以降、進んでいく要所要所に案内があり、無事に2階への到着。

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シモン・ゴールドベルク翁が微笑んでいる。ちなみにここは音楽研究センターの2階入口で、普段は今は展示会出口となっている1階からの出入りとなる。

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展示会に入るや目に飛び込む展示台。内部に収められるのは、イザイ自筆のコメントがある楽譜や、翁のパスポートや指揮棒など、貴重な遺品だ。

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展示台隣のパソコンには、ゴールドベルクが遺した楽譜が映像データ化され、自由なアクセスが可能となっている。

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壁面には貴重な写真や手紙などが掲げられる。

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隣の部屋へと壁面の展示は続く。

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展示の最後に、仲睦まじいゴールドベルク夫妻のポートレート。右手には、この世を去る直前まで立山のホテルで巨匠が浚っていたブラームス第2ソナタの楽譜が。

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今回の展示物で最も時代が古いもののひとつは、戦前にクラウスと来日した際にゴールドベルクが戯れに残した手形。「手を当ててご覧ください」というキャプションがなんとも粋だ。

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ここから先は音源や映像の展示となる。パソコンから聴ける音源の横には、文庫に収められた巨匠の書き込み入りスコアが添えられている。

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以下の写真は、クリック(タップ)すると、

拡大され、キャプションも出ます。

当媒体の読者諸氏のどれほどが、「シモン・ゴールドベルク」という名前に反応出来るだろうか。
 
西洋音楽の発祥の地から遥かに離れた日本という文化圏で、「往年の名音楽家」としてある程度以上の名を知られるためには、ふたつの可能性がある。
 
ひとつは、20世紀前半の20年代頃から音楽に接する手段として普及し、とりわけ遠隔地の日本では世界のどこよりも西洋音楽体験のための重要なツールとなった「レコード」である。今でこそ、録画設定をしたパソコンやスマホの前でヴァイオリンを弾き、データをYoutubeにアップすれば、貴方の音楽は数分で世界中のどこにでも届く。ところが、20世紀が終わる少し前までは、録音された演奏を世界中に伝えられるのは、数が限られた特別な音楽家の特権だった。録音され、市場に出回るだけで、評価が確定した価値のある演奏と信じられたのである。
 
かくて、20世紀前半からの半世紀程は、レコードという媒体が「世界的な巨匠」を作り上げた。多くの音楽ファンにとって、シモン・ゴールドベルクというヴァイオリニストもそんな巨匠演奏家のひとりだった。リリー・クラウスと録音したモーツァルトの二重奏ソナタ録音は、所謂「決定盤」(レコード産業が崩壊した今となっては懐かしい、レコード黄金時代の表現である)と賞讃され、それほど点数がなかった室内楽録音のスタンダードとして日本でも大ベストセラーになったという。
 
音楽に対する敬虔な態度ともみなし得る勃興期の新即物主義の最良の姿を伝えるゴールドベルクとクラウスのデュオは、演奏伝統の制約など無しに素直にモーツァルトに浸りたい遠隔地日本の音楽ファンには、かえって受け入れやすかったのかもしれない。理由はどうあれ、「シモン・ゴールドベルク」とは、端正で崩れのない、だがニュアンスに富んだモーツァルトやベートーヴェンの理想像となった。濃厚な化粧を施し歪むギリギリの個性を売り物にした19世紀的ソリストの対極にある、雄弁にしてストイック、モダンにして無機質ではない、絶妙のバランス。
 
SPレコードに収まる音とは別の、シモン・ゴールドベルクという生身の音楽家は、クラウスとの録音以降、数奇な人生を辿ることになる。それは当稿で記すより、9月10日まで上野の東京藝術大学音楽部2号館2階の音楽研究センターで開催中の「シモン・ゴールドベルク資料展」を訪れ、掲げられた年表をご覧いただく方が宜しかろう。
 
戦前の来日が昔話になっても、戦後に大流行した名曲喫茶で盛んに流れるモーツァルトの響きに付けられたブランド名として、「シモン・ゴールドベルク」は日本ではそれなりに身近な存在であり続ける。
 
次に「シモン・ゴールドベルク」が日本にその姿を顕したのは、1980年代の末であろう。そのとき、この音楽家はレコード盤の中の人ではなかった。
 
自ら育て上げたオランダ室内管指揮者としての来日や、ポツリポツリと行なわれていたフィリップスやデッカなどメイジャー・レーベルへの録音などで、ゴールドベルクが健在であることをファンは承知だった。だが、1987年以降の来日は、それまでとはまるで意味が違う。日本人ピアニストの山根美代子と結婚したゴールドベルク翁は、フィラデルフィアに弟子と家を持ちつつ、日本をもうひとつの生活拠点としたのである。五反田の坂を上り、正田家前の三叉路を入って数件目の洋館は、巨匠の東京の我が家。そして立山国際ホテル402号室は夏の住まいとなる。小林健次や澤和樹らばかりか、学生達やオーケストラメンバーの何人もが、足繁く五反田を訪れるようになる。
 
