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シリーズ“Strings Wars”『ヨアヒムを救え!』はこう始まった。
20XX年、常日頃のヴァイオリン族の驕り高ぶった振る舞いに、
業を煮やしたヴィオラ&チェロ連合は、ついに反旗を翻した。
反乱軍は、現在のヴァイオリン族繁栄の原点となった人物を、
過去に遡り、歴史から抹消せんと、その人物の選定を始める。
「誰を消せばよいのだ?」
「ヨーゼフ・ヨアヒムではないかと」
「すぐさま、やれ」
「御意!」 (~本コラム第89回)
ヴァイオリン族の血脈を断ち切らんがために、未来から送られた
暗殺者バシュメットは予定の地に降り立ち、愕然とする。
「何らかの不具合が起きたのかと。ヨアヒムはもうこの世におりません」
「なにぃ? 何としてでも、ヴァイオリン族の根を断つのだ」
ヴァイオリニストの系図を取り出したバシュメットは、嘆息する。
「マスター、この時代に至ってはもう手遅れかと。出直させて頂きたく」
「無駄足だったと報告する訳にはいかん。何某かの成果を挙げてこい」
「了解。先祖の名に懸けて!」
滞在できる時間は限られている。
彼は二人のヴァイオリニストの暗殺を決意し、すぐさま移動を開始した。
ターゲットは、「ロシア派のアウアー」「ハンガリー派のフバイ」である。
☆
「『ハンガリー派』なんて、ありましたっけ?」
件の彼女は、またも悩める乙女になっている。
「『ドイツ派』『フランコ=ベルギー派』『ロシア派』だけかと思ってました」
そう、「○○派」という言葉のややこしさがそこにある。
ヴァイオリン界で(「弓の持ち方」を語る時に)しばしば使われる、
『ドイツ派』『フランコ=ベルギー派』『ロシア派』という語彙は、
“流派”を言っているのだと考えるのが、多分、正しい。
―流派 school of thought or intellectual tradition
「(芸術・芸道・技芸などで)主義や手法・技法などの違いによって分かれたそれぞれの仲間、また、その流儀を継承する集団のこと」。
弓の持ち方等、演奏スタイルの時代的な変遷や違いを語る上で、
「重要且つ特徴的な“流派”」として、よく名が挙げられるのが先の三つ、
『ドイツ派』『フランコ=ベルギー派』『ロシア派』だ。しかし。
“流派”としては、他にも(定着しておらず、一般的でなく、認知度も低いが)、
『イタリア派』『ウィーン派』『ベルリン派』『フランス派』『ベルギー派』…といった名称も見られる。
『ハンガリー派』も、その一つ。
ところがこの『派』の括り、簡単に“流派”とは言い切れない。
“楽派”を指している場合もあったりするから、ややこしい。
―楽派 school(英) École(仏)
「音楽史上ほぼ同時代に活動し、様式や構成などに共通性をもつ作曲家、あるいは主張や傾向を同じくする音楽家(演奏家)達の一群」
例えば、「『マンハイム楽派』のA.シュターミツ」、これは分かりやすい。
これが、「『ローマ(楽)派』のコレッリ、『ヴェネツィア(楽)派』のヴィヴァルディ、『ボローニャ(楽)派』のトレッリ、『パドヴァ(楽)派』のタルティーニ、『ピエモント(楽)派』のソミス…“流派”的には『イタリア派』と括られる奏者たち」となるとどうだろう?
頭の中がチカチカしてくる。
[ローマ楽派] 16世紀末~17世紀にかけて、ローマのシスティーナ礼拝堂を中心に活躍した教会音楽の一群の作曲家達のこと。パレストリーナによって確立された。
[ヴェネツィア楽派] 16~17世紀前半にかけて、主としてヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂を中心に活躍した一群の音楽家のことをいう。モンテヴェルディが有名。
[ボローニャ楽派] 17~18世紀のボローニャを中心に活動したバロック音楽の楽派。聖ペトロニオ大聖堂を中心に発展。カッツァーティが器楽曲興隆へ大きく貢献。
少し“楽派”が見えてきた? ところが、若干の落とし穴も…。
「…なお『ヴェネツィア楽派』という用語は、より保守的な『ローマ楽派』と特に区別するために、当時のフィレンツェ、フェラーラ、ナポリ、マントヴァ、パドヴァ、ミラノの音楽を含めることもある」
複雑すぎる。勘弁してくれ~!
