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先週の火曜日からまるまる1週間の戦いとお祭りの日々が終わった。チーフカメラマンが選んだ本日の1枚は直球勝負、優勝者たちの喜びの顔である。ちょっとおすましだったり、喜びが表に出てしまわぬよう押さえ込む風だったり。
 
オマケの1枚の、いずみホール舞台上のフェスタ優勝団体「ダス・クライネ・ヴィーン・トリオ」は、まだ何が起きたかよくわからないまま、とにもかくにもさっきまでの空気の延長で、反射的にポーズを取っているのかしら。記者会見を終え、パーティを終え、宿の宿舎で朝を迎えた頃に、事の重大さに気が付くのだろう。
 
大阪初夏の陣は終わった。これら10の笑顔の向こうには、遥かに沢山の泣き顔や、しかめっ面がある。そのことを忘れないためにも、笑ってもいい奴らは思いっきり笑ってくれたまえ。3年なんて、直ぐにやってくる。
 
おっと、このレポートの最後に、フェスタの結果も記しておかねばなるまい。
 
◆メニューイン金賞:ダス・クライネ・ヴィーン・トリオ
◆銀賞:カリヨン
◆銅賞:打楽器集団「男群」
 
1次予選の時点では、今回は例年になく票が散らばり、僅差だったという。本選ではどうだったのか、今の次点で発表はない。記者会見で、日下部審査委員長が反省の言葉ばかりを漏らすのが、なにやら妙に印象的であった。
 
 
「ダス・クライネ・ヴィーン・トリオ」のフィドルふたりがモンティとブラームスのバトルを繰り広げ、いずみホールの客席を大いに沸かせる瞬間を、筆者は事務所脇控え室のモニターで眺めていた。
 
長い長い室内楽の日々を締め括る演奏をそんな風に眺めるなどとは想像だにしていなかったけれど、この時間なら作曲家西村朗氏が昨日演奏された自作の弦楽四重奏曲第2番《光の波》の演奏について語れるとなれば、何を置いても駆けつけねばなるまい。
 
大会が開催される都市の現役作曲家の作品がコンクール課題曲になるのは、さほど珍しいことではない。作曲家西村朗氏は、いずみホールから徒歩圏で生まれ育った。藝大学生として上京した後、実家に帰省したら大阪ビジネスパークの高層ビルが立ち並んでいるのに腰を抜かしたという。
 
だが、今回の第1部門の課題曲は、地元の作曲家の楽譜だから選ばれたわけではない。世界の若い音楽家達に貴重な時間を費やさせるに値する作品を事務局スタッフや審査委員長が探した結果、たまたま選ばれた曲の作曲家が地元出身者だっただけのことだ。
 
西村氏に、前夜の経験を語っていただいた。いろいろなことがあったコンクールのレポートを締め括るに相応しい…というわけにはいかないけれど、作曲家がコンクールという特殊な会場で経験したことの記録として、インタビューのほぼ全文をノーカットで掲載させていただく。些か読みにくいかもしれないが、じっくり読む価値がある発言だ。

フェスタ結果&

西村朗インタビュー

ライヴストリーミング

http://www.ustream.tv/channel/the-8th

第8回大阪国際室内楽コンクール&フェスタ

大阪初夏の陣 〈10〉

音楽ジャーナリスト 渡辺 和

INDEX

以下の写真は、クリック(タップ)すると、

拡大され、キャプションも出ます。

受賞者達

(写真:日本室内楽振興財団チーフ・フォトグラファー:栗山主税)

コンクールチーフカメラマンの

今日の1枚

披露演奏会
 
5月21日14:00~16:30(第1部)
5月21日19:00~21:30(第2部)
西村 朗(作曲家)
私の知っている限り、この曲がコンクールで弾かれるのは初めてで、その場に居たのも初めてです。非常に珍しい経験でした。作曲は今から20年以上前になります。初演はアルディッティ弦楽四重奏団(以下Q)。
 
勿論、アルディッティはこの曲を何度も演奏してくれており、彼ら以外の団体もいくつか演奏している。ただ、同じ日に別の団体が演奏するということではない。
 
1日で、3つの異なる団体が、コンクールという環境で、高いクオリティによって弾かれる。ある意味では能力を競う競争の場でもあるから普通よりも高いテンションですよね。
 
エキサイティングなコンクール本選のステージで、3つの非常にレベルの高いグループが私の曲を続けて演奏し、私がそれを聴くという機会は、作曲家に大きな影響を与えるものだと思いました。3団体それぞれに、私の作品の理解のために非常に独特の努力をなさって下さった。
 
(演奏者に対して事前に)ノーコメントでした。作った人間ですから、私なりに作品の理解はあるわけです。その作品の持っている色々な要素というか、キャラクターというか、それらに関して作曲家には期待していることもあるわけです。作った側からの期待ですね。
 
ただ、演奏家から見たときに、これがこの作品にとって大事なところだという理解は、彼ら自身のアイデアに拠るわけです。このことによって、作曲家自身が気付かなかった性格や表現の可能性を、作曲家が期待したよりもっと広い範囲で彼らが発見し、そこに向かって努力してくれたことに対し、大変に感謝します。
 
僕はあの曲を充分良く知っているものだから(笑)、それがどういう骨格を持っていて、どういう肉付けを持っていて、どういう基本的性格なのかは良く判っている。ひとつの人物としての作品がどういう人と出会おうが、その人物が反応する範囲は想定できます。基本的には予想されている範囲でした。
 
