通りとプラタナス並木を挟んだ向かいには、いかにもかつてのフランス租界風のレトロビルが建つ。場所柄、楽器屋などが入っている。

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室内楽ホールでは、中国初のベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会がいよいよ始まる。チケットは完売だ。

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プラタナス並木が夜の雨に映える上海シンフォニー・ホール前。美しい曲線を描くコンサートホール棟は、磯崎新の設計である。

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ホールを入ると広いロビー。上海新名所で、訪れた人がみな携帯カメラで記念撮影している。

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ロビーの向こう、エスカレーターで地下に潜り、室内楽ホールへと続く回廊には上海響の歴史がパネル展示されている。

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いよいよ室内楽ホールの開場だ。正直、表方スタッフの動きはまだまだこれから。頑張れ、若手スタッフ達。

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いよいよ始まった中国初のベートーヴェン全曲演奏会。まずは作品18の3、《セリオーソ》、そして作品132。聴衆の反応は熱狂的だ。チクルスは来年5月まで、6回で完結する。

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ベートーヴェンが響いた翌朝は、上海には珍しい爽やかな秋空が広がる。旧フランス租界は、庶民街もプラタナス並木で覆われる。

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新ホールから徒歩5分ほどのところにある上海音楽院。ここも観光地のようで、週末ともなると学生よりも正門前で記念写真を撮る人の姿の方が目立つ。

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コンサートホールの内部に入ってみよう。

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以下の写真は、クリック(タップ)すると、

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植民地支配者らが遺したレトロなビル群を見下ろすように黄浦江東岸に立ち並ぶ数百メートルの高層ビル群から少し入った旧フランス租界は、未だにエキゾチックな国際都市上海の面影を色濃く残す地区だ。この地区の通りに沿って植えられたプラタナスの並木は、夏の暑さ無節操に生い茂り、秋口となっても未だに緑のトンネルが続く。
 
この街には、アジア地区で最も歴史の古いオーケストラのひとつがある。上海交響楽団だ。租界に誕生したこのオーケストラは、19世紀末からの中国の歴史を凝縮し象徴したような数奇な運命を辿ってきた。残念ながら、当稿ではその一端にすら触れる余裕はない。ご関心の向きは、以下の文献をご一読願いたい。
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-93508-8/
 
秋風に名月を愛でるには些か早過ぎた今年の中秋節の連休が始まる9月6日、上海交響楽団は宿望のホールをオープンさせた。上海音楽院に隣接する裏手、旧フランス租界地区の新たなランドマークとして誕生した、上海シンフォニー・ホールである。ランドマークとはいえ、この都市に林立する仰々しくこれ見よがしな高層建築物ではない。磯崎新設計の優雅な曲線を描く1200席の大ホールと、四角い600席の室内楽ホールを並べた、すっきりと落ち着いた低層ビルだ。プラタナス並木を挟みいかにもフランス租界らしいレトロなアパートと向かい合う風景は、歴史とモダンの共存する上海に相応しい。
 
南京路の西の外れの競馬場跡を革命後に整備した人民広場に聳える国家大劇院や、向かいにある租界時代からのこの街のメインコンサートホール上海音楽庁が、これまでの上海響の演奏会場だった。練習場と事務局は、旧フランス租界地区外れの上海市図書館の近くに置かれた。上海シンフォニー・ホールは、オーケストラ事務局、練習場、本番会場の全ての機能を網羅する、このオーケストラの本拠地である。社会主義国故にホールの所有者は国ではあるが、実質上「上海交響楽団が所有し、自由に使える自分の家」である。
 
今世紀に入り、日本のバブル期をも上回る勢いで中国各地に建設されつつあるコンサートホールは、競うようにして欧米著名建築家の手になる奇抜な外観を纏ってきた(その頂点がオリンピック前に人民大会堂隣に出現した北京国家大劇院の巨大ドームだろう)。だが、国家大劇院音楽ホールを例外に、それらの殆どの新設会場はきちんとした音響設計の下に建設されたわけではなかった。敢えて言えば、音響的には見かけ倒しのホールが少なくなかったことは否めまい。
 
