ジェラール・プーレ氏の演奏家としての業績、名教授としての貢献は、再度記すに及ばないであろう。
 
ここには、天才少年とうたわれた氏の若年期、またその影に潜んだ葛藤、往年の巨匠たちとの個人的な交流、深遠な演奏論、そして教育者としての厳しさと温かさ、全てが率直に氏の口から語られている。
 
世界的ヴァイオリニスト・ジェラール・プーレの壮大な人間性が迫りくる、貴重なロングインタヴュー。
(2014年8月27日、パリにて取材)

ヴァイオリニスト

ジェラール・プーレさん


インタヴュアー:船越清佳

(ふなこし さやか・ピアニスト・パリ在住)

ジェラール・プーレ Gérard POULET (ヴァイオリン)

 

フランスが誇る、世界的ヴァイオリニストにして、偉大な教育者。 ジェラール・プーレは、指揮者とヴァイオリニストであったガストン・プーレの息子として天才少年期を送る。(父親のガストンは、1917年ドビュッシーが「ヴァイオリン・ソナタ」を作曲家自身のピアノで初演の際、共演したヴァイオリニストである。)

 

11歳でパリ国立高等音楽院に入学、2年後に首席で卒業。18歳でパガニーニ国際コンクール優勝。フランチェスカッティ、メニューイン、ミルシュテイン、とりわけ人生の師と仰ぐヘンリック・シェリング等の巨匠に師事。

 

世界各地でソリストとして活躍。多くのオーケストラと共演を重ね、キャリアを世界中に広めた。

これまでに、パリ管弦楽団、フランス国立管弦楽団、ストラスブール国立管弦楽団、リール、ボルドー、RAI・トリノ オーケストラ、プラハラジオ交響楽団、リェージュ・フィルハーモニック管弦楽団、北京交響楽団、シュツットガルト管弦楽団、読売交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック、仙台フィルハーモニック、大阪シンフォニカー等と共演。

 

76歳を超えた今も「現役」の演奏家としてコンサート活動を行っており、各国の主要な国際コンクール審査員にも招聘されている。

 

偉大な教育者でもあり、2003年長年教授を務めたパリ国立高等音楽院を退官後、パリ市立音楽院とエコール・ノルマル音楽院で教鞭を執り、東京芸術大学客員・招聘教授(2005年~2009年)を務め、2010年より現在は昭和音楽大学の教授を務める。多数の音楽大学(桐朋・国立・沖縄県芸・愛知県芸・フェリス・作陽・洗足など)にも招かれている。

 

コンクールの優勝・上位入賞者を多数輩出し、日本ヴァイオリン界のレヴェルアップにも、大きく貢献している。

世界中でマスタークラスを行っており、日本では、「京都フランス音楽アカデミー」「いしかわミュージック・アカデミー」「軽井沢国際音楽祭」「北海道アップビート国際音楽セミナー中札内」「河口湖音楽セミナー」等に招聘されている。

 

1995年フランス芸術文化勲章、1999年フランス文化功労賞を受賞。

 

日本弦楽指導者協会・日本フォーレ協会 名誉会員。  

 

2009年12月に音楽の友社より ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ、2011年12月に同社より サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ、また2012年4月にレッスンの友社よりチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のジェラール プーレ校訂を出版。

 

日本では次のCDをリリースしている。

〈クライスラーの珠玉の名曲集〉 2006年 マイスターミュージック株式会社。

〈フランス3大ヴァイオリン・ソナタを弾く〉 2008年 タカギ・クラヴィア株式会社。

〈ロシア・ロマン派を歌う〉 2010年 タカギ・クラヴィア株式会社。

〈ピレネーの太陽〉 2010年キング・インターナショナル。

〈ベートーヴェン 7、6、5番「春」〉2013年 ALMレコード株式会社。

 

日本をこよなく愛し、日本とフランスをほぼ半々に生活している。www.gerard-poulet.com

 

◆プーレ氏の言葉

「今が人生の最高。こんなに良い生徒たちを持ったのは生涯で初めて。多くの素晴らしい友人、同僚に恵まれ、日本にいる幸せを常に感じている。日本人の心(思いやり)、丁寧さ、規律の正しさ、日本の食事が大好き。」

 

 

 

GÉRARD POULET    VIOLIN

 

Gérard Poulet started as a child prodigy. His father, the violinist and conductor Gaston Poulet had the privilege of giving the first performance of Debussy’s Sonata in 1917, with the author at the piano. Gérard entered the Conservatoire National Supérieur in Paris at the age of eleven, and left the following two years with a unanimously awarded first prize. Aged eighteen, he carried off the first prize at the Paganini Competition in Genoa.

