オープン以来のミューザ川崎のマスコットキャラクターだった「ミューザ君」は、10年ということで引退。今年は市民の顔がポスターに並ぶ。数人はモデルさんだけど、殆どは公募した市民とのこと。さりげなく新市長と市議会議長の顔も並んでいる。

打ち合わせは2時から。都響の人は黒ジャケットだが、ミューザ側スタッフは様々な色のスタッフTシャツ。Tシャツの色は部署で決まってるわけではないものの、レセプショニストだけはホール内で目立たない色ということで、青で統一している。ちなみに山本氏は黄色です。

インバル&都響の公開GPはなんと客席に450名程の聴衆。関係者に拠れば、殆どの顔ぶれが都響のコア聴衆とのこと。熱心なファンは、休み取って昼から来ているようだ。オーケストラのセット券は100枚弱出ているそうな。

この春に都内某オーケストラ広報から移籍した川崎市民の新スタッフの発案で、今年は連日速報壁新聞が配られる。正に手作りミニコミで、市民とホールの距離を近付けようとする試み。

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東京から六鄕川を越えたところの川崎は、自治体としてはとても不自然な姿をしている。六鄕土手を越え「六鄕川」と呼ばれるようになった多摩川下流が羽田空港横から東京湾に流れ込む工業地帯から、等々力渓谷や二子新地を越えた遥か多摩丘陵の端まで多摩川南沿いにヴェトナムのように細長く広がる市域を、東海道線、東横線、田園都市線、小田急線が貫き、東京都心と直結している。結果として、市の行政区分と都心直結の郊外型文化圏とが、まるで重ならないことになる。登戸の川崎市民にとって、川崎大師は明治神宮よりも遥かに遠い存在なのだ。
 
そんな川崎に「ミューザ川崎」なる巨大なコンサートホールを中心とした文化施設が出来て10年と少し。20世紀最後の四半世紀に日本各地で実験され鍛えられた民間や公共のコンサートホールのノウハウを巧みにまとめ上げ、21世紀型公共文化施設としての総合的な評価では、より地域活動などに振った「いわきアリオス」と双璧を成す「音楽堂」となっている。
 
そんなミューザ川崎の名物が、東京首都圏夏の風物詩となりつつある「フェスタ・サマーミューザ」だ。東京東地区の住民の感覚で言わせて貰えば、隅田川花火大会から東京湾大華火大会までの2週間、東京が最も暑い夏の盛りに、ベルリンフィル音楽監督サイモン・ラトルも世界一の音響と絶賛する「ミューザ川崎」コンサートホールに、首都圏に拠点を置くオーケストラと市内の音大オーケストラをほぼ連日招聘、演奏会を繰り広げる。
 
所謂「オーケストラ・フェスティバル」は、日本でもいくつも開催されている。だが、これだけの期間に集中して連日公演が行われる例は殆どない。アジア圏では、ソウル・アーツセンターが2週間と少しの期間に韓国各都市のプロオーケストラを連日並べる毎年4月の「オーケストラ・フェスティバル」があるくらい。世界的に見ても、ここまで集中的にオーケストラに徹したフェスティバルは、案外とないのである。
 
「フェスタ・サマーミューザ2014」について、ミューザ川崎の事業課長、山本浩氏にお話を伺った。今年の演目の中でも最もヘビーでコアな聴衆指向のエリアフ・インバル指揮東京都交響楽団の演奏会、公開GP開場前の打ち合わせに先立つ短い時間である。「川崎市」という枠組の中でどのようにこのフェスティバルを位置付けるか、明快な返答があった。フェスタは8月10日まで続く。
 
 
――10回目にもなりますと、このフェスティバルもあって当たり前のようにも感じられてしまいます。ですが客観的に見れば、東京圏でこういう形の2週間ぶっ通しのオーケストラ・フェスティバルって、他にないんですよね。
 
山本:ないです。冬の時期にやっている都民フェスティバルは、飛び飛びで3ヶ月くらいかけますし。
 
――会場も上野や池袋などいろいろですしね。似たところでは、残念ながら立ち消えになっているすみだトリフォニーホールの地方都市フェスティバルくらいかしら。
 
山本:夏の時期ということでは、東京の夏音楽祭がありましたが、あれも2009年でなくなってしまいました。
 
――そうでしたね。いずれにせよ、「東京の夏のいちばん暑いときの2週間、ホールに行けばほぼ毎日オーケストラのコンサートをやってる」というのは極めて珍しい。それをみんな不思議と感じてないというのがまた、スゴイというか(笑)。
 