波乱の生涯にあって例外的なまでに穏やかな最後の数年間、「シモン・ゴールドベルク」は私たちの傍に居る「生きる伝説」であってくれた。健在だった巨匠にたった一度インタヴューさせていただいた程度の接点しか持たぬ筆者にとってすら、「ゴールドベルク」とは実際にそこにおり、喋り、ときに笑いを浮かべる物静かな老人である。ましてや東京や富山で日常的に近しく接した人々にしてみれば…
 
「シモン・ゴールドベルク」は、今も東京や富山でしっかりと生きている。なぜならば、人々の記憶の中に有る限り、その人は生きているのだから。フィラデルフィアやニューヘブンでも、それぞれの「シモン・ゴールドベルク」が生きているのだろう。東京藝術大学音楽研究センターに収められた「シモン・ゴールドベルク文庫」、そして現在開催中の「シモン・ゴールドベルク資料展」は、そんなシモン・ゴールドベルクを永遠に生きさせるための試みだ。この人は、この音楽家は、永遠に生きるに値すると信じた多くの人々の努力や思いが、やっと現実的な形で結実させたひとつの形がここにある。
 
関係者の皆様、本当にご苦労様です。ありがとう御座いました。
 
 
ポーランドに生まれたシモン・ゴールドベルクは、ドレスデン、ベルリン、スイス、ニューヨーク、アムステルダム、ニューヘイブン、フィラデルフィア、五反田、と生活拠点を転々とする人生を送った。転居の多い人ならばお判りだろうが、こういう生き方の人は所持品に対しては自ずと少なめになるものである。それでも、1993年に富山で人生を終えた時点で、相当な量の書籍や楽譜、レコード、さらには美術品などを所有していた。
 
それらの殆どは、ゴールドベルク山根未亡人の手で管理され、都内某所の未亡人のマンションに収まった。美術品の多くは未亡人が富山近代美術館に寄贈、「ゴールドベルク・コレクション」として同美術館の学芸員により整理、一部は展示されている。書き込みからゴールドベルクの音楽観が様々に読み取れる楽譜は、国内外から訪れるかつての愛弟子らが整理を試みようとしていた。とはいえ、フィラデルフィアのカーチス音楽院時代にゴールドベルク先生の家に入り浸り山根夫人の手料理を振る舞われていたニコラス・キッチンやベシュナ・スタンコーヴィチら近しい弟子らも、前者はボロメーオQとニューイングランド音楽院、後者はヴィーン・フォルスクス・オパー管コンサートミストレスで多忙な現役バリバリ。東京を訪れる度に未亡人宅に出かけていたものの、体系的な作業が出来るわけではない。日本での弟子達にしても、誰もがオーケストラや学校で忙しい。資料の散逸を防ぐので手一杯だった。
 
2006年秋、未亡人が没。ゴールドベルクの遺品は山根未亡人の親族に引き取られる。2010年、遺品は東京藝術大学音楽研究センターに一括して寄贈された。藝大音楽研究センター常任研究員で、「シモン・ゴールドベルク文庫」編纂の指揮を執る関根和江助教授に拠れば、富山と東京に分散していた遺品の寄贈は、未亡人没後に遺族から打診があったとのこと。その当時は藝大側に受け入れ体制が整わず、ともかく少しずつデータ整理を始めた。2010年、藝大音楽部校舎内に音楽兼中センターが新築され、受け入れるスペースが確保されたため、正式に譲渡を受ける。図書や美術品の少数がゴールドベルクが晩年の夏を過ごした立山国際ホテルに遺されたのを除き、ほぼ全て(楽譜関係は全て)が藝大に収められ、整理作業が本格的に始まった。
 
大学の資金、文部省の科学研究費、ローム音楽財団の資金提供(2013年に完成された膨大な目録制作に充てられた)、更に遺族からの資金援助に始まる「シモン・ゴールドベルク基金」などに支えられ、6名の職員がデータ取り、楽譜スキャニング、分類ラベル貼りなど、地道な作業を続けること足かけ5年。去る8月末にセンターを会場に資料展を開催するに至った。
 
「藝大音楽学部の音楽研究センター内に音楽文庫室を作り、コレクションルームとして、文庫を整理する専門のセクションにしました。人を核とした文庫で、ひとりの人が活動に関わったり、集めたりしたものを見ていただくことを目的としています。その第1号がゴールドベルク文庫でした。今は整理が始まったばかりですが、第2号となる園田高広文庫もございます。その他に、作曲家とか、オペラの研究科の方とか、少しずつコレクションは集まり始めています。」(関根和江助教授)
 