 

As he continued to benefit from the teaching of such masters as Zino Francescatti, Yehudi Menuhin, Nathan Milstein and especially Henryk Szeryng, who considered him his “spiritual heir”, numerous concerts were to follow, and his career developed rapidly worldwide: from Europe to Asia, form America to Africa, where he plays today regularly with the finest orchestras, while he takes part in the most prestigious musical seasons, including those of Radio France, the Musée d’Orsay.

No less than an eminent concert player, he is one of greatest pedagogues of our time. 

 

After he taught for 25 years at the “Conservatoire National Superieur de Musique de Paris”,  “Conservatoire National de Région de Paris” and the “Ecole Normale de Musique in Paris”, Gérard Poulet was a visiting professor at the “Tokyo University of Arts” (Tokyo Geidai) from April 2005 to March 2009.

Currently, he is professor at the “Showa University of Music” in Japan from 2010. 

 

Besides giving master classes all over the world, he is also a member on the juries of major international competitions. 

 

He was decorated with the “Officier des Arts et Lettres” in 1995, and the “Officier National de Mérite” in 1999.

 

船越清佳 Sayaka   Funakoshi                

ピアニスト。岡山市生まれ。京都市立堀川高校音楽科(現 京都堀川音楽高校)卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。在学中より演奏活動を始め、ヨーロッパ、日本を中心としたソロ・リサイタル、オーケストラとの共演の他、室内楽、器楽声楽伴奏、CD録音、また楽譜改訂、音楽誌への執筆においても幅広く活動。フランスではパリ地方の市立音楽院にて後進の指導にも力を注いでおり、多くのコンクール受賞者を出している。


日本ではCDがオクタヴィアレコード(エクストン)より3枚リリースされている。


フランスと日本、それぞれの長所を融合する指導法を紹介した著書「ピアノ嫌いにさせないレッスン」(ヤマハミュージックメディア)も好評発売中。

  Gérard Poulet Interview

ジェラール・プーレ

その壮大な人間性

父・ガストン・プーレと大議論

 
船越
プーレ先生のお父さま、ヴァイオリニストで指揮者でもあったガストン・プーレは、ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタの初演といった偉業などであまりにも有名です。しかし、少年時代のプーレ先生は成長の過程において、お父さまと意見を異にすることも時にはあったのではないでしょうか?
 
Gérard Poulet(以下G・P)
父には限りない尊敬と感謝の気持ちを抱いています。私はまず父の下でヴァイオリンを学び、父は数々の影響を私に与えてくれました。
 
父は、ある時期より自身のテクニックに疑問を抱き始めました。そのせいでステージ演奏に対してとても神経質になり、結局ヴァイオリニストとしてのキャリアを中断してしまったのです。
 
そして、自分の息子、私には同じテクニックの問題を味わってほしくないと願うあまり、父は私の指から奏でられる音楽まで支配しようとしたのですね。
 
15~16歳になったころ、私は自分の音楽のとらえ方が父のそれとは違うと強く感じ始め、しばしば父と大議論になりました。
 
そのころ、私のヴァイオリンの神様はヤッシャ・ハイフェッツでした。父も当然ハイフェッツの演奏を賞賛していましたが、それは彼の完璧なテクニックにおいてのみでした。父はハイフェッツの速いテンポやグリッサンドのやり方に違和感を覚え、音楽的スタイルの面では賛成できないと思っていたのです。
 
