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いつもならば秋頃には、喜々として手帳売り場に立ち、
“来年の手帳”を購入、新品の手帳を手に、
しばし、ひとり悦に入ったりもするのだが、なぜか昨年は、
これと決めることができず、ずっと買い損ねていた。
決めるも何も、ここ数年、同じ手帳を使っている。
悩まず、同じものを買えばよいのだが、それができない。
馴染みの店が、例年の倍ほどに手帳コーナーを拡大、
あればあるだけ手に取り、見れば迷う性格が災いしたのか、
2014年がどうも良い年ではなかった、そのせいで、
同じ手帳を使うことに、心の奥底に抵抗があったのか。
とにかく、新しい手帳を買えぬまま、新年を迎えてしまった。
そうこうして、ようやく手にした、いつもと違う手帳。
年の変わり目に手にする真新しい手帳は、思ったよりいい感じだ。
心機一転。素直にポジティブになれる自分がいる。
今年の予定を書き込みながら、昔を思い出す。
ヴァイオリン片手に仕事をし始めた頃は、
手帳が埋まらないと、不安で不安で仕方がなかった。
びっしりと、手帳に空白がなくなるまで仕事を入れ続けた。
しばらくして、気付くのである。
手帳には“空白”がなければいけないことに。
ヴァイオリン弾きたる者、身体が資本、
体調を整えるための時間が必要だし、演奏するは音楽、
ストレス発散・気分転換など心のケアも必要だ。
そして何より忘れてはいけないのは、自身が『練習する時間』。
練習時間は、普通、書き込まない=重要な空白。
今は、黒くなるほど予定を入れると、
良くも悪くも身体がついてこない。
忸怩たる思いもあるが、きっとそれでよいのだろう。
(ということにしておこう…笑)
☆
さて、仕事柄、これまでの学習経過を振り返ることは多いが、
自身、どの時期に、どんな練習をしていたかを、
系統立てて思い起こしたことはないような気がする。
小学生の頃は、週に一度、レッスンに通っていた。
課題は、スケールにテクニック、エチュード、そして曲。
一時間のレッスンで、ひと通り見て貰える程度の内容。
練習できる時間は限られている。
平日であれば、実質一時間? 多くて二時間?
それぞれ通して、弾けないところを集中練習すれば時間がくる。
次の週までにと出された宿題をこなすだけの日々だった。
中学生に入って、単身上京した折には、
下見の先生のレッスンを受け、その後、斎藤秀雄先生のレッスン。
特別な先生に学んでいるというプレッシャーもあり、
子どもらしくない、意味のない焦りを常に抱えていた。そんな、
気持ちに余裕のない状態だったせいか、恥ずかしながら、
当時、何をどう練習したのかを全く覚えていない。きっと、
ドリルをこなすように練習していたのだろう。
斎藤先生の死をきっかけに、ヴァイオリンから離れ、
約三年のブランクの後、改めてヴァイオリンを手にしたときには、
恐ろしいことに、目前に『音楽大学受験』が迫っていた。
すぐに受験曲を決め、リハビリを課題曲で行なうという荒療治、
ボウイングから始まる基礎練習は行なうものの、後はひたすら、
ゆっくりじっくり課題のエチュードと曲だけを弾き続けた。
課題曲は好きな曲だったが、かといって心から強く発するものはなく、
表現できていたのは、形ばかりの“音楽”だった気もする。
それでも、
「丁寧に練習する」というのはどういうことなのか、
「技術を確実に手に入れる」ということはどういうことなのか、
「曲を仕上げる」ということはどういうことなのか、
それらの本当の意味を知ることができたのは、何よりの経験だった。
余程のことがない限り、一曲に掛かり切りになれることはない。
得てして、ヴァイオリン弾きは、時間と曲に追われているのだ。
☆
それやこれやで、「受かったとしても、入った後が大変よ」と、
大学に受かる前から師に釘を刺されていた。そして、
それは思っていた以上に厳しい現実として襲い来る。
改めての基礎練習。ボウイングもスケールもエチュードも、
スタッカートもスピッカートもヴィブラートも、すべて一からやり直し。
違えば指摘もされる。お手本も見せてもらえる。でも、
どうすればそうなるのか、師の口からはヒントの一つも出てこない。
「全部自分で考えるのよ、じゃないと身に付かないから」てなもんである。
練習の仕方が大切なのだということは、説明されなくても分かる。
「どういう勉強が必要か」「どういう練習が必要か」「(具体的に)何をどう練習す
るか」「どうインプットすれば確実に身体に入るか」「どう練習すればより効率的
か」「それらを時間内にどう組み込むか」…そして、こうも考える。「何のためにそ
のテクニックがあるのか」「それがなぜ自分に必要なのか」「それをどう音楽に活か
すのか」「どうすれば音楽に活かすことができるのか」
知識や技能は、持っているだけではダメだということも知る。
自身が持っているものをしっかり認識し、それらの価値を知ること。
勝手に動く手に支配されるのではなく、自らの意志で手を動かすこと。
「なんとなくできた」「気が付いたらできていた」からの脱却。
大学時代に学んだことは、もう一つある。
目的が違うものは、同じ練習の仕方ではダメだということである。
実に当たり前なことだが、実際に楽譜を目の前に置くと、
つい、同じペース同じ内容で練習してしまう自分がいる。
本番でもあれば、そこから逆算して練習計画を立てねばならない。
一人一人、完成までの経過は違う。
順当に右肩上がりに伸びる人もいれば、
伸び悩みの時間が出る人も、早目に完成すると崩れる人もいる。
自身を知ること。なんて、哲学的なんだ!
