―癒える(い・える)
1 病気や傷などが治る。よくなる。治癒する。「病(傷)が―・える」
2 悲しみや苦しみ、悩みなどが消える。おさまる。「心の傷が―・える」
人生悲喜交々...まさにそれを実感した年度末だったから、
そして、引き続きバタバタと落ち着かない新年度なものだから、
思わず、こんな言葉が気になってしまう。
時間もないのに、庭に出て土いじりをしてみたり。
ことさら丁寧に、コーヒーや紅茶を淹れてみたり。
友人がくれた香りのよいハンドクリームを、何度も手に塗ってみたり。
気持ちが荒んでいる訳でもないし、疲れに絶望を感じることもない。
けれども、こうした気分転換は必要だなと思う。
もう少し、時間が欲しいけれど。
「癒える」...この言葉は、好きだ。
「のどの渇きを癒す」「温泉に入って疲れを癒す」...。
「癒す」「癒される」も、なかなかいい。
ただ、これが、"癒し"となると、どうもダメだ。
「い・やし」という音(おん)が、「卑しい」に似ているからだろうか。
だったら、単純すぎてゴメンナサイだ。
それにしても、"癒し"という語、
辞書によっては調べても出てこない...いつ名詞化したのだろう?
"癒しブーム"なんてものがあった。(1980年代?1990年代?)
「癒し」が「ブーム」って、どんな時代だったんだろう。
"癒しグッズ"...この名前もまた。
じっと待つ。癒えるのを待つ。
厳しく優しく、包み込むように寄り添ってくれる時間。
大切にしなくては。
☆
"healing"=治療(法)。癒すこと。心理的な安心感を与えること。
"heal"=「傷や火傷などを直す,痛みを癒す,故障を直す」
(ちなみに"cure"は主に「病気を治す,(悪)癖を直す」意味で使う、と)
"health"は、「癒すheal」に状態を表す「th」がついたもの、
つまり"健康"とは「癒されている状態」...なるほど。
心身を癒してくれるものがある。
痛みを忘れさせてくれるものがある。
"見る""聞く""嗅ぐ""触る""口にする"
五感のどれかが満たされると、ホッとするのは確かだ。
その小さなホッが、傷を癒す手助けをしてくれることも知っている。
職業柄、『ヒーリング・ミュージック』や『音楽療法』が気になる。
しかし、その職業柄「音楽に癒されない」ことも多い...。
馴染み深いクラシックが流れてくれば、つい耳が勉強してしまうし、
(もちろん上手に楽しめる人もいる…羨ましい)
ヴァイオリンが聞こえてくれば、厭らしく値踏みしてしまう自分がいる。
なかなか素直に楽しめない、それって、
すごく、損をしている気がする。
お酒が飲めないのと同じくらい、損をしている気がする。
☆
ウシに音楽を聞かせると乳がよく出る、とか。
お酒に音楽を聞かせるとまろやかになる、とか。
トマトやニンジンに音楽を聴かせると甘さが増す、とか。
(でも、聞かせ過ぎたら枯れそうになった、とか。へえぇ。)
諸説紛々、しっかりした裏付けは、まだ無いようだけれど、
そういうことがあっても不思議ではないと思っている。
どういっても空気の振動(波)だし、“耳”がなくても問題ない。
ただ、受け手に「好き嫌い」はあるかなぁとは思う。
牛の中にもモーツァルトが嫌いなヤツがいるかもしれない。
ラヴェル好きの日本酒、美空ひばり好きのワイン、ジャニーズ好きのスコッチ。
「"望郷のトマト"~アンデスの音楽を聴いて甘く切なく育ちました」
少し、方向が間違っているか...(笑)。
☆
いつも気になってしまう"音"がある。
ありきたりだが、例えば、駅の"発車メロディ"。
最近、気になるのは、家電の"お知らせメロディ"。
我が家の炊飯器は、懸命な演奏を毎日「はいはい」とすげなくされている。
もちろん、音色や音程も気になるけれど、
"発車メロディ"に関して言えば、途中でプツッと切れるのがどうも...。
あの容赦のなさが、学生時代の実技試験を思い出させる。
時間が来ると無情に演奏切られたんだよなぁ、ブチっと。(トラウマ?笑)
家電製品などのお知らせ音、
「どんな音なら気にならないか」というアンケートを見つけた。
結果は、「メロディなど音楽的な音」と答えた人が半数近く。
"発車メロディ"が誕生したきっかけも、
「(単純な)ベルや電子音は耳障り」という苦情からだという。
分からなくはないが、いや、よく分かるのだが、
それらが注意喚起のための"音"だということを考えると、
気に障る程度の音でなければダメなのでは?と思ったりもする。
それに…「音楽的な音」?…ううむ。
今や、あらゆる場所に人工的な音(音楽)が満ちているが、
そういう状況に、すっかり慣れ切っている自分が情けなくもある。
基本的に、ひどく不快でなければ、
そこに"音"があることにさえ、気付かない。
耳には入っているが、聞こえていない。(ある種の自衛手段?)
