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サロンコンサートだったり、訪問コンサートだったり、普段、
あまりクラシックに縁のない方にヴァイオリンを楽しんで頂く、
そういう場でのプログラムとしては、マニアックな大曲ではなく、
ヴァイオリンらしさが伝わるような小品がラインナップされることが多い。
オリジナル曲も少なくないが、なにしろヴァイオリンという楽器、
歌曲や他楽器の曲、そして他ジャンルの曲であっても、それが、
まるで自分のために書かれた曲かのように、自在に弾きこなせる、
「パクリ名人」、もとい、「カバーの達人」でもある。
楽曲に困ることも、その選曲に困ることもあまりない。
とはいえ、盛り上げたいときに弾く曲、あるいはラストで弾く曲となると、
やはりヴァイオリンならではの曲を弾きたいものだから、結果、
知名度が高く&カッコいい曲を選ぶことになるが、これが意外に限られている。
例えば、モンティ《チャルダッシュ》、
例えば、サラサーテの《ツィゴイネルワイゼン》、
例えば、ブラームスの《ハンガリア舞曲》やラヴェルの《ツィガーヌ》。
「その曲、知ってる!」 でしょう?
で、ここに興味深い事実がある。お気付きかもしれない。
それはここに挙げた、どれもが、
ジプシー(音楽)をイメージして作られた曲だということだ。
―ジプシー【gypsy, gipsy】
① ヨーロッパに散在する少数民族ロマの他称。エジプトから来たとする誤解から生まれた呼び方。
② (ロマが移動生活を送っていたことから)各地・各界を転々とする者。
(大辞林 第三版)
曰く―「1427年にパリに現われた彼らが『自分たちは低地エジプトの出身である』と名乗り、ここから『エジプトからやって来た人』という意味の『エジプシャン』の頭音が消失した“ジプシー” の名称が生じたと言われる」
曰く―「『ジプシー』という呼び方は長い間の偏見、差別に晒されてきた」
然るに―「『ジプシー』は差別用語・放送禁止用語と見做され『ロマ』と言い換えられる傾向にあるが、ジプシーにはロマ以外の民族も含まれているので他のジプシー民族を無視することにもなる」
…何かと難しい。
☆
―ロマRoma(単数形はロムrom)、あるいはロマニチェルromanichel。
「ジプシー」と呼ばれてきた集団のうち、主に北部インドを原郷とする少数民族。
かつては〈流浪の民〉として知られたが、現在では定住するものが多い。
『ロマ』は彼らの言葉で〈人間〉を意味する。
さて、その他称=外名(exonym)だが、大きく分けて2つの系統がある。
一つは上記のように「エジプト人」に由来する呼称。
もうひとつはギリシア語の「アツィンガニ(異教徒の意)」に由来する呼称。
英語はジプシーGypsy、フランス語でジタンgitan、スペイン語でヒターノgitano、
ドイツ語はツィゴイネルZigeuner、ハンガリー語はツィガーニ Cigány、
イタリア語ではズィンガロ Zingaro、ジターノGitanoである。
なんだか、グッと身近になってきた気がする。
ロマの文化、特にロマの音楽は現地の音楽に多くの影響を与えてきた。
ヨーロッパにおいては、後期バロックにはすでにその影響が見られる。
ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767@ドイツ)
1705年エルトマン伯爵に招聘され、現ポーランド領ゾーラウの宮廷楽長になる。
伯爵のお供でシレジア地方(現在のポーランド南西部~チェコ北東部に属する地域)にも行き、その地の民族音楽やジプシー音楽に触れる機会を得た。
「彼らの音楽を一週間聞けば一生役立つぐらい多くのヒントを得ることができるだろう」(テレマン)。
代表曲が《リコーダーとフルートのための二重協奏曲 TWV 52:e1(Ⅳ楽章)》。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809@オーストリア)
彼はハンガリーのエステルハージ家に宮廷楽長として長年仕えた。
《ピアノ三重奏曲 G-dur Hob.XV:25》の第3楽章は「Gypsy Rondo」の名で知られ、トリオ自体も「ジプシー・トリオ」と呼ばれている。
