「どうして、《ツィゴイネルワイゼン》を弾かないの?」
相方のピアニストに、そう聞かれたことがある。
プログラミングをする際、そのタイプの曲が必要なときには大抵、
モンティの《チャルダッシュ》を入れてしまうからだろう。
「《ツィゴイネルワイゼン》は?」と振られても、
クライアントからの強い要望がない限り、自らは選ばないし弾かない。
 
“ヴァイオリン曲の代名詞”とも言われる《ツィゴイネルワイゼン》、
ドラマティックな前半、いやが上にも気持ちが高揚する。
スリリングでエキサイティングな後半、人気の理由も分かる。が。
 
人の好みはいろいろ、ということでお許し頂きたいのだが、
…好きじゃない。嫌いではないが。
《チャルダッシュ》のLargoは聴いて泣けるし弾いてのめり込める。が、
《ツィゴイネルワイゼン》のLentoは、どうにも感情がマッチしない。
Vivaceも劇的で「カッコいい」とは思うのだが、なぜかノリ切れない。
 
それで演奏家を名乗れるのか、と叱られそうだが、
…手が合わない。何か弾き難いのだ。
小柄で手が小さかったサラサーテは(音楽的趣味の相違もあって)、
パガニーニの作品を演奏することを避け、自身の作品では、
ハイ・ポジションを多用することで、その華麗さを際立たせたという。
手の大きさだけで言えばサラサーテ寄りのはずなのだが、その手が拒む。
まだパガニーニの方が、できるならヴィエニアフスキの方がいい。
 
―サラサーテ Pablo Martín Melitón de Sarasate  1844-1908
 スペインの作曲家、ヴァイオリニスト。
『第二のパガニーニ』『パガニーニの再来』という冠の最有力候補。
「ヨアヒムと並んで19世紀後半のヴァイオリン界を支配した」
 
その風貌は?「オリーヴ色の顔」に「よく刈り込まれた漆黒の口髭」、
「黒い縮れた余りにも手入れのよすぎる頭髪」、そして、
「黒いその眼は常に情熱的で嵐を含んでいる」…イメージは間違っていない。
 
 
軍楽隊長だった父は、5歳の彼を町一番のヴァイオリン教師の下へ通わせる。
見事“神童”と相成ったサラサーテは、7歳で公開演奏会を行ない、
11歳のときにはスペイン女王イサベル2世の前で演奏、
感激した女王からストラディヴァリ(1724年作)を貸与される運びとなる。
女王とナヴァラの地方政庁の経済的援助を受け、翌年にはパリへ。
パリ音楽院に入学、ヴィエニアフスキやクライスラーを育てたアラールに師事。
何年も経たぬうちにヴァイオリン科で一等を、和声法でも優等賞を受賞した。
 
パリ音楽院卒業後、演奏家としての活動を始めるが、
当初は、古典的演目をプログラムに入れなかったこともあって、
聴衆を完全に満足させることはできなかったらしい。十代で、
新進ピアニストとして売り出し中のサン=サーンス(1835-1921)と出会い、
11歳年上の彼と意気投合、二人でデュオを組んで演奏旅行をする。
 
名オルガニストL.L=ヴェリー(サン=サーンスの恩師の一人)の娘、
マリアに出会った二十歳のサラサーテは恋する。結婚の約束もするが、ある日、
彼が演奏旅行から帰ってくると、彼女は他の男と結婚することになっていて…。
それ故か何故か、モテたらしいサラサーテは生涯独身を通している。
 
これもまた、その失恋が原因なのか何なのか、この頃から、
彼の演奏とプログラム選択に大きな変化が見られたという。
往年の巨匠たちの作品をプログラムに組み込むようになり、
元々持ち合わせていた超絶技巧に、深い音楽性が加わったと。
 
その後の演奏活動は成功に次ぐ成功。至るところで演奏旅行を行ない、
行く先々でセンセーションを巻き起こした。この成功で、
サラサーテは財政的に報いられ、名演奏家としての名声も勝ち取る。
 
