まだまだヴァイオリンが、自分にとっては「お稽古」で、
楽しいばかりではなかった幼少の頃、それでも時に宿題で出る、
“ヴァリエーションもの”の曲は好きだったのを覚えている。
 
例えば、ダンクラ(1817-1907)の《Air Varie》。
「ここにTHEMEってあるでしょう、このメロディが次に出てくるVARIATIONで隠れんぼしてるんだよ。見つけられるかな?」
そう先生に教わった時、なんだかすごくワクワクした。
暗号みたいだ、そう思った。ドキドキした。
 
ある日、知る。“音名暗号”なんてものがあるって。きっかけは、
ラヴェルのヴァイオリンとピアノのための《フォーレの名による子守歌》
調べれば、音楽雑誌La Revue musicaleからの依頼で、1922年、
『フォーレ特集号』のために作曲した曲。そこにはGabriel Fauréの12文字を、
ある方法で音名に置き換えた音列が使用されているのだと。
 
このタイプの企画は、1909年のハイドン没後100周年記念号でも行われ、
6人の作曲家が「HAYDNの名による曲」を作曲するよう依頼されている。
 
“音名象徴”という厳めしい名も持つ、この「音名遊び」、
音名(A, B, C, D, E, F, G, H)を利用して、作曲家が、
自身や恋人などの名前、あるいはメッセージなどをメロディに折り込む、
置換型の、いわゆる“換字式暗号”の一つである。
 
ただ、このままでは、いかんせん使える文字が少ない。なので、
La Revue musicaleではそれを増やすための工夫をしている。
A〜G以降の音を下記のように並べ、Hだけは「シ」と読むという風に。
 
    シ    ド    レ    ミ    ファ    ソ
      B  C      E   F   G
(シ)     I   J   K   L   M   
O   P   Q   R   S   T   U
V   W   X      Z
 
そうして書かれたのが、次の6曲。(カッコ内は作曲当時の年齢)
 
 ラヴェル 《ハイドンの名によるメヌエット》-(34歳)
 ドビュッシー 《ハイドンを讃えて》-(47歳)
 デュカス 《ハイドンの名による悲歌的前奏曲》-(44歳)
 レイナルド・アーン 《ハイドンの名による主題と変奏》-(34歳)
 ヴァンサン・ダンディ 《ハイドンの名によるメヌエット》-(58歳)
 シャルル=マリー・ヴィドール 《ハイドンの名によるフーガ》-(65歳)
 
「シ-ラ-レ-レ-ソ」の音に、一度耳が囚われてしまうと、
どれも同じような曲に聞こえてくるのが何とも言えないが、
耳をリセットして素直に聞けば、いや、耳を深くして聴けば、
それぞれの作曲家の「らしさ」に、どっぷりと浸ることができる。
たまには、こういう企画や、聴き方&楽しみ方もいいかなと思う。
 
みなさんは、どの「シラレレソ」がお好き?
 
 
有名なのはバッハの名を使った“B-A-C-H主題(モチーフ)”や、
ショスタコーヴィチの“D-SCH音型(動機)”だろうか。
 
基本アルファベット8文字、しかも母音はAとEのみという限られた世界。
でも、BACHという名は、これに一切細工せず全て音名で表すことができる。
ある意味すごい。(並んで語られるのがジョン・ケージCAGEである。)
 
そんな彼の絶筆《フーガの技法 ニ短調 BWV1080》の未完のフーガ=第14コントラプンクトゥスの3つ目の主題に、
バッハ(B-A-C-H)の名前をもとにした音形が見られるという。
バッハ最晩年となる1742年頃から書き始められた大曲。
作曲と並行して出版も準備されたが、その途中で作曲者の視力が急激に低下、
未完成のままに終わり、死後、そのまま出版されている。
 
「バッハ自身が、どこまで『それ』を意識・認識していたかは定かではない」
「出版譜には『このBACHの主題を書いたところで作曲者は世を去った』という書き込みがある」
「息子C.P.E.バッハが少々誇張して流布させたのだとも考えられる」
など諸説が見られるが、バッハの象徴法は知られるところだし、
意図して書かれたものだったとしても、驚きはしない。
 
後年、“B-A-C-H主題”で、多くの作曲家が曲を書いている。
リスト、リムスキー=コルサコフ、レーガー、プーランク…。
バッハへのオマージュ。
やはり“BACH”は、音楽に関わる者にとっては煌めく永遠の星なのだ。
 
