電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

第60回

卒業生たち

北見、飯野、鎌田、内藤のサントリー・チェンバーミュージック・アカデミー第2期卒業生によるピアノ四重奏。エナスタジオにて。

暦では「残暑」になったといえ、北半球緯度35度の日本列島には猛烈な暑さが続いている。東京湾岸の水辺を生活拠点とする筆者とすれば、三宅坂や赤坂の彼方の旧武蔵野台地など、こんな時期には足も踏み入れたくない灼熱の内陸に思える。ましてや、数日前まで同じ緯度ながら南北逆転、厳冬のオーストラリア大陸にいた身となれば…。
 
日が落ちてもちっとも涼しくならない厚ぼったい大気を泳ぐように、湾岸から地下鉄を乗り継いで恵比寿へと向かう。「エナスタジオ」という場所、アンサンブル練習や試演会、小規模なコンサートで屡々使われるスペースだ。
 
エレベーターで地階に降り、扉が開くと、見慣れた顔が受付をしている。Summer Salon Concertと題された今晩の演奏会、要は、去る6月のチェンバー・ミュージック・ガーデンが実質上の卒業演奏会だったサントリーホール室内楽アカデミー第2期生(フェロー)有志の同窓会である。内藤由衣のピアノに、ヴァイオリンの北見春菜、ヴィオラは飯野和英、そしてチェロは鎌田茉莉子のピアノ四重奏団。受付から舞台転換、はたまた譜捲りまで八面六臂なのは、同窓生のヴィオラ嬢だ。いろいろな意味でインパクトあり過ぎだったあのベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会から未だ2ヶ月と経っていない。いくらなんでも同窓会で懐かしむには生々しすぎる過去じゃないかい、なんて思わないでもないのだけれど。
 
「アカデミーでは、フォーレはベートーヴェンよりも練習期間は長く、まるまる2年間、いろんな先生方から指導を受けました。4人でピアノ四重奏を続けるって、まずないんです。ピアノの私からしてみれば、いつも同じ顔ぶれの弦の人を3人集めるのは結構大変なんですよ。トリオまでなら、なんとか出来るんですけど…」そう語るのは、ピアノの内藤。当「アッコルド」でもご紹介した堤アカデミー校長の福島市の中学校アウトリーチの際、体育館のアップライトピアノを1時間弱の弾き込みでまともな音に整え、演奏会を無事に成立させた、あのピアニストである。
 
些か失礼な発言になったら申し訳ないけれど、サントリーのアカデミーに集まった若者達は、所謂「音大エリート」とはちょっと違っている。学校に入るや席も温まらぬうちに海外コンクールをバリバリ受けに出かけ、学内で誰も知らぬ者はない有名人、というタイプの奏者は、このアカデミーの門を叩かないだろう。室内楽に本気で取り組みたい、学校の中ばかりでなく、あるいは学校を卒業したところで、もっと時間を取って勉強し、生涯に亘り一緒に室内楽をやれる仲間を見つけたい――そんな欲求の若者達が、卒業証書もなければ文部省からのお墨付きもない、堤校長の私塾に馳せ参じていたわけだ。
 
「フォーレのピアノ四重奏曲第1番は、練習は全楽章を通して受けていたんですけど、発表する機会がなく、ちょっと心残りだね、って話をしてたんです。ええ、2年間、この顔ぶれでアンサンブルは一緒にやってきました。個人枠で(アカデミーを)受けていて、(共演者は)先生方が決めて下さる。どんな方かも判らないまま、途中でトラブルがあったりしたらと、最初はちょっと不安でした。でもこんなに素晴らしい方で、ラッキーだったと思います。ピアノ四重奏って、あまりレッスンを受けたことがなかったですし。貴重な時間でした。」(鎌田)
 
「トリオも平行してやってたんですけど、大きな違いを感じました。トリオだと、それぞれの音やハッキリした旋律とかが、よく聞こえるんですよ。大友肇先生から、トリオは協奏曲として良い意味で闘ってる、と盛んに言われました。それに対し、ピアノ四重奏は、弦の3つのハーモニーとピアノ、って弾き方。ピアノ科とすれば、一緒に弾ける弦の人がなかなか見つからないんですよ。それに、同じ苦労を共にした。何度やっても解決しなかった仲間、みたいな(笑)。この先も、なんとか続けられると良いんですけど。」(内藤)
 