山本:まあ、ハイシーズンのサントリーホールに行けば毎日のようにオーケストラの定期演奏会やってますし、そこに海外オケも入ってきますから、東京自身はそれだけ供給がタップリある。ただ夏の時期ですと、オーケストラも地方ツアーに行ったり、定期演奏会がない月ですから、公演数自体が減ってくる。2004年に出来たこのホールとしては、最初は隙間を狙うということでした。
 
――「フェスタサマー」という形で始まったのはいつからなんでしょうか。
 
山本:オープンの翌年、2005年の夏です。オープンは2004年7月でした。当時はまだ私もここにはいなかったんですけど。せっかくこういうホールを作ったんだから、何かフェスティバルをやったら良いんじゃないか、と当時の市長が言い出しまして。
 
――なるほど市長ですか。
 
山本:ここはもともと、川崎市が持ってた土地などを集めて、住都公団が再開発をし、ホールは住都公団から30年払いくらいで買った。前市長はホールの反対派として立候補し、当選した人です。でもそのときにはもうホールは着工して、くい打ちも始まっている。止めれば大きな違約金が発生する。やるかやらないか、相当に考え、ブレインを集めた結果、やるのだったらとことんやろう、ということになった。とはいえ、具体的な指示があったわけではありません。建ったもので、そのホールの特性を生かして、なおかつ他とあまり被らなくて…と考えていった結果、このようなオーケストラ・フェスティバルをやったら良いのではないか、と。
 
――オーケストラを夏のこの時期に並べるというのは、始めからその意図があった。
 
山本:そうです。ですから、オーケストラ連盟の正規加盟団体にお声がけをした。
 
――夏の名曲コンサートをやってるのを束ねたな、みたいなノリですか。
 
山本:曲がダブらないようにするという難しさはありましたけど、最初はこの時期に持っているものを各オーケストラから提案していただく、という面が強かったように思います。《カルミナブラーナ》とかも最初からあったと思います。
[注:オープン当時からのスタッフ、竹内淳事業企画担当曰く、「ともかくもう1年を切っての話でしたので、最初の年はオーケストラをブッキングするのが大変でした。2年目以降は、こういうのがあるけど、とオーケストラ側からも言ってくれるようになりましたが。」]
 
――なるほど。
 
山本:(意識的な並べ方は)この数年ですかね。今年に関して言えば、平日の夜は割とマニアックに振る。平日の昼間はライトユーザーに振る。休日は華やか系に振る。そんな色分け。勿論、全てのお客様に希望通りにはいかないでしょうけれど、だいたい、そんな感じでしょうかね。
 
――夏の最中にインバルのブルックナー交響曲第7番なんて、このフェスティバルあってこそですよね。
 
山本:そうですね。そんなちょっとハードなものもあれば、逆に、新日本フィルさんどうしますか、と話をし、他のオーケストラがやっていないもので、最近はホールとしても子供を大事にしていることもあって、ファミリーが楽しめる宮川彬良さんに来て貰ったら、ということです。
 
――この夏枯れ時期に、敢えてオーケストラのコンサートを並べるってのは、勝算がどうだというより、もの凄く壮大なニッチ企画だったような(笑)。
 
山本:そうかもしれませんね。首都圏、東京中心のマーケットの1年の流れの中に、どいいう風に食い込んだら存在感を出せるか。
 
――地震のことがあったにしても10年で、こうして形が出来てくると、もの凄く賢い企画だと思えますね。正に「オーケストラのためのホール」以外で出来ないし、サントリーみたいな都心でも出来ない。都心からはちょっと離れて、郊外住宅地に近いところに意味がある。
 
山本:私自身もオーケストラの事務局にかつておりました。定期会員さんやお客さんの高齢化というのは深刻な問題なんです。ですから、常連の方々も大事にしつつ、若い方々も大事にし、敷居を低くし、見てくれもわかりやすくして、来ていただく。夏だからこそ、そういうコンセプトでやれる。海外を見れば、ザルツブルク音楽祭みたいなハイエンドなものから、ロンドン・プロムスみたいなものまでありますし。
 
――あと10年20年続けば、正に首都圏のプロムスみたいなものになる可能性があると思ってるんです。そうなってくれば、一歩踏み込んだ別の発展もあるでしょうし。是非頑張って欲しいです。
 
 
――初回の話に戻します。今となって過去の資料だけを眺めますと随分大々的に宣伝したようにも見えるのですけど、正直、私は始めの頃の記憶がないんですよ。凄く自然に始まったのかな。そんなに大々的な花火が上がる、って覚えはなくて。
 
山本:それなりにやっていたと思います。ですがやはり、川崎という地方都市の特性といいますか。多摩川を越えるのにパスポートも要りませから意識してる人はいないと思うのですが(笑)、やはり行政区分的には、街を挙げての、ということになる。だからどうしても、市内での広報が多くなったんじゃ無いですかね。なるべく首都圏全般に打って出るということを心がけていたんですけど。
 
