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『フレンチ・ピアニズムの系譜』という講座を受講してきた。

講師は、ピアニストで文筆家、フランス音楽に精通する青柳いづみこ氏。

カルチャースクールの一講座だったから、

素人にも分かりやすい内容・説明で、非常に面白かった。

 

ラヴェルと親交があったカサドシュやペルルミュテール、

コルトー、サンソン・フランソワ、チッコリーニらの演奏を「見る」。

紙で勉強したことも、実際に映像を見ながら説明を受けると、

すっきり、すんなり、頭に入ってくる。

 

ずっと傍に、素晴らしいピアニスト達がいたのに、

その技法について、体系的に話を聞いたことがなかった。

実に、もったいないことをしている。

今度、じっくり聞いてみよう。

 

"pianism"=ピアノ演奏、またはその技術。

接尾語"-ism"は抽象名詞を作る=「行動・状態」「体系・主義・信仰」「特性・特徴」

「ヴァイオリニズムviolinism」という言葉はあまり使わない気がするが…。

 

演奏姿勢や技法についての説明に出てくる、

「おとす」「なげる」「とばす」「きる」「空気を入れる」

こういったピアノ奏法用語(?)に、新鮮さを感じながらも、

感覚的には、ヴァイオリンのボウイングと同じなのだと納得する。

 

"ジュー・ペルレ(真珠のような奏法)"という言葉も出てきた。

"透明性""明晰さ""精緻さ""煌びやかさ"が尊ばれるフランスにおいて、

「真珠の首飾りのように一粒一粒のタッチがそろっている」

と褒められることは、最高の賞賛なのだという。

 

ヴァイオリンにも「粒を立てる」という言葉がある。

ただ、それをするのは主に左手である。(“たたき”がその典型だろう)

 

ふと思う。

まったく違う動作をしている、ヴァイオリン弾きの右手と左手。

これをシンクロさせることの難しさに辟易する毎日な訳だが、

全てを一本の手、一本の指で行わなければならない状況を想像してみれば、

「右手と左手の分業」も悪くはないのかと。

 

 

ヴァイオリンはある意味、「右手優位」の楽器である。

 

音程だの、シフティングだの、指回りだの、ヴィブラートだの、

つい左手ばかりに心を配って、鍛錬する傾向があるが

実際の演奏の現場で、右手がストライキでも起こそうものなら、

左手の苦労も、水の泡である。

 

ヴァイオリン弾きの右手と左手には、親子関係のイメージがある。

そう、右手が親。

「親がしっかりしていないと」(...はい、反省しています)

一方、ピアノ弾きの右手と左手には、恋人や夫婦関係のイメージが。

 

関係性といえば、

アンサンブルの編成とその人数によって生まれる関係性の違いも面白い。

これは、日常的な人間関係を思い出させる。

 

「『二人』は家族の人間関係」という文章があった。

互いに理解し合い、互いに許し合う、微調整が可能な関係。

『二重奏』を考えてみれば、納得である。

同性なら同性(弦楽器同士)で、異性なら異性(弦楽器とピアノ)で、

それぞれ、それなりの密な関係を築くことができる。

 

では、トリオは? 「『三人』は社会の人間関係」

子どもは3歳頃まで、二人組で接していることが多いという。

3人では共感関係が育ちにくく、取り決めが必要になってくるから、

それができる年齢までは、あえてその関係を望まないということらしい。

 

そういえば、子供が小さかった頃、

3人で遊んでいる時には、よく揉め事が起きていた...。

「○○ちゃんが△△するんだもん、ねー」

「そうなんだよ、ねー」

そんな風に二人が繋がって、残りの一人が泣いちゃう、みたいな。

 

 

そんな、ちょっと難しい「三人組」だが、

『弦楽三重奏』と『ピアノトリオ』では、その関係性がまた違う。

「女性三人組」と「男性一人+女性二人」的違い?(笑)

いや、そう単純でもないから、なお難しくて、なお面白い。

 

ピアノがある室内楽と、そうでない室内楽では、

音楽や、アンサンブル技術はもちろん、

演奏する上での関係性が大きく変わることは間違いない。

 

4人以上になると、言葉を必要とする関係になり、

「約束事」優先、考えずとも"社会"ができ、

結果、音楽的揉め事も起きにくくなり、

練習も淡々と、和やかに進むようになる。

 

いや、トリオが必ず揉めるということでは...。

 

面白いなぁと思う。

作曲家は、弾き手のそういう胸の内を察しながら、

楽曲を書いたりするのだろうか?