 
冷房の効いた小さなスタジオは、数十人でも溢れる贅沢な空間である。冒頭のベートーヴェンの若書きピアノ四重奏曲第1楽章は、序奏からしっかりした響き。勿論、今時の若者達だ、おどおどなどせずに、どの声部もしっかりものを言うタイプの再現である。主部に入ると、もうちょっとロココに寄っても良いんじゃないかな、でも若きベートーヴェンなのだからロココ流の遊びと割り切れぬ真面目さこそがホンモノなのかしら…そんな風に思わせてくれるのだから、これはこれで的を射た演奏なのだろう。ここから「面白さ」がどう出て来るか。こんなお節介を言うと、そもそも「演奏の面白さ」ってなんだ、って悩みそうな若者達かもしれないけど。
 
後半に置かれる四重奏の大曲に挟まれるように、それぞれがピアノとの二重奏を披露。自分の担当する作品について、一言ずつコメントする。室内楽アカデミーの教育には、言葉を使った聴衆とのコミュニケーションの実践もあったわけだ。聴衆には未知だろうヴィオラ曲の前に「ヴィオラ奏者には弾きにくい曲となっておりまので」と笑いを取り、チェロの超難曲では「これから弾く曲は使う弦が1本だけです」といかに難曲かを一言で説明してしまう。仲間が行なう転換の様子を眺めながらの即興語りは、必要充分に達者なものであった。これも立派なアカデミーの成果だろう。
 
そして本日の、いや、2年目のメインイベント、フォーレのピアノ四重奏曲第1番である。第1楽章の推移部でのピアノと弦のバランス、合わせの時間がそのまま成果に反映しそうな第2楽章を経て、白眉は第3楽章だ。3人の弦が生み出す微妙な和声の移ろいに、ピアノがどう対していくのか。そんな苦労がはっきり聴衆に伝わってくるのは、この空間のインティメイトさ故か、それとも2年悩み続けてもまだ悩み足りぬ底深さなのか。エネルギーの解放の中にも、前の楽章のいろいろな思いを引き摺っているような終曲。
 
「この面子で2年ほどフォーレをやってきました。全曲は今日だけ。やっぱり、癖なんかがなんとなく判るんで、ガン見しなくてもヌルッと合っちゃう、みたいなのがありますね(笑)。もうちょっと詰めなきゃいけないと思うんですけど。ちょっと緊張しちゃいまして。この場所にあんまり対応できなかったこともあって、いろいろ…お客さんが居ないときと居るときの音の響き方が全然違ったので、本番のときにどういう風な音で弾こうか考え過ぎて、いろいろ失敗しちゃいました。この2年を大事にしたいです。」(飯野)
 
「チェンバー・ミュージック・ガーデンでは3楽章だけは演奏させていただいたんです。でもやっぱり今日、全楽章を演奏してみて、違いましたね。2年間やってきただけのことはあるんだな、と思いました。私は1期のときも、2年目からは固定メンバーになってやらせていただいて、ピアノ四重奏は総計3年くらいアカデミーでやらせていただいたわけですけど、普段ではなかなか勉強出来る機会がないジャンルですから。クァルテットともまた違い、ピアノが入るとバランスの取り方とか、和声の作り方とか、思うように上手くいかなず、難しいです。弦3人というのが難しい。曲もかなり複雑ですし。もう悩んで、凄く悩みました(笑)。」(北見)
 
フォーレを終え、アンコールを弾く前に、北見はまず、「本日、この会場を提供して下さったオーナーさんに感謝します」と述べた。そう、弾いている自分達だけではなく、自分らを支える多くの人達がいてこその音楽。それを素直に、でもいちばん大事なこととして、真っ先に口に出せるようになったのならば、「プロの室内楽奏者を育成する」という目的はそれなりに達成されたのだろう。
 
2年間の時間をかけたフォーレは、1年間全く顔を見ないままに急に合わせても、ことによると、数年が経って急に合わせても、まるで昨日まで練習していたかのように「ヌルッと」音楽が出来てしまうのかも。それと同時に、嫌でも自分らの変化だって判るだろう。願わくば、そんな経験を私たち聴衆も分かち合える機会を作って欲しいものだ。同窓会は懐かしい日々の再現であり、そしてまた、一期一会の新発見。

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夏の夕暮れ、スタジオの入口に演奏会場への案内がさりげなく張られる。

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卒業生らの晴れ舞台となった去る6月のサントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデンのフェロー演奏会。夏の初めが遠い昔に思える。

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このピアノ四重奏団は、もうひとりのフェローを加え弦楽四重奏のレッスンも受けていた。昨年11月のとやま室内楽音楽祭にて。

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音楽祭の最中、宿舎近くの温泉に遠足に行った晩のショット。あちこちに見慣れた顔が。

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© 2014 by アッコルド出版