急に暑くなった。と、思ったら、
でっかい台風がやって来た。気温こそ多少下がったものの、
強烈なジメジメが身体に纏わりついて、不愉快極まりない。
体調もスッキリしなくて、不快度マックス。
そうこうしているうちに、本気の夏が来るんだろうなぁ。
 
仕方なしに、あれやこれや、
胃に優しそうなメニューを考えていたら、
レオポルト・モーツァルトが息子のために作ったという、
『薬膳スープ』の話を思い出した。モーツァルト家定番の料理。
病人食としてはもちろん、健康を保つための食事としても、
日常的に出していたらしい。せっかくだから、ご紹介しよう。
 
■薬膳スープ
[材料]
オランダセリ(パセリ),ヒナギク(食用菊代用),ホウレン草,ウイキョウ(フェンネル)適量
卵1個,サワークリーム40g,食パン1枚,ブイヨン3個,水1ℓ
[作り方]
(1)薬草をすべて細かくみじん切りにする。
(2)鍋に水とブイヨン、(1)を入れ加熱。
(3)卵とサワークリームを加え、よく混ぜる。
(4)トーストした食パンを食べやすい大きさに切る。
(5)食パンにスープを掛けて、できあがり。お好みで塩を少々。
 
洋風七草粥? ついでに、薬効を調べてみた。
「パセリ」は栄養価が高く、利尿作用、食欲増進、疲労回復、食中毒予防、口臭予防、美肌、解毒効果が、
「キク」は殺菌・解毒作用、風邪予防、めまい・頭痛・眼精疲労の解消、不眠症改善、老化防止効果が、
「ホウレン草」も旬は栄養価が高く、消化機能を高め、虚弱体質改善、風邪予防、貧血・目の疲れ・便秘の解消、リュウマチや痛風に効果が、
「フェンネル」は消化を助け、胃痛・食欲不振・お腹の張りに効き、利尿・発汗作用があるので、むくみや風邪、ダイエットにも効果があるという。
卵やサワークリームについては言わずもがな。
 
頭がクラクラしてきたが、これは効きそうだ。
問題は味か。今度、作ってみよう。
 
 
“スープ”は欧州においては元来、肉や野菜を煮込んだもの、
あるいは、ワインやシードルといった果実酒をパンにかけて作る、
粥状の料理を言うのだと。我が家にある『ヨーロッパのスープ』なる本も、
確かに、そんな感じのレシピでいっぱいだ。
 
かつてパンはまとめ焼きしたものを食い繋ぐものだった=硬い。
大体、ふわふわパンは高価で、硬い黒パンが大半を占めていた。
なので、パンをふやかす“スープ”は食べやすく、且つ栄養価に優れ、
しかもボリュームのある理想的な料理だったと。なるほど。
 
モーツァルトが人生はじめての旅に出たのは1762年(6歳)。
その後、人生の1/3を旅することとなる。行く先々で評判になり、
数々の成功を収め、豪奢な晩餐会に呼ばれ美食に浸ることもあった。
 
しかし、その旅中は過酷、馬車による長距離移動、暑く寒く、
宿泊先の環境も衛生状態も、必ずしも良い場所ばかりではなく、
睡眠や食事が満足にとれないこともあり、当然、様々な病気に罹った。
ときには、死にかけるほどの状況に追い込まれることも。
 
たった一冊の本を広げるだけで、出てくる出てくる、
『結節性紅斑』『多発性関節炎』『腸チフス』『カタル』『腎炎』…。
その症状は、発熱、痛み、発疹、大量の発汗、昏睡、歯痛、眼痛…。
いくら子供は病気をすると言っても。読んでいるだけで辛くなる。
 
我々には想像できない不衛生な生活環境、
未発達な医療=技術も低く、薬も限られていた。
高い乳幼児死亡率。多くの子供が命を落とした。
 
レオポルトは酷く倹約家だったと記されているが、
子供たちの健康は常に考え、食事療法も勉強し実践していた。
 
彼が持っていたという高価な料理本がある。
ザルツブルク大司教の宮廷料理長が書いたという『新ザルツブルク料理本(1719)』
リヒテンシュタイン侯爵夫人マリア・ロザリア著『ザクロgranatapfel(1740)』
後者は薬膳料理の本で、レオポルトはよく参考にしていたという。
 
