いつだったか、ある若い友人とお茶をしていたとき、
何かの拍子で彼女が、自分は漱石が好きだと言い始めた。
そういうイメージの子ではなかったので、思わず理由を聞くと、
「『ギャップ萌え』ですよぉ」
堅苦しい感じの文章と、ユーモアある内容とのギャップ、
「それがたまらないんですっ」 うぅむ。
だから敢えて歴史的仮名遣いで読むのだと、彼女は嬉しそうに話す。
 
それならばと、作曲家では誰が好きかを尋ねてみたら、
やはりというべきかまさかというべきか、ベートーヴェンだと言う。
聞かずばなるまい、その理由。「だって、あんな顔して、あんな曲書いて、
好きな女性に臆面もなく曲プレゼントしちゃったりして、なんか、
すっごく可愛いじゃないですかぁ」 いや、まあ、そうだけど。そう?
文豪も大作曲家も、彼女の前では形無しだ。
 
実は、自分の中にも「漱石×ベートーヴェン」がある。
決して「漱石=ベートーヴェン」ではないのだが、
『第九』のⅡ楽章を聞くと、『吾輩は猫である』その冒頭が
頭に浮かぶのだ。その二つが重なり合った瞬間を覚えている。
オーケストラ活動に勤しんでいた頃だった。
 
例に洩れず、年末に『第九』を幾度となく弾かねばならぬ状況に陥り、
ずうずうしくも曲慣れして、演奏に余裕ができてきた頃だった。
オケとしての練習も不要に思える、そんなある日、リハーサルで、
指揮者がⅡ楽章に入ってすぐのところで止め、指示をし始めたのだ。
「もう少しだけ、モチーフ毎にキッパリ感を出したいんですが」
 
序奏として連打されるd-moll主和音のモチーフ、続く提示部。
キッパリ感かぁ、キッパリね、キッパリ。
弾きながら、唐突に頭に浮かんだのがこの文章だった。
 
 吾輩は猫である。名前はまだない。
 どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。(…)
 
あれ以来、お二人には申し訳なくも、
この部分を聞くと、「キッパリ」という言葉と共に、
お二人ワンセットで脳内妄想にお出ましになられる、
…という次第である。
 
 
句読点がない演奏は、呪文のようだ。
本来はそこにあるはずの意味が、聴き手には届かない。
無窮動的な楽曲や練習曲は、特に「呪文化」しやすい。
下手をすれば、バッハの『無伴奏』ですらそうなってしまう。
 
先日、お弟子さんが弾いたクロイツェルのエチュード29番、
これがある意味、秀逸だった。譜読みをしてきたばかりの彼は、
真剣な面持ちで弾いている。もちろん、こちらも真剣に聴いている。
 
茫洋と、切れ目なく耳に流れ込んでくる十六分音符、
音程が安定していないから、和声感もない。リズム感もない。
音色もない。音楽もない。何もない。頭がボーっとしてきて、
催眠術に掛かってしまいそうな、妖しい感覚に襲われる。
 
入沢康夫の「キラキラヒカル」を思い出した。
一部ご紹介しよう。こんな感じである。
 
  キラキラヒカルサイフヲダシテキ
  ラキラヒカルサカナヲカツタキラ
  キラヒカルオンナモカツタキラキ
  ラヒカルサカナヲカツテキラキラ
  ヒカルオナベニイレテキラキラヒ
  カルオンナガモツテキラキラヒカ
  ルオナベノサカナキラキラヒカル
 
眼には美しいが、一瞬では意味が読み取れない。
この詩の「初見」が、まさに彼の演奏と同じ状態だった。
カタカナ(=16分音符)だけの麗しい見目は、
誰かを雁字搦めにするための呪縛の鎖としか思えない。
 
優しい光が舞い落ちてくるようなクロイツェルの29番だが、
このエチュードの特色は、小節内に和声的な区切りがあろうと、
フレーズが小節を跨って続いていようと、基本、
「1小節1スラー」というボウイング指定があることだ。
15字で無理矢理改行されてしまう、この詩のように。
 
 
ヴァイオリンは、そういう楽器なのかもしれない。
と、時々、真剣に悩むことがある。だって、
旋律楽器の代表とも言える楽器なのに、
モチーフやフレーズに無頓着な演奏に出会うことが、
少なくないのだ。それは不思議なほどに。
 
そういう演奏をする人は、
ヴァイオリンを弾くことは楽しんでいるようだが、
楽曲を楽しんでいるようには見えない。
 
レッスンをしていて、考える。
小学生の男の子、ピアノ伴奏を付けてあげると、
途端にフレーズが現われ、それらしい演奏になる。
リズムや拍も、ときには音程もよくなる。でも、
一人で弾いてもらうと、それらがすべてなくなってしまう。
 
ならばと、ピアノも習っている彼に、
今、勉強中の曲を披露してもらう。
まだまだ拙い演奏だが、曲の感じは出ている。
 
何が違うというのだろう?
 
