青春真っ只中が『赤ヘル黄金時代』だったから、
スポーツと言えば“野球”である。
見ていて、心身共に興奮するのは“バレーボール”。
これは幼少期に、「東洋の魔女」達の妙技と、
『サインはV』『アタックNo.1』で刷り込まれたと思われる。
スポーツは、するのも見るのも好きな方だと思っているが、
今は、まるで縁遠い生活を送っているし、
何か大きな大会でもない限り、スポーツニュースも見ないから、
それで「好き」と言うのは、少々口幅ったいかもしれない。
新聞やテレビなどで大きく取り上げられていても、
完全に興味の対象外、そういうスポーツもなくはない。
“ゴルフ”も、その一つらしく、
余程のことがない限り、そのワードを拾わない。
なのに、耳に飛び込んできたゴルフの話題。
「国内女子で、アマチュアとして史上4人目の優勝を果たした勝みなみ選手。
15歳にして全く緊張を感じさせない堂々としたプレイぶりが印象的」
よく分からないけれど、凄いのだろう。
でも、アンテナが拾ったワードは、“優勝”ではなく、
恥ずかしながら、“おにぎり”の方だった。
「17番のティーグラウンドではおにぎりを口に残したままプレイ」
お腹、空いていたのかなぁ。
ヴァイオリン弾きは?というと、
お腹の状態が、演奏に影響することは間違いない。
あまりにも満腹だと、頭も身体も働きが鈍くなるし、
あまりにも空腹だと、力が入らないし気力も持たない。
人それぞれ、その「ベストな状態」は違う。
食事にも、そのタイミングにも、気を遣うのは確かだ。
本番前に、必ず同じものを食べる人もいる。
げんを担ぐ意味もあるようだけれど…。
☆
それにしても、
食べ物を口にしたままプレイするのは、
マナー違反ではないのだろうか?
そんな疑問が浮かぶ。
ゴルフはマナーに厳しいと聞いたような気がして…。
調べてみると、ルール上は全く問題なしとのこと。
「行儀がいいとは言えないけれど…」という前置きはあっても、
概ね、がんばったね、すごいねと褒め言葉が並ぶ。
それだけ『大物感』が先に立つプレーヤーなのだろう。
ルールやマナーについて考えさせられるシーンは多い。
音楽業界には、“暗黙の了解”みたいなものがあって、
演奏の現場では、「してはいけないこと」を叩き込まれる。
「してはいけないこと」を繰り返しすると、
次の仕事が来ないという、実に単純な構造になっている。
我儘や非常識を許されているのは、
世界でもほんの一握りのプレーヤーだけだ。
服装などの自由度は、随分高くなっているが、
お洒落の範疇を超えることは、あまりない。
演奏家は案外「真面目」なのだ。
…ということにしておこう。
実際のところ、あまり奇抜な格好をすると、
弾き難くなって演奏に支障が出るからというのが現実のような気もする。
それやこれや考えると、チェロを弾くムックは凄い。
ズーラシアの『弦うさぎ』(ウサギの弦楽四重奏)は、もっと凄い。
その『弦うさぎ』、彼女たちのプロフィールをご存じだろうか?
「作曲家の父とヴァイオリニストをめざしていた母。
父は母を伴って作曲の旅に出ていて、一年のほとんどを姉妹だけで生活している。
寂しさを紛らわそうと姉妹で始めた演奏会が街中で大評判。
その息のあった演奏と幻想的な世界を紡ぎ出す音楽性が話題となる」
そんなストーリーがあったなんて。
がんばれ!『弦うさぎ』!
☆
ところで、メジャーリーグの選手が噛んでいるものは何だろう?
ガムだとか、噛みタバコだとか、聞いたような気がする。
「以前はメジャーリーグの選手に噛みたばこを愛用する者が多く、
試合中グラウンドやベンチ内でヤニを吐く光景なども見られた。
しかし、健康面での問題や子供への影響などから避ける傾向が出てきて、
マイナーリーグにおいては使用が禁止されるようになった」
ふむ、それで、今はガムを噛んでいることが多いと。
ガムは心理学的にも生理学的にも、その効能が言われている。
噛むことで、精神的に安定する、集中力を高める、
顎を動かすことで、脳の活動が活発になる等々。
そして、なんと“ヒマワリの種”!
「ガムやスポーツドリンクと並んでダッグアウトの必須アイテムである」
知らなかった…。
“ヒマワリの種”はリノール酸とビタミンE、葉酸などが豊富。
体内の細胞の老化を防ぎ、動脈硬化を予防、
貧血防止、免疫力を高め、胃腸の健康を保ち…。
こう聞くと、まさに理想的な補助食品だが、
選手にとっては単に噛みタバコなどの代用品でしかないらしい。
口に入っているものが、何であるにせよ、
ペッと吐き捨てる感じが好きになれないよね、
なんて話をしていたら、
「私は管楽器の『つば抜き』が気になる」と突っ込まれたことがある。
「あれは、息に含まれた水分が結露して溜まったもの」
と、管楽器奏者から聞いた説明を伝えてみても、
「唾液成分がないとはいえないでしょ」…ううむ。
「舞台は神聖な場所じゃないの?」と更に突っ込まれ。
さて、この場、どう切り抜けようか。
☆
少し前の話だが、こんな見出しが気になったのを覚えている。
「クルム伊達、観客の“ため息”にキレる」
試合中、大事な場面でダブルフォールト、
観客から一斉に「あーっ」と大きなため息が漏れ、それに対し、
「ため息ばっかり!」と伊達選手は身振りを交えて抗議。
試合後には「テニスを見ることのレベルが上がってこない」と発言、
〈プレーが気持ちよくできるよう ため息のないサポートをお願いします!(笑+本気)〉
そうブログに書いた、そんなニュースだ。
水を打ったようにしんとなった会場で、
聞こえてくるのは、ただ二人の選手の荒い息遣い、
ボールを打つ音、シューズがたてるキュッキュッという音。
そんな場所で、ため息が響き渡れば。
オーケストラの演奏会で、稀に起きる管打楽器の事故、
それに遭遇した聴き手は、その瞬間、誰しもが「あぁ」と思う。
そのとき、大きな“ため息の集合体”が会場中を満たしたら?
