「さっきの楽譜、もう一度見せて頂いてもいいですか?」
レッスンが始まってすぐ、お弟子さんが言う。
譜面台に置き忘れていた楽譜が視界に入っていたようだ。
「いいよ。どうぞ」…片付けた楽譜を出して、渡す。
ページを捲りながら、彼女は何か探すように目を走らせる。
「…あの……フィンガリングとかボウイングとかは?」
 
最近、ソロの曲に関しては、
フィンガリングもボウイングも、あまり書かない。
初めて読む新曲も、改めて勉強する曲も。
 
“書き込み”—主たるものはフィンガリングとボウイング。
どちらも、ある程度固まってから書くようにしている。
それが固まる頃には、思ったより、ちゃんと身体が覚えているから、
書く必要がない。結果、ほぼ書かずに終わるという次第である。
 
昔は違った。初期の段階においては編集・校訂者のガイド=
楽譜に印刷してあるフィンガリングやボウイングを使い、
それでは足りない、あるいは、それと違う弓や指を使う場合は、
指示を仰ぎ、言われるままに書き込み、それで弾いていた。
 
それが『正解』で、間違ってはいけないものだとも思っていた。
間違えるのが不安だった。だからだろう、その頃の楽譜には、
必要以上にフィンガリングやボウイングが書き込んである。
 
フィンガリングやボウイングを自分で付けるようになってからは、
自分で付けたフィンガリングやボウイングに問題がないか
レッスンで、チェックしてもらうという意味もあったから、
結局、そういった書き込みはなくならなかった。
それはきっと、過程としては間違っていない。
 
楽譜には、あちらこちらに○も書き込んである。
練習中、繰り返しミスをする場所には、自身で○を付ける。
レッスンで間違えてばかりいると、今度は先生に○を付けられる。
気付くと、○がキノコのように増殖していて。
 
 
注意事項も忘れないように書き込んだりもするから、
どんどん、楽譜が黒くなる。そこに書いてあることすべてが、
音楽に昇華され身体に溶け込み、自身が譜面から離れられれば、
どんな楽譜だって問題はないはずだ。だって、
聴き手に楽譜は見えないのだから。でも。
 
書き込みが過ぎると、
かえって、注意が散漫になることもある。
それしか、目に入らなくなってしまうこともある。
本質的なものを、いや“本質”を見失ってしまう危険。
 
書き込みに縛られる。=自由を失う。 
その日の気分で弾くこともできない。=自身を失う。
而して、大学に入ってからは、
勉強譜、練習譜、演奏譜を分けるようになった。
 
楽譜は可能な限り、編集・校訂の入っていない、
“自筆譜”に近いものを選ぶようにする。とはいえ、
手に入れにくいものもあるし、それがないものもある。
そういうときは、手元にある楽譜をコピーして、
余分なフィンガリングなどを消し、もう一度コピーし直して、
できるだけ、まっさらな状態の楽譜を作って使っている。
 
『白い楽譜』で弾いて、あれこれ迷うようでは、
それは本当の意味では身体に入っていない訳で。大体、
「昨日」と違っても、「さっき」と違っても迷わず弾ける、
そういう状態こそ、身体に入ったと言えるのではないか、と。
 
『暗譜』もそうだ。
フィンガリングやボウイングを完璧に覚えることが暗譜なのか?
演奏中、フィンガリングやボウイングを間違えると弾けなくなる、
それを、真の意味での『暗譜』と言えるだろうか?と。
 
手段だったはずのフィンガリングやボウイングが、実に簡単に、
目標にすり替わってしまう。そんな危険を我々はよく知っている。
 
「先生、弾けました!」
「よし、これからだ!」
「え? これからって?」
 
 
ある日突然、師から告げられる、
「ボウイングとフィンガリングは自分で考えてきてね」宣告。
え? そ、それって、自分で考えるものなの? え、そうなの?
 
帰宅して譜面を開く。じっと見る。眉間に皺が寄る。
形相の割に頭は空っぽだ。なんにも浮かばない。取り敢えず、
印刷してあるボウイングとフィンガリングで弾いてみる。
「これでいいじゃん」…誰もいない部屋で、一人不貞腐れてみる。
かといって、いつまでいじけていても埒が明かない。
 
フィンガリングもボウイングも全く付けられない訳じゃない。
でも、悲しいかな、それは幾ばくかの経験値で付けているだけで、
何かを考えた結果でも、意図的に選んだものでもない。
教えて貰った幾つかの約束事も、公式のようなものでしかない。
…「考える」って一体、何をどう考えるっていうんだ!
 
不思議なことに、ボウイングには少し「自分」がある。
この方が気持ちがよいとか、こうすると弾きやすいとか。
ところが、フィンガリングはそうではない。だって、
余程変なことをしなければ、それなりに弾けてしまうから。
 
なにしろヴァイオリンという楽器、よくできたもので、
1stポジションだけで、結構なんとかなる。後は、
E線ハイ・ポジションをなんとかやり過ごせばいいのであって、
3rdポジションをマスターすれば完璧、すべてが何とかなる。
 
実は、同じポジションで続けて弾いた方が楽な時もある。
実は、偶数ポジションで弾く方が効率的な場合もある。
なのに。
なぜか、つい1stポジションで弾いている「私」…(笑)
 
それではダメなの? ダメなんだよね。どうして?
 
大体、フィンガリングって何? 
 