ヴァイオリンには、ないものがたくさんある。
和音がない。だから、和声進行が見えにくい。
拍もない。だから、リズムも崩れやすい。
音程もない。悪い音程では、旋律すら見えない。
支えとなるものが何もない。こりゃ最悪だ(笑)。
 
さて、「ないもの」はどこにある?― 自分の中。
あれ、あったっけ? あるよね。あってくれ~っ。
 
その上、ヴァイオリン弾きには、≈74㎝という縛りもあって、
ボウイングがフレージングの邪魔をすることもある。
だから、きっと、
 
ヴァイオリン弾きの演奏の方が、より「呪文化」しやすいのだ。
 
 
「マントラの読誦は論理脳を停止させる」なんて記事を見た。
マントラは『真言』と漢訳され、宗教的には讃歌、祭詞、呪文などを指す。
本来的には「文字」「言葉」を意味し、サンスクリット語で発音されるものだ。
 
例えば、般若心経の最後にある、
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
(=gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā)も真言。
 
こんな感じのものも耳にしたことがあるかもしれない。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カン・マン」
(=namaH samanta vajraaNaaM, caNDamahaaroSaNa sphoTaya huuM traT haaM maaM)
この真言は、『不動金縛りの法(不動明王の力を借りて悪しき霊を縛る霊縛法)』という技法に使われる真言で、こんな意味らしい。
「あまねく金剛尊に帰命したてまつる。恐ろしき大忿怒尊よ、障碍を打ち砕きたまえ」
あ、口に出して読まないで! 簡単に口にしてはいけないものらしいから。
 
こういった『マントラ』を長時間読誦すると、
「言葉を司る左脳・言語野の働きが鈍くなり、結果的に悩みを消し、生命力を発生させ、自然治癒力を活性化させることができる」
と書いてあったのだ。
科学的根拠はさておき、それはあるかなと思う。もしかすると、
楽器の演奏もそれに近いものなのかもしれない、とも思う。
 
すっかり身体に入った、自分の好きな曲を、
何度も何度も演奏していると、忘我状態に陥ることがある。
そして、そんな風に弾き終わった後はといえば、
禊を済ませたときのような、告解を終えた後のような、
心穏やかで、無垢な人間になったような感覚になる。
それは胡蝶の夢。すぐ現実に戻ってしまうのが悲しいけれど。
 
「音として宇宙の真理を集約したもの」であり、
「音が重要であることから、翻訳せず音写を用いる」ものである。
「マントラ自身はいかなる力も持たず、存在する諸力を集中する手段に過ぎない」
 
落ち込んでいるときに楽器を弾くと、何となく元気になったり、
体調が悪いときに楽器を弾くと、何だか少しスッキリしたり、
そういったものも、実は音楽のマントラ効果なのかもしれない。
 
 
ちなみに、「スッキリ」と程遠いのが谷崎潤一郎である。
『陰翳礼讃』などは好きなのだが、彼の文章はどうも苦手である。
その苦手な感じは、ブラームスを演奏する時のそれに少し似ている。
 
「諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う」
 
ああ、まるでブラームスの《交響曲1番》
 
こんな文もある。
「どないしたん? もう済んだん? と云うと、いいえまだでございます、お産がえらい重いらしいて、二十時間も前から苦しがっていらっしゃいます、とお春は云って、院長先生の話では陣痛微弱と云うことで、促進剤の注射もしてくれたのではあるけれども、昨今は独逸製の良い薬が払底しているとかで、国産品を用いるせいか、あまり利き目が現れない、こいさんはずっと呻りつづけに呻って身を悶えておられて、昨日から全然物が食べられず、変などす黒い青いものを嘔いてばかりおられ、こう苦しくてはとても助からない、今度こそ死ぬのだと云って、泣いておられる、先生は大丈夫のように云っておられるけれども、看護婦さんは心臓が保たないかも知れないと云っておられるし、しろうと眼にもかなり危険な状態のように見受けられるので、電話を懸けてはならない約束であったけれどもお懸けした、と云うのであった」
 
心臓が保たないのは、こちらである。
これはもう、呪文以外の何物でもない。
 
一方、こういう演奏がしたい、
そう思わせてくれる詩もある。
 
八木重吉の「草に すわる」(~詩集『秋の瞳』1925年)
(この詩はテキストが幾つかあるのだが、これが一番好きだ)
 
  わたしのまちがいだった
  わたしの まちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる
 
 
 
残念ながら、漱石は『第九』の生演奏は聴けなかったようだ。
日本での『第九』の「公式」初演は、1924年11月29・30日、
 於)グスタフ・クローン指揮、東京音楽学校48回定期演奏会
それは、漱石が亡くなって8年後のことである。
 
その『第九』の初演を、かの寺田寅彦は聴いている。
小宮豊隆を「第九シンホニーへ行く気はありませんか?」と手紙で誘い、
二人で出掛けている。翌日は長女貞子の結婚式だったのだが、
「娘の嫁入りも大事だが、おやぢの内部生活も大事だから万障繰り合せ、昼食位は棄権しても第九ジュンホニーだけは出席致度存じます」(コンサートの前日の手紙)
 
そして、寅彦、またまた嵌ってしまうのである。
暮れの三十日には十字屋へ行って、本物の指揮棒を手に入れ、
大晦日には、レコード相手に朝から新しい指揮棒を振りまくる。
 
「暮に音楽学校で第九シムホニーを聞く前から、スコアーを見て、タクトを取りながらレコードを聞く事をやつてみたが、面白さがちがふ。西洋音楽の一部はたしかに耳ばかりで味はないでからだでも味ふものだと思ふ」(大正14年1月6日)
 
我々には、その姿が自分のことのように想像できる。
我々には、その感覚が自分のことのように想像できる。
 
寅彦にとっても、「演奏」はマントラだったのかもしれない。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第109回

さあ、マントラを唱える時間です。

© 2014 by アッコルド出版