最近、凄惨な事件や事故の報道が相次いでいる。
いや、「最近」ではないか。相変わらず?
何にせよ、続くときは続くなぁ、なんて独り言ちる。
メディアの取り上げ方で、そう感じてしまうのだろうか。
実際のところはどうなんだろう?  ニュースに触れる度に、
雨後の筍のように湧いてくる小さな疑問。
そして悲しいかな、実のない疑問はみるみる雲散霧消する。
 
「墜落連続で広がる飛行機への恐怖感」― こんなタイトルを目にする。
事故が起きなくたって、飛行機に乗るのは好きじゃない。
 
ヴァイオリン弾きが『飛行機事故』というワードを耳にすると、
必ず頭に浮かぶ名前がある。―“ジネット・ヌヴー”
若くして、飛行機事故で亡くなった、実力派女性ヴァイオリニスト。
モノクロ写真と僅かな映像の中に、彼女はいる。
遺された音源も多くはない。しかもモノラル録音のみ。
 
師をはじめ、何人もの先輩、友人知人に薦められ、
なんとか手に入れた音源でその演奏を聴き、勉強した学生時代。
友人が、何も知らぬままヌヴーの演奏を聴いて、
「男の人の演奏だと思った」と言う。確かに、その演奏は『男前』だ。
写真で見る彼女の、ヴァイオリンを構えた姿もまた凛々しい。
 
協奏曲などの大曲で顕著な、力強い、スケールの大きい勇壮な演奏。
誰もが認める深く濃く豊かな音色、クールな造形の内に迸る情感、
一方、小品で強調される、ときには艶やかで、ときには清冽な、
女性らしい細やかさや優しさに満ちた、色彩感溢れる演奏。
 
昔は、ただ感動し、ただ圧倒された、そんな演奏を、
今、改めて聴けば、何かを思う前に涙が溢れてくる。
耳が成長したのか、単に涙腺が脆くなっただけなのか、
それは分からないけれど…。
 
 
ヌヴーの演奏、その技術的音楽的完成度は曲に左右されない。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲などの評価が特に高いようだが、
個人的には、小品の演奏が好きだ。
例えば、ラヴェルの《ハバネラの形式による小品》
例えば、ショパンの《ノクターン第20番》(arr. Rodionov)
しかし、ショーソンの《詩曲Poème 作品25》は捨て難い。
(一部だけだが動画を見ることができる。独特な姿勢…射るような目付き…)
 
ヴァイオリン弾きにとって、『ショーソンのポエム』もまた“特別”である。
そして、ショーソンにとっても《ポエム》は特別だった。
あの辛口のドビュッシーをして、こう言わしめた曲。
「《詩曲》は彼の最も優れた幾つもの長所を含んでいる。
 そこでは自由な形式が、調和のとれた構成と少しも矛盾していない。
 音楽が、あらゆる描写、あらゆる挿話に関係なく、
 この音楽の情緒を作り出している感情そのものとなる、
 最後の夢見るような優しさほど感動的なものはない。
 こうしたことは、一人の芸術家の作品のうちで滅多にない瞬間である」
 
幼いながら、他の曲にはない、どこか神秘的な響きの中で、
『詩』を読むように、『物語』を聞くように、この曲を聴いていた。
 
この《詩曲》、最終形は完全に昇華された純粋器楽曲、だが、実は、
ある文学作品にインスピレーションを受けて書かれたものだという説がある。
その作品は、ツルゲーネフの『恋の凱歌Le Chant de l'Amour Triomphant』
 
そう伝えられる根拠は、二つあるらしい。
まず、ショーソンの自筆譜にLe Chant de l'Amour Triomphantと書かれていること。
ショーソンの死の直後に行われたイザイの演奏会に関する記事にこうあること。
「イザイがその理想的な演奏者である、この見事な作品の詩的な起源は、
 ロシアの作家の作品にあるように思われる。
 読んだときの印象が、彼の音楽家としての 敏感な魂の奥底まで揺り動かし、
 《詩曲》の第一主題の開花となった」
 
そう言われれば、ドビュッシーの評にも含みがある。
ならば、ツルゲーネフ、読まずばなるまい。
そうして、この小説を読めば、すべてがスッキリ胸にストンと落ちる。
頭の中では、完全なる自作映画が出来上がってしまったりもする。
(小説は映画化されている。『恋の凱歌』1922公開。見なければ…。)
 