そうして、息子が病気になると、
父レオポルトは、真っ先にスープを作った。
滋味に富んだ愛情豊かなスープ。
モーツァルトの命を繋いだスープ。
 
 
先に紹介した『薬膳スープ』のほかにも、
牛肉、骨髄(有名肉店でしか売ってなかったらしい)、ソテーした皮付きタマネギ、セロリ、西洋ネギ、コショウを煮込み、中身を取り出し裏ごしした『牛肉スープ』。
刻んだタマネギと角切り黒パンをラードで炒め、ビールとブイヨンで粥状になるまで煮て、塩・コショウ・シナモン・クローブで味を調え、トーストしてサイコロ状に切ったパンの上に掛ける『ビアーズッペ』。
刻みタマネギと小さくしたパンをラードで炒め、小麦粉と牛のブイヨンを加え粥状になるまで煮て、卵を加え、塩で味を調え刻みパセリを散らした『ブロートズッペ』
…「いのちのスープ」の辰巳芳子先生を思い出す。
 
旅に出るときは、荷物に“レオポルトの薬箱”が入っていた。
包帯、たらい、軟膏、下剤、黒薬、マルグラファン、薬用塩、すみれ液、タマリンド水…。
 
例えば、こんな具合だ。
1762年10月、二人はウィーンで、女帝マリア・テレジアの拝謁を得る。
幼きマリー・アントワネットに「大きくなったらボクのお嫁さんにしてあげる」
と言ったという逸話がある、あの御前演奏のときだ。
神童ぶりを発揮し、高額な下賜金も貰い…だが、
再び宮殿に招かれた日、モーツァルトがお尻や足の痛みを訴える。
真っ赤な硬貨大の斑点がいくつか見つかる。レオポルトは対処する。
「(上記症状のほか)あの子は熱もあったので“黒薬”と“マルグラファン”を飲ませました」~L.モーツァルト
 
「黒薬(黒い粉薬)」は硝酸カリウムがベースで、没薬、鹿の角、サンゴ、蛙の頭(ホント?)を混ぜた粉薬。殺菌作用があり、鎮静薬、鎮痛薬として使われていた。
「マルグラファン」はドイツの化学者マールグラーフが作った合剤で、成分は炭酸マグネシウム、シャクヤク、アイリスの根茎、ヤドリギ、粉末サンゴ、金粉などで、便秘薬、制酸剤、鎮痛・収斂緩和剤として使われた。
「すみれ液」はすみれを煎じたもので、滋養強壮、精神安定、便秘、解毒などの効果あり。
「タマリンド水」はアフリカ原産のマメ科植物のタマリンドから作られ、喉の痛みの緩和、疲労回復に効き、解熱、整腸作用もある。フィリピンではマラリアに効能があるとしてタマリンド茶として用いているそうだ。
 
なんだか怪しそう、なんて思ってしまうけれど、
我が家の薬事情を考えると、たいして変わらないかもしれない。
 
 
父から緊急時の対処法を教えられたモーツァルトは、
「きょうすでに二日間、家に閉じこもっています。汗を発散させるために、黒薬とニワトコの花のお茶とを飲みました。なにしろ、カタルと鼻風邪と頭痛があり、喉が痛く、目が痛く、耳が痛かったものですから」(1778年2月22日、マンハイムから父親宛)。
学習している。
 
1780年、出先のミュンヘンで『カタル』に罹ったモーツァルト、
その旨、報告を受けた父はすぐに手紙を書く。―「カタルを軽く考えてはいけない。時々ひどく重くなることもある。暖かくしておきなさい。ワインは飲んではいけない。寝る前に少しの黒粉とナイフの先位のマルグラファンを飲みなさい。朝食には紅茶を飲みなさい。コーヒーはいけない」(1780年11月25日)
 
モーツァルトの返信―「風邪はさらに悪化してしまいました。イチジクのシロップとアーモンド油を飲み始めました。少し効果があったようです」(同年12月4日)
 
父はまた返信する。―「イチジクのシロップとアーモンド油を飲んだことは、とてもよかった」
24歳の青年に。そして続ける。母が子に口を酸っぱくして注意するように。
―食事は少なめに摂ること。スープは好きなだけ飲んでよい。
―柔らかく煮た仔牛や仔羊の肉は食べてよい。牛乳はよくない。
―フィレ肉、コメのお粥、大麦の重湯が好ましい。
―ただし砂糖は加えるな。ワインや冷たい水はよくない。
―柔らかく煮たニンジンを昼食と夕食に食べるとよい。
 
そう言えば、まだモーツァルトが小さかった1763年1月、
ウィーンからザルツブルクに帰郷する際、
体調を崩していたモーツァルトを慮って、ザルツブルクの家の持ち主に、
前もって「数日間、部屋を暖めておいてほしい」と頼んでいたりもした。
 
