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ヴァイオリンに触れてさえいられれば幸せ!という人も。
練習が楽しくて楽しくて!という人も。
仲間と一緒に演奏している時間が最高!という人も。
この曲が弾ければ思い残すことはない!という人も。
弾くことは仕事でしかないと思っている人でさえも。
ひとたびヴァイオリンを手にすれば、
「(早く)弾けるようになりたい」「(早く)上手になりたい」と、
誰しもが、少なからず、そう心の中で思う。
「弾けるようになる」「上手になる」という目標は、
なぜか絶対的なものである。
そもそも、「弾ける」というのは、
どういう状態を、指しているのだろう?
「上手になる」というのはどういうことなのか?
・指が思い通りに回るようになること
・ヴィブラートが掛けられるようになること
・ミスなく弾けるようになること
・いい音で弾けるようになること
エトセトラ・エトセトラ。
上手になるための一歩は、人それぞれ。
どれから始めて、どう進めるか、実に悩ましい。
ある程度「弾ける」ようになってくると、
上達速度が落ちたり、壁にぶつかったりして、
また、悩む。
加えて、アンサンブルやオーケストラに参加した人は、
「ただ『弾ける』だけではダメらしい」ということを知る。
「指揮者を(コンマス)を見て!」「タイミングを合わせて!」
「弓を合わせて!」「弾き方を合わせて!」「音色を合わせて!」
ああ、もう!
こうして、引き出しの少なさを実感。
そういえば、しばらく中身の整理もしていない…なんて独りごちる。
☆
楽器や演奏に関連した用語に、
「鳴る」「鳴らす」という言葉がある。
「楽器がよく鳴っている」「楽器の鳴らし方が上手い」
似たような意味合いで使うものに、
「響く」「響かせる」という言葉がある。
「響きのよい楽器だ」「よく楽器が響いている」
「飛ぶ」というのも、これに類するのものかもしれない。
「(会場の隅まで)音がよく飛ぶ」「この楽器は全然音が飛ばない」
「音が太い」「音の幅が広い」といった言葉もある。
「豊かな音」「よく溶ける音」…これも、このグループに入る言葉だろうか。
ちなみに、この場合の対義的用語として使われるものは、
「線が細い」「貧弱」「溶けない」「カサカサしている」などである。
これらに共通するのは、『音色』に関する用語ではなく、
『音質』に関する用語だということだ。
現場では、混在・混乱していることが少なくない。
例えば。
「いい音で弾いて」という。
すると、ヴィブラートを掛けて、なんとかしようとする。
「楽器を響かせて」という。
すると、弓に圧力を掛けたり勢いよく弾いたりして、なんとかしようとする。
こう言ってみる。
「ノン・ヴィブラートでいい音を出して」
「P(ピアノ)で、楽器を響かせて」
そこで、はたと気付く。
何か思い違いをしていた?
考える。
「いい音」って? 「響かせる」って?
表情とは関係ない。音量とも関係ない。いわゆる音色でもない。
そして思う。
あれ、どうすればいいんだろう?
☆
― 音色(ねいろ)
「音の聞こえ方の総称」
「音の質を表現するために用いられる用語」
「人間が音を区別して 感ずることができるための音の属性の一つ」
「発音体の違いあるいは同じ発音体でも音の出し方 によって生じる音の感覚的な特性」
『音色』は業界によって定義が違い、
使い手やシチュエーションによっても、微妙に意味が違う。
どの意味で使われているかが判断しにくい、捉えどころのない言葉だ。
これをどう定義するかという問題はさておき、
ここで考えてみたいのは、『音質』の方。
― 音色には好き嫌いがあるが、音質に関しては概ね評価が同一となる。
「鳴らない楽器の方がいい」「響かない楽器の方がいい」
「音は貧弱でいい」「溶けない音でいい」
「ギーギー・ガーガー・ガサガサ・カサカサの音でいい」
そう思う人は少ないはずだ。
ヴァイオリンの音、そのまずあるべき姿。
すべては、弦の振動から始まる。
音の“質”を決める、安定した弦の振動。
ゆっくりと、ロングトーンを弾いてみる。
じっと、弦の様子を見る。
一定に弾いているつもりなのに、弦の振動が変に揺らいでいたりする。
そう思って耳に集中すると、
思っているよりずっと、音が安定していないことに気付く。
悪いのは、弾き方? 弓? 弓の毛? 松脂?
それとも弦そのもの?