この上海シンフォニー・ホールの音響設計は、永田音響設計事務所の豊田泰久が担当している。サントリーホールや京都コンサートホール、札幌キタラ、最近ではロサンジェルスのディズニーホールの音響設計も行なった、今や世界を代表するコンサート音響の第一人者だ。
 
大ホールの写真を眺めていただければ一目瞭然。我々日本の音楽ファンには馴染みの「今時のコンサートホール」である。音響も見た通り、サントリーやキタラのそれと基本的に同じだ。特筆すべきは、併設された室内楽ホール。木が覆う内装は、一見したところカーネギーホールの地下ザンケルホールを思わせる。あまり響きの良さが期待出来そうな風貌ではないが、客席でステージからの音を耳にするや、ちょっとビックリ。紀尾井ホールにでもいるかのような錯覚に陥りそうである。正しく「室内楽専用ホール」の音だ。これまで中国本土にひとつとしてなかった、ホンモノの室内楽のための空間が誕生した。
 
 
オープニングの式典演奏会を終えた上海シンフォニー・ホール室内楽ホールで、実質的に最初の演奏会となったのが、9月19日の上海クァルテット(以下Q)によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会第1回公演だった。同一団体のベートーヴェン・チクルスは、中国大会では初の試みである。
 
上海響の団員を両親に持つ上海Q第1ヴァイオリンとヴィオラのリー兄弟は、文化大革命の西洋クラシック音楽暗黒時代を脱したこの街を訪れたアイザック・スターンに才能を見出され、弦楽四重奏団を結成し参加したボーンマス国際弦楽四重奏コンクール(現ロンドン国際弦楽四重奏コンクール)では審査委員長のメニューインに絶賛される。以降、アメリカ合衆国ノーザン・イリノイ大学でフェルメールQに師事、今に至る北米での活動を続けている。上海での、ましてや中国初のベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏の栄誉を担うに、これほど相応しい団体はあるまい。
 
以下、チクルス初日の演奏を終えた翌日、夜の上海響定期演奏会で第2ヴァイオリン首席に坐り同団所縁の作曲家朱践耳の序曲と交響曲第1番(共に文化大革命の悲劇をテーマとする作品である)を演奏する前、上海Q第2ヴァイオリン奏者のイーウェン・ジャンに話を聞いた。
 
――上海Qは今はニューヨークが拠点で、パスポートも皆さん米国なわけですね。
 
ジャン:そうです。
 
――非常に屡々ここ上海に戻って来ていらっしゃるのは、どのような事情なのでしょうか。
 
ジャン:数年前に私たちは上海響の音楽監督ロン・ユー氏と長期契約を結びました。
 
――今回のホール建設にも非常に大きな影響力があった方ですね。
 
ジャン:ええ、彼には「ユーラヤン」ってニックネームがあるんですよ(笑)。中国フィル、広州響、それに上海響という中国の3つのメイジャー・オーケストラの音楽監督を兼任し、中国でいちばん大きい北京音楽祭の監督もしています。他にもいろいろな組織に関わっています。その彼が、上海Qを首席客演奏者として迎えてくれたわけです。その目的は、上海響の弦のみならずアンサンブル全体に、室内楽の感覚を養う手伝いをすることにあります。シンフォニーを、まるで私たちが弦楽四重奏を演奏するようにするわけですね。若い奏者たちに、演奏中に他の奏者とどうやって聴き合うか、どのようにひとつの合奏体として演奏するか、そんなことを指導する。
 
――上海響の今の団員は若いんですか。
 
ジャン:若いですね。昔からいらっしゃる年配の奏者は、随分引退しました。オーディションをして新人をどんどん採用しています。
 
――奏者は主に中国の人なんですか。ロシア人とか東欧の人とかは。
 
ジャン:殆どが中国出身ですね。ホルン奏者のひとりは私が今住んでいるニュージャージーの出身ですよ(笑)。金管にはロシア人もいます。私たちの契約は普通の正規雇用団員とはちょっと違い、2,3年毎に更新があって、続けるかどうか議論することになってます。オーケストラをリードする責任の他に、訪問毎に最低1回の室内楽演奏会をする。独奏だったり、他のメンバー達との共同での五重奏や八重奏だったり。弦楽四重奏とオーケストラの間で、非常にハッキリした統一感が生まれてきています。良い結果が出ていて、意義のある活動だと思います。
 
