エンリコ・オノフリの

バロックの正体

世界の古楽界を牽引してきた
イタリアのバロック・ヴァイオリニスト、
また昨今では指揮者としても活躍する
エンリコ・オノフリさんに、
バロック・ヴァイオリンの詳細な奏法、
そして彼の音楽哲学等を語っていただいく。
 
バロック奏法に関して、
従来の考え方やイメージとは、
大きく異なる部分があって、
改めて考えさせられる話を展開。
(取材協力:ヴァイオリニスト杉田せつ子さん)

第5

バロック音楽の奏法

再びヴィブラートについて

バロック奏法は多種多様
 
国の違いだけでなく、
同じイタリアの中でも、
1700年代において、
ジェミニアーニ、
ヴィヴァルディ、
タルティーニ
といったヴァイオリニストたちがいましたが、
彼ら三人だけを見ても、
それぞれ全く違った演奏法を持っていました。
 
ともすると現代の私たちは、
古楽に関してスタンダードな
単一的な演奏法を探そうとしていますが、
現実の歴史の中では、
非常にヴァラエティがあって、
いろいろな奏法が、
当時存在していたわけです。
 
たくさんの奏法が古楽にはあります。
そのそれぞれに価値があるわけです。
つまり特徴がそれぞれ異なる、
ということなわけですね。
 
例えば
私個人的には
ヴィブラートはあまりかけません。
全体的には使わないのですが、
必要な時は使います。
表現したい『アフェット』、
つまり情感に応じて
他の装飾音と同じように
ヴィブラートは使うべきものだ
と思っています。
 
それにしても、
ヴィブラートに関しては
非常に大きな誤解があります。
例えば、時代を経るに従って、
ヴィブラートがどんどん強くなった
と多くの方が思っていますが、
それは大変な間違いです。
 
実際には、
何世紀にも亘ってヨーロッパでは
ヴィブラートが使われていました。
しかもそれはいろいろなやり方の
ヴィブラートが使われていました。
時代によっても違いますし、
場所によっても違います。
 
意外に思われるかもしれませんが、
一番ヴィブラートが使われていたのは、
1600年代の終わり頃から1700年代の初めの頃です。
逆に最もヴィブラートが使われていなかったのは、
1700年代の終わり頃から1800年代の始めの頃です。
 
1700年代の終わり頃に出された
ヴァイオリンに関する文献には
『かつてやっていたように、
いつでもヴィブラートをかける
ということをやっていけない』
ということが書かれています。
 
さらに
意外に思われるかもしれませんが、
ベートーヴェンのシンフォニーは、
ヴィヴァルディのコンチェルトよりも
ヴィブラートが少なかったのです。
 
1700年代の冒頭で
ヴィブラートがよく使われていた時代においても、
いろいろな意見がすでにありました。
ヴィブラートはかけない、
という意見もありました。
 
タルティーニの文献の中では、
タルティーニは
ヴィブラートはなるべく少なくしなければいけない、
と書いています。
限られた音符でしかやってはいけない、
と書いています。
 
一方でジェミニアーニは、
全部の音符にヴィブラートを
かけなければいけない場合がある、
と書いています。
 
私の意見としては、
過去のヴィブラートと
現代のヴィブラートとの
最も大きな違いは、
以下のようなことだと思います。
 
つまり
現代楽器においては、
ヴァイオリンにしてもチェロにしても、
ヴィブラートというのは、
楽器そのものに備わっている一つの自然な特徴です。
 
一方で古楽やバロックでは、
ヴィブラートというのは、
意識された意図的な装飾なわけです。
つまり本質ではなくて、
付属のものなわけです。
 
従って
同じヴィヴァルディの曲を
モダン奏者と古楽奏者が
同じように全部の音をヴィブラートしたら、
聴いた感じとしては
表面的には同じなのですが、
ヴィブラートの意味が違うので、
音楽としては
違うものが聞こえて来るでしょう。
 