『オーストリア派』のシュメルツァー、『フランス派』のルクレール、『新イタリア派』のヴィオッティ、『パリ派』のクロイツェルやローデ、『ベルギー派』のド・ベリオ…。
こうなると、もはや“流派”なのか“楽派”なのか、理解不能だ。
そもそも『派』なのか、『派』の存在は確とあるのか。どうなのっ?
いやいや、これ以上突っ込むのは止めておこう。
いろいろ曖昧な点や疑問点はあれど、指標にはなるから。
ヴァイオリンの関連書籍や論文などには、きちんと丁寧に、
「○○派・○○楽派」と書き分けてあるものもあるが、
必ずしも、全部がそうではない。邦訳の問題もあって難しい。
これに加えて、『古典派(音楽)』『ロマン派(音楽)』といった、
時代区分や様式の呼称が加わるのだから、混乱必至である。
そういった意味では、「弓の持ち方」等を語るに当たっては、
『ドイツ式』『フランコ=ベルギー式』『ロシア式』というように、
「○○式」という言い方をした方が無難?と思う、今日この頃である。
☆
さて、ヨアヒム(1831⁻1907)の功績について復習しておこう。
19世紀後半、ヨーロッパで最も著名なヴァイオリニストの一人。
指揮者でもあり、作曲家でもあり、教育者でもあったヨアヒム。
○古典から同時代人の作品にまで至る幅広いレパートリーを持っていた。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は彼の演奏で復活したとされる。
○演奏活動においてはソロ活動だけでなく、弦楽四重奏団を結成するなど、
室内楽演奏のパイオニアとしても、ヨーロッパ各地を廻った。
○オーケストラ奏者の経験もあり、また、指揮者としては、
かのハンス・フォン・ビューローと並ぶ名声を博していたともいう。
○ブラームスはじめ、メンデルスゾーン、シューマン夫妻、リスト、
ブルッフ、ドヴォルザークら多くの有名作曲家と交流を持ち、
そこから数多のヴァイオリン曲の名曲が生まれた。
○作曲家としての業績はあまり評価されていないが、
ヴァイオリン協奏曲のカデンツァの作者として、あるいは、
各種作品のヴァイオリン編曲者として、その力量を発揮している。
○1869年ベルリン高等音楽学校初代校長に就任。
教師としても人望と名声に恵まれ、ウィリー・ブルメスター、
レオポルト・アウアーやイェネー・フバイらを輩出。
(生徒たちへの技術的・芸術的寄与は僅かだったという記事もあり)
そして、アウアーである。
―アウアー(Leopold Auer, 1845-1930)「ロシア派」
ハンガリー出身のユダヤ系ヴァイオリン奏者、教育者、指揮者、作曲家。
ブダペストとウィーンでヴァイオリンを学び、ハノーファーでヨアヒムに師事。
1868年~1917年にはヴィエニアフスキの後継者としてペテルブルク音楽院で、
その後はアメリカに移り、フィラデルフィアのカーティス音楽院で教鞭を執った。
著書に有名な『ヴァイオリン奏法』がある。
何しろ、彼の弟子たちが凄い。
エフレム・ジンバリスト、ミッシャ・エルマン、ナタン・ミルシテイン、トッシャ・ザイデル、ヤッシャ・ハイフェッツ、小野アンナ…。
綺羅、星の如く居並ぶ、名ヴァイオリニストたち。
ヴァイオリニストの系譜を見ていると、
そのラインが数か所、広く扇状に広がる部分がある。
その要にいるのが正しく、『名教師』と呼ばれる人たちだ。
ヨアヒム然り、アウアー然り、フバイ然り。
―イェネー・フバイ(Jenő Hubay, 1858-1937)「ハンガリー派」
ハンガリーのヴァイオリニスト・作曲家・音楽教師。
ドイツ系ユダヤ人音楽家の家庭に生まれ、最初は父親からヴァイオリンを学ぶ。
13歳でベルリンに留学、5年間に渡ってヨアヒムの薫陶を受ける。
1882年にブリュッセル音楽院ヴァイオリン科の主任教授に。
1886年に帰国、父親の後任としてブダペスト音楽院に務める。
ソリストとしてはヴュータンやブラームスからも称賛を得、
弦楽四重奏団を結成するなどして室内楽奏者としても活躍。
彼が書いたヴァイオリンのための協奏曲や小品などは、
地味ながらも珠玉の作品。演奏される機会が少ないのが残念。
彼の門下生が、これまた華やかである。
ヨゼフ・シゲティ、フランツ・フォン・ヴェチェイ、シャンドル・ヴェーグ、アンドレ・ジェルトレル、指揮者に転向したユージン・オーマンディ、シュテフィ・ゲイエルやアディラ・ファキーリ&イェリー・ダラーニ姉妹といった女性ヴァイオリニスト達。
☆
お気付きだろうか。
ヨアヒムも、アウアーも、フバイも、
ハンガリーのヴァイオリニストである。
先に挙げた巨匠の弟子たちの多くが、その教育に貢献した。
そして、それ以外のハンガリーのヴァイオリニスト達も。
例えば、
幼い頃に出会う、あのリーディングもそうである。
「弾いた!」「懐かしい!」…でしょう?