「ロマの音楽の影響力は特にハンガリーにおいて顕著」だという。
本来のハンガリー独自の音楽に加え、ロマの音楽が、
ハンガリーの代表的な音楽の一つと見做されているのも事実である。
ヴァイオリン界においては「ジプシーヴァイオリン中興の祖」と呼ばれる
ヤーノシュ・ビハリ(1764-1827)という重要な人物がハンガリーにいる。
彼(の楽団)は人気を博し、リストやベートーヴェンをも感動させたという。
その直系の末裔こそ、あのロビー・ラカトシュである。
☆
フランツ・シューベルト(1797-1828@オーストリア)
1818年と24年の二度、エステルハージ伯爵一家の音楽教師となる。
別荘のあったハンガリー(現スロヴァキア)のジェリジュ(ゼレチュ)で、
彼の地の音楽に魅せられ、ピアノ独奏曲《ハンガリーのメロディ》や、
《ハンガリー風ディヴェルティメントD818》などを作曲。
フランツ・リスト(1811-1886@ハンガリー)
何と言っても《ハンガリー狂詩曲》。ここには、リストが考える、
「ハンガリー的な音楽」が溢れている。そこにあるのはロマの音楽、
その演奏スタイルを、リストは見事に自分の音楽に反映させている。
ロベルト・シューマン(1810-1856@ドイツ)
合唱曲《Zigeunerleben》、我が国では『流浪の民』として親しまれている。
1840年に作曲された歌曲で、詩はガイベルEmanuel Geibel。内容は、
ヨーロッパの町々をさすらうロマの生活の物悲しさを歌ったもの。
ヨハネス・ブラームス(1833-1897@ドイツ)の『ハンガリー舞曲集』。
共演者であるハンガリーのヴァイオリニスト、レメーニに紹介されたロマの音楽に感動、それに基づいて編曲された。
ヨアヒムやクライスラーらがVn用にアレンジしている。
ドヴォルザーク(1841-1904@チェコ)歌曲集《ジプシーの歌op.55》。
第4曲がヴァイオリンでもよく演奏される『我が母の教え給いし歌』。
クロード・ドビュッシー(1862-1918@フランス)
ヴァイオリンで演奏されることもある《レントより遅く》、これには、
ジプシー音楽に対するドビュッシーの関心が反映されているという。
ジョルジェ・エネスク(1881-195@ルーマニア)
ヴァイオリンとピアノのための作品《幼き頃の印象op.28》の第1曲が、
『フィドル弾き』、これはまさにロマの音楽師を表現した曲。
リゴラシュ・ディニク(1889-1949@ルーマニア)
ロマの作曲家でヴァイオリニスト。音楽院の卒業試験用の曲として書かれた
《ホラ・スタッカート》や、その囀りを摸する《ひばり》が特に有名。
☆
そして、モンティである。
ヴィットーリオ・モンティ(1868-1922@伊)の《チャルダッシュ》。
『チャルダッシュcsárdás』はハンガリーのダンス(音楽)『ヴェルブンコシュ』から派生したジャンルである。
その『ヴェルブンコシュ』は、元々募兵活動のため酒場csárdaで披露された『ヴェルブンク』(軍隊生活の楽しさをアピールするための男性による踊り)が発展したもの。
それが更に芸術的要素を増して『チャルダッシュ』となり、1830年頃最盛期を迎える。
19世紀にはウィーンをはじめヨーロッパ中で大流行を極め、
ウィーン宮廷は一時チャルダッシュ禁止の法律を公布したほどだったと。
ヴァイオリン界では《チャルダッシュ》といえばモンティである。
なのに。残念ながらモンティについて紹介すべき資料がほとんどない。
パブロ・サラサーテ(1844-1908@スペイン)の《ツィゴイネルワイゼン》
「ジプシーの歌」であることには違いないのだが、
タイトルがスペイン語の「ヒターノ」ではないところが興味深い。
そして、《ツィガーヌTzigane》
ラヴェルが生まれたバスク地方はスペイン系ロマが生活の場をおいていた。
この曲を想起させたのが、イェリー・ダラーニというハンガリー出身のヴァイオリニストだったという経緯もある。当時の批評家たちは、
「ラヴェルはでツィガーヌ自身以上にツィガーヌ的である」と賞賛したという。
他にも、フバイが…、バルトークが…。
ああ、もう、全然、紹介し切れない!