まさに“演奏芸術家”、ドイツでは一時「最も高い支払いを受ける演奏家」
となり、その金額はヨアヒムの三倍にもなったとか。
 
64歳、慢性気管支炎のためフランスのバスク地方の町ビアリッツで死去。
亡くなる直前まで演奏活動をしていた。その演奏には退化の傾向が見られたが、
変わらず人気は高く、ホールを満員にするのに苦労しなかったという。
 
 
こんな評がある―「ヴュータンは燃えるような心を持った芸術家で、ベートーヴェンの偉大な解釈者だった。ヨアヒムは晴朗な詩の高みにそそり立つ塔のように、乱れた激情の近寄りがたいオリンポスの山頂にいる。シヴォリはめくるめく名人。サラサーテは比類のない魅惑者である」
 
魅惑者サラサーテ、その演奏を聴いて感動した作曲家たちは、
挙って彼のために曲を書き、献呈し、ときには彼と共に演奏をした。
 
サン=サーンスは《序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28》
《ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 作品61》を彼のために書いた。
 
ラロ(1823-1892)も、彼の魅力に囚われた一人だ。
1874年に書かれた《ヴァイオリン協奏曲第1番 ヘ長調 作品2》は、
サラサーテの初演で大成功、これはラロの作曲家としての成功も意味した。
そうして続けて作曲された《ヴァイオリン協奏曲 第2番 作品21》、この
『スペイン交響曲』の成功は、その後のフランス・パリで巻き起こった、
スペイン・ブームの先駆けとなったとも言われる。
 
ドイツへの演奏旅行、その先で友人となったブルッフ(1838⁻1920)、
彼も《ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調 作品44》をサラサーテに献呈。
当時ピアニストとして知られていたブルッフは、彼と共演もしている。
《スコットランド幻想曲 作品46》もサラサーテのために書かれた。
(初演は作曲上のアドバイスを行ったヨアヒムが行なっている)
 
ブラームスの《ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77》、この曲は、
ヨアヒムが弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に感銘を受け書いたと、
その動機が語られているが、加えて1877年9月バーデン=バーデンで聴いた、
サラサーテが演奏するブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番も、
作曲に至る動機の一つだったと言われている。
 
パガニーニ、サラサーテと並び「19世紀の3大ヴァイオリニスト」
と称されたヴィエニャフスキの《ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ短調》、
この曲は、A.ルビンシテイン指揮、作曲者自身の独奏で初演されたが、
1870年の出版譜には親友サラサーテへの献辞が書き込まれている。
 
多くの人に愛された、サラサーテ。
 
 
彼の人生を追っていると、ふと、
彼のそばにいつも誰かがいることに気付く。
 
少年サラサーテがパリに向かって意気揚々と旅立った、その途上、
ビアリッツの町で突然母を失う。コレラが蔓延していたのだ。
「おやすみのキスをするために母親の部屋に行ってみると母は死んでいた」
…そんな。どうなることかと思うが、なんと、
「ひとりの裕福なスペイン人が彼を引き取り、パリへ送り届けてくれた」
 
パリに行ったら行ったで、「音楽院の事務長の一家が自分の子供のように面倒を見た」
しかも、「この夫妻はサラサーテがその才能の犠牲にならぬよう細心に彼を見守り、彼の才能を国際的な音楽興行のマーケットに投げ売りすることなく、1867年までサラサーテに修行生活を送らせた」
 
多くの曲が彼に献呈されたのは、その演奏によるものばかりではない?
そんな風に想像する。そこにあるのは、愛? 友情? 敬意?
それとも持って生まれた運? 縁? 人柄? 人間性?
 