☆
小さい頃、不思議に思っていた。
一方向にしか弓を動かしていないのに、
なぜ弦が震えるのか…ずっと震えていられるのか。
― “くっつき-すべりstick-slip” (可愛らしい名前だ)
「摩擦面間に生ずる微視的な摩擦面の付着、滑りの繰り返しによって引き起こされる自励振動のこと」
例えば、黒板にチョークで線を引くときに出るキィーっという嫌な音。
例えば、自動車のブレーキの際に生じるブレーキ鳴き。
例えば、グラスハープの音。
ヴァイオリンの弦の発振を決める3つのファクター。
「擦弦位置」「擦弦速度」「擦弦力=弓圧」
そこに大前提としてある“摩擦”。
ヴァイオリンの秘密の鍵は、“松脂”だった。
そう、松脂がなければ、ヴァイオリンは音が出ないのだ。
ならば、演奏するまでの行動で、一番重要なのは、
「松脂を塗る作業」ということになる。
松脂を塗らないと音は出ない、それは十分に経験している。
・毛替えしたばかりで、松脂を塗っていない弓。
・松脂を塗り忘れがちな、弓の先の端&元の端。
・指が触れて油が付き、松脂が乗らなくなった毛の部分。
弦を振動させるための“松脂”。
松脂を正しく乗せるための“弓の毛”。
弓の毛に値段の差がある理由が分かる。
「毛替えをしなさい」と注意される理由が分かる。
最初に、松脂の塗り方を指導される理由も分かる。
松脂の表面が平らな理由、欠けた松脂で塗ってはいけない理由も分かる。
☆
当然ながら、松脂なら何でもいいという訳ではないし、
ただ、闇雲に塗ればいいというものでもない。
「塗り過ぎたら、音がガビガビになった」
「コントラバスの松脂を塗って弾いたら、弦が変な風にブリブリ跳ねた」
「本物の松脂を採ってきて塗ってみたらベトベトになった」
衝撃だったのが、ある独学初心者の体験談。
「『松脂をつける』と書いてあったので、鍋で松脂を溶かし、弓の毛を漬けたら白く粉が吹いたようになり、ゴワゴワになって使い物にならなくなった」
人間、知らないと何をするか分からない…。
塗り方を聞かれることがある。
弓の毛を松脂の平らな面にピッタリ付けて、
きっちり先から元まで、2~3往復塗る。
足りなければ足すという風にしておけば間違いない。
料理の味付けと一緒で、薄目からということで。
塗った後、試し弾きをして、
感触を確かめる習慣はつけておくとよいかもしれない。
「先から元まで万遍なく適量」を心掛けていれば、
いずれ、そのときに塗ればよい量が自然に掴めるようになる。
時折見かける「ガシガシ塗り」は、塗った量が分からなくなるし、
松脂の層に濃い薄いが出る可能性があるのでお勧めしない。
松脂の乗りや、その後の状態は、
その時の弓の毛の磨耗度、その日の天候や環境、使い方などで変わる。
しかし、人は微妙な差に対応できる能力は持っている。
足りなくなったときには、塗り足せばよいのだから、
それほど神経質になる必要はない。
市販されている有名どころの松脂なら、質的にはまず問題ない。
ただ、弓と、弓の毛と、弦との相性があることは確かだ。
以前は何も考えず、松脂一つで済ませていた。
しかし、集めて使ってみれば、製品ごとにかなり差があることを知る。
季節ごとに替える人もいるし、ブレンドしている人もいるから、
方向さえ間違えなければ、楽しみのひとつにもなるだろう。
ちなみに、買ったばかりの松脂、
表面があまりにツルツルで松脂が付かないときは、
目の細かいサンドペーパーで数回表面をこするとよい。
「カッターで表面を傷付け」という記述を見たが、これはあまり薦めない。
音質を高めるボウイング練習の代表は、ロングトーンである。
松脂の量が適量かどうかも、これで確認できる。
弓の毛の状態も、分かる。
弾いているうちに、みるみる引っ掛かりが悪くなったり、
しっかり塗ったはずなのに、最初から音が出ないときは、
弓の毛の表面が磨耗しているのだと考えられる。
そう、取り敢えず、開放弦のロングトーンをお試しあれ。
☆
老夫婦が、小さな女の子を連れて散歩していた。
お孫さんと思われるその女の子が、とことことある樹の傍に行き、
目の前にある葉をむしると、「へんな はっぱ」と言う。
おじいちゃんが腰を屈め、説明を始めた。
「この木は『アスナロ』っていう木でね」
「『あしたはヒノキになろう』って一生懸命努力しているから、そういう名前が付いたって言われているんだよ」
その話は、聞いたことがある。
そして、女の子に聞かせるでもなく続いた言葉に、耳が吸い寄せられた。
「でも『アスナロ』の枝や葉っぱは、ヒノキより大きいんだけどね」
そうなのか…。
ヒノキになりたくても決してなれない悲しい樹…。
「あすは檜の木、この世に近くもみえきこえず。御獄にまうでて帰りたる人などの持て来める、枝さしなどは、いと手触れにくげに荒くましけれど、なにの心ありて、あすは檜の木とつけけむ。あぢきなきかねごとなりや。誰に頼めたるにかと思ふに、聞かまほしくをかし。」~清少納言『枕草子』第40段
「あすは檜の木とかや、谷の老木の言へる事あり。昨日は夢と過ぎて、 明日は未だ来たらず。ただ生前一樽の楽しみの外に、明日は明日はと言ひ暮して、終に賢者のそしりをうけぬ。」~ 松尾芭蕉『笈日記』
「上手になる」…その原点を見失っていないだろうか。
「あのぉ、弦の振動がよく見えないんですけど」
見えないのは、弦の振動だけではないのかもしれない。
素材としての“音”。
目の前でフルフル震える弦を見ると、
楽器が生きているような気がする。
それは、自身が吹き込んだ生命の一部でもある。
弦を、楽器を振動させることに、意識を集中してみる。
あれ? 結構、いい音が出るかも。
ヒノキに憧れるアスナロでいいかなとも思う今日である。
「まあ俺たちはスプルースとメイプルだけどね」byヴァイオリン。
ヴァイオリン弾きの手帖
ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃
第61回 日は花に暮てさびしやあすならふ
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