パソコンを開くと、なんだか可愛らしいロゴが出てきた。
カーソルを合わせてみると、『安藤百福生誕105周年記念』と。
105とはまた小さい区切りだなぁなんて思いもするが、
そんな野暮は言いっこなしにしよう。だって、安藤氏と言えば、
インスタントラーメンの創始者で、もはや郷愁すら覚える、
あのチキンラーメンやカップヌードルを開発した人物である。
 
紹介文には、こういうフレーズがある。
「世界の食文化となったインスタントラーメン」
正真正銘の日本発。素晴らしい! 実に素晴らしい!
 
反応してしまうのは「世界の」である。読んでいた本のせいだ。
—《ベストセラーの世界史》 (F.ルヴィロワ著 太田出版)
ずっと疑問に思っていた。“ベストセラー”って何だろうって。
 
疑問の対象は、“ベストセラー”に限らない。
『商業的成功』なるものすべてに対し、幾何かのモヤモヤがある。
自身はあまり興味がないし、残念なことに縁もない。でも、
身を置く業界のそれと、全く無関係でいられる訳でもない。
 
“ベストセラー”を語る上で重要なファクター、
「書物・作者・読者」という言葉はそのまま、
「楽曲・作曲家・聴衆」と置き換えることもできる。
いや、商業的成功は、演奏家だって欲しい。
音楽で生きていくのは大変なのだ。どうせなら。
 
やりたいことがある→お金が掛かる→お金が欲しい→売れたい。
至極当然な欲求である。業界で生き残るためには、
音楽や楽器への深い愛情か、無謀とも思える夢が必要だ。
 
「マスコミに取り上げられたい」「有名になりたい」、
そういう欲望が原動力になるのなら、それはそれで構わない。
自ら編み上げた鎖に囚われ、自由を失ったりしなければ。
 
「売れる」ということ。その世界で生きるということ。
 
 
『ヒットのためのテクニック』などというものも書いてある。
本を知らせること。買わせること。ヒットを知らせること。
印刷物の商品化・商業化、販売の歴史を見れば、
時代や地理的な問題を含んでの社会的状況と、さらに未来を見据え、
技術力もさながら、独創的な戦略・発想も必要だということが分かる。
(例えば、1930年代の“ペーパーバック革命”と呼ばれるもののように)
 
そこに数字の嘘やトラップがあることは、忘れてはいけない。
発行部数=販売部数? 売れた部数=読まれた部数?
「すぐ開花するものは、予め作られたヒットである」…そりゃそうだ。
ジャン・コクトー=「流行とは、いつか必ず流行遅れになるものだ」
「ベストセラー本には羽虫ほどの寿命も期待できない(…)それが市場の掟なのであ
る。スピードの旗の下にあるが故にベストセラーとは再読を拒む製品なのだ」~メキ
シコの小説家R.プリエーゴ
 
作られた成功に翻弄され、行く先を見失い、崩壊していく人々。
自身で勝ち得た成功を“ヒット”が喰い尽すこともある。未来をも。
そういった怪物の存在を知る作家達は、「ワーストセラーでありたい」と、
「真に理解してくれる人が読んでくれさえすればよい」と望みもするが、
それがまた逆にヒットに結び付いたりもするから、皮肉である。
 
今や、一瞬で世界のトップに立てる時代になり、
アメリカンドリームは、恐ろしいほど身近なものになった。
それはある意味、脅威でもある。
 
ヒットの証明として信頼できる数字があるとすれば、それは、
重版の回数や翻訳の数だと。ベストセラーからロングセラーへ。
「必読となってしまった本ほど素晴らしいものはない」
 
《ハリー・ポッター》シリーズの著者J.K.ローリングは、
「すべての差異を統合してしまえるような世界の諸価値を前面に押し出そうと心掛け
ていた」という。
こういうフレーズもあった。
「ベストセラーこそが、世界を均一化するための武器となっているのだ」
 
「グローバル化」や「世界の統一化」は、技術力の底上げにも繋がる。
ヴァイオリン界においても、それは顕著だ。憂慮すべきは、
それにもれなく付いてくる「平均化」や「個性の喪失」という、
音楽界においては最大の敵の存在。これを打破するためには?
 
 
『ゴーストライター』というドラマが放映されている。
そのタイトルを目にすると、どうしても思い出してしまう。
口にも出したくない、あの事件。今、振り返れば、
「売る」ためのキーワードがてんこ盛りだった。=作られたヒット。
(『HIROSHIMA』の副題もCD発売の際につけられたものだという)。
もちろん、曲にも、その曲を愛聴した人にも罪はない。
 
この流れで、クライスラーの名を出したくはないが、
我が愛するクラシック界に“嘘”がない訳ではない。大切なのは、
音楽に心があるかどうか、それを心で受け止められるかどうか、
そういうことだろうな、そうであってほしいなと思う。
 
振り回された人々には、それぞれ複雑な思いもあるだろうが、
自然淘汰で残るべきものは残り、そうでないものは忘れ去られる。
それがよき選択であるかどうかは分からないけれど。
 
ところで、日本ヴァイオリン界でのベストセラー、
ロングセラーは何だろう? いろいろな検索ワードで試してみたが、
どう考えるべきか、楽書・学術書にロングセラーと呼べるものが見当たらない。
楽譜で言えばやはり、各種解説付き教本やスケール&テクニカル教本、
そして、〈カイザー〉や〈クロイツェル〉等のエチュードのようである。
 