我々ヴァイオリン弾きが「ジプシー」と口にするとき、
そこに侮蔑や差別の気持ちは、まったくない。
あるのはどちらかというと親近感なのだが、その訳が分かった。
彼らの気配を纏った曲はこんなにも多い。
しかも、とても身近なのだ。
☆
閑話休題。シャーロック・ホームズ・シリーズの『まだらの紐』、
原題は『The Adventure of the Speckled Band』である。
例によって殺人が起き、例によってダイイング・メッセージが残される。
「…けれども私が抱きかかえようとした時、姉は一生忘れられないような声で叫びました。『ヘレン! バンドだったわ、まだらのバンド!』…」
現場の屋敷の敷地内には、まだら模様のハンカチを頭に巻いたジプシーの一団 (band of gypsies)が露営していた。そして、彼らに容疑が向けられるのだが…。
「band」…ドイルが狙ったであろうタイトルによるミスディレクション、
残念ながら邦題では効いていない、というより「ネタバレ」の方向?
「紐」だもの。ジプシーって何のために出てきたの?みたいな。
当時のジプシーのイメージは何となく伝わってくるけれど…。
ユダヤの人達のように迫害や偏見を受けた『ジプシー』。
それは過去のものでも、遠い国の話でもない。
戦後の経済変動の中で、ロマの経済的な困窮は一段と進んでいるという。
テロへの懸念などもあって、各国の「放浪者」への対応は厳しい。
いつの時代にも、どんな場所にもある、悲しい現実。
ただ、曲を演奏しているだけでは、それは漠とした姿でしかない。
だから、それを知りたい、知らなければと思う。でなければ、
彼らの音楽の奥底にあるものを表現できないのではないかと。
多くの作曲家が感じ取った“何か”を汲み取れないのではないかと。
あるルーマニア人ヴァイオリニストの言葉。
「ジプシー音楽をひと言で表現するなら『自由』、そして『情熱』」
既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の風
慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
東空の白みては 夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けば 何処行くか流浪の民
(シューベルト『流浪の民』から一部抜粋 石倉小三郎訳)
ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第125回
何処行くや流浪の民
Manea Cu Voca -Fanfare Ciocarlia
Latcho Drom - Rustem si suite
Teleman:Concerto for recorder and flute, TWV 52:e1
Haydn:Trio Hob.XV:25 "Gypsy Rondo"
Liszt:Hungarian Rhapsody No.2
- Lidia Baich
Brahms:Hungarian Dance No 1
-Joshua Bell
ファンファーレ・チョカルリアはルーマニア北部出身のジプシー・ブラスのバンド。
タラウ・ドゥ・ハイドゥークスは1990年頃結成されたルーマニアのジプシーバンド。
Dvorak/Persinger:Song my mother taught me.
- Nemanja Radulović
Monti: Csárdás
- József Lendvay
Romafest Gypsy Dance Theater – Verbunk
Dinicu:Pacsirta ( The Lark )
-Geoffrey Pearce
Enescu:Fiddler
Debussy:La Plus que Lente
Sarasate:Zigeunerweisen
-Roby Lakatos
Ravel:Tzigane
-Henryk Szeryng
-Patricia Kopatchinskaja
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