なお、今回の展示会終了後は、「ゴールドベルク資料展」としての常設展示などは予定されていないが、音楽研究センターに連絡し資料閲覧の予約をすることで、保存資料へのアクセスは可能とする予定とのこと。残念ながら目録はネット上の公開はされておらず、スキャンされたゴールドベルクの書き込みのある楽譜頁に関しても、将来的な世界に向けたweb上での公開を視野に入れつつ、現在はセンター内パソコンでのみアクセス可能となっている。ちなみに目録は現在英訳作業中で、年末から来年にかけて完成が予定されている。
 
藝大音楽研究センター「ゴールドベルク文庫」に収まる内容は以下:洋・和書(書籍総計1028点:音楽書212、美術書246、文学304、一般書237、その他29)、楽譜(総計917点:曲集1、大規模声楽曲10、合唱曲集3、鍵盤曲6、弦楽器曲175、管楽器曲1、ファクシミリ23、声楽曲8、ミニチュアスコア394、室内楽・管弦楽曲296、スコアは書き込み多数のスコアも)、録音資料、プログラム(総計399、オランダ室内管348)・チラシ・チケット、新聞、雑誌、図録、断片、その他(美術品9点)
 
 
さて、来る水曜日まで開催中の「シモン・ゴールドベルク資料展」について、これから出かけようという方のために少しだけ展示を紹介しておこう。右の写真のキャプションもご覧いただきたい。
 
藝大音楽部校舎に正面から入り、真っ直ぐ一番奥まで進んで、突き当たった階段を2階に上る。途中、掲示があちこちにあるので、間違えることはなかろう。階段を登り終え、右手に入ると、愛器グァルネリ・デル・ジェス「バロン・ヴィッタ」(現在はワシントン国立国会図書館に寄贈され、弟子でボロメーオQのニコラス・キッチンに貸与されている)を抱えたゴールドベルク翁が出迎えてくれる。ここが音楽研究センターの2階部分だ。
 
正面にガラスケース。右の壁面にゴールドベルクが所有していた同時代ドイツ人画家フリッツ・フェスとリチャード・リンドナーの作品が掲げられる。共にゴールドベルク同様、ナチス政権下で苦難の人生を歩んだ芸術家だ(著作権の関係で写真撮影が不可なのは残念)。もう一点、些か場違いなノンビリさを醸し出すのが、立山国際ホテルを描いた木版画。未亡人が亡き夫との想い出の地を記録するために委嘱した作品という。反対側は書庫で、ゴールドベルクの蔵書の一部が並び、自由に手に取れる。
 
中央のガラスケースに収まるのは、イザイ作曲無伴奏ヴァイオリン・ソナタ作品27の楽譜で、イザイからカール・フレッシュ、そしてゴールドベルクへと伝わったもの。イザイ自身の書き込みがある。他にも、グラズノフ自筆入りカード、ゴールドベルクのパスポートなど、生身の人としての音楽家を感じさせる貴重な品だ。
 
その隣に3台のパソコンが備えられる。スキャンされたゴールドベルク所有の楽譜が画面上で眺められる。当然、書き込みなども記されたものだ。プリントアウトは出来ないが、楽譜を持参すれば書き込みを手書きでコピーするのは容易。筆者が訪れたときも、「こんど、山根未亡人のお弟子さんとこの曲を弾くので、写してきてと頼まれたんです」と作業に勤しむ知人のピアニスト嬢の姿があった。
 
細長いセンターを右に折れ、隣の部屋に進む。壁面には様々な展示資料。圧巻はズラリと並んだパソコンである。パソコンの横にミニチュアスコアが用意されている。そのスコアもゴールドベルク文庫所蔵品で、巨匠が実際に使っていた書き込みのある楽譜だ。パソコンにはゴールドベルクが演奏したそれらの作品の音データが収められ、スコアを眺めながら音を聴けるようになっている。
 
さらに奥のパソコンには、映像資料が収まる。水戸室内管を指揮するゴールドベルク、桐朋学園でのレッスンのライブ映像、NHKと北日本放送が制作したゴールドベルクに関するドキュメンタリー番組(恥ずかしながら後者には筆者も出演させていただいている)が、常時聴取可能だ。
 
こう記すとなんてことないようだが、映像や音源を含め、ここまで丁寧に寄贈された資料を一般にアクセス可能な形まで整え、実際に公開する資料展など、過去にあったとは思えない。現時点で可能な最も理想に近い「シモン・ゴールドベルク文庫」の一般公開法だろう。関係者の努力に感謝しつつ、階段を降りセンター1階から出ようとすると、小さな手作りの募金箱が目に入った。「シモン・ゴールドベルク基金募金箱」と書かれた小さな箱は、この先のセンターの活動や、この水準での文庫の維持を望む者ならば、無視して通り過ぎるわけにいくまい。
 
この展示会を訪れる読者の皆様、いくらでも結構です、是非とも寄付をお願いいたします。

東京藝術大学音楽部の正門を抜けた、皆様お馴染みの風格ある守衛室の前に、「シモン・ゴールドベルク資料展」の最初の案内が。

第62回

シモン・ゴールドベルクと

「シモン・ゴールドベルク資料展」

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版