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一週間くらい前だろうか。テレビの情報番組で、今、
『かわいい男子』をコンセプトにしたファッションブランドが、
予想外に人気なのだと紹介されていた。
花柄やドット、フリルやレースの付いたシャツやパンツ、
スカート、Aラインコート。それに可愛いアクセサリー。
いつだかの『フェミ男』くん流行の際にも、
パンプス風デザインのシューズや、トレンカ風超細身パンツなど、
エレガンスでフェミニンなアイテムが注目されていた。
当然、「男子たるもの」的意見も出てくる訳だが、
そういった心的拒絶は、この際さておくとして、
それぞれのファッション・アイテムに対しての、
見慣れないことから来る抵抗感といった意味では、
わが業界においては余りないかもしれない。だって。
テレマン、バッハ、ヘンデル、モーツァルト。
コレッリ、ヴィヴァルディ、ピゼンデル、ルクレール。
その名を口にするとき、その曲を演奏するとき、
頭の中に浮かぶ彼らの肖像画的イメージ、そのファッションは…。
当時のファッションを代表する人と言って思い浮かぶのは、
フランス音楽史を語る上でも落としてはならぬ人物、
“ルイ14世”―その肖像画(1701年イアサント・リゴー画)を見てみよう。
アーミン(オコジョの毛皮)に裏打ちされた青い生地のマントには、
金の百合花(王室の紋章)が描かれ、胸元にはレースのフリルタイ、
白いタイツに赤と白のヒールの靴、そして、大きな鬘(かつら)。
男子たるもの!…ええと。男子的要素、どこにもないんですけど。
初めて、映画《アマデウス》を見たとき、
ストーリーよりファッションばかり気になったことを覚えている。
本当に、こんな恰好をしていたのだろうか?と。特に鬘。
あんな鬘を付けてヴァイオリン弾きたくないなぁ、なんて。
☆
多くの小学生が、音楽教室に飾られた音楽家達の肖像画に、
何らかの衝撃を受けたに違いない。そして、こう考えただろう。
「あれ、カツラだよね」「バッハもヘンデルもハゲてたのかな」
音楽家の『カツラ姿』は正装。その姿をしているということは、基本、
誰かに雇われ、宮廷などに出入りしていた職業演奏家であることを意味し、
肖像画が描かれ残っているいうことは、あるレベルの仕事を成していた証。
服装や髪形で、その演奏家が生きた時代、活躍した国や場所、
仕事の内容や経済状況も、ある程度読み取ることができると。なるほど。
大雑把に並べられた音楽家の肖像画を、鬘着用非着用で見れば、
区切りはベートーヴェン(1770-1827)である。彼が鬘を着用しなかったのは、
「権威を嫌っていた」からという理由も挙げられているが、
貴族階級の権威が失墜、鬘の権威も失墜、そういう時代であったから。
そしてこの時代は、音楽家の在り方が大きく変化し始めた時代でもある。
ヴァイオリニストで言うと、近代ヴァイオリン奏法の祖ヴィオッティ(1755-1824)の頃。
これもまた、なるほどである。
それよりも、『カツラ』だ。なぜ、鬘?