だから、不快感と共に、"それ"に気付くときは、
かなり耳が嫌がっているということになる。
その「線引き」は、耳(頭)の中の「どこの」「誰が」しているのか?
面白い。
誰か教えてほしい。
☆
不快と言えば、その昔、
「嫌な音を無理やり聞かせる」という拷問があったのだという。
=大音量のノイズを聞かせ、精神的に苦痛を与える。
想像しただけで、耳の奥が、頭の芯が痛くなる。
「テロの容疑者などの拘束者に対し、あるアーティストの楽曲を、
24時間エンドレスで、大音量で聞かせていた、
それを国連の拷問反対委員会が拷問と認定し、禁止を呼びかけた」
こんな、過去のニュース記事も見つけた。
そんなことに自分の楽曲を使われたアーティストの気持ち...。
パチンコ店のあの大音量は傍を通るだけでも、わが耳には完全なる凶器だが、
その音量は、「冷静な判断能力を麻痺させるため」
「高揚感を高めるため」「遊戯に没頭させるため」に必要だと?
3.11の後しばらくして再開した近所のパチンコ店、
節電のためか何なのか、音が小さめで静かだった。
特にそれで問題はなさそうだったが、異様と言えば異様。
そういえば、『パチンコ耳栓』なんてものを見つけた。
耳鳴り・頭痛・疲労を起こさないようにするためのものだとか。
ん? ならば、「のめり込み」や「散財」に"音(量)"は関係ない?
騒音トラブルを引き起こす側にいる人間としては、
好きでもない曲を、しかも、不完全な形で繰り返し聞かされる苦痛を、
理解しておかなければいけないと、改めて自省する。
☆
状況的に、許せないのは、
ある空間で2つ以上の音楽が重なって鳴っているとき。
耳が痛い...。頭がグラグラする...。心がささくれ立つ...。
それが、とてもお洒落な空間だったりすると、
もったいないなぁと思ってしまう。
がんばれ、ミュージックコーディネーター!
レストランなどで演奏しているときの、
皿やカトラリーの立てるカチャカチャという音は、
間違いなく「敵」ではあるが、(強敵だ!)
納得尽くなら、まったく問題はない。
料理がそれで美味しくなるのなら、本望でもある。
演奏者として戦う相手は、実は他にある。
"匂い"だ。
演奏と匂い? まったく関係はなさそうだが、
精神的には、かなり影響があると思っている。
大昔に一度、どこだかのホールで、(何か事故があったのだろう)
舞台上が下水の匂いのようなひどい異臭で覆われて、
プレーヤー全員で何とかしてくれと懇願したことがある。
「こんなんじゃ、息が吸えないよ!」
それはまずい。呼吸ができなければ、演奏はできない。
管楽器でなくても...。
小さなライブハウスで演奏していたとき、
厨房の方から美味しそうなフライドポテトと唐揚げの匂いが...。
なんだろう、そういう匂いがすると、
一挙に気が緩んで、演奏がフニャフニャになってしまう。
食い気の優先順位が高い? そうかもしれない(笑)。
"食卓音楽Tafelmusik"=王侯貴族などの食卓の傍らで演奏...
そのとき演奏家達は、どんな匂いの中で演奏していたのだろう?
どうせなら、ワインや紅茶の香りに包まれて弾きたいと願う。
焼き鳥の匂いを嗅ぎながら『バッハの無伴奏』なんて絶対弾けない、弾きたくない。
アロマ好きの友人は、好きな香りをハンカチに落としておいて、
演奏する前にさりげなく、その香りを嗅いでいる。
そういえば、自分も、演奏前にミント系のタブレットを口にする。
これも、ミントの香りとその効能にご厄介になっているということか。
☆
こんな話になったのは、
頂いたばかりの、ミモザのリースがきっかけかもしれない。
飾った玄関には、よい香りが漂っていて、
通る度に、大きく息を吸ってしまう。
― ミモザ mimosa
本来はマメ科の植物である"オジギソウ"を言うらしいが、
今は、マメ科アカシア属の俗称にもなっている。
というのも、南仏からイギリスに輸入されたフサアカシアの切花を、
英国人が、"mimosa"と呼んだ事に始まったらしい。
(どちらもポンポン状の可愛らしい花だ。アカシア属は触れても「お辞儀」はしないが)
ミモザの花言葉は、「友情」「秘密の恋」「思いやり」
過ぎてしまったが、3月8日はイタリアでは『ミモザの日』、
男性が日頃の感謝の気持ちを込めて、
恋人やマンマ、身近な女性にミモザの花を贈る習慣があるのだとか。
ミモザ...実は、ヴァイオリンと縁がない訳ではない。
アカシア属の樹木から取れる"カテキュー"は、
ヴァイオリンの染料(赤褐色)としても用いられている。
ああ、勿体付けてはみたが、 頭の中は今、"ミモザサラダ"である。
この期に及んでやはり食い気か!という感じだが、
「美味しい食事は最上級の『癒し』」ということで許されたい。
さて、タマゴを茹でるとしようか。
野菜は春野菜...菜の花、グリンピース、アスパラガス!
春の香り満載。
ああ、とても幸せだ。