 
音名遊びが大好きだったのはシューマン。彼は、
8文字限定だった世界に複雑なルールを持ち込まずして、一文字加える。
「S」にドイツ音名の「Es」を当てて使おうというシンプルな発想だ。
おかげで、名前の冒頭に「SH」や「SCH」が付く人は大助かり(笑)。
 
シューマンのこの手の曲で有名なのは、何と言っても、
《アベッグ変奏曲Abegg Variations op.1》だろう。
架空の伯爵令嬢パウリーネ・フォン・アベッグに献呈されたこの曲は、
アベッグの名の綴り「A-B-E-G-G」の音形に因んで書かれている。
二十歳のシューマンが、音楽で身を立てようと志新たにしている時期の作品。
麗しき令嬢を想い、音(名)と戯れるように書かれたこの曲は愛らしさに満ちている。
 
《謝肉祭Carnaval‘Scenes mignonnes sur quarte notes’Op.9》では、
好意を寄せた同門のエルネスティーネの出身地アッシュ「ASCH」を、
曲中にこれでもかと散りばめている。楽譜には“音名による暗号”の謎解きが、
演奏されない『スフィンクス』という曲で示されている。スフィンクス!
 
シューマンと言えば、ヴァイオリン弾きが忘れてはならないのが、
《F.A.E.ソナタ Sonate F-A-E. [Frei aber einsam]》 。
1853年にシューマンが友人のA.ディートリヒ、ブラームスと共に作曲。
3人の共通の友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムに献呈した。
「Frei aber einsam自由に、しかし孤独に」はヨアヒムのモットーだった。
 
そのブラームスが、ソナタや交響曲などの楽曲に忍ばせたのが、
「Frei aber froh(自由に、しかし楽しく)」=「F-A-F」というモットー。
もちろん、ヨアヒムのそれに対応して生まれたものである。例えば、
《交響曲第3番ヘ長調op.90》、曲の冒頭で象徴的に「F-A♭-F」が鳴り響き、
このモチーフはこの後、曲全体を支配し続けることになる。
 
共通する友人のために書かれたものとしては、
リムスキー=コルサコフ、リャードフ、ボロディン、グラズノフ(楽章順)らによって書かれた《ベリャーエフ(B-la-f)の名による弦楽四重奏》がある。
もちろん、各楽章には「B-A-F」が用いられている。
M.P.べリャーエフは1885年楽譜出版社を創設、篤志家として有名で、
グラズノフら作曲家を手厚く庇護し、ロシア音楽史上重要な人物だ。
 
ベルクの《抒情組曲Lyric Suite》もこのジャンル(?)の曲である。
1925年、歌劇《ヴォツェック》がベルリンで初演され、ベルクの作曲家としての名声は確固たるものになったのだが、
この年から翌年に掛けて書かれたのが弦楽四重奏曲《抒情組曲》。
彼がこの曲に潜ませたものは、ハンナ・フックス(Hanna Fuchs)という女性の名の頭文字「HとF」、自身の頭文字「AとB」、そしてハンナを象徴する数「10」とベルクを象徴する数「23」。
ふうん、で、ハンナ・フックスって誰? これが不倫相手なのだそうで。
 
愛する人への、尊敬する人への思い。世話になった人への感謝。そして。
 
「BACH主題」に倣って署名として使ったのが、かのショスタコーヴィチだ。
彼の名の頭文字は、ドイツ語で「D. Sch.」=「D-E♭-C-H」
この音型は《交響曲第10番》や《ヴァイオリン協奏曲第1番》など、
多くの作品の中で、意味は密やかに、音は朗々と鳴り響いている。
 
こうした“音名遊び”が気に入らない人もいるだろう。
実際、「『ハイドンの名による』企画」に誘われたサン=サーンスは、
こんな手紙をフォーレに書いている。これが実にサン=サーンスらしい。
 
「愛しい友へ。エコルシュヴィル氏から、ハイドンを祝いたいという便りを受け取りました。このことについてはまったく異存はありません。しかし彼は、音で名前を示す曲を書きたがっているのです。でも、記譜法の中にはYやNの字が示す音など断じて存在しないのです。-(中略)- 私はエコルシュヴィル氏へ、どうしてYとNの二文字がニ(D)とト(G)を表すのか納得のできる説明をしてほしいという旨の手紙を書きます。君にも、同じことをするよう勧めます。ドイツ音楽の笑いものにされるような馬鹿げた企みに引きずり込まれるなんて、つまらないことですから」(1909年7月16日)
 
大切な“主題(モチーフ)”を人から与えられるなんて。それに縛られるなんて。
ましてや知らず聞く人はそれに気付かないのだ。そんなものに意味があるのか?と。
 
とすると、ブラームスの「Frei aber froh自由に、しかし楽しく」、
逆接の接続詞「aber」が気になってくる。「自由=楽しい」ではない?
縛られてこその“自由”? 自由とは何だ!
 