ピアノ界においては『バイエル信仰』といった問題もあるようだが、
今のヴァイオリン界には、格別なドイツ偏向のようなものもないし、
支配的な楽派もなく、特に偏りは見られない。
解説付き教本に関しては、まだまだ研究の余地があると思えるが、
エチュードに関しては、上手に使いさえすれば、
日本で手に入るものだけで、十分事足りるだろう。
 
ロングセラーには、ロングセラーの意味がある。
ただ、手に入れられるものは限られている。そこには、
それを選び、紹介している人の思いや意図があって、加えて、
それを使い、指導している人の思いや意図もあって、結果、
自身の学習内容が実は偏ってしまっていた、なんて可能性はなくはない。
 
自由意思で学んでいると思っていたらそうではなかった、
自身で選んだ道だと思っていたら敷かれたレールの上にいた、
そんなこともある。レールの先?
断崖はイヤだなぁ。くわばらくわばら。
 
 
桑といえば、テレビで美智子さまの紅葉山御養蚕所の特集をしていた。
カイコと聞くと→繭→蛾ときて、思い浮かぶのは“モスラ”である。
発想が貧弱な自分も悲しいが、もっと悲しいのはカイコたちである。
 
「カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で野生には生息しない」
「カイコはミツバチなどと並び、愛玩用以外の目的で飼育される世界的にも重要な昆
虫である」
 
絹の使用用途は広い。“糸”の必要な場面には大抵その姿がある。
楽器繋がりで言えば、三味線や箏などの“絹弦(和弦)”。
漢方薬や医薬品にも使われ、化粧品や健康食品にも利用されている。
茹でられてしまったサナギ君達は、食用・飼料・魚の餌や釣り餌になる。
 
カイコは実験動物としては、非常に優秀なのだとか。
2009年に宇宙ステーション『きぼう』の日本実験棟において、
カイコの卵を用いる宇宙放射線の生物影響実験も行われた。
人との付き合いが長いから基礎研究が進んでいる、きっと、
そのせいだろうなどと簡単に考えていたが、それだけではないらしい。
 
「低コスト」ふむ。「大きさがほどよく注射や解剖が可能」なるほど。
「逃げ出さない」ん?「動作が鈍くて扱いやすい」う~ん。
「動物愛護の観点からの倫理的抵抗感が小さい」それってどう?。
これだけでもかなり“悲しい”が、その人生は…。
 
脚の力が弱い幼虫は、自力でしっかり掴まることができず、
風が吹いて木々が揺れようものなら簡単に落下する。而して、
野外の桑に留まらせれば地面に落ちて全滅するか、捕食されるか。
 
成虫だって悲しい。飛翔に必要な筋肉が退化している上に、
身体が大き過ぎて、羽ばたくことはできても飛ぶことはできない。
口吻は退化していて何にも摂取できないから、飲まず食わず、
若い頃に蓄えた体力のみで子孫を残す作業をし、命果てる。
 
狭い部屋から出ることのできないカイコ。
出て行ってもいいと言われても出て行けないカイコ。
世話をしてくれる人がいなければ生きていけないカイコ。
 
「おら、自由な野良カイコになりたかっただ」
 
なんだか、身につまされる。
 
 
逆に考えてみれば、
お金のために書かれた曲が(それが作曲家の仕事だ!)、
かくも美しいというのは驚きでもある。
 
そうした音楽の、クラシック音楽の、ヴァイオリン音楽の、
楽しさ、素晴らしさを、少しでも多くの人に知ってほしい、
そう願いながらも、心のどこかで、このままでいい、
閉じていてほしい、自分たちだけの“特別”であってほしい、
そう思う気持ちもあって、なんだか複雑である。
 
昨今、その心の扉を無理矢理こじ開けられた感がある。
それは多分、現実だ。それが誰の力によるものなのか分からない。
誰が望んだのかも、分からない。もしかすると、
そうして勝手に開かれてしまった世界への反発が、
マニアックな選曲の演奏会や、団体の結成を生んでいるのかもしれない。
そこでしか生きられない人、外へ連れ出されると死んでしまう人がいて。
小さな世界は、きっと、それはそれで大切なのだ。
 
どこの世界でもそうであるように、
音楽業界で生き抜いていくことは、決して楽ではない。
演奏技術や音楽性がいくらあっても「売れる」とは限らない。
 
有り難いことに〈演奏家〉はゴーストがきかない。
CD録音の際にゴーストを使うことがある、なんて噂も聞くが、
ライブをすれば、実力のほどは一発で分かる。
それは辛いことのようでもあるが、変な迷いは生まない。
 
「お金なくてさぁ」なんて愚痴りながらも、
楽器を手にすれば敬虔な信者になり、語らせれば熱き伝道者になり、
共に演奏すれば、邪気のない子供のような顔になる、
そんな友人たちに囲まれれば、思いは一つである。
 
—最上の絹糸を作る。
 
 
*さまづけで育てられたる蚕かな~一茶「七番日記」

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第103回さまづけで 育てられたる 蚕かな

© 2014 by アッコルド出版