 
イタリアのフェラーラに、二人の青年が住んでいた。
背が高く、色白、碧い眼、亜麻色の髪、明るい性格の画家ファービィ。
浅黒く、褐色の眼、黒髪の、少し愛想の悪い音楽家ムウチィ。
親友である二人は、ワレリヤという一人の美しい女性に同時に恋をする。
互いの気持ちに気付いた二人は約束する。
もし彼女が二人のうちどちらか一人を選んだら、他の一人は異議なく従うと。
ワレリヤは画家ファービィを選び、ムウチィは東方を指して旅立つ。
 
結婚した二人は、幸せな日々を送っていた。
一つ懸念があるとしたら、子供ができないこと。
そんな或る美しい夏の夕、ムウチィがフェラーラに帰ってくる。
親友の帰国を喜び、自分の別荘の邸内の園亭に住まわせるファービィ。
 
ムウチィの持ち帰った神秘的で珍奇な品々、お伽噺のような遍歴譚、
従僕である唖のマレー人に手伝わせ披露する奇術に、二人は感嘆する。
夕食後、謎のように輝く酒を勧められ、それを飲む二人。
「旅中、音楽はやっていたか」と聞かれ、ヴァイオリンを取り出すムウチィ。
 
「三弦」で「青ばんだ蛇の皮が張り詰められ」(それはヴァイオリン? 笑)
「蘆で造った細長い半円形の弓、その先端にはとがった宝石が輝いていた」
そうして、最後に奏された曲の、情火と歓喜に燃え輝く旋律に二人は翻弄される。
何の曲だと問われ、「『満たされた恋の歌』だよ」と答えるムウチィ。
 
その夜、なかなか寝付けなかったワレリヤだったが、
ようやくうとうとし始めると、『異常な夢』が彼女を襲う。
ムウチィが寝所に入ってきて……。
やっとのことで目覚めたワレリヤは、怖い夢を見たと夫に告げる。
次の夜、また同じ曲が響き渡り、再び悪夢を見るワレリヤ。
 
月光を一杯に浴びた庭道を、夢遊病者のように歩くワレリヤの行く手に、
手を広げ待つムウチィの姿を認めたファービィは、激しい怒りと共にその脇腹を刺す。
妻を寝室へ連れて行った後、ムウチィがどうなったかを確かめに戻ると、
その姿は…。蝋のように黄色い顔、眼を閉じ、呼吸の気配なく。
足許ではマレー人が羊歯に似た枝を持ち、怪しい儀式を行っている。
 
逃げ出すファービィ。しばらくすると、執事がやってきて、
ムウチィが病気になったので市内へ引っ越すと言っている、と伝える。
マレー人に操られるように動き、歩き、出ていく『死人の顔』のムウチィ。
まもなく妖しい二人は邸を去り、夫婦は以前の生活に戻る。
 
と或る美しい秋の日、オルガンの前に座ったワレリヤ、
突然、指の下から、いつかムウチィの弾いたあの『恋の凱歌』が響いた。
そしてこの刹那、彼女は結婚後はじめて、新しく芽生えた生命の鼓動を感じるのだ。
「どうしたことだろう? ひょっとしたら……」
 
 
「なんだ、三角関係の男女の縺れ話か」…それはそうなのだけれど。
 
曲は、Lento e misterioso で始まる。
重々しく、暗く、物悲しいオーケストラの前奏、
引き摺り出されるように始まる、ヴァイオリンソロ。
何かに怯え悩む女性の心情にも思える旋律。ワレリヤの主題?
掛けられる優しい夫の声も届かず、苦悩し続けるワレリヤ。
 
Animato ― ムウチィの奏でるヴァイオリンの妖しく情熱的な誘い。
こういう方法でしか愛する人を手に入れられない、そんな苦しみを滲ませ。
Animato(a tempo)に入れば、
夢の中で密かに縺れ合う二人を描いたかのような、重音の激しいメロディ。
無理やり結ばれた二人を表すかのような、高音のオクターヴの旋律。
どうせオーケストラに掻き消されるからと、単音で弾いてはいけないのだ。
 
