修道院内部は綺麗に整備され、中庭の手入れも行き届いている。大都市フランクフルトからわずか30分とはとても思えない。

小さな町のあちこちに音楽祭のポスターが貼られる。

2011年のフェスティバルでは、ヘンシェルQはトリオ・デ・パルマをゲストに迎えた。チェリスト氏は数週間前にレッジョ・エミリアで審査員を務めていた。

ハイデルベルクの室内楽協会は、ネッカー川を挟んだ市内各地で演奏会を開催している。2012年の「ハイデルベルクの春音楽祭」は旧市街が会場だった。

名作『アルテ・ハイデルベルク』の背景となる学生街を古城が見下ろす。

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梅雨空の羽田空港を発って数時間、今、バイカル湖上空にさしかかるところだ。夏のシベリアは果てしなく広く、太陽を追う西行き便には延々と昼間が続き、目的地フランクフルトまでまだ時間はタップリある。
 
この空の道を反対側から極東の列島に向かい、到着後のその足でサントリーホールに駆け込み、チェンバーミュージック・ガーデンが始まったのが数週間前。大昔に感じられる。いろいろな意味でとてつもないベートーヴェン・チクルスを聴き、若い人達の真摯な音楽に晒された時間が怒濤のように過ぎるや、大阪に行きレッジョ・エミリアの情勢報告をしとんぼ返り。そしてまた、シベリア上空を横切っている。
 
わずか1週間と少しのドイツ滞在の目的は、夏の音楽祭だ。日本語の音楽メディアで紹介されるヨーロッパの夏音楽祭といえば、なによりもまずザルツブルクやバイロイト、老舗のエジンバラ。最近では新興勢力のエクスアン・プロヴァンスやルツェルンなども注目されるようだ。些か特殊なバイロイトは例外だろうが、どの音楽祭も著名スターのリサイタルやメイジャー楽団の演奏会、はたまた大歌劇場のプレミアと同規模のオペラ上演らが連日続き、シーズン真っ最中のヴィーンやパリの華やかさが避暑地や観光地にそっくり持ち込まれた巨大イベントである。
 
とはいうももの、そんな夢のようなフェスティバルは、ヨーロッパの夏に無数にある音楽祭のホンの一握りに過ぎない。7月の始めから8月末くらいまでの夏のヴァケーション期間、大小様々な音楽祭があちこちで開催されているのである。
 
恐らくその殆どが、期間はひとつの週末の数日、登場数演奏家も音楽監督や芸術監督を中心に数人から1ダース程度、会場は普段は地元音楽協会や室内楽愛好会が月に1回程度の定期演奏会を開催している町の公会堂や教会、シティホールなど。聴衆だって、遥か遠くから熱心な音楽愛好家が押し寄せるわけではなく、町や近隣のいつもの音楽好きと、夏休みを利用し滞在する出演者の家族や親戚、友達の顔が加わるのがいつもと違うくらい。動員数にしたところで、ひとつのコンサートに数百の席が用意されれば大規模な方か。
 
そんなごく当たり前の夏の音楽祭は、一昔前までは存在すら知ることが難しかった。とはいえ、今やどの音楽祭もインターネットで告知しチケットも販売している。ローカルな音楽愛好家向けの告知だから、ページは現地語だけと思った方が良い。そこがクリアー可能ならば、日本から切符を申し込もうが、主催者は驚きこそすれ嫌がりなどしなかろう。ご関心の向きは、検索サイトに「musikfest 2014」とでも放り込み、手当たり次第に検索してご覧なさい。音楽祭ってこんなにあるのか、と呆れるかも。
 
 
これから向かうのは、そんな小規模な室内楽音楽祭たちだ。
 
ひとつは、フランクフルト空港から車で30分程、ゼーリゲンシュタットで開催される「ゼーリゲンシュタット修道院コンサート~弦楽器フェスティバル」だ。
http://www.klosterkonzerte-seligenstadt.de/veranstaltungen_2014/0207.html
現在ではフランクフルトの住宅地となっているゼーリゲンシュタットは、空港に向かう旅客機が絶え間なく上空を通過するマイン川支流の古い集落。町の象徴は、川沿いに聳える巨大な修道院の尖塔で、この歴史的建築物を見物するために訪れる観光客もいるという。とはいえ、フランクフルトから観光客がバスを連ねてやって来るようなメイジャーなスポットではなく、あくまでも「知る人ぞ知るローカルな穴場」である。
 
毎年6月末から7月始めの週末3日程で開催されるこの音楽祭、主催はゼーリゲンシュタットの室内楽協会で、音楽監督を務めるのはミュンヘンのヘンシェルQだ。毎年ヘンシェルQが弦楽四重奏団かピアノ三重奏団をゲストに招き、ヘンシェルQの演奏会、ゲスト団体の演奏会、そして最終日には両団体の合同で六重奏や八重奏など規模の大きい編成の作品が披露される。
 
