では、自分は何ができるのか?と考える。
できないことや、できていないことは、
すぐに、幾つでも挙げることができる。
(それを人に言えるかどうかは、別にして...)
でも、何ができるのか、それを言葉にするのには、
なぜか、少し、時間が要る。
できるようになるまで、あれだけ苦労したことなのに、
できてしまえば、できて当然のことになっていて、
特に、意識することもない。
血の滲むような努力をしたことでさえ(そういうことほど?)、
記憶の奥底に、封じ込められてしまう。
「そういえば、自転車に乗れるようになるまで、随分転んだっけ」
獲得したものが、実は、限られた者だけが持てるSPECだったとしても、
手に入れてしまえば、 (それを多少自慢することはあっても)、
能力としては、それほど特別なものだと思わなくなるのが人間である。
「ヴァイオリンが弾けるんだ。すごいね」
「そう?」
自分には、何ができるのか?
"即興"はできないが、"楽譜の再生"はできる。
"読譜"はできないが、"耳コピ" はできる。
"作曲"はできないが、"採譜"はできる。
"コード譜"は読めないが、"スコア"は読める。
..."超絶技巧"は披露できないが、"心"のこもった演奏はできる。
それから?
自分は、思っている以上に"自分"のことを知らない。
"自分"を探しに、どこかに出掛けている場合ではないらしい。
☆
どんな仕事があるのかもろくに知らないまま、音大を卒業してみれば、
まず来るのが、"オーケストラのエキストラ(通称「トラ」)"である。
そのオーケストラの団員数が、元々定員に足りていない場合もあるが、
楽曲の編成要求が大きく、団員では賄えない場合にも声が掛かる。
取り敢えずの補欠要員・補充要員ではあるが、
団員と同じ力量が要求されるから、新人は必死になる。
そして、それは、数少ない『団員への道』の入り口でもあるから、
就職希望者は、必死にならざるを得ない。
「新人のトラ」であろうと、「初めて弾く曲」であろうと、
『数回の練習+ゲネプロ+本番』で、大曲をこなさなければならない。
観客から見れば、自分もそのオーケストラの一員、
新人かどうか、初めてかどうかなんて、まったく関係ない。
「練習する」と言えば、楽譜を貸し出してももらえるが、
何年も何カ月も何週間も、勉強する時間がある訳ではない。
なのに、その責任の重大さといったら...。
次から次へ積まれる「新曲」×「難曲」、
青息吐息、四苦八苦、疲労困憊、意気消沈...。
優しい先輩が、こう声を掛けてくれる。
「大丈夫、大丈夫、五年も続けたら、有名曲は一通り押さえられるよ」
「ありがとうございます!」
...ん? 全然、大丈夫じゃないっ。
☆
ある日、ある学生オーケストラの「トラ」の仕事が来た。
何度か弾いたことのある有名曲、落ち着いた気持ちで練習場所へ。
「弱小オケなので、よろしくお願いします」との挨拶を受ける。
指定された席はトラの指定席=後方、ではなく、なぜか中間位置。
指揮者が棒を振り下ろした瞬間、その理由を悟る。
出のタイミング、弾き方、音程、…すべて自分を信じるしかない。
そりゃそうだ。周りは、楽器を手にして云年の人たちがほとんど。
しかも、いや、だから、…頼られているのだ。
何一つ、間違ったことができない。
狂瀾怒涛、周章狼狽、五里霧中、気息奄々...。
普段、いかに贅沢な環境で弾かせてもらっていたかを知る。
オーケストラ・プレーヤーとして、
弾く以外に何ができなければならないかを、
身を以て体験した瞬間である。
☆
「弾くこと以外の能力」といえば、
気楽そうに見えて、意外に大変なのが"BGM系"である。
冠婚葬祭、企業のパーティ等々で演奏する仕事だ。
フルート&ハープ、ヴァイオリン&ピアノ、ピアノトリオ...。
弦楽四重奏で呼ばれることも多い。
事前に曲の要望が届いていることあるが、概ね「お任せ」である。
定期的な場合は別にして、行ってみないと、会場の状況はもちろん、
演奏のタイミングも、弾く時間も、当然、弾く曲も分からない。
レパートリーは多くないと、融通が利かないし、
いつでも、どれでも弾けなければならないから、結構大変だ。
演奏しながら、終わるタイミングを探り、
目配せや口の動きだけで、繰り返しする・しないを決めたりもする。
『臨機応変』という言葉が嫌いな人には、できない仕事だ。
「(若い)女性だけでお願いします」「ドレスでお願いします」
こんなリクエストもあったりする。う~ん。
といった訳で、酔っ払った方々の微妙なセクハラに、
ニコニコしながら耐えなければならないこともあったりして。
聞いて下さる方との距離が、とても近い仕事。
冠婚葬祭においては、大切な曲を演奏させて頂くこともある。
パーティでも、真剣に聴いて下さる方に出会うこともある。
いろいろな方々の、笑顔や涙に直に触れ、
演奏を職業にしてよかったと強く感じる、幸せな仕事だったりもする。
☆
ジャンルの違う仕事の代表は、"スタジオ"だろうか。
