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“無窮動”について、アドバイスを求めるメールが届いた。
「パガニーニの《無窮動》に挑戦しているのだが、
 楽譜はそれほど難しくないのに、最後まで弾き切ることができない。
 どう練習すればいいのか?」
 
実は、『無窮動』についての相談は少なくない。
 
―“無窮動”=常動曲 Perpetuum mobile(羅) moto perpetuo(伊)
「速く一定した音符、音型、動作が間断なく続く楽曲ないしは楽章」
 
ヴァイオリン界で、有名なものといえば、
先のパガニーニのop.11、ノヴァチェックの《常動曲》、
リムスキー=コルサコフ/ハイフェッツの《熊蜂の飛行》、
ラヴェルのヴァイオリンソナタの終楽章等々…。
 
タイトルにその名がなくても、実質orほぼ“無窮動”という曲は多く、
これに類するものは、『カプリス』や『エチュード』などにも数多存在する。
 
Perpetuum mobile → Perpetual motion=永久運動
「息継ぎの必要がない楽器」の得意演目であることは言うまでもない。
自然跳躍を弓の能力として持つヴァイオリン属は、さらに有利である。
音を出すのに余りパワーを必要としないことも、プラス要因であろうし、
(チェロなどに比べ)左手にも無理がなく、運動能力が高いという意味では、
もしかすると、ヴァイオリンが最も得意とする分野と言えるかもしれない。
 
ただ、それは、あくまでも「楽器として」という話。
弾き手の能力はまた別であって、これに泣かされる人も多い。
「指回りの速さ・器用さ」と「超高速ボウイング」、これらが、
持ち分に左右されるテクニックであることは、悲しくも現実である。
 
とはいえ、挑戦してみなければ、自分の『持ち分』は分からない。
「不器用だから」「歳だから」とすぐ諦めるのはなし、ということで。
 
時間と回数、努力と忍耐が必要なものであることも確かだから、
今から始めて、じっくり時間を掛けて、取り組んでみよう!
 
 
「素早く動く左手」…指の上下動だけでなく、
シフティングや弦の移行にも、スピードと正確性が求められる。
 
「細かく刻める右手」…ときに10音/秒を超える往復&上下動、
目にも留まらぬ弓のその動きは、まさに『熊蜂の飛行』。
 
しかし、問題は運動能力(の限界)だけだろうか。
指の回る回らない、弓のスピードの上がる上がらない、
そういった問題とは別の『何か』が、“無窮動”にはあるような気がする。
 
矢継ぎ早に出てくる、涙の訴え。
 
「ゆっくり弾いても最後まで到達しない」
…意味のない作業に対する心身の拒絶によるブレーキング。
 
「間違える場所が、いつまで経っても一定しない」
…指令が正しく送られていない。習慣化の不徹底。
 
「速く弾くと尋常でなくミスを連発する」
…スピードに慣れていない。指令系統の混乱。
 
「間違えていないのに停まってしまう」
…自身の動作を認識できていない。連結の不備。
 
「練習しても練習しても、ある速さ以上で弾けない」
…プロセスに無駄なものがある。スリム化不足。
 
「どうしても、一定の速さで弾けない」
…均等・均質な動作を獲得できていない。ビート感の欠如。
 
「最後までもたない」
…持続性の限界値が低い。心身の体力不足。
 
曇ったガラス窓の向こうにある『何か』。
まずは、曇りを拭き取らねば。
 
 
例えば、「音読して」と分厚い英語の本を渡される。英語は苦手だ。
義務教育は受けているから、単語はいくらか分かる。
簡単な文法も分かる。とはいえ、見た瞬間に理解できるほどではないから、
仕方なく、ひとつひとつ単語の意味を思い出しながら、音読を始める。
すぐには文章の意味が分からない、音読にも慣れていない。だから、
違うところで切って読んでしまったり、変な発音・抑揚で読んでしまったりする。
とてもじゃないが、最後までなんて読み切れない。
そんな状態でさらに、「速読して」などと言われようものなら…。
 
音読? “速読”の本に書いてあった内容を思い出す。
「『音読』を止めて『視読』にする」
「『心中発声』をしているとスピードが上がらない」
本を読むとき、多くは頭(心)の中で音読している。そうではなく、
「文字を見た瞬間に脳が反射的に理解できるように」なりましょうと。
 
ヴァイオリンに置き換えると、演奏の際、あるいは最中、
「頭で一つ一つ音(名)を読むな」ということになるだろうか。
 
音名で歌いながら、音名を思い浮かべながら、弾く。
早期教育で“新曲視唱”の訓練などを受けていると、
自然にそういう習慣が付いてしまうことがある。
(それが悪いというのではない。念のため)
 
“楽譜速読”という訓練もある。
渡された単旋律の楽譜を、拍子やリズム一切関係なく、
ただただ、音符を音名でできるだけ速く読むという課題だ。
もちろん、この訓練は、楽譜に慣れ、
「一音ずつ確実に正しくスピーディに音を拾う」ためのもので、
「早口で音名を読む」という目的で行うものではない。
 
“新曲視唱”もそうだが、こういうとき、音符は音名で読む。
当たり前というか、そうするしかない訳だが、
結果、「音符を音(名)を読む」ことが身体に叩き込まれる。
 
(ちなみに、速読する時はドイツ音名ではなく「ドレミ」だ。
「ツェー・デー・エー」…速読には向かない? 向かない)
 