―オスカー・リーディング(Oskar Rieding, 1840-1918)
北ドイツ出身のハンガリーのヴァイオリニスト・指揮者、作曲家。
ベルリン音楽芸術アカデミーに学んだ後、ライプツィヒ音楽院に進む。
1871年にブダペストのオーケストラの指揮者に就任。
ヴァイオリン協奏曲やサロン向けのヴァイオリン曲を大量に作曲。
忘れてはならないのが、カール・フレッシュ。
―フレッシュ・カーロイ(Flesch Károly, 1873-1944)
ハンガリー出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。
一般的にはカール・フレッシュの名が通っている。
数多の演奏家を世に送り出した優れた音楽教育者として有名。
6歳よりヴァイオリンの演奏を始める。10歳でウィーンに行き、
17歳でフランスに渡り、パリ音楽院でソゼー、マルシックに師事した。
ソリストとして、室内楽奏者として活躍する。教師としては、
ブカレスト音楽院、アムステルダム音楽院、カーティス音楽院で教鞭を執る。
著書『ヴァイオリン演奏の技法』『音階教本』は必携の書となっている。
フレッシュの門下生は、ヨーゼフ・ハシッド、イダ・ヘンデル、ジネット・ヌヴー、ヘンリク・シェリング、イフラ・ニーマン、イヴリー・ギトリス、マックス・ロスタル、リカルド・オドノポソフ、シモン・ゴールドベルク…。
書いているだけで身体が震えるほど、錚々たる顔触れが名を連ねる。
ハンガリーもヴァイオリンにとって欠かせない国なのである。
☆
フバイ門下、ハンガリー派の演奏には、
いわゆる流麗な弾き方や甘美な音色はない。そこにあるのは、
滾る血、激しい情感、精神性。そして、
それを表現するためには多少の瑕疵は恐れない、そんな気概。
一方、アウアー門下、ロシア派の演奏を聴けば、そこには、
圧倒的なまでの音色の深さ、音の豊かさ、演奏の自由度がある。
目で見れば、右手と弓に独特の一体感があるのも分かる。(=ロシア式)。
楽書に、いや世間に、『ロシア派』の名が残った理由を改めて考える。
曲を目の前にしたとき、途方に暮れることがある。
好きなように弾けばいい、感情の赴くままに弾けばいい、
そうアドバイスされても、それが分からない、それができない、
そんなことが。そうして、また迷宮に迷い込む、そんなことが。
自分の内に何があるのか? 何かあるのか?
答えを得られぬまま、虚しく自問自答する日々。
でも。
こう考えてみる。
自身のヴァイオリンの血脈を遡ると、もしかすると…。
もっと、自分を信じれば、自分を解き放つことができれば、
もしかすると…。
アウアーは、技術と演奏スタイルで血脈を繋ぎ、
フバイは、民族の血と愛国心で血脈を繋いだ。
そして。
「“ヴァイオリン遺伝子”は、師弟間だけで受け継がれているのではないようです」
「なんだと? それはどういうことだ」
「ヴァイオリンという楽器そのものが、奏者の遺伝子に影響を与えているらしく」
「そ、そんな馬鹿な!」
「我々に勝ち目はあるのでしょうか…」
「き、貴様っ、何を言うっ!」
ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第126回
時を越える遺伝子


ヨゼフ・ヨアヒム
ヨアヒム門下
レオポルド・アウアー
-Mischa Elman
以下アウアー門下
-Efrem Zimbalist
-Nathan Milstein
-Yasha Heifetz
-Jelly D'Aranyi
-Franz von Vecsey
-Stefi Geyer
以下フバイ門下
-Joseph Szigeti
ヨアヒム門下
イェネー・フバイ
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