でも私はハイフェッツが大好きでした(笑)。今でも私にとってハイフェッツはヴァイオリンの皇帝です。
 
私がパガニーニ・コンクールで優勝したのは18歳の時でしたが、父の影響下から抜け出そうと抵抗したことが、受賞への原動力となったのではと思います。
 
繰り返しますが、私は本当に父を尊敬していました。ただ私とはジェネレーションが違い、音楽的な好みが異なっていた。私と父は別の人格の持ち主だった、それだけです。
 

巨匠の伝統の流れの中で……

 
船越
ヘンリク・シェリングに決定的な影響を受けたと語られていますね。
 
G・P
シェリングからは15年間もの間教えを受けました。
彼はカール・フレッシュ――当時、世界最高峰の教授ですね――の門下でした。かのヴィルトゥオーゾ、イダ・ヘンデルもフレッシュの弟子なのですよ。
 
シェリングはフレッシュのボーイングのテクニックをさらに発展させた人といえます。
 
彼がパリに来たのは18歳のとき……パリ音楽院で彼はガブリエル・ブイヨンに師事しました。
 
ブイヨンは生涯を指導に捧げた人で、演奏家としてのキャリアは特に目立った部分はありません。いわゆる享楽家で、あまり練習好きとはいえなかったようですが(笑)、上品で教養に溢れており、シェリングにフランス音楽の精神を伝えました。
 
シェリングは卓越した技量を持っていましたから、あっという間に卒業してしまいました。その時点ですでに、彼はアーティストとして完成していたのです。
 
私がシェリングに出会ったのは戦後、1950年前後です。フランス人の私にとって、シェリングはハイフェッツに比べてずっと近寄りやすく感じられました。
 

シェリングに傾倒したわけ

 
船越
どうしてですか?
 
G・P
ハイフェッツの演奏にはあまりにも歴然としたロシア色があり、近づこうとしてできることは、せいぜい『コピー』、すなわち表面的なことに過ぎないと感じたからです。そして、ハイフェッツを模倣しようとするほどカリカチュアな、ばかげたことはありません。
 
一方、シェリングの演奏には、『コピー』への音楽的な糸口がありました。それは彼の『フレージングの芸術』です。
 
そのころ、私はすでにパガニーニ・コンクールなどで受賞し演奏活動を開始していましたが、自分の将来がはっきりと見えてこず、さらに自分を磨いていくためにはどのように練習するべきなのか、自問自答していた時期でした。シェリングの芸術、演奏技術は私にとって啓示でした。私は全身全霊で彼のヴァイオリンに傾倒していったのです。
 
これも父にとっては理解しがたいことでした。父にとって『フランコ・ベルギー派』は、ヴァイオリンの世界で最高の存在だったのです。でも、すでに私は自分のたどる道を選んでいました。そして、私はこの選択が正しかったことを確信しています。
 
シェリングとの関係はますます強くなっていきました。身近で彼の演奏を聴き、観察し、一緒に旅をし、彼の強靭な精神……いつ何時も、どの指揮者とでも、どのオーケストラと弾く場合でも、完璧に抑制のきいた演奏を繰り広げる精神力に、私は圧倒され続けました。
 
ただ、シェリングがアルコールのせいで体を害したことは残念です。彼は、酒に酔った状態でも、演奏に全く支障をきたさないほどの強靭な技術と集中力の持ち主でした。もしも、演奏に問題が出ていれば、もう少し自分の健康を考えてくれるきっかけになったかもしれませんが……
 
船越
シェリングとはどのようなレパートリーを勉強なさいましたか?
 
G・P
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、パガニーニ……
 
余談になりますが、シェリングはパガニーニのコンチェルトは弾きませんでしたが、三番だけは例外でした。この第三番のコンチェルトは忘れられた作品だったのですが、楽譜が見つかった時にロンドンで復活初演を行なったのがシェリングなのですよ。彼はこの曲のカデンツァも書きました。
 
またイタリアのソナタも勉強しました。私はバロック音楽も大好きなのですが、私をこの世界に導いてくれたのもシェリングです。
 

バロックのレパートリーが大切な理由

 
船越
ピリオド奏法を知ることは、演奏家にとって不可欠とお思いになりますか?
 