映画やドラマの音楽、ポピュラー音楽のバックなど、
主に、レコーディングのために演奏する。
テレビの音楽番組などで見掛ける『ストリングス』もこれに含まれる。
兼業している人は少なくない。
問題は、あくまでも能力だ。
とにかく、初見が利かなければならない。
現場で譜面を渡されることなんて、日常茶飯事。
その場で「弾けません」なんて、口が裂けても言えない。
誤魔化しもきかない。
だって、マイクがほら、そこに。
演奏する環境も、普段とはかなり違う。
何しろ、「スタジオ」だ。
楽器ごとにブースに隔離されてしまうこともある。
同じ曲を演奏するのに、仲間の音が聞こえないなんて...。
慣れるまで、苦労したのが「ドンカマ」。
スタジオに入り、楽器の準備をすると、イヤフォンを付けろと言われる。
そこから流れてくるのは、リズムを刻む無機質な音。
『ドンカマチック』という商品名の略称らしいが、自分の中では、
「ドンドン構わずリズムを刻み続ける嫌な奴」で「ドンカマ」だ。
片耳とはいえ、イヤフォンを付けて演奏なんて、あり得ない。
しかも、その音に正確に合わせて、尚且つ、音楽的に弾け、と。
マイクも、かなり問題だ。
ヴァイオリンのマイクは、プロでも悩みどころらしいが、
...といった音響的な問題ではなく、
楽器から直接、或いはひどく近い場所で音を拾われることに抵抗が...。
だって、ヴァイオリンの音って、そこで聴くものじゃないでしょう?
駒の手前(の弦上)に、ピンマイクを付けられた友人が、
「鼻息が荒いので気を付けて頂けますか」なんて注意されようものなら、
おかしいやら、情けないやら...。
でも、笑うこともできず、溜息も吐けない。
仕事自体、突発的に発生することも多く、
時間に区切りなく、深夜に及ぶこともある。
クラシックとは別な意味の、気力・体力が必要。
それやこれやで、"スタジオ"という仕事には適性があり、
向かない人には、「地獄の仕事」なのである。(言い過ぎ?笑)。
☆
「生活のすべてがクラシックで満たされている」と、
そう思われがちだが、少なくとも自分はそうではなく...。
特に、クラシック音楽に、格別愛着を感じていなかった時代は、
勉強以外でクラシック「なんて」(申し訳ない!)聞きもしなかった。
中学時代は、たいして弾けもしないギター片手に、
オフコースやNSPなどを、友人たちと熱唱(?)し、
高校時代は、Rolling Stones、Deep Purple、Queen、
Led Zeppelin、Aerosmith、King Crimson...とロック漬け。
だから、いつも、
他ジャンルのヴァイオリンが気になっていた。
"エレバイ(Electric Violin)"も。
「電子楽器なんでしょ? 別にバイオリンじゃなくてもいいじゃん」
そんなことを言われれば、
同じViolin弾きとして、なんとなく腹が立ったりもして。
「バイオリン」でなければいけない理由を、
自分の中で明確にしたくて、"エレバイ"を手にする。
弾いてみれば、すぐ分かる。そう思って聞けば、すぐ分かる。
「バイオリン」じゃなければ出ない音が、いっぱいあって、そして、
"エレバイ"じゃなければできないことが、いっぱいあって。
「弾く」という作業においては、確かに、
クラシック・テクニックは、トータルとして優れている。
ただ、それが全てに通用するかというと、そうではない。
例えば、"エレバイ"には共鳴胴がない、
だから、「楽器を響かせる」技術は必要ない。
その分、そのまま増幅される「弦の振動」そのものが重要となる。
特に「発音」には、信じられないほど繊細な操作が必要だ。
その先も、凄い。
アンプ、 シールド、 エフェクター...、足元に置かれた機器たち。
あまりのカッコよさに、思わず一セット購入。
...楽しい。...面白い。...はまる。
アンプやエフェクターは、なんとなく分かるが、
機器を繋ぐシールドの種類で音が変わる、なんて言われれば...。
なので、深入りしないと決意、今、彼らは棚の奥で眠っている。
通常の"ヴァイオリン"にピックアップを付けて、
アコ(Acoustic)音を電気信号として取り出す場合もある。
この「エレアコ」も、これはこれで、探求すべきものが違う。
すごいなぁ、Violinって。
☆
"エレバイ"について、勉強したいと思ったとき、
身近に、教えてくれる人も、そういう場もなかった。
そのことを、同世代のロック畑の友人に言うと、
「そんなの、人に習うもんじゃないんだよ」と渋い顔をされた。
ロックの生き様に反するらしい。
とはいえ、学校でヒップホップダンスが必修になる時代だし...。
"エレバイ"を弾いて、初めて気付かされた、
"ヴァイオリン"独自のスペックがある。
"ヴァイオリン"にしか、できないこと。
それを活かせずして、"ヴァイオリン"を弾いていると言えるのか。
外にも、内にも、Violinの世界は広がっている。