ヒントを求めて、
偉い人が書いた『ヴァイオリン運指法』などという本を繙いてみる。
こう書いてあった。
 
—フィンガリングは“解釈”である。
 
 
フィンガリング=“運指法”と訳されるが、広義には、
どの指を使うかを考え決定する『選定』の意味と、
その指をどう動かし運ぶかという『運指』の意味、双方を言う。
ヴァイオリン弾きの日常としては前者の意で使うことが多い。
 
左手の最大の使命は“音高”を決定すること。そして、
フィンガリングはイントネーションとその安定に深く関わっている。
さらに。
 
フィンガリングをなおざりにすると、演奏精度が下がるのはもちろん、
音色に凸凹ができたり、フレージングがはっきりしなくなったり、
デュナーミクや付かなかったり、リズムが思うように刻めなかったりもする。
数ある問題の原因がフィンガリングだったということは、少なくない。
 
ボウイングには、共通言語的“ルール”があるが、
実は、フィンガリングにはそれがない。幾つかの、
「こうするとよい」「こうするのはよくない」的提案は為されるが、
Must的なものはない。あるのはあくまでも“理論”である。
 
それは、先人達の努力の集積。その時代その時代の、
音楽や演奏法に合ったフィンガリングは、確かにある。
その作曲家、その曲、それぞれに向くフィンガリングもある。
 
現代においては、あらゆる時代のあらゆる曲を弾くことを要求される。
変遷してきたすべてのフィンガリングを使いこなせる、
オールマイティな能力を要求される、というのが現実だ。
 
だからこそ、いろいろなフィンガリングを知ることは大事。
それに知っていると楽しい。
選べる喜び。ピタッと嵌ったときの快感。
 
さて、「向く」と書いたが、
最終的にそれを「向いている」と判断するのは自分だ。
 
その時の自分の力量もある。その時の自分の心の有りようもある。
師の言う通りにするのもよい。師に逆らってみるのもよい。
 
大切なのは、それを「自分が決めた」と言えること、
その理由を、ちゃんと言えることだろう。
 
 
フィンガリングには『合理的運指』と『音楽的運指』がある。
両者がピタリ一致するときもあるが、相反する時もある。
反する時は、どちらを優先し選ぶかを自身で決めなければならない。
 
例えば、高速フレーズにおいては、運指ミスは致命的。だから、
より危険度の低い、より効率的なフィンガリングを選ぶ。
一方、一つのフレーズを同じ色合いで弾きたいときなどは、
多少リスキーでも、同一弦で弾くなどの工夫をしたりする。
 
フィンガリングの学習は『音楽的記憶力の強化』にも、
また『初見能力の強化』にも繋がると書いてある。確かに、
「こういうフレーズにはこういうフィンガリング」と、
整理されてインプットされていれば、楽譜を見た瞬間に、
[音楽]と[技術]が一体となった状態でアウトプットされるし、
頭と身体双方で覚えられれば、暗譜も早く正確に行えそうだ。
 
日常的にフィンガリングやボウイングに拘りが強い人は、
どちらかというと『初見』が苦手な傾向にある。自身がそうだった。
初見能力を高めるトレーニングをした時、それを痛感したのだ。
 
いくら音が読めていても、指や弓が迷えば、演奏が止まる。
初見能力の高い人は、そこに迷いがない。しかも、少々、
変なフィンガリングやボウイングになっても平気で弾き続けられる。
というかそれができて当然、問題はいかに音楽的に弾けるかだよね、
なんて言われると…ガックリくる。
 
根本的に「見えているもの」「見ているもの」が違うと思った瞬間である。
書いてある通りに弾くことばかりしていると、この能力は付かない。
 
ずらし。拡張。クリーピング・フィンガリング。
シフトのタイミング。シフトと弓の返しのタイミング。移行と移弦。
0と4の使い分け。クロマティック。それからそれから…。課題満載。
フィンガリングとボウイングの関係もまた、密であるから。
 
改めて考える。
あらゆる可能性を、考えただろうか。
どれだけ、選択肢を持っているだろうか。
それを、活かせているだろうか。そして。
 
正しく、自分の思いをフィンガリングに乗せられているだろうか。
 
 
『理論的運指』を学んでいない人は、
フィンガリングで損をしていることがある。
アンサンブルやオーケストラなどは、情報収集の格好の場なのだが、
ボウイングは何をしなくても見えるけれど、フィンガリングはそうではない。
自ら聞くなり、盗むなりしないと手に入れられない。
 
経験年数が低い場合や、身体に叩き込む時間がない場合は、
書き込みを、最大限利用すべきだと思う。
出てくる音が本物なら、誰も文句は言わない。
あ、でも、できれば音全部に指は振らないでね!
 
 
楽譜は『どこでもドア』?
譜面台に楽譜を置いた瞬間、世界が変わる。
そうして譜面を開けば、どこにでも行ける。
過去にも、未来にも。
だから大切にしないと、楽譜。
 
最初は誰だって、汚すつもりも乱暴に扱うつもりもない。
だけれど、書き込みを重ね、縒れて薄汚れてきたりすると、
つい、扱いがぞんざいになってしまうこともある。
そうなると、きっと、彼はどこにも連れて行ってくれない。
 
書き込み、気になるんなら、消せばいいじゃない。
そうだよね。そのために鉛筆を使うんだ。
フリクションだのなんだのという時代に。
 
正直、書き込んだものは、何だかもったいなくて消せない。
ある程度時間経ったら、ある程度弾けるようになったら、
よいタイミングで勝手に、自然に消えてくれればいいのに…なんて。
 
それもまた、なかなか難しいから、
消えてしまうのも、消してしまうのも悲しいから、
今日もせっせと、
心置きなく書き込みができる勉強用の楽譜を作る。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第123回

なお、この書き込みは自動的に消滅する。

Brahms Sonata No.1 G-dur Op.78

こんなにフィンガリングが違います!

若い頃の楽譜は、書き込みがいっぱい!
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