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コンクール公式チーフカメラマン栗山主税氏が選ぶ今日の1枚は、本日の主役が登場。そう、いずみホールのステージの真ん中に据えられ、総計11名のピアニストの異なるタッチを受け止め続けた、スタインウェイ・コンサートグランドである。本当にお疲れ様でした。

 

午前9時半に始まり、昼休み1時間20分と途中数回の15分休憩を挟みつつ、全ての参加者の音が鳴り終わったのが午後9時58分。堤審査委員長やパスカル・ロジェ氏ら審査員を除けば、最初から最後まで聴いた聴衆は20名ほどだろうか。

 

結果発表に立ち会うために集まり始めた参加者とロビーで鉢合わせた聴衆達は、「ヴァーグナーのオペラが2本まるまる聴けるぞ」と自分らの忍耐力に呆れている。結果発表前に舞台上で審査員らの労をねぎらった堤審査委員長も「コンクール審査員の組合があれば、確実に提訴されていることでしょう」と苦笑するが、いや、実際、冗談では済まないかも。なにせ数年前に、世界コンクール連盟が1日の審査時間を制限する通達を出しているのだ。ストリーミングで世界に聴かせてしまったが、これ、ジュネーヴ本部に伝わったら大阪コンクール事務局、叱られるんじゃないかしら。

 

なんだか大阪いずみホールに住んでいるような気さえしてくる昨日来だが、とにもかくにも、コンクール部門の1次予選は無事終了。深夜10時半過ぎには結果も発表された。ストリーミングでお聴きの読者諸氏も、余りの水準の高さに腰を抜かしたのではあるまいか。今年の大阪は歴史に残る程のレベルの高さで、こんなコンクールやってしまって大丈夫なのかしら。

 

 

昨日同様、会場の空気を演奏順に。正直に言うと、筆者は国際コンクール水準でのピアノ四重奏の審査ポイントや楽譜解釈上の諸注意など、全く無知である。以下は演奏批評ではなく、あくまでも演奏に接しての感想に過ぎない。ライブストリーミングと会場との感覚の違いがあるものなのか、そのご参考までに。筆者にも大いに興味があるところだ。

 

最初に登場したミュンヘンのトリオ・アドルノ。このコンクール、どこをどうひっくり返しても会場で本番ピアノを用いた練習の時間がない。いきなり触れたピアノでコンクール水準の演奏をしろというのだから、過酷この上ない。実際、ピアノは用いない昨日のクァルテットでも、会場の音響空間に足をすくわれた団体があった。どうなることやら、聴衆としてもちょっと心配だったが、ハイドンの最初のピアノのテーマからルバートしたり、かなり自在に振る舞っている。ピチカートの弦とピアノのバランスもいきなりなのに問題は無いのは流石だ。現代のモダンピアノによる古典の再現をきちんと行なう品の良い音楽が展開される。続くショスタコーヴィチも、難曲を充分に余裕ある再現で乗り切った。

 

フレックス・アンサンブルはピアノ四重奏団。モーツァルトのK.493ではコロコロしたロココ風の響きが作れるピアノが印象的だった。コンクールだからどうというよりも、朝から楽しい音楽を聴かせてくれてありがとう御座いました、という感じ。本日唯一披露されたスークの作品1も素敵な音楽。客席のカナダ人評論家氏、「良い曲じゃないの、マーラーのピアノ四重奏なんてやるならこの曲を弾くべきだ」と宣っておりました。

 

スイスのメデーア・トリオは、大名曲《ドゥムキー》で勝負してきた。その前に披露されたベートーヴェン作品1の3は、ハ短調という調性から期待される後のこの作曲家のしかめっ面をイメージするか、若者の奔放な創作力を重視するか、説得力のある全体像を提示するのは極めて難しい。《ドゥムキー》も名曲ではあるが、純粋な音楽作品としての意味で万人を納得させる演奏をするのは案外と困難な楽譜である。熱演を聴きながら、コンクールの選曲は難しいと思わされた次第。

 

ミュンヘンでは本当に無念の涙を呑んだトリオ・ラファール、満を侍しての大阪登場に選んだのは、まずはベートーヴェンの作品70の1だ。初期作品を避け、ある程度ピアノの表現力が熟してからの作品を選択したのは賢かったろう。続くショスタコーヴィチは、楽譜の隅々まで完璧に指示通りに再現しつつ(唯一、fがffに近くなったと思わされた箇所があったが、その先の長いディミヌエンドを考慮すると極めて現実的な選択と納得させられた)、ただ達者に留まらない。激烈な第2楽章から沈殿する第3楽章へとアタッカでつなぎ曲想の大きな対比を強調し、終楽章では「強制された喜び」の不安と焦燥、絶望感を感じさせる。昨今のショスタコーヴィチ第5交響曲解釈ではスタンダードとなった楽譜と内容の二面性を、この曲でこれほどまでに感じさせてくれた再現はない。正に新時代の「ショスタコ第2トリオ」演奏であった。

 