「厳格で頑固な教育パパ」というイメージのあるレオポルトだが、
なんだか好きになってきた。自分の父親だったら?
いやまあ、それはそれ、これはこれということで(笑)。
 
確かに、いろいろあって親子関係が冷えたもこともあっただろう。
父の病床に見舞うことも、葬儀・埋葬にも参列しなかった。
だが、それだけの事実で二人の互いへの愛情を疑うのは、
多分、間違っている。
 
 
1787年、愛する父が病気だと聞いたモーツァルトは手紙を書く。
「最愛のお父さま……たった今、知らせを頂きましたが、とても心配です……先日のお便りで、幸いにもお元気になられたと思っていただけに…」
 
回復を祈る言葉をつづけた後、こう書いている。
「死は(厳密に考えて)人生の真の最終目標ですが、数年このかた、ぼくはこの真の最上の友とすっかり親しくなったので、その姿はいささかも恐ろしくないばかりか、むしろ大いに心を静め、慰めを与えてくれるものとなっています! そうして、われわれの真の幸福の鍵としての死を知る機会(その意味はお分かりですね)を与えて下さったことを神に感謝しています」(1787年4月4日ウィーン)
 
さらに続ける。
「ぼくは(まだこんなに若いのに)おそらく明日はこの世にはいまいと考えずに床についたことはありません。しかしながら、ぼくを知っている者はひとりとして、ぼくが付き合いの上で、陰気だとか悲しげだとか言える者はないはずです。ぼくはこの幸福を毎日神に感謝し、誰しもがこの幸せに恵まれるよう心から祈っています」
 
5月28日、レオポルト・モーツァルト死去。
 
モーツァルトがこの頃書いた《弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516》
この曲の完成は1787年の5月16日である。
アンリ・ゲオンは『モーツァルトとの散歩』に書く。(この曲のⅠ楽章にあるのは)
「リズムの歓びと悲劇的な色彩」「陽気な絶望であり絶望的な歓喜である」
 
表と裏。明と暗。光と影。信仰と諦念。…生と死。
 
ゲオンが《フルート四重奏曲ニ長調K.285》のⅠ楽章にも聴いた、
そして、「それはモーツァルトにしか存在しない」と言った、
「晴れやかな陰影」「疾走する悲しみtristesse allante」が、
さらに深まって、さらに力強く、そこにある。
 
 
スープと言えば、ヘンデルも飲んでいたという
『ビール・スープ(ビアーズッペ)』が気になる。
調べると、いろいろなレシピが出てきた。
 
食糧事情が厳しく、安全な水もなかった当時、
かの地において、ビールは基礎栄養食品の一つだったという。
また、かつてのオーストリアでは教会が定めた断食の期間に、
固形物を口に入れることは禁止されており、
この期間をしのぐ栄養源としてビールやスープが重宝されたのだと。
 
そうかぁ。『とりあえずビール族』を否定してはダメなのかぁ。
 
モーツァルト家でも供された、
ザルツブルクの『ビアーズッペ』は
刻んだ玉ねぎとサイコロ状の黒パンをラードで炒め、
ビールとブイヨンで粥状になるまで煮込み、
塩、コショウ、シナモン、クローブで味付けし、
トーストしてサイコロ状に切ったパンに掛ける。
 
ヘンデルの故郷、ドイツのハレの『ビアーズッペ』は、
同量の牛乳とビール、半量の生クリームを鍋にかけ、
塩ひとつまみ、砂糖少々、レーズンを入れて火を通し、
水溶き片栗粉でとろみをつけ、火を止めて卵黄とシナモンを混ぜる。
 
調べれば調べるだけ出てくるところを見ると、
ご当地ビアーズッペ、我が家のビアーズッペという感じなのだろう。
いずれにしても美味しそうだ…と言いたいところだが、
下戸なのもあって、作ったことも食べたこともない。
アルコールをとばせば、大丈夫かな。
 
暑くなってきたことだし、
やはり、ちょっと挑戦してみるか。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第122回

父の愛は食卓にある

同時期に書かれた姉妹作品と称される弦楽五重奏曲

Mozart:String Quintet C-dur K.515

腸チフスに打ち勝ち、回復した直後に書いた曲(1766年10歳)

モーツァルト:

クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ ニ長調

Mozart:String Quintet g-moll K.516 1/4

© 2014 by アッコルド出版