…考えたくない。
ブーイングの方がまだ、なにくそと思えてよいかもしれない。
そういうときの“ため息”は、失望を含んでいる。
期待に応えられなかったものへの消極的な責めだったりもする。
「残念だ」という思いは、決して悪意ではない。
敵味方で言うならば、味方の吐露。
だからこそ、身に染みて辛いということなのかもしれない。
レッスン中にもし、師がため息をついたら…それは、かなり悲しい。
テニスも縁が薄く、観客のマナーには詳しくないが、
選手の側に立てば、“落胆”の表象がよくないのだということは分かる。
失敗にあたって、重い空気が立ち込めたら、すかさず
それを打ち消す拍手や声援を送れとモノの本には書いてある。
きっとそれは、マナーといった問題ではなくて…。
☆
「クラシックのコンサートは堅苦しくて」とか、
「会場でのマナーが厳しくてイヤだ」とか、
そんな風に言われることが、本当にある。
どんな場にもルールやマナーがあって、
クラシック界のそれが、特に堅苦しいとも思わないけれど、
それを言うと、あるとき、
「コンサートマナーについて書いてあるサイト見た?」
見たことがない。なので、あちこち覗いてみた。
常識やモラルに近い、そんなマナーも、
文字になって整然と並べられると、確かに圧迫感がある。
ましてや「○○するのは非常識」なんて書き方をされていれば、
多分、そんなことはしないだろうと分かっていても、
なんとなく敷居が高い印象になってしまっても仕方がない。
これは多分、クラシックに限った問題ではないだろう。
ただ、クラシックに興味を持って、コンサートに行こうと思い、
マナーがあるのなら守ろうと調べまでしてくれた彼女の気持ちを、
心ならずも折ってしまったことは、
それが間違ったものではないだけに、遺憾としか言いようがない。
別の、クラシックコンサート初体験の友人が、
「拍手のタイミングが分からなかった」とぼやいていた。
初の生オーケストラの圧倒的な迫力に、最初の一音から感動していた彼女は、
終わったらすぐにでも、拍手を送りたかったのだという。
“楽章”なんていうものも知らないから、
「どうして、あそこで拍手しないの?」「曲の途中だから」
楽曲終わりの拍手のタイミングも、
「音が終わってるのに拍手しちゃダメなの?」「余韻が大事だから」
「じゃあ、いつ拍手すればいいの?」「指揮者が曲から抜け出したら」
「ふうん、むずかしいねぇ」
拍手のタイミングを強いているのではない、
ということだけは、理解頂きたいと思っている。
そういう世界を、その意味を、その深さを知って、
それも込みで楽しんで頂けたらと、そう強く願う。
☆
拍手を頂いた瞬間、それまでの苦労や苦痛を忘れてしまう。
楽器を続けていてよかったと思う。
まだまだ仕事を続けられそうな気がする。
拍手には、それだけの力がある。
演者にとって何にも代えがたい、温かい励まし。
ディズニー映画《アナと雪の女王》の主題歌『Let It Go』
その日本語版が今、心に沁みる“応援ソング”として注目されているらしい。
「ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの」
という、すでに多くの人の耳にインプットされている“あれ”である。
英語版とは、少し違う意味になっているらしい。
「必死でがんばったけど上手くいかなかった、もういい、あきらめよう」
そんな内容のものが、「ありのままで…」という風に訳されているとのこと。
「映像の口の形のアップに合う言葉にしなくてはならない」
それは、厳しい制約だ。もちろん、語数の制約もある。
「ディレクターから観客の方々が自分と重ねて聴けるような訳詞にしてほしいというリクエストがあった。自分に自信が持てずにいる方、ありのままの自分が好きになれずに悩んでいる方はたちを勇気づけられるようにという製作者の願いが込められている」
なるほど。
ところで、ヴァイオリンの弦の振動は、
“自励振動 Self-Excited Vibration”と呼ばれるものである。
その定義は、
―「外部から振動的入力を与えられることなしに持続する振動」あるいは「振動発生の原因である非振動的エネルギーが,その系内部の因子により振動的な励振エネルギーに変換されて発生する振動」あるいは…。
いや、難しい話はまたにして、今は名前に注目したい。
『自励振動』…自身が自身を奮い立たせる。
いい名前だ。 ただ、ヴァイオリンは完全に独りではない。
励まし続ける“弓”、それに応える“弦”。
ああ、なんて!
ヴァイオリン弾きの手帖
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