つまり、古楽奏者にとっては、
ヴィブラートは追加するものである、
ということです。
現代奏者にとっては最初からあるものです。
 
大自然から得られるテンポ感
ルバート
 
私は、
多くの音楽家とは
ちょっと違った生き方を選んでいます。
自然と触れ合えるところで生活しています。
音楽家としてやっていくうえで、
自然と一緒に生きるということは、
とても大きなことです。
 
過去の音楽に対する見方に関しても、
ちょっと違った見方を
与えてくれているのではないか、
と思います。
 
当時の音楽家達は、
勿論、都市に住んでいたわけですが、
現代と比べれば、
非常に自然に近いところにいたと思います。
 
現代的なテクノロジーのない世界で、
何が良くて何が美しくて、何が良くないのか……
そういったことを肌で感じていたわけです。
ですから私は、
音楽を深く知るために
自然に近いところで生活する道を選びました。
 
具体的には、
自然の中で流れている時間
というものを理解し始めたときに、
音楽に於けるテンポの考え方が
非常に変わってきました。
 
自然の中にも、
規則的なテンポ、
メトロノーム的なテンポ
というものがあります。
 
自然の中の時間で
一番印象的なのは、
流れている時間が
非常に厳格なものであるということです。
 
従って厳格さというのは、
あらゆる可能性の中の一つの選択肢である、
ということが分かりました。
勿論、音楽は数学に基づいていますから、
そこにはある種の規則性が元々あるわけですが、
にもかかわらず厳格なテンポというのは、
一つの選択肢でした。
 
そしてルバートに関してですが、
規則的なテンポの中でのルバートというものが、
私の助けになります。
 
例えば、
雲が風に乗って動いていく、
その一方で太陽は
非常に規則的な時間の流れに沿って動いていく。
そういう自然の摂理が
ルバートを演奏する上でのヒント、
助けになりました。
規則的な動き、
不規則的な動き、
その両方が結ぶ合うことに
非常に深いものを感じます。
 
モーツァルトは
『左手のテンポ、
動きは、右手を知っていてはいけない。
左手は
右手をやっていることを知っていてはいけない』
と言っています。
 
左手は、
規則的な太陽の流れで、
右手は雲である、
ということをモーツァルトは言っているわけです。
不規則なテンポと
規則的なテンポの同時性というものを、
私は、自分の演奏だけでなく、
オーケストラの中でも探しています。

Enrico Onofri    エンリコ・オノフリ

イタリアの ヴァイオリニスト、指揮者。

オノフリは画家の父、アンティークに造詣が深い母を持ち、リコーダー、合唱などに幼い頃から接する。14歳でヴァイオリンを始めて直ぐにバロック・ヴァイオリンと出会い、その後ミラノの音楽院にて学ぶ。

 

在学中より、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス等に参加し、古楽に関する知識を深めた。その後、彼の類い稀なる音楽性と、高度な技術力がたちまちの内に話題になり、22歳の時にJ.サヴァールにコンサート・マスターとして招聘される。

 

1987年(当時20歳)より、イル・ジャルディーノ・アルモニコ(以下IGA)のコンサートマスターを務めており、その後のバロック音楽シーンに多大な影響を与えた名盤として名高いIGAとの「ヴィヴァルディの四季」の録音は、彼が26歳の時に録音されている。

 

2005年よりポルトガルの古楽団体「ディヴィーノ・ソスピーロ」の首席指揮者となる。近年、指揮者、ヴァイオリニストとしての客演のオファーが多数あり、ラ・カペラ・レイアル(スペイン)、ベルリン古楽アカデミー(ドイツ)など、欧州各国の主要団体に頻繁に客演している。 また多数のCD録音に参加しており、前述の「四季」では欧州の多数の主要な賞を獲得し、C.バルトリと共演したアルバムではIGAとしてグラミー賞も獲得している。自身のアンサンブル「イマジナリウム」のCDでは、欧州の主要音楽雑誌において絶賛された。

 

2006年、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン来日以降、日本での公演もたびたび行なっている。

 

エンリコ・オノフリ バロック・ヴァイオリン・リサイタル

6月7日(土)17時 上野学園・石橋メモリアルホール

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