午後の最初は、トリオ・エネスコ。かなり特徴ある3人が個性をそのままぶつけ合うタイプのトリオで、ハイドンは多少持て余し気味な感がなきにしもあらずだったが、アレンスキーは曲想にピッタリ。こういう豪快さもトリオを聴く楽しみのひとつである。ちなみにこの団体、弓を2本抱えて登場し、ハイドンとアレンスキーで持ち替えていた。

 

オーストリアのストラトス・クァルテットは、流行に流されないちょっと古風な、でも今の若者風のモーツァルトを聴かせる。ピアノが多少ロマン派っぽい響きになるのは趣味のレベルだろうか。ドヴォルザーク作品は聴いている限りは楽しいのだが、コンクールレベルで作品として仕上げるのは本当に難しいと感じさせられる。

 

日本のアルク・トリオは、ハイドンであれドヴォルザークであれ、ともかくびっくりするほど大きな音楽を作ってくる。その意味で、ちょっと日本人離れした剛胆なところがある団体だ。古典の様式とか、ドヴォルザークのボヘミア風味とか、悩んでいるよりも素直に自分らの感じるところを音にしてしまえ、という勢いは貴重である。

 

トリオ・スヤナは、極めてよく練れた弦楽器のアンサンブルにピアノが躍動するタイプのアンサンブルで、響きの完成度は高い。本日4回聴くことになったショスタコーヴィチの楽譜で、曲の大きな流れを重視した再現を示した。第2楽章の猛烈なテンポは、いかなショスタコーヴィチでもちょっとやり過ぎと感じさせた程。コンクールでなければ文句なしに大喝采だったのだが。

 

長く、力の入ったセッションを聴いてきた身に、東京スカイ・トリオの響きは無性に懐かしい。私たちが良く知っている、とても良く出来たピアノ・トリオの響き。もしかしたら日本人のピアノや弦の音の趣味というのは、案外と強固にあるのかもしれないと感じさせられる。大きすぎない、派手すぎない響きに、端正に語られたベートーヴェンやショスタコーヴィチであった。

 

正直、これくらいになると筆者はもう耳も前頭葉もヘトヘト。そんなところにノトス・クァルテットの優しい響きのピアノは、癒やしそのものであった。コメントが少なくて申し訳ない。

 

最後に登場したトリオ・アタナソフは、これまでどの団体も弾かなかったモーツァルトとスメタナを披露してくれた。最後の最後に、極めて完成度の高いアンサンブルで長時間坐っていた聴衆にご褒美をくれたような音楽。ピアノ三重奏はソリスト級の魅力を持った個々人が、しっかりとアンサンブルを突き詰めていく音楽であることを再確認させられる。

 

 

以下が審査員団が下した2次予選進出団体である。16日午前11時からの演奏順に、曲目と共に列挙する。

 

◆トリオ・エネスコ (ドイツ)

フォーレ

シューマン第2番

 

◆ノトス・クァルテット(ドイツ)

シューマン

ウォルトン

 

◆アルク・トリオ(日本)

アイヴス

ブラームス第2番

 

◆東京スカイ・トリオ(日本)

ヘラー「白日夢」

シューマン第1番

 

◆トリオ・ラファール(スイス)

シューマン第1番

ラヴェル

 

◆トリオ・アタナソフ(フランス)

ブラームス第2番

ラヴェル

 

◆トリオ・アドルノ(ドイツ)

メンデルスゾーン第2番

ラヴェル

 

アルク・トリオを除く昨年秋のミュンヘン大会参加組が、一斉にラヴェルを並べてきた。日本の2団体が現代曲で興味深い演目を選んでいるのも注目させられる。そして、生き残った唯一のピアノ四重奏団には、シューマンという名曲中の名曲がある。トリオ・エネスコの独特の音色で再現されるフォーレ、特に第2楽章のユニゾンの歌が大いに楽しみ。このセッションも聞き所満載だ。

ピアノ三重奏&四重奏部門1次予選結果

及び2次予選演奏順と曲目

 

ライヴストリーミング

http://www.ustream.tv/channel/the-8th

第8回大阪国際室内楽コンクール&フェスタ

大阪初夏の陣 〈4〉

音楽ジャーナリスト 渡辺 和

INDEX

以下の写真は、クリック(タップ)すると、

拡大され、キャプションも出ます。

(写真:日本室内楽振興財団チーフ・フォトグラファー:栗山主税)

コンクールチーフカメラマンの

今日の1枚

2次予選進出団体
16日午前11時からの演奏順
 
◆トリオ・エネスコ (ドイツ)
フォーレ
シューマン第2番
 
◆ノトス・クァルテット(ドイツ)
シューマン
ウォルトン
 
◆アルク・トリオ(日本)
アイヴス
ブラームス第2番
 
◆東京スカイ・トリオ(日本)
ヘラー「白日夢」
シューマン第1番
 
◆トリオ・ラファール(スイス)
シューマン第1番
ラヴェル
 
◆トリオ・アタナソフ(フランス)
ブラームス第2番
ラヴェル
 
◆トリオ・アドルノ(ドイツ)
メンデルスゾーン第2番
ラヴェル

 

© 2014 by アッコルド出版

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