新たな対話が生まれているということでは、非常に感動することがありました。私の作品と、弾く彼らの意欲との会話がある。その会話が、私が予測しないところまで発展しているところはありました。ただしそれは私から見て理解不能な会話ではない。新たな会話、新たなドラマは作り出されているとは思うけど、基本的な筋立ては変わっていない。ただ、それはとてもハイレベルだから成り立つ会話です。明らかなミステイクとか、誤解とかはない。
 
例えば、この作品の2つのキャラクターについて言うと、ひとつはリズムのアンサンブルです。従来の弦楽四重奏団に求められているリズムのアンサンブルより、遥かに高度なアンサンブルが要求されています。
 
そのアンサンブルをどう実現するかという意味では、リズミカルな部分のテクニックの在り方で、3つの団体は工夫があったと思います。いつも第1ヴァイオリンがリードしていくというより、細かい部分でリーダーが変化していかなければならない。
 
例えば第2楽章のホケトゥスになる部分の直前に、ヴィオラのソロがあります。タン・タン・タン、ってそこだけ一瞬リズムがちょっと短くなる。このテンションで、次を呼び込むことができる。そういうところでヴィオラがどういう働きをするか。そのヴィオラを受け止めるのは第1ヴァイオリン、そことの関係はどうなっているのか。3団体とも独特の工夫がありました。
 
それが第2楽章においては、非常に大きな演奏の違いを生みます。実は、この技術的な部分は、相当な工夫がないと上手くいきません。弦楽器というのは弓で弾く、ピチカートで弾く、それに譜面をめくらなければならない。いろんな中で、ノリが変化したり、遮られたりすることが頻繁に起こってくるのです。ひとつのノリではない。
 
特に全員がピチカートになる瞬間、ここはもの凄い難所なのです。日本の多くの弦楽四重奏団もあの曲をチャレンジしましたけど、殆どの場合そこで引っかかる。もしも誰かがそこで間違えると、もう修正不可能です。誰が正しいかも判らない。3団体のなかには、ちょっとアブナイ団体もあった。
 
でも、そのときにどう建て直すかが計画されていたと思います。リズム的なアンサンブルに関しては、できるかできないか、努力目標がはっきりしているのです。これも非常にハイレベルなことで。古いタイプの弦楽四重奏団では、ああいうリズムのアンサンブルはできません。カンタービレで歌いすぎてしまう(笑)。リズムよりも、パルスのセンス。それがひとつの課題だった。
 
もうひとつは音色です。特に第1楽章の後半の部分は、弦楽器は弓と弦の当たりの状態によって、ノイズみたいなサウンドを(作る)。ノイズと言ってもうるさいノイズではなくて、ミステリアスなノイズです。それを作るには、音色に対するイマジネーションがないとできない。でも、過剰に作りすぎても良くない。余りにスタティックでもまたいけない。それをどうするか、3団体でまるで違っていましたね。
 
それから、音色を作っていく変化の頂点を、ちゃんと作っているかどうか。音色の呼吸というんですかね。音色の呼吸がないと、音色によって生き物を作り出せないんです。単なるアトモスフェアになっちゃう。そういうことに凄く敏感に反応できるアルディッティQの音色づくりを最初に想定して書いていたので。彼らなら、こう書いておけばこうできる、って(笑)。
 
簡単に昨日の感想をいうと、3つの団体それぞれに凄く素晴らしいと思ったところがあります。だから、どれが1位であるとか2位であるとか、あまり感じていません。
 
最初にヴァスムートQが弾いたときに、素晴らしい演奏だと思いました。非常にフォルムがはっきりしていて、最初から最後まで演奏による設計が良くできている。第1ヴァイオリンの強いリーダーシップで、非常にテンションが非常に高い。あれはあれで立派な演奏だったと思います。
 
2番目に弾いたルーマニアのアルカディアQは、特に僕の持っているアジア的な面が出ていた。音のグリッサンドの部分とか、メロディアスな部分とか、音色の作り方を含めて、ヨーロッパから見たエキゾティズムがあった。作品に対し、詩的な共感度が一番高かった。コンストラクションに関してはアメリカの団体。フィーリングについてはルーマニア。
 
女性が第1ヴァイオリンでしょ、そうすると、フォームを作る上では、アメリカやイギリスのクァルテットで男性がガンガン弾いていたようなものがないんです。それがないときに、アンサンブルがどういうフォームのしなやかさに変わっていくか。1拍目が1拍目でなくてもいい、逆転が起こる。その面白さを感じ、ああこれは全然予想していなかった。
 
最初はちょっと戸惑ったのです。戸惑ったんだけど、ああこういう対話もありかな、って。だから、最初のモデルケースに近いような団体のあとに、かなり特徴が有るキャラクターが強い団体が来て、ああこれもあるのか、と思いました。やっぱり、自分の作品でありながらも、ひとつの作品にはいろんな顔があって、発見されていく。
 
3番目のカヴァレッリQは、僕が作品をアイデアとして持ったときに最も近いのがあの演奏団体でした。アーヴィン・アルディッティみたいな凄く強いリーダーがいて、バランスも良かった。ただ、細部に於いては、アメリカの団体が計画したような精度はない。時々破綻しているんです。破綻しているんだけども、もし僕が、あの3つの団体のひとつを僕のレジデントにして持つとしたら、いちばん自分のものを作って貰いやすいのは3番目の団体かな。僕が要求しやすい。多分、こうやってくれ、と言ったら直ぐにそうなるんじゃないか。そういう表現のパワーが、余力がいっぱいある。
 
そんなことわずか3時間で経験出来た。しかもその間に歴史的な傑作が並んでいる。それでまた反省材料があるわけですよ(笑)。僕にとっては、とてもエポックな経験でしたね。
(作曲家 西村朗)

© 2014 by アッコルド出版

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