 

 

それやこれやで、

『ピアノトリオ』は、ヴァイオリン弾きにとって、

『弦楽四重奏』とは別な意味で、特別なものである。

 

三人組と言えば、思い出すセリフがある。

「"トリオ"なのに、3人じゃないっておかしくないですか?」

これは、友人に「バッハのトリオソナタをやろう」と声掛けされた、

あるアマチュアヴァイオリン弾きの文句、もとい、質問である。

 

『トリオソナタ』は、確かに楽器編成からくる名称なのだが、

声部数が3声(同音域の2声+通奏低音)というだけで、

通奏低音には、和声的にバックアップする鍵盤楽器のほかに、

低音を補うチェロなども加わったりもするので、奏者は三人だけとは限らない。

ああ、ややこしい。

 

 

クープラン(Francois Couperin 1668-1733)のトリオソナタが好きだ。

煌びやかな中に、ときに見せる憂いに、ひどく惹かれる。

 

先の講座でも、クープランの名前が出ていた。

彼が『クラヴサン奏法L'Art de toucher le clavecin 』(1717出版)という、

後に繋がる名著を残したということもあるのだろうが、

その楽曲を聴くと、何も知らなくても、その存在の重要さは分かる。

 

クープランと言えば、

ラヴェルの書いた《クープランの墓》がすぐ頭に浮かぶ。

Prelude、Fugue、Forlane、Rigaudon、Menuet、Toccataと、

17~18世紀の舞踊曲の音楽形式を踏襲した形で作曲された楽曲。

 

ヨーロッパが第一次世界大戦(1914-1918)に呑み込まれた、

1914年から1917年にかけて作曲されたピアノ組曲。

"a la memoire du capitaine Joseph de Marliave"という風に、

この戦争で戦死した友人6人の名が、曲それぞれに掲げられている。

 

ラヴェル自身も従軍し、その現状を見てきた。

1916年健康を害しパリに戻るが、その翌年には母を失っている。

大戦前に書き始め、一度中断されていた曲だが、

新たにペンを取った彼の気持ちに変化がなかったとは思えない。

 

―《Le Tombeau de Couperin》

"トンボー tombeau"は、墓石や墓標、墓碑のこと。

フランス語の辞書によれば、「Tombeau de ...」は「...の墓」

=「偉大な死者に捧げられた芸術作品」と書いてある。

 

「『墓』は誤訳では」との意見もあるらしい。

怪しい邦題もたくさんあるから、こういう指摘はあって然るべきと思うが、

このタイトルに関しては、個人的には気に入っている。

 

何にせよ、クープランの名を冠しているのだから、

彼へのオマージュが込められていることは間違いない。

そして、亡き友人たちへの『追悼曲』『鎮魂歌』であることも。

でも、曲は「悲しみ」に支配されてはいない。

捧げられた言葉の通り、そこにあるのは"memoire"なのだろう。

 

 

『ピアノトリオ』といって、その名が挙がるトップグループに、

チャイコフスキーの《ピアノトリオa-moll Op. 50 (1881-82)》がある。

この曲には、作品に付けられた献辞そのままに、

「偉大な芸術家の想い出のために」という副題が付く。

 

この曲は、友人であるピアニスト、

ニコライ・ルビンシテインの死を悼んで書かれたもの。

50分にも及ぶ大曲だが、聴き手を飽きさせない名曲だ。

 

《悲しみの三重奏曲Trio Elegiaque》は、ラフマニノフが作曲したピアノトリオ。

モスクワ音楽院在籍中に書いた単一楽章のト短調の作品(1891-92)。

(先のチャイコフスキーのトリオを意識して書いたのではと言われている)

そして、そのチャイコフスキーの訃報を受け、

1ヵ月あまりで書き上げ、自身のピアノで初演した第2曲(1893)。

 

ラフマニノフの師であるアレンスキーも、

名チェリスト、カルル・ダヴィドフの追悼のため、

ピアノトリオを書いている。(Piano Trio No.1 d-moll Op.32 1894)

 

そして、ショスタコーヴィチもまた、

ロシアにおける、このジャンルの伝統を受け、

ピアノ三重奏曲第2番e-moll Op.67(1944)を、

親友イワン・ソレルチンスキーの追悼のために書いている。

 

これら追悼のために書かれたピアノトリオ達は、

ロシアらしい率直さで、どれも熱く、悲しく、心を震わせる。

聴き時が悪いと、涙が...。

弾き手が感情移入しやすい曲でもある。

(露骨過ぎてイヤという人もいるかもしれないが...)

 

なぜピアノトリオで、と思ったこともあるが、

今は、なんとなく分かる。

一人でもなく、二人でもなく、四人以上でもない理由が。

 

 

"墓"は、英語ではgrave。

でも、この綴りを見て、まず思い出すのは、

音楽用語としてのグラーヴェ。

 

『速度用語』と簡単に納得してはいけない予感がする。

 

案の定、イタリア語辞典を調べてみれば、

「重大な」「重い」「重々しい」「厳粛な」という意味があり、

「深刻で自分では解決できないような重大な状況・精神状態」をいうのだと。

 

重い、暗い、辛い現実に襲われることも少なくない。

演奏に携わる者としては、それを正面から受け止め、

処理できそうにない心に渦巻く感情を、

そのまま心のうちに収めておくことも必要なのだと知る。

 

でも、正直、誰かに共有してもらいたかったりするんだよなぁ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=IbX6NFTyjZw

 

https://www.youtube.com/watch?v=2GAatbgHKUU

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第57回 悲しみ÷3 悲しみ×3

© 2014 by アッコルド出版

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