G・P
当時の演奏家は、作曲家でもあることがほとんどでした。演奏技術と作曲の交わりが、すでに芸術なのです。ですから、私たちはバロックのレパートリーがどのように作曲され、当時どのように演奏されたか、当時の指使いやボーイングはどのようになされたか、という知識を身に着ける必要があると思います。当時の演奏、テクニックの状態を解明すべく、現在多くの演奏家が研究を重ねています。
 
この種のテクニックのために書かれた楽曲が存在すること、逆から言えばバロックのレパートリーを演奏するために適していた、あるいは必要とされたテクニックが存在することは、ここにひとつの真実があるということを意味します。
 
18世紀において、超絶技巧は特に必要とされなかったのですね。ご存知のように当時は大きなコンサートホールではなくサロンで演奏が行なわれましたし、聴衆も貴族やインテリ階級で、コンサートは庶民のものではありませんでした。
 
そして時代の変遷とともに、楽器、聴衆、コンサート会場、レパートリーも発展していき、その動きにしたがって演奏技術も発展していったのです。これは芸術が人々の生活の中に共存していることを示す、 一種の社会現象ですね。
 
船越
今年7月のライプチヒのバッハ国際コンクールでは審査委員長を務められましたね。また岡本誠司さんが日本人初の優勝という快挙を成し遂げられました。
 
G・P
岡本誠司さんは、20歳という若さにも関わらず、稀に見る音楽的な円熟を備えたヴァイオリニストです。昨年、彼にベートーヴェンのソナタ第7番をレッスンしたことがありましたが、その音楽的な深みには驚かされました。
 
彼はコンクール第一次予選から、音程の良さ、ボーイングの清潔さ、洗練されたテクニックといった、彼の持つ長所の全てを披露し、またバロック音楽に適したスタイルで演奏しました。彼は今の若い演奏家には非常に珍しく、バロック演奏に対する大きな知識を持っています。
 
岡本さんは、コンクール全体にわたってとても安定した演奏を維持しました。また彼の舞台マナーも全く傲慢なところがなく、優雅で自然であり、それも好感をもって迎えられました。
 
彼のファイナルの演奏は、もうコンクールの枠を超えていましたね。素晴らしいコンサートでしたよ!
 
バロックの世界で羽ばたくもう一人の私の生徒、それは佐藤俊介さんです。
 
彼は2010年のバッハコンクールで惜しくも2位にとどまりましたが、私にとってこれは非常に不当な結果です。しかし、彼ほどの才能ならば、自然と世界の賞賛を勝ち得ていくにちがいないと確信しており、正にその通りになりました。佐藤さんは現在、国際的に目覚しい活躍を繰り広げています。
 

私が日本で行なっている教育とは

 
船越
本当に日本の若い音楽家は素晴らしいレヴェルに達しました。
 
G・P
私が日本で教え始めて十年ほどになりますが、日本の若い生徒さんたちのために少しでもお役に立てることは本当に誇らしく、幸せだと思っています。
 
日本に素晴らしい音楽教育が存在するのは確かですから、私は何かクリティカルなことを言っているわけでは決してありません! 
 
ただ私が一人のヴァイオリニストとして感じたのは、日本にはヨーロッパやアメリカでの留学を経験した優秀な先生が多いにも関わらず、生徒さんの弾き方が『日本的』……言うなれば、音色やスタイルが画一的で幅に乏しかったり、どのレパートリーも同じような弾き方に留まっていたりすることです。 
 
また才能があるのに、それを生かしきれていない生徒さんもいます。ですから、私がこうしてフランスから日本に来て、皆と実際に話をし、実際に弾いてみせ、『このようにできますよ』と違った方法を示したこと、単にそれだけのことが、元からあったよい教育ベースを広げ、深める結果になったのではないかと思います。
 
船越
プーレ先生は「エコール・ジェラール・プーレ」でさらに若いジェネレーションの生徒さんたちのレッスンにも力を注いでいらっしゃいますね。
 
G・P
これは私にとっても素晴らしいことです!
12歳くらいの生徒さんと『音色』の探求を共にできるのですから! 
 