――あくまでも「川崎市が作ったホールのローカルなイベントとして」ということですね。
 
山本:最初に行政が絡むと、どうしても行政区分にとらわれ易いですから。
 
――それは当然ですよ。
 
山本:でもそれはあくまでも行政の話であって、音楽業界としてはまた別です。「川崎市民は割り引きます」などということも、始めからやってません。勿論、ホール友の会に入っていただければ割引はありますけれど。勿論、市内を軽視しているわけではありません。例えば市内の全戸配布。だいたい6月から7月くらいにタブロイド紙を新聞折り込みで入れてます。随分と軽い紙面にしてますけれど(笑)。市内をちゃんと大事にしてますよ、ということもしながら、大田区とか横浜市鶴見区とか、ホールに近いところにも配布してます。
 
――なるほど。もうひとつ大きな要素は、開演時間ですよね。いろんな時間に仕掛けてる。平日3時開演とか、11時半とか、かなり狙ってるようなのですが、聴衆のターゲットを明快に区別しているんですか。
 
山本:オーケストラの側から言えば、朝から仕込んで、楽器搬入して、リハーサルやって、って追っていくと、2時開演は結構きついんですよね。それで3時開演。それなら終演が5時ですから、買い物しても帰れるし、その後に食事に行っても良いでしょうし。真っ直ぐ帰る人も、ギリギリでラッシュに巻き込まれずに帰れるし。それから子供フェスタなんかは早く、11時くらいからやってしまう、子供が集中できるのはやっぱり午前中でしょうから。去年までは、平日夜8時公演をいくつかやってましたが、止めました。とはいえ、今日のブルックナーだって、実際に始まるのは8時くらいになると思うんですよ。でも8時開演で1曲というと、8時に間に合わなかったらアウトじゃないですか。途中から来ても良いですよ、とあまり前面に出す気はないですが(笑)、せっかくオーケストラが来てやるんなら前プロがあっても良いでしょうし。あとは、あまり夜遅くなりすぎない。
 
――聴衆の移動距離が世界でも例外的に大きな東京圏ですから、どうしてもそれがありますね。バスがなくなっちゃう、とか。
 
山本:それも言われます。だから終演は9時がいいところかな、と。9時半をまわると、流石にいろいろお客さんからの意見も出て来ます。
 
――いずれにせよ、「2週間、ほぼ連日、昼間のGPを含め、ミューザに行けばどこかのオケがやってる」という形はだいたい出来上がった、と考えて良いんでしょうか。
 
山本:そうですね。指定管理者制度とも絡んでいるですけど、もう少し収益を上げろという声もあります。そういう部分にどうやって応えていくかはまだ問題です。かといって、ただお金のバランスを良くして中身が薄くなったら、最終的にはお客さんが離れてしまうでしょうし。来年くらいからはもう少し新たなチャレンジ、ヴァージョン・アップを考えたいと思ってます。
 
――せっかくここまで育ったフォーマット、この「音楽堂」にとっては大事な財産だし、ヴェニュが「音楽堂」であることを主張できるイベントだと思うんですよね。
 
山本:そうですね。今年からは、こんな壁新聞みたいなものを毎日出すようにしました。今年から来た担当者の発案です。それから、「女子クラ」とかも。あるレコード会社さんから、是非一緒にやりましょうということになりまして。こういう誌面をメインで書くライターさんは、やっぱり男性じゃないですか。ですから、バランスを取りつつ、女性達にどうアピールしていくか。
 
――ここはお歳をいった方々は、それなりにゲットしてますよね。そういう意味では、聴衆拡大を随分と本気でやってるな、と思います。
 
山本:もうひとつ、市内の音大さんふたつは参加してもらいましょう、というのがあります。
 
――音大側はこの時期でも協力的なんですか。
 
山本:協力的ですよ。大学とすれば、ギャラが出る音楽祭に呼ばれるわけですから。プロオケと並んで演奏することになりますし。この前も指揮者の秋山和慶さんが学生達に向かって、「恥ずかしい演奏は出来ないのだからみんな頑張れ」と仰ってましたね。それはそれで良い刺激になっていると思います。
 
――打ち合わせの時間前に、どうもありがとう御座いました。
 

連日30度を越える猛暑が続く川崎だが、JR駅とミューザ川崎を繋ぐ遊歩道には多摩川からの風が吹きつけ、ズラリと掲げられたフェスタの垂れ幕を靡かせる。このフェスタが終わると、「暑中見舞」は「残暑見舞」になる。

第57回

首都圏の風物詩ミューザの夏

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版