Poco lento ― 悲劇を予感させる、第一主題の再提示。
取り返しのつかない現実を告げるAllegro、そして、クライマックス。
悲劇は起きる。確かに、間違いなく、そこに血は流れたのだ。
なのに、従僕の妖術によって、全てが非現実の世界へ追いやられる。
奥底に棘を残したまま、それでも平穏が戻る。
TempoⅠの第一主題は、一瞬そう思わせる。
しかし、その後には決して終わらないエンディングが待っていて…。
 
調性の設定も完璧だ。ヴァイオリンを知ったものだけがする選択。
ショーソンの《詩曲》…イザイのために書かれ、イザイが初演した。
 
曲を聞きながら小説を読めば、小説を読みながら曲を聞けば、
灰色の脳細胞の中で、膨らむ、膨らむ。果てしなく膨らむ妄想。
 
 
ジネット・ヌヴーGinette Neveu、1919年、パリで生まれる。
7歳で協奏曲デビュー。9歳でパリ高等音楽院ヴァイオリン科1等獲得。
「今度はこの曲を少し違ったふうに奏いてごらん」
師エネスコから、そう言われた10歳の彼女はこう答えたという。
―「私、自分が感じたようにしか奏けません」
 
11歳でパリ音楽院J.ブーシュリのクラスに入るが、8ヶ月で卒業。
14歳の彼女の演奏を聴いたときのフレッシュの言葉、
「あなたは天から贈り物を授かって生まれてきた人だ。
 私はそれに手を触れてあれこれしたくはない。
 私に出来るのは、いくらかの純粋に技術上の助言くらいだ」
 
1935年(15歳)、ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクール優勝。
2位ダヴィッド.オイストラフ、3位アンリ.テミアンカ。7位にはイダ・ヘンデル。
大差をつけられたオイストラフが妻に送った手紙の内容もよく知られる。
「2位になれたことに僕は満足している。ヌヴー嬢は『悪魔のように』素晴らしいと、
 誰もが認めるだろう。しかも彼女はまだ15歳かそこらなのだから、
 1位が彼女に行かなかったら、それは不公平というものだ」
 
一躍有名になったヌヴーの来訪を、世界が待っていた。
第二次世界大戦中(1939-1945)こそ、演奏活動を中断するものの、
それ以外は、世界各地で演奏や録音を行い、成功を収め続ける。
(1943年にはプーランクのヴァイオリン・ソナタを初演している。)
 
1949年10月20日、パリでリサイタルを開く。
一週間後、3度目のアメリカ演奏旅行に向かうべく乗った機、
エールフランス・ロッキード・コンステレーションが、
大西洋中央アゾレス諸島サンミゲル島の山中に墜落。
乗員乗客48人全員死亡。ヌヴー30歳。
伴奏者だった兄ジャン31歳(イヴ・ナットに師事した名ピアニスト)、
愛器オモボノ・ストラディヴァリ、J.B.グァダニーニも共に散る。
 
ヌヴーの遺体はパリに運ばれ、ショパンの墓のすぐ近くに葬られた。
 
 
「音楽は職業ではなく使命」、そうヌヴーは語っていたという。
「いつも同じ演奏をするようになったら、もう駄目。
 私は奏く度ごとに良くなっていきたい」
 
ショーソンもまた、44歳のとき、事故で亡くなっている。
思いもかけない自転車事故で。
《詩曲》を書いた3年後のことだ。
やっと自分に自信が持て、まさに、これからというときに。
人は、なかなか、自分が思い描く理想の死を迎えることができない。
 
ヌヴー、死の直前のパリのリサイタルのポスターに、
〈お別れ演奏会Concert d’adieu〉の文字があったのだという。
パリを発つヌヴーとのお別れ、そういう軽い意味だったはずだ。
 
ティボーは、ヌヴーの訃報に接し、
「私の最後もそうありたい」と述べたという。
彼はその4年後、3度目の訪日の途上で、
これまたエール・フランス機の事故でアルプス山中に散る。
 
字にしたり、口にしたりしてはいけない言葉は、
やはり、あるのかもしれない。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第72回 ヴァイオリン弾き、妄想する。

© 2014 by アッコルド出版