この子供たちは驚くべきものを持っています。彼らの音楽センス、音楽を通して表現する気持ちの豊かさ! 彼らはほとんど私のように弾くのですよ!(笑)。それも自然に! ここは音楽の喜びを分かち合う学校なのです。
 
一方、東京と地方都市とでは、レヴェルに差があるような気がしますね。
 
私はぜひ、地方にも出かけていって、そこに住んでいる子供たちのレッスンもしたいのです。機会に恵まれないというだけで、力を持っている子供たちが埋もれてしまうのは、本当に残念ですから。
 

曲は一旦熟成させて改めてまた取り出す

 
船越
プーレ先生は、御自分にとってベートーヴェンの演奏はフランス音楽の演奏よりはるかに難しいとおっしゃっていますが、それはどうしてでしょうか?
 
G・P
私にとってフランス音楽は持って生まれたもの、体の一部のようなものなのですよ。
 
一方、ベートーヴェンの音楽は、私にとってそこまで『自然』でないのです。言語との関係もあるでしょう。
 
例えばフォーレの作品……フォーレの初期の作品は、私にとって音楽の泉、美しく自然に湧き出し流れるものです。音楽を愛する若者なら、ただ音楽に身をゆだねるだけで美しい演奏ができるでしょう。ここに『苦しみ』はありません。
 
ベートーヴェンの演奏は、学びと人生経験を要します。ベートーヴェンの楽譜からは、音とリズムだけ読めばいいというものでは決してありません。例えばアクセントのつけ方、アーティキュレーション……またロマンティズムへ向かう高揚感の表現もあります。悩み苦しんだり、悲しみを乗り越えたりしながら、自分の性格をベートーヴェンに同化させて、音楽に肉付けしなければならないのです。
 
そして、曲を一旦熟成させて改めてまた取り出す、ということを一生に何度となく繰り返さねばなりません。なぜならば、20歳から30歳の人生と、50歳から60歳の人生の間には、大きな差があるからです。
 
船越
プーレ先生は、フランス音楽を語る際に「Charme(魅力)」という言葉を使われます。もう少し詳しくこのエスプリを説明いただけますか?
 
G・P
私が『魅力』と称するもの、それは『ああ、素敵だ、きれいだ!』と惹きつけられるものです。最近よく使われる『カリスマ』も、私にとっては『惹きつけられる』という意味において同じ系列の言葉です。
 
私は、自然に微笑したくなるような心地よさを感じるとき、『人生は魅力的だ』と幸せな気持ちになります。音楽も同じでしょう? 
 
もちろん練習は真剣に取り組まなければなりません。しかし私たちの弾く音楽は生真面目なものばかりではないでしょう? 
 
音楽は『労働』ではないでしょう? 『誰それよりうまく弾かなければ』『コンクールで賞を取らなければ』ではないはずでしょう? こんな考えは全部忘れましょう!
 
私はいつもエコール・ジェラール・プーレの生徒たちに言うのです。『私の前で演奏してくれて私は幸せです! だからあなたも演奏する幸せを味わって下さい!』と。
 
船越
以前チェロのアラン・ムニエ氏にインタヴューさせていただいた折、ムニエ氏は日本の音楽教育はもっと室内楽のレッスンに重きをおくべきということをおっしゃいましたが、プーレ先生はどう思われますか?
 
G・P
ムニエ氏と同感です。
 
でも私がパリ国立高等音楽院の教授だったころも、室内楽のレッスンが多少ないがしろにされるような傾向が見受けられたのですよ。退官して10年ほどになるので、以来変化があったことと思いますが。
 
確かにヨーロッパでは、室内楽グループを結成してキャリアを積む演奏家が増えてきており、この分野の発展が感じられますね。室内楽のレッスンも、今後私が日本で貢献していきたいと思っていることのひとつです。
 

私にとっての巨匠とは

 
船越
プーレ先生はシェリングをはじめ、20世紀の往年の巨匠たちと交流されました。残念ながら、現在この巨匠たちは過去となりつつあるような気がします。プーレ先生が特に思い入れのあるヴァイオリンの巨匠とは?
 
