楽友協会ブラームス・ザールのロビーから、向かいの「芸術家の家」を眺める。さらに向こうにはカールス・プラッツが広がり、分離派館が鎮座する。ボヘミアの田舎から上京してきた若きマーラーが、学友となった天才少年ヴォルフらと共に連日眼にしていた風景がここにある。

press to zoom

リンク通りのポスター塔に張られた楽友協会もうひとつのレジデント団体、アルティスQのポスター。やはり黄金に輝く。

press to zoom

ヴィーン・コンツェルトハウスには、室内楽ホールとしてモーツァルト・ザールが設置されている。この写真の左手奥、冬場には隣にアイススケートリンクを眺める場所だ。コンツェルトハウスQはここのレジデンシィだった。

press to zoom

現在はレジデンシィと呼べる団体を持たないコンツェルトハウスには、主催公演で様々な団体が客演する。今月末にはフランスのエベーヌQが2日間演奏会を開く。

press to zoom

コンツェルトハウスの月間演奏会案内にはイギリスのベルチャQの名前も。

press to zoom

マイスル教室期待の逸材ミネッティQのポスター。夏の音楽祭でドイツの先輩ミンクェットQとの共演だ。

press to zoom

以下の写真は、クリック(タップ)すると、

拡大され、キャプションも出ます。

つい先程、サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデンでのキュッヒルQベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会が終わった。涙を流さんばかりに熱狂する人々の間に、目の前で起きていることをどう考えたら良いか判らず途方に暮れる顔が散在する、不思議な6日間だった。
 
ブルーローズでのこの特別な日々を乱暴に纏めてしまえば、要は「ライナー・キュッヒル氏とその音楽を愛する人達が集う小スペースに、ヴィーンフィルの首席奏者達を揃え、ベートーヴェンの弦楽四重奏の楽譜を次々と弾いてみる集まり」だった。過去にチェンバーミュージック・ガーデンで披露されてきたパシフィカ、ヘンシェル、ボロメーオら常設弦楽四重奏団がやろうとしていたこととは、まるで異なる。合奏がどうだ、音程がどうだ、バランスがどうだ、はたまた楽譜の解釈がどうだ、そんなことが気になってしまう者は無理に客席に留まる必要などない――そんな空間がそこにあった。
 
普段はクァルテットとしても倍以上のキャパシティがある空間で定期演奏会を行ない、オーケストラやオペラのコンサートマスターとして千人単位規模の大ホールで100人に迫る猛者達をリードする仕事をしているキュッヒル氏とすれば、満員とはいえサントリーホール・ブルーローズは例外的に小さな空間である。そんな場所で披露される音楽とは、パブリックなコンサートというより、極めて私的なサロンでのそれだったのだろう。
 
「これって、ヴィーンの伝統なの?」と筆者に尋ねる人もいた。かの街に特別の関心や思い入れがあるわけもない筆者とすれば、なんとも応えようがない。もう随分と昔になるモーツァルト没後2世紀の年にキュッヒル氏にインタヴューさせていただいた際、「モーツァルトに比べるとベートーヴェンは遥かに簡単です」と仰っていた意味が、今回のチクルスで少しだけ判ったような気はしたことは確かだけれど。
 
音楽の内容がどうあれ、少なくとも、このような形の室内楽もあるんですよね、とは言える。なにより興味深いのは、サントリー芸術財団がそれなりの規模の予算とマンパワーを投下し展開してきた「室内楽アカデミー」を無意味と断言しかねない音楽の在り方を、4年目となるCMGで敢えてぶつけてきたという事実だ。
 
室内楽とは、全ての音に意味があるよう解釈され、細部まで作り込み、響きやバランスを計算し尽くした再現…ばかりではない。突出した才能と豊富な経験を持つ長老(フレージング一点に絞れば、キュッヒル氏のパワーは疑いなく世界一だ)が、目の前の楽譜を音にし、いつも音楽をしている仲間がそれに応える。それも室内楽のひとつの在り方なのである。
 