アンサンブル系の練習も、また別だ。
『合わせる』ときには、個々が弾けていることが大前提、
他人の音を聴く余裕がなければならず、弾けていないときは、
アンサンブルに支障を来さないよう、完璧なる「ごまかしテクニック」で、
その場を乗り切らねばならない。それもまた非常に重要な、
獲得すべきアンサンブルテクニックなのだが、これが案外難しい。
何を練習するのか。
☆
練習はどうあるべきか? 目標はどこに置くべきか?
トレーナーとして、アマチュアの方たちと出会って、また、
これらについて考えることが多くなった。なにしろ、
その曲を弾くレベルに達していない人が多くいるのだ。
なのに、本番は半年後だったりする。
本番に間に合わせることが大事なのか。
個々の技術力アップが大事なのか。
もちろん、どちらも大事である。
個々がレベルアップすれば、確かにオケは変わる。
しかし、不思議なことに、必ずしもそれは比例しない。
オーケストラの弦楽器群においては、一人一人の技術力向上より、
アンサンブル力をアップする方が、より効果的である。
トレーナーとしての優先順位は、前者。
しかし、個人のことを考えると、
基礎力を付け、地力をアップしていかなければ、
新しい曲を手にする度に、毎回「一から」になってしまう。
弾けるようになった曲の数は、確実に増えている、
でも、ヴァイオリンはあまり上手くなっていない、
そんな例を、少なからず見てきた。
そういうとき、非力なトレーナーは心が痛む。
「成長した」「上手になった」—疑問符なしで、実感してほしい。
満足感や充足感は、次へ進むパワーになる。自信にもなる。
練習方法について、何かアドバイスできることはないだろうか?
早期教育を受けた人と、そうでない人にある差は、
掛けた時間分の『基礎の厚み』の違いだろうと思う。
でも、ヴァイオリン人生は長い。今、基礎練習を始めれば。
5年先10年先50年先のあなたはどれだけ上手くなっているだろう?
「出遅れちゃったぁ」…大丈夫。大丈夫。
☆
「レッスンに通った方がいいですか?」、学生オケでよく聞かれる。
「通えるなら」と答える。しかし、
ただただ出てくる宿題をこなす、そんな状態になってしまっては、
自分のヴァイオリン人生を、先生に丸投げにしていることになる。
生徒が何も言わなければ、先生は基本、技術力の底上げを目標にする。
具体的な目標も、目標の達成時期も、そこに至るまでの過程も、そのペースも、
望まなければ、先生が勝手に決めたものに従うことになる。
「バッハの無伴奏が弾けるようになりたいんです」
「《第九》が弾きたくてオケに入りました」
「ベートーヴェンの弦楽四重奏が弾きたいです」
そんな目標を聞けば、それがどれほど無茶なものであっても、
応えなければならないのが、先生である。
なんとか、その願いが叶えられるよう、必死で考え、
課題も工夫し、内容も進め具合もそれに沿ったものにする。
だから、ぜひ、先生に自身の夢や目標を語ってほしい。
独学の場合は、それはまた、難しい。
迷わず、練習に取り組めているときというのは、
それなりに効果が上がっていることが多い。そういうときは、
これでいいのだろうかなどと、敢えて悩む必要はない。
気を付けなければならないのは、
練習をすることで満足してしまわないこと。
成果の有無を問わないと、いくら無駄はないとはいっても、
遠回りに過ぎてしまうことになる。
もう一つ気を付けなければならないのは、
基礎力をアップするためには、それなりの練習が必要だということ。
アドバイス=練習時間が限られていることを重々承知の上でお願いする。
5分でも10分でもいいから、基礎練習をそこに組み込んでほしい。
そうすれば、きっと、ヴァイオリンが上手くなる。
「『基礎練習』ってどんな?」「エチュードを勉強すればいいの?」
それについては、次回、お話ししようと思う。
☆
最後に、熱く新年の抱負を語りたいところだが、
しっかり練習しよう、トレーニングも欠かさずしよう、
あの曲を勉強しよう、この曲を弾けるようにしよう、
浮かんでくるのは、こんな子どものような目標ばかり。
散々語っておいて情けないが、仕方がない。
目の前にある無数の扉、
ゆっくり一つずつ開けていこうと思う。
みなさま、本年も呆れずお付き合いくださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。
ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第94回ヴァイオリン弾きの手帳
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