G・P
時代は移り変わっていきますが、私たちは往年の巨匠たちの存在を忘れるべきではありません。
 
通常、挙がるのがジャック・ティボーですね。もちろん彼はフランスの栄光ですが、私がわが国の巨匠として特に敬愛するヴァイオリニストはクリスチャン・フェラス、そしてジノ・フランチェスカッティです。
 
フェラスの演奏は、すでに 少年時代からナチュラルで輝かしいものでした。一方、彼の演奏からは想像しがたいことですが、フェラスは人間的には多少凡庸でした。一緒に話をしても、あまり教養に溢れているとは感じられませんでした。精神的に少し弱いところがあり、アルコールの問題にも悩まされていました。
 
同じ飲酒の問題を抱えていても、シェリングはそれと共存し、問題を制御する強靭な精神を備えていました。一方、あれほどの天賦の才能の持ち主でいながら、フェラスが自分の弱さを乗り越えることができなかったのは残念なことです。
 
フランチェスカッティも、ものすごく面白い人物とは言えませんでした ……これも奇妙なことです。しかし、とても心の優しいシンプルな人柄で、その自然さは彼の演奏に現れています。
 
フランチェスカッティは、父の率いる『オーケストラ・プーレ』でコンサートマスターを務めていたこともあります。そこで同じくヴァイオリニストの奥様と出会ったのですよ!
 
私にとって、彼の音色は南の国の太陽、人生の喜びの表現そのものです。事実、彼のお父様はイタリア人です。フランチェスカッティの豊かで幅広いヴィブラート! 彼の弾くパガニーニの素晴らしさ!
 
彼の演奏には、どの作品においても、すぐに弾き手がフランチェスカッティだとわかるほどの個性と存在感があります。『フランチェスカッティが演奏するベートーヴェン』であって、決して『ベートーヴェンを演奏するフランチェスカッティ』ではないのですよ。お解りですか?
 
往年の巨匠の演奏には、強烈な個性がありましたね。ハイフェッツ、ミルシュタイン、シェリングなど、演奏を聴けばすぐわかります。……そしてダヴィッド・オイストラフ! この巨人を忘れることはできません!
 
船越
演奏スタイルも時代の流れと共に変容していきますよね。
 
G・P
もちろんそうです。人々、すなわち演奏家、聴衆、あるいは批評家の趣味や好みの傾向は、時と共に変化します。
 
どうして今バロック音楽? それはある演奏家たちが『バロック時代にはどのように演奏されていたのだろう? その時代になされていたと推定される方法で演奏することで、さらにテキストに近づけるのでは?』と考え、それを聴衆に提案した、そしてそれが好評を博して受け入れられた、ということです。
 
また往年の演奏家がしていたような大きなグリッサンドなど、もう一時は誰もしなくなりましたが、最近の若い演奏家が『魅力』たっぷりな(笑)グリッサンドをするのを耳にすると、それはそれで私は好感を抱きますよ。
 
ですから、変化といっても、それはいつも新しい方向に向かうとは限らないのです。時には過去に好まれたスタイルが、新鮮に受け止められることもありますから。
 
船越
今後のCDニューリリース情報についてお伺いできますか?
 
G・P
ジャック・ルヴィエ、アラン・ムニエとのブラームスのトリオ、バッハ国際コンクールの総裁、ロバート・レヴィンとのモーツァルト、また来年は岡本誠司さんとのバッハの二重協奏曲……など。
 
またベートーヴェンのソナタ集も録音中です。共演の川島余里のピアノは本当に素晴らしい。彼女は芸大で教鞭をとっていますが、彼女の才能と指導能力は、日本の音楽界でさらに注目されてしかるべきと私は思っています。
 
船越
最後に個人的な質問をさせていただけますか? プーレ先生は音楽以外には何がお好きなのでしょう?
 
G・P
チェスです! 私のような歳に差し掛かると(笑)、演奏を続けて自分を常によい状態に保つには、脳も常に活性化し続ける必要がありますから!

 

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