そんなデモンストレーションを、2年間の勉強の日々を終えようとしているアカデミーのフェロー達はどう捉えれば良いのか。これもまた室内楽、と納得するのか。これは私のする室内楽ではない、と反発すべきなのか。
 
卒業の時は、新たな道の選択の時。それにしても、圧倒的な才能をバックにこんな無慈悲な選択肢を突きつけられるのは、「ヴィーン」の達人だけなのは確かだろう。
 
 
1976年にヴィーン楽友協会が主催する弦楽四重奏の定期演奏会を再開させるにあたり、20代半ばを過ぎたばかりの若きコンサートマスターが仕事仲間に選んだのは、伝統に従い、ヴィーンフィルの首席奏者達だった。それ以降、キュッヒルQ(日本では「ヴィーン・ムジークフェラインQ」なる名称で紹介された)は、最盛期にはシーズン中のほぼ毎月、弦楽四重奏を弾き続ける。古典から現代作品までありとあらゆる作品を演奏し、ベートーヴェンやモーツァルトだけでなく、ハイドンの60余曲の弦楽四重奏も完奏している。
 
意外かもしれないが、まるでオーケストラの定期演奏会のように弦楽四重奏を披露し続けた弦楽四重奏団は、世界にキュッヒルQの他はない。唯一匹敵する数の活動を行なったのは、上野の文化会館小ホールで月1回定期を敢行した最盛期の巌本真理Qくらいであろう。
 
所謂常設弦楽四重奏団は、シーズンに同一都市同一会場で5回程度以上の演奏会を開催するのはまずあり得ない。弦楽四重奏の楽譜をひとつずつ仕上げていけば、週の4日間を練習に充てるような団体にしても、そのくらいの数が限界なのだ。
 
キュッヒルQとは、そんな団体とはちょっと異なる存在なのである。第1ヴァイオリンにキュッヒル氏が座りさえすれば、それはキュッヒルQだ(かつてのヨアヒムQのように)。ヴィーンフィル及びヴィーン国立歌劇場の気鋭コンサートマスターが、弦楽四重奏の楽譜にどのように対処し、オペラ・オーケストラの僚友達がそれにどう対応するか。それこそがこの団体にとっての「室内楽」なのだ。そのような室内楽の在り方は、オペラが音楽生活の母体となっている都市に於いてひとつの伝統であり、確固たる文化なのである。
 
その意味で、キュッヒルQというアンサンブルは、「ヴィーンの伝統を今に伝える」団体であった。その音楽の内容が「伝統」に沿ったものなのかは、また別の話。ライナー・キュッヒルという天才少年の音楽が実は極めて先鋭的なものだったかもしれないのは、ここで語るべき話題ではなかろう。
 
キュッヒルQが活発に活動する頃、そんな「伝統」とはまるで違う弦楽四重奏も出現していた。楽友協会から電車通りを挟んで数百メートルのヴィーン・コンツェルトハウス、かつての音楽学校の隣のコンサートホールの小ホールたるモーツァルト・ザールで、アルバン・ベルクQが定期演奏会を始めたのである。20世紀最後の四半世紀、2つの全く異なる「室内楽」が、音楽の都の2大演奏会場で披露されることとなる。
 
そして21世紀になった。2008年、アルバン・ベルクQがその活動を終える。戦後直ぐの「ヴィーン的」なものを否定し、ヴィーンの足かせを脱することから始まった団体は、いつのまにかヴィーンを代表する世界一の弦楽四重奏団と信じられるようになっていた。
 
アルバン・ベルクQの音楽が「ヴィーン的」だったのかどうか、筆者には判らない。ただ、この団体の最期の演奏、オリンピック開幕を数週間後に控えた北京の国家大劇院音楽ホールで披露されたシューベルトの大ト長調四重奏曲第3楽章のトリオで、ピヒラー以下の楽師達は思いっきりヴィーンの訛りで喋っていた。最後の最期、誰も録音などしていないし、口五月蠅い評論家などいない、聴衆は弦楽四重奏に慣れているとはいえない北京の愛好家ばかり。そんな環境にして、ずっと封印してきたことをやってしまったのならば…やはりこの人達も「ヴィーン的」な音楽家だったのだろう。
 