でも、(いろいろな意味で)う~んと唸ってしまうような逸話もある。
ある日、A.カムデンはH.リヒターの指揮、サラサーテの独奏で、
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴く。彼はこう感じる。
「彼らが別々のスピードで弾いている」と。後日、当事者から聞いたのは、
「サラサーテは自分が独奏者だから自分でテンポを選ぶ権利があり、オーケストラはそれに従わなければならないと主張した。リヒターは独奏者の特権はともかくとして、やはりそれでは速過ぎると言い張り、散々口論した末、ソロのセクションを演奏しているときはオーケストラは彼のテンポで弾くが、トゥッティの番になったらオーケストラは指揮者に従うという恐るべき妥協に達した」という話。
 
彼は、こんなことも言っていたらしい。
「君は演奏家とオーケストラの指揮者の間に大きな違いがあるということを考えてみたことがあるかね? 例えば、私はヴァイオリンで私の音楽を創るけど、指揮者は小さな棒を持っているだけさ。君はピアノを弾いているよね。それで音楽を創っている訳だ。だけど指揮者は小さな棒を持っているだけさ。歌い手は声があり、それで音楽を創るよね。だけど指揮者は小さな棒を持っているだけさ。もし、あなたが指揮者からその小さな棒を取り上げたとしたら、後に何が残る? 何も残らないさ」
 
指揮者が嫌いだったのかな。そうなのかな。それだけかな。
 
 
生前には『機械仕掛けの鶯』と呼ばれていた。
彼について書かれた文には、こうある。
「ほかのどんなレッテルが貼られようと、彼のテクニックを疑う囁きは一言も聞こえてこない」
イザイをして、こうも言わしめた。
「後世の人々が演奏の綿密さと正確さを学び取ったのはサラサーテからである」
 
加えて、
「純粋で且つ妖艶な比類なき音色」「魅惑的で甘さもある演奏」
「非の打ちどころのないフレージング」「イントネーションの絶対的な純粋性」
彼の生の演奏を聴いたヴァイオリニスト達は、畏れすら感じたという。
而して、ヴァイオリニストのテクニックの水準は向上した。でも、
圧倒的な技巧性に憧れる「不完全な模倣者」達の粗雑な演奏を生むことにもなった。
 
 
もしかすると、出会いもいけなかったのかもしれない。
もちろん、サラサーテの楽譜とは十代前半に出会っていた。
でも、それは生身のサラサーテではなくて。
 
本格的な出会いは、大学生になってからである。
「サラサーテの自演、聴く?」と先輩が貸してくれた音源、
一曲目が、あの《ツィゴイネルワイゼン》だった。
 
録音の状態はひどく悪い。あれこれ差し引いて聴くが、
そこにあろう「比類なき音色」を窺い知ることはできても、
何か急かされるようなその演奏に、(そのテクニックに感動しながらも)、
「これがサラサーテ?」なんて、不遜なことを思ったのである。
 
ただ、そこにある凄味のようなものは強く心に残った。
生きているサラサーテ。
誰もが「それ」を感じるのかもしれない。
 
かの内田百閒は、このサラサーテの演奏を聴いて、
『サラサーテの盤』という不可思議な作品を書いている。
この『サラサーテの盤』は、映画『ツィゴイネルワイゼン』に繋がる。
(鈴木清順監督1980年東宝 出演:原田芳雄、大谷直子、藤田敏八ほか)
 
サラサーテ自奏のレコードが鍵となって広がる妖しい世界。
映画の冒頭でザラザラした雑音と共に流れるサラサーテの演奏は、
それと知らなくても意味ありげに聴こえる。しかも、途中で人の声が。
 
「ん? 君、何か言ったかな」「いや」
「変だな。君には聞こえなかったか? どっかで人の声がしたんだが」
「サラサーテがしゃべってんだよ」
「なんて言ってんだろう?」「君にも分からんか」
 
それよりも何よりも、やはりサラサーテの演奏が…。
百年以上前のヴァイオリニストの演奏に、耳が震える。
なんだかゾクゾクしてきた。
温かい紅茶でも飲もう。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第107回 ツィゴイネルワイゼンの幽霊

Sarasate Plays Sarasate Zigeunerweisen

Sarasate plays his Caprice Basque

ZIGEUNERWEISEN (1980) Seijun Suzuki's film

© 2014 by アッコルド出版