 
音符や音名に限らず、楽譜やその要素は暗号に向いていそうだ。
いや、楽譜自体が暗号、音楽自体がそういうものなのかもしれない。
 
音名暗号―その存在を知らなければ、聞いているだけでは分からない。
それでいいのだろうと思うのだが、少しもったいない気もする。
 
演奏者は? そこに秘められたもの、それを知っているか知らないかで、
演奏は…きっと変わるに違いない。
作曲家と演奏家しか知らない秘密。ゾクゾクする。もう、バレてるか(笑)。
 
ベートーヴェンの交響曲第五番『運命』のモチーフ「・・・― 」、これが
モールス信号の「V」であることから、勝利(Victory)に通じるとされ、
第二次世界大戦下で「勝利」の意味を持たせて放送されたなんて話も。
 
少し前になるが 「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に楽譜(=音楽)が隠されている」という新説が出て、ニュースになっていた。
イタリアのジャズ奏者、ジョバンニ・マリア・パーラ氏の説である。
『ダ・ヴィンチ・コード』の存在もあって、何かと話題の『最後の晩餐』であるが、
この説もなかなか面白い。曰く、
「食卓に横に並んだパンを線で結び、これを1番下の線として絵に五線を引く。次に弟子らの手と五線の交わる点、パンの位置に音符を置いて楽譜に見立て、普通の楽譜とは逆に右から弾くと荘厳なレクイエムに聞こえる」。
そう言われれば、異様にパンの数が多いぞ!
 
これも紹介しておきたい。
浜松のワークショップで知り合った中学3年生の男の子、
Almond Chocolate君が送ってくれた曲―『豆(まめ)』『ちくわ』
“MIDIアニメ”というジャンルらしいが、どちらの曲も、
タイトルの文字とその絵が、ピアノロール譜に浮かび上がるように書かれている。
 
『豆(まめ)』の冒頭部分は、豆が跳ねる様子のスロー再生にも聞こえるし、
後半は、まるで豆が自由を声高に叫びながら跳ね回っているようでもある。
『ちくわ』は、「ちくわ」模様の再現が見事、ときに崩れて現れる
「ちくわ」「チクワ」の文字が、その不穏な雰囲気の和音と相俟って、
自身の存在に悩む若者の苦悩を表しているようでもある。
「ちくわ」がカットされる部分は休符が効果的で感動的。
 
「目」で聴く曲。「見る」曲。いいなぁ。面白いなぁ。
勝手に深読みできるのも、こういったものの面白さ?
 
暗号音楽の芸術性…なんて野暮なことは語らず、
「自由に、そして楽しく」ということで終わることにしよう。
なので、最後はこれかな。
 
―さだまさし『シラミ騒動』💛
 
動画あります。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第116回

ON-ME/AN-GO👆DO-YU-NO🚩

Maurice Ravel:berceuse sur le nom de Gabriel Fauré-Paris/Oleg Kagan

Poulenc : Valse-improvisation sur le nom de Bach

Richter plays Schumann's Abegg Variations

Liszt: Prelude and Fugue on BACH

Violin Sonata F.A.E. -F.Gulli, E.Cavallo 1990

『ちくわ 』

Chocolate Almond君の作品

『豆(まめ) 』

String Quartet on a Theme 'B-la-f' (Moscow Quartet)

Brahms, Symphony Nr 3 - Bernstein, Wiener Philharmoniker

Ravel - Menuet sur le nom de Haydn

Debussy - Hommage a Haydn

Hahn - Theme Varie a Lady Lewis sur le nom de Haydn

Dukas - Prelude elegiaque sur le nom de Haydn

Widor - Fugue a trois parties sur le nom de Haydn

d'Indy - Menuet sur le nom de Haydn

『シラミ騒動』さだまさし

© 2014 by アッコルド出版