一昨年のサントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデンでベートーヴェン全曲を担当、今年のキュッヒル御大とはまるで違う意味でキレキレの演奏を披露してくれたヘンシェルQが、地元ミュンヘンでなくフランクフルト近郊で自分らの音楽祭を持っているのはちょっと不思議。どうしてかと尋ねると、話は簡単だった。
 
音楽一家のヘンシェル家、お父さんはシュトゥットガルト放送響首席ヴィオラ奏者を長く務め、一頃は自宅に音楽監督のチェリビダッケ一家を居候させていたという。なんだか想像するだに大変そうな一家を切り盛りしていたお母さんも、チェンバロ奏者だった。そのお母さんがこの修道院で演奏会のレギュラー出演者で、音楽祭を始めた中心メンバーだった。ヘンシェル家の子供達が立派に音楽家として成長し、その音楽祭を引き継ぎ今に至ったとのこと。
 
結成20周年となる今年は壮大な事をするのかと思ったら、質実剛健な団体らしく例年と同規模。ゲストにセント・ペテルスブルクQを招き(矢部達哉率いるイグレッグQが優勝した民音室内楽コンクールで最後まで優勝を争った団体、と紹介してどれだけの方が記憶していらっしゃることか)、来る水曜日からの3日間開催される。筆者は諸般の事情で2日目に20周年お目出度うの挨拶がてら見物する予定だ。天気が良ければ聖堂の外、星を見上げるクロイスターで音楽が聴けるかも。
 
 
もうひとつ、来る金曜日から日曜まで開催されるのが今回の訪問最大の目的、「ハイデルベルク・ヴァインベルク音楽祭」である。
http://www.kammermusik-heidelberg.de/programm.php
 
ゼーリゲンシュタットからローカル線を乗り継ぎフランクフルト郊外の大学町にして戦後現代音楽の聖地として知られるダルムシュタットまで出て、ローカル幹線に乗り換え半時間ほど。ライン川へと流れ込むネッカー川の谷間に広がるハイデルベルクの名前は、日本でも良く知られていることだろう。わざわざ観光に来るかちょっと微妙なくらいの場所だけれど、古い町としての見所は多い。
 
オーケストラやオペラは小規模なものしかないこの町だが(なにせマンハイムまでローカル線で15分程なのだ)、しっかり室内楽協会はある。それなりの聴衆が居るのだろう、ローカル団体としては非常に活発に活動しており、ほぼ毎月演奏会があるばかりか、冬の終わりから春には「ハイデルベルクの春音楽祭」を開催し、過去数年はエベーヌQが監督を務めていた。筆者も、アルカディアQが優勝した前回のロンドン国際弦楽四重奏コンクールの後、エベーヌQと内田光子の共演を聴くために訪れ、この地の室内楽聴衆の層の厚さに吃驚したものだ。
 
次の週末は、この音楽協会の夏のスペシャル・イベントである。登場するのはベルギーのダネルQ。この団体、札幌の財団が独自に招聘を続けていたので、日本でも多少の認知はあるだろう。3人のダネル姉弟で結成され、1990年代前半から半ば頃に盛んに国際コンクールに挑戦していた、正にヘンシェルQと同じ世代だ。ヴィオラのお姉さんと弟たちというオリジナル構成が同じことからか、両団体はとても仲良しのようである。
 
ショスタコーヴィチの後半生に大きな影響を与え、ショスタコーヴィチからも大きな影響を受けた作曲家ヴァインベルクが17作遺した弦楽四重奏は、7、8、13番はボロディンQらがレパートリーに演奏したため知られてはいたものの、その全体像は未知のままだった。1997年に作曲者が没した後、ボロディンQとのショスタコーヴィチの勉強を通しショスタコーヴィチ夫人と知り合ったダネルQは、その盟友だったヴァインベルクに興味を持つ。ヴァインベルク夫人に紹介され、未出版の弦楽四重奏楽譜多数に辿り着く。ダネルQが、これらの作品を世に出すのが自らの使命と感じたのは、音楽家として当然であろう。10年もの時間をかけ楽譜を整理し、レジデンシィを務めるマンチェスター大学で2009年に世界初の全曲演奏会を敢行、録音も行った。
 
その直前の来日時にインタビューした筆者は、ダネルQのヴァインベルク全曲演奏に強く興味を持ったものの、残念ながら訪れることは成らなかった。今回、世界で2度目となる全曲演奏、それも3日間5コンサートで第1番から順番に演奏される壮大なイベントとなれば、これは出かけぬわけにいくまい。ヘンシェルQも、このイベントならしょうがないな、とそちらに向かうのを許してくれた次第。
 
 
ウラル山脈を越え白海上空、もうヨーロッパに入っている。目の前に出しっ放しにした飛行経路表示画面には、遥か南にモスクワという地名も見えてきた。ドイツの小さな、だが極めて内容の濃い室内楽フェスティバルの充実ぶりをご紹介するのは、次回の当稿とさせていただこう。何とか水曜日くらいまでには、時差をきっちり直さねば。

毎年7月始めの音楽祭で会場となるゼーリゲンシュタットの修道院。

第52回

当たり前の夏の音楽祭あれこれ

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版