― wig, periwig(英) perruque(仏) perruca(伊)
ファッションの本など繙けば、こんな説明が。
「鬘の意義(使用理由)=①変装 ②お洒落 ③薄毛・ハゲ隠し」
その歴史を遡れば、「約10万年前のフランス南西部の洞窟で発掘された象牙製の女性像が頭に付けているものは鬘だろうと見られている」とか、「カルタゴの英雄ハンニバル(西暦前241-183)は鬘をお洒落用と軍用変装用を使い分けていた」とか、「ギリシア演劇には悲喜劇に用いる仮面にふさわしい鬘が付けられていた(暴君は黒い髪とひげ、若い勇士は金髪の巻き毛、不正直な奴隷は赤い髪など)」とか、「縮れ毛の古代エジプト人は好んで直毛の鬘を着用し、征服したゲルマン人の金髪の毛髪を使用した」とか、「クレオパトラ(前69-前30)の黒髪も実は鬘だった」とか、「ローマ皇帝アウレリアヌス(214-275)の妃ファウスティナは1000個もの鬘を作らせ、朝・昼・晩と気分に合わせて1日3~4回付け替えていた」とか。
鬘に歴史あり。面白い。実に面白い。
☆
とはいえ、我々が『歴史』と関連して思い描く“鬘”のイメージは、
やはり、16~17世紀の絶対王政下のヨーロッパのものだろう。
例えば、赤毛の鬘の肖像画が印象深いエリザベス1世(1533-1603)、
香水や宝石のように、80種にも及ぶ色とりどりの鬘を使い分けたという。
フランスでは、ルイ13世(1601-1643)が病気・ストレスにより若はげとなり、
それを隠すために22歳頃から鬘を着用、それがヨーロッパに広まったと書かれている。
しかし、やはり、ルイ14世(1638-1715)である。
鬘を公式に宮廷の正装の一部と定めた、ルイ14世。
資料によると、「三十年戦争後も続いていたスペインとの戦争の最中、1658年英仏同盟が勝利したダンケルク近郊の『砂丘の戦い』に従軍していたルイ14世は砦で発熱・悪寒に襲われ、人事不省の状態に陥った。侍医たちは止むを得ず、劇薬アンチモンを投与。ルイ14世は何とか回復するが、薬の副作用で髪が全部抜けてしまった」。
彼の第一画家だったシャルル・ルブランの描いたルイ14世の肖像画(1661)、
その髪は自然な感じで長くふさふさしている。これも鬘か?
ルイ14世の鬘絡みの逸話は事欠かない。曰く、
「寝起き用、ミサ用、昼食後用、夕食時用、狩猟用など多くの鬘を作らせた」
「1634年ヴェルサイユ宮殿で働く40名もの鬘師に『芸術家』の称号を与えた」等々。
そうして“鬘”は、王侯貴族の権威の象徴となった。
「長くてボリュームのある巻き毛の鬘full-bottomed wigsは高級品で、庶民の手が届くものでなかったため、富の象徴ともみなされた」
巻き毛の美しい鬘を被って肖像画に納まるヘンデルを思い出す。
ロック、ヒューム、ヴォルテール、レッシングなどの、
当時の思想家達もみな、鬘姿で肖像画に納まっている。そして、
ポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットら女性陣。ちなみに、
18世紀の女性のファッションと言えば、大きく膨らんだスカートが頭に浮かぶが、
大きくなったのはスカートだけではなかった。髪型も巨大化した。
高く盛り上げられた髪に飾られたのは、羽毛、花、リボン、(ここまでは理解できる)、果物、鳥籠、馬車、軍艦(⁈)。
そう言えば、何年か前、日本でも、
一部ギャルたちの間で『メガ盛りヘア』なるものが流行した。
『昇天ペガサスMIX盛り』『トルネード花魁アップ』『ベルサイユ盛り』『鳥かご盛り』
そうか、これらはロココ的感覚のヘアスタイルだったのか…。
素晴らしい。
ところで、
メガでない『盛り髪』は、今でも水商売の世界などで男女共に見掛ける。
なぜ、髪を盛るのか? その理由=髪を盛ることによって目が顔の中心より下にあるように見える=(子供のように)幼く可愛く見える=保護欲をそそる=面倒を見たいという人が増える。
さすがプロ! 参りました!
☆
映画《アマデウス》では、鬘を被った状態で、
粉をバサバサと掛けられるシーンがあった。あれは、
鬘の際が不自然に見えないようにするためのヘアーパウダー(髪粉)だと。
「化粧室のことを『パウダールーム』と呼ぶのはここからきている」
天然の髪や鬘に粉をかける風習は、古くからあったという。
髪や目の色にこだわる、あちらの人なりの思や憧れがあったのだろう。
黄金、白、赤、淡い色付き(青、ピンク、紫、黄)、黒もあった。
上質の陶土を使うこともあったが、安価で効果的ということで小麦粉が主流に。
匂いを隠すため、ラベンダー、オレンジなどの香料を混ぜたものも。
ん? 匂いを隠すため?