――ちょっと興味本位の質問で失礼なんですけど、この街の聴衆は皆さんを中国人と思ってるんですか、それとも外国人だと思ってるんですか。
 
ジャン:そうねぇ、半々というところでしょうかね(笑)。歳をいった世代のメンバー、特に上海音楽院出身の人達は、皆、私たちのことを知ってます。若い世代の聴衆は、私たちがNYから来ているとは知っていて、インターネットで私たちが世界のどこにいるかを追いかけてます(笑)。
 
――なるほど、とうとうベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会がとうとう始まったわけですけど(笑)、これはホントに中国史上初のイベントなんですね。
 
ジャン:そう、もう何度もやろうとしたけれど、マネージメントの問題などで、出来ませんでした。それに暫く前までは、まだ聴衆の理解が及ばないだろうと私たちも考えていたことは事実です。でも今は…お判りでしょ。昨晩の聴衆は熱心に聴いて、音楽を吸収してくれました。
 
――ビックリしましたよ、実際のところ。
 
ジャン:聴衆の一部はいつもコンサートに来る人達じゃなかったでしょうし、状況に慣れていなかったようですね。でも直ぐに、みんな雰囲気が判ってくれた。次に来るときには学んでいることでしょう。多くの聴衆がチクルス第2回にも来てくれるでしょうし。
 
――小さな子供がいっぱいいたのが驚きでしたね。恐らく、小型サイズのヴァイオリンで勉強したりしている子たちなんでしょうが。
 
ジャン:殆どがそうでしょうね。
 
――日本や欧米の室内楽聴衆の殆どがお年寄りであることを考えると、極めて健康的な状況ですよねぇ。
 
ジャン:でも、私たちが最初に日本に行ったときも、そういう印象があったんですよ。若い、20代とか30代前半くらいの聴衆が沢山いた。とても知的好奇心が高く、学習意欲があり、いろんな質問をしてきた。
 
――確かに。日本の2、30年くらい前の状況に似ているのかもしれませんね。ところで、どうして上海響がコンサートホールを建てるにあたり、どうしてあんなに素晴らしい室内楽ホールも併設することになったんでしょうか。皆さんの影響ですか。
 
ジャン:そんなことはないですよ(笑)。音楽監督のロン・ユー氏の考えでしょう。彼があのような場所も必要だと考えた。彼はこの街出身ですし。多分、上海の聴衆のために、室内楽のホントの場所、音楽や響きの質のスタンダードとなる場所が必要だと考えたのでしょうね。
 
――東京でも1980年代後半にカザルスホールが出来たとき、室内楽の革命がありました。その前も室内楽の会場はあったけど、ああいうものではなかった。この室内楽ホールも、カザルスホールと同じになり得ると思いました。
 
ジャン:そうですね。私たちが日本で最初に演奏したのもカザルスホールでしたっけ。
 
――今回の中国初のベートーヴェン全曲演奏会というイベントはどのような経緯で。
 
ジャン:最初からありました。ホールを建てる話が出た頃、私たちはもう年に何度もここに戻ってくるようになっていて、オーケストラと五重奏とか八重奏とかはほぼやり尽くしていた。では何が出来るだろう、ということになり、じゃあホールが新しく建てられるならオープニングにすべきなのはベートーヴェン・サイクルだろう、ということになった。すると上海響側が、わかった、やろう、と言ってくれた。
 
――するに値するイベント、ということですね。
 
ジャン:ええ。上海では2日間でバルトーク全曲を行ったことがありました。北京でもやりました。多分、この新しいホールで、次にはバルトーク全曲演奏の再演をせねばならないでしょう(笑)。

秋の初めの雨に濡れる上海シンフォニー・ホール。

第66回

上海響我が家を構える

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

第2ヴァイオリンのイーウェン・ジャン氏。

ちなみにジャン氏自身は北京出身だが、家系的には故郷は上海から遠くない水の都蘇州とのことである。

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