そして今、ライナー・キュッヒル氏もヴィーン国立歌劇場のコンサートマスターとしての定年を来シーズンに控えている。キュッヒルQの活動が再来年のシーズン以降どうなるのか、寡聞にして筆者は知らない。
 
10数年前のことながら、筆者とのインタヴューでキュッヒル氏はこんな言葉を漏らしている。ベートーヴェン・チクルスを終えたところで、あらためて記しておく。
 
「とにかくヴィーンには、『私たちは伝統があって何でも知っている』というところがあります。これは今日ではとても危険です。ヴィーン以外の人たちの方がよりよい演奏をしていることはいくらでもありますから。おっと、もっとよく考え、口数を少なくしなければいけませんね(笑)。とにもかくにも、これで絶対大丈夫と思ってはいけない。自分らがやっているのが音楽のいちばん正しいやり方と思ってしまうのは、危険です。」(キュッヒル)
 
 
2014年現在、ヴィーン楽友協会は、楽友協会ホールのブラームス・ザールでふたつの弦楽四重奏団の公演を定期的に主催している。ひとつはキュッヒルQで、もうひとつはアルティスQ。両団体でほぼ毎月ひとつ弦楽四重奏の演奏会が担われる案配だ。日本でも教育者として知られるヴィーン音楽大学室内楽科主任教授のマイスルが第2ヴァイオリンに坐るアルティスQが、アルバン・ベルクQ以降の新たな潮流を継承する室内楽専門団体であることは、当媒体の読者ならよくご存じであろう。
 
アルバン・ベルクQの定期演奏会がなくなったコンツェルトハウスでは、世界中の著名団体が来演する室内楽シリーズが開催されている。アルノンクールのコンツェントゥス・ムジクスから誕生したモザイクQ、ザルツブルクのハーゲンQ、ベルリンで大人気のアルテミスQなどが定期的に客演し、ベルチャQ、パシフィカQ、エベーヌQなどの若手から中堅の実力派も頻繁に顔を出す。新ヴィーン楽派を中心に据えた初期アルバン・ベルクQを継承するような活動を展開するアーロンQや、カラヤン財団からの支援を受けていた若手有望株のミネッティQなども、主にこちらで演奏会を行なっている。
 
リンクの東、かつてラズモフスキー伯爵邸が建っていた辺りに、ヴィーン音楽大学がある。今もそこには、世界中の若者が室内楽を学ぶべく集っている。この先の「ヴィーンの室内楽」は、多分、今はそこにあるのだろう。
 
最後に、戦後ヴィーン室内楽の根っこを体験した岸邉百百雄翁の述懐を記し、ヴィーンの室内楽という大層なテーマを終わらせていただく。言うまでも無く、今のヴィーンフィルを作った音楽家のひとりが、ライナー・キュッヒル氏である。
 
「今のヴィーンフィルは、僕らの聴いていたヴィーンフィルとは全く違うと思うんですよ。機能的には凄く上手になりましたよ。そのかわり、昔のアンサンブルは、えもいわれぬ雰囲気はありました。ヴィーンじゃなければ絶対弾けないようなものがあった。それは今はヴィーンにもないし、アルバン・ベルクQだって、はっきり言って、かなり薄いですよ。僕は彼らが凄く好きで、上手だと思うけど、昔のバリリとか、コンツェルトハウスとか、ああいうクァルテットとは違う。」(岸邉)
 
ヴィーンは、ヴィーン。

ヴィーン楽友協会ホール。この写真の手前、正面左側上にキュッヒルQが定期演奏会を行なうブラームスザールがある。

第51回

ヴィーンで室内楽をするということ

その3:ヴィーンの室内楽の今

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版