
これに、各自の身体的特徴&能力を重ね合わせ、
自身のスタンスを決めればよい。

 

 

動かそうと思うと、逆に力が入る人もいる。
力を入れちゃいけないと思うと、逆に力が入る人もいる。

 

どうしても“脱力”がピンとこない人は、無理せず、
しばし別方向から、アタックするのがよいかもしれない。
悩むことが心理的ストレスになって逆効果になることもある。
そういうときは、どんどん新しいテクニックに挑戦するとよい。

 

「ロングトーン(全弓ゆっくりまっすぐ)」「移弦(二弦&三弦&四弦に渡る)」「スタッカート各種」「スピッカート各種」「高速運指」「高速運弓(刻み、トレモロ、移弦)」「ヴィブラート」…
苦手と思うものを中心に少しずつ。できても、できなくても。

 

「苦手と感じる」、それは身体が嫌がっているということ、
その動きが必要と知れば、身体は自然に折り合う場所を探す。
そして、新しい動き=身体が知らない動きを経験することも大切。

 

力を抜くことを考えるのではなく、使う筋肉を意識する、
そんな方法も結構、効果がある。そうこうしていると、
気付くと余分な力が抜けている、なんてことも。

 

ヴァイオリンの演奏に、まったく“力”が不要な訳ではない。
大きい音・強い音などを出すときには、ある程度の弦への圧が必要だし、
左手も、重音やピチカートのときなどは、いつもより
しっかり弦を押さえないと、よい音が出ないのも事実だ。

 

ただし、それは音を出す一瞬だけ。力の入りっ放しは厳禁。
一度力を入れると、そのままの状態で弾き続けてしまう人がいる。

 

力の抜けた状態を覚えるだけではなく、
力を(瞬時に)抜くことも、覚えなければならない。

 

 

武道・武術の世界に『手は小指、足は親指』という言葉があるらしい。
「(手の)小指が締まれば、脇が締まり、力が腹に集まり、身体の表から強い力が出る。親指と人差し指に力を入れると、身体の裏に力がこもり、大きな力が出ない」「手を高度にコントロールしようとするときは、小指から尺骨にかけての腕の内側のラインを意識するとよい」

 

「右手の小指は大切なの」―幼き頃耳にした、ある先生の言葉を思い出した。
「(小指は)弓から離れているときも、お仕事してるのよ。忘れないであげてね」

 

宮本武蔵の《五輪書》にある刀の持ち方についての記述が興味深い。
「刀を持つときは、親指と人差し指を浮かす心持ちで持ち、中指は締めず緩まず、薬指と小指を締めるようにして持つ也。手の内には緩みがあってはいけない。(敵を切るときにも)手の内に変わりなく、手がすくまないように持つべし。総じて、刀にも手にも『居着く』ことがないように。居着くと(攻撃を捌けず)死に至り、居着かざるは(自由に刀を振れ)生きる道を見出せる。よく心得よ」
なんでも一緒だなぁ。

 

ちなみに、足に関してはこんな記述があった。
「(足の)小指の付け根と踵に身体を乗せると、重心が外に逃げてしまう」「親指の付け根に重心を掛けると、足の内側が締まり、鋭く速い動きができる。これは“能”の足運びと同じである」


それにしても。
お薦め映像を探していて、思ったのだ。
どうして、みんな左手の指ばかりアップにするのだろう。
右手が見えない映像ばかりで、イライラしてしまった。
確かに“高速運指”は凄いし、憧れだし、カッコいいけれど、
本当に凄いのは右手なんだぞっ。
カメラマンさん、そこのところ、よろしく!

“(右手)ツッパリ系女子”

“(右手)ツマミ系女子”

© 2014 by アッコルド出版

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