元々、ヨーロッパの人々にとって入浴は娯楽でしかなかった(テルマエ・ロマエ!)。
衛生状態を保つという意味で、頭髪を短く剃り、鬘を使用したとも書いてある。
加えて、16世紀頃からヨーロッパの人々は、水に対して恐怖心を持つようになった。
「皮膚は穴だらけで脆く、そこから水と共に身体に悪いものが入ってきて、身体の調子を狂わせる」。
ううむ。ペストの流行なども影響しているのだろうか。
それやこれやで、17世紀には入浴の習慣がなかった。
「清潔の観念がなかった訳ではない」と書かれているが、どうも、
見かけの美しさが基準で、今思う“清潔”とは意味が違ったようだ。
入浴や洗髪の習慣がない=「ノミやシラミが流行、ヘアパウダーにはスターチや小麦粉などが使われていたので放っておくと鼠の巣になることもあった」
想像したくない。
「で、バッハやヘンデルはハゲてたの?」
手元の資料には答えがない。鬘が正装になってからは、
地毛を剃ったり短髪にして、鬘を着用していたというのだが。
ヘンデルにはツルツル頭の肖像画があるが、他の人はどうなのだろう?
そのヘンデルにしたって、剃っていたのか禿げていたのか。
年齢的なものあるあるだろうし。どこかに資料、あるだろうか?
☆
“鬘”というと、ハイドン(1732-1809)が頭に浮かぶ。彼は、
読み知るところだけで二度、『鬘』絡みで不運を招き寄せていて、
その微笑ましくも痛ましい逸話が、印象的だったからである。
一度は17歳の頃。美しいボーイソプラノだったハイドンも、
変声期を迎えていた。そんなある日のこと、ハイドンは、
新しく手に入れた鋏の切れ味を試そうと(‼)朋輩の少年の『鬘』を切ってしまう。
辞めさせるタイミングを計っていた雇い主は、これ幸いとクビに。
「ウィーンの街頭に放り出された彼に所持金なく、その手には洗いざらしのシャツ3枚しかなかった」
二度目は28歳の時。ケラーという『鬘師』の家に住んでいた彼は、
その家の下の娘テレーゼに恋心を抱く。しかし、どういう経緯か、
彼女は修道院に入ってしまい失恋。そこで話が終わればよかったのだが、
ならばと、両親は4歳年長の姉をハイドンに「押し付け」た。彼女こそ、
モーツァルト夫人のコンスタンツェ、チャイコフスキー夫人のアントニーナと共に、“音楽家の3大悪妻”に数えられるマリアである。(ハイドンが書いた楽譜を破いて「野菜を包んだり」「髪をカールするのに使ったり」「雑巾代わりにしたり」したって、嘘でしょう…)
そのハイドン、作曲するときはいつも鬘を着用、
ビシッと正装して、作曲・編曲・校訂と終日仕事に励んでいたという。
そんな風に作られた楽曲に対して、単調だとか、つまらないとか、
若い頃は、随分失礼なことを思い抱いていた。ろくに勉強もせず…。
大体、弾き手は書き手の味方でなければならない。評価するのは聴き手。
確かに、後世のいろいろな楽曲を知ってしまった耳に、ハイドンの楽曲は、
シンプルに過ぎるかもしれないし、物足りないかもしれない。
でも、「この曲、つまらないなぁ」なんて思いながら弾けば、
どうしたって、つまらない曲に聞こえる。そんなものだ。
「面白くない」=それは、弾き手にとっての完全な敗北である。
今、またハイドンを弾く機会を得ることがあったら、
それがたとえ、子供用に編曲された『びっくりシンフォニー』であっても、
心に正装して、謹んで譜面に向かいたいと思う。
さて、ちょっと探してみたら、通販でも、
『18世紀のかつら』なんてものを売っている。
買ってみるか。いや、それは違うな。
「だから、ダメなんだよ」… 深く反省。
ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第99回襟を正して、ハイドン。
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