 
ヴァイオリンを弾いているときには、今も昔も、
頭の中の音には、必ず“音名”がある。だから、
経験のないピッチの音や、名のない微分音に混乱することも少なくない。
(ピアノ弾きは、そういう苦労はない?)
自身の能力の弱点を知ってからは、対応もできるようになったが、
未だに音と音名は一体化していて、分離できるとも思えない。
 
ところが、大学で始めたヴィオラ、これを弾いているときは、
まったく、音読していないし、音名も浮かんでいない。
譜を見た瞬間に、指が「勝手に」そこに行く。
短期間でヴィオラ譜に慣れなければならなかった、その過程で、
ハ音記号を読むのが面倒臭かったのが、よかったらしい。
変則ピッチも微分音も何でも来い!である。
 
そして、ヴィオラの方が“初見”も“速弾き”も圧倒的に強い。
「音を読まず弾く」という力技が、結果的に、
無窮動的楽曲(フレーズ)の演奏を、楽にしている。
演奏後の疲れ方も違う。身体は疲れるが頭は疲れない、そんな。
 
ヴァイオリンとヴィオラ、自身の中でその違いに気付いたとき、
あぁと思った。
何が邪魔をし、何が枷になっていたのか。自分なりの結論を見る。
“無窮動”においては、プロセスのスリム化はとても重要なのだ。
 
楽譜を目で追っていては、全然間に合わない。
音を順に思い出しているようでもダメだ。
音名を読み上げていると、あるライン以上スピードは上がらない。
それは、人としての限界なのだ。
 
“無窮動”は特別なテクニックを擁している。
闇雲に突っ込み、無理やり引っ張り出していると、壊れる。
インプットとアウトプット、その内容とプロセスについて、
一度はちゃんと考えなければならない。
 
 
ドレドシドレミドレドシラソラシドレミファミソファミレ…。
 
ひらがなカタカナばかりの文章は読みにくい。
楽譜も同じだ。視覚で曲を読み取れないのは辛い。
 
楽譜の見た目が、読譜の邪魔をし、演奏を侵食することさえある。
同じ音符や音型が続くと、つい演奏が単調になるのには、
そんな、視覚からの影響も少なくない。
エチュードが音楽的に弾けない理由の一つでもある。
 
だから、白玉音符の多い楽曲と同じように、
“無窮動”もまた、弾き手の真の力量を暴露する。
バッハの無伴奏でさえ、機械的な演奏になってしまうことがある。
 
単純作業を続けていると、集中力が低下する。
(単純作業にしてしまっているのは自分なのだが…)
“無窮動”、音が取れてからの方が、ミスが多くなるのは、
単純作業のレベルにまで上がったという証拠でもある。
 
そうして、指導される。「曲の構成をつかんでこい」と。
そして、「フレーズを確認し、モチーフを取り出せ」
その次に、「パーツ毎に練習し、身体に叩き込め」
そうしたら、「できたら、パーツ同士を連結しろ」
…楽譜に在る音群、その意味を理解するための作業。
 
 
“無窮動” もう一つの課題が“運動能力アップ”だ。
 
指が回るようになった! 弓が速く弾けるようになった!と、
そこで安心してはいけない。大切なのは、その後なのだから。
 
持久力をつけるためには、当然、
そのためのトレーニングをしないとダメである。
 
テクニックの持続性 ― 見落とされがち、後回しにされがちな課題。
「一日に100回弾きなさい」「弾いて弾いて弾きまくれ!」
そう師が言うのには、正当な理由がある。
 
繋がった回路は簡単には切れないが、筋肉は使わなければすぐ落ちる。
訓練で作り上げた筋肉を落とさない努力もしなければならない。
 
プロ(プロを目指す人)の練習システムに、
メカニカルテクニックが導入されている理由の一つである。
 
 
“無窮動”が上手く弾けない、
その理由は、他にも幾つか考えられる。
身体的限界でもなく、学習不足でもない、とすると?
 
そう、道具だ。
 
弓のレスポンスが悪ければ、正直、“無窮動”は難しい。
切れない包丁で、キャベツの千切りを高速で行えというようなものだ。
 
弓そのものの能力。
“無窮動”の曲が、いつもスピッカートという訳ではないが、
よく跳ね、且つ、その跳躍をコントロールできる弓は強い味方だ。
 
弓の毛と松脂の状態も大切。
擦り切れていない毛、適切な松脂の塗布。
発音するのは一瞬、確実に音を発出できる接点を作るべし。
そうそう、弦に松脂がこびりついていても発音は悪くなる。
弦の周りに松脂の白い層を作ってしまわぬよう。
 
 
それやこれやで、必死に練習しているうちに、
気が付くと、すっかり忘れている。
この曲が、“楽曲”だったということを。
 
《無窮動》を得意とするプレーヤーは、
どや!どや!と、実に楽しそうに弾いている。
ああじゃなきゃ、いけないんだよな。
 
ふう。羨ましいったら、ありゃしない。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第67回 Brown bees buzzed busily beside the bluebells.

パガニーニ、メニューインのダンディな動画がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=dPRWshWq9E4&feature=kp

 

アルゼンチンの若手さんも凄いです。

https://www.youtube.com/watch?v=8wa4ny4xZAk

© 2014 by アッコルド出版

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