「できないことはできないと、ちゃんと言いなさい」

そんな風に、叱られた記憶がある。

 

ヴァイオリンを学ぶという過程においては、

「できないこと」相手にジタバタする毎日、

自分には「できないこと」ばかりなのだと思い知らされ、

やがて、

「できもしないのにできる振りをしているとろくなことがない」

なんてことも学習して、

良くも悪くも、すっかり開き直るようになった。

 

とはいえ、ある年齢になると、

「できない」と人に告げることが、少し辛くなる。

ことヴァイオリンに関しては、特に。

 

「この曲はやったことがないから、すぐは弾けない」とか、

「技術的に難易度が高過ぎて、今は弾けない」とか、

そういうことは案外、言える。簡単に言える。

 

それは、『想定内』の要求に対しての答えであり、

これから何をどうすれば、いつ頃どうなるかを想像できるからだ。

困るのは、「できそうでできない」お願い。

 

ヴァイオリンが少々弾けるからといって、何でもできる訳ではない。

「他の楽器はできない?」...もちろん、それはそうなのだが、

情けないことに、できないことはそれだけではない。

ヴァイオリンを使ってできることにも、できないことがある。

 

「???」...いや、疑問に思われても仕方がない。

社会に出るまで、そんなことがあるなんて、自分も知らなかった。

仕事をするようになり、様々な『想定外』の要求をされるまでは。

 

それに関しては、"個人的な能力"という部分もあるが、

我が国の"一般的なヴァイオリン教育"という部分も関わってくる。

それをどう捉えどう考えるか、これは結構、難しい問題かもしれない。

 

 

日本において、ヴァイオリンを学ぶための門戸は基本ひとつ="クラシック"

でも、出口はというと実に幅広く、("フィドル"という世界も加わって)、

ジャズ、ロック、ポップス、演歌、アイリッシュやカントリー、ハルダンゲル...。

(昨今、門戸の数は増えつつある。ネットの発達で独学も可能になってきた?)

 

どんなジャンルでも活躍することのできる楽器、ヴァイオリン。

でも、それぞれの世界には、それぞれの世界の、

技術があり、約束事があり、共通用語があり、暗黙の了解がある。

ジャンル越えは、決して簡単ではない。

専門教育を受け、その世界に染まれば染まるほど、

他ジャンルの"常識"を、受け入れ難くなる。

 

その事情を、一般の人が知ることはない。

「それはできません」と口にすると、

「え? そうなの?」と、ひどく驚かれることがある。

仕方がないこととはいえ、そういうときは、何だか悲しい。

 

同じクラシック奏者でも、

ヴァイオリン弾き個々が、手中に収める能力は、

受けた教育や育った環境によって、それぞれ違う。

同じ曲を、同じように弾けるからといって、

「能力が同じ」という訳ではない。

まったく同じシステムの早期教育を受けていても、

手にしたものが違う場合が多々あるのだから、面白い。

 

そう、できないはずのことを、できる人もいるから、

ちょっと困ったり、ちょっと悔しかったりもする。

「え? いつ、そんなこと教わったの?」

「そんなの、聞いてない...」「知らない」「やってない」

思わず、愚痴ってみたりして。

 

でも、できないものはできない。

だから、正直に言う。―「ごめんなさい...それはできません」

悔しさと、悲しさと、切なさと。

 

 

これまでで最大のピンチは...ある結婚式の披露宴だった。

「弦楽四重奏」で呼ばれ、いつものメンバーで出向いた。

当日30分ほどのリハーサルと、わずかな休憩時間の後の本番。

 

そういうシーンで呼ばれ演奏する曲は、大体決まっていて、

新郎新婦入場・退場、ケーキ入刀、歓談時のBGM...、

《結婚行進曲》や《愛の喜び》《愛の挨拶》《主よ人の望みよ喜びよ》...。

その手の仕事には慣れたメンバーだったから、何の不安もなかった。

 

ところが、現場に着くと、いつもと様子が違う。

バンドが練習をしていて、その後ろに椅子と譜面台がセットしてある。

「あ、どうも、よろしく。これ、楽譜です」

そう渡されたのは、音符一つないコードだけが書かれた楽譜数枚。

C とか、Bmとか、E♭m7とか、D♯7 -5/Gとか。

 

「...」「...」「...」「...」、全員で青くなる。

「適当に"駆け上がり"とか入れてもらっても全然いいっす」

いや、そういう問題じゃなくて。

 

"コード"は"和音"、それはもちろん、クラシックでも重要ファクターだ。

しかし、「英語読みのコードネーム」はクラシック業界では、まず使わない。

和音進行の勉強などで用いる"和音記号"はローマ数字。

英語音名は分かるが、日頃ドイツ音名で生活しているから、厳しい。

我々の「エー」は、「E」であって「A」ではない。

 

― コード(譜)は読めない。

 

「"駆け上がり"って何ですか?」...クラシック用語ではない。

「え? "駆け上がり"知らないの?」...多分、ポピュラー系の用語だ。

"駆け上がり"...楽曲を盛り上げるとき弾く、速い連符での上行スケール、

こんな感じの説明であっているだろうか?

 

気付く。 彼らが発注したのは『ストリングス』

(=よくテレビの歌番組などで、歌手の後ろにいる...)で、

『弦楽四重奏』ではなかったんだ、と。

 

 

コード譜が読めないというだけではない。

 

― 即興はできない。

 

バロック音楽においては、鍵盤楽器やリュートの奏者らが、

数字付き低音を見て、即興で和音を補いながら、

伴奏声部を完成させていた。(="通奏低音")

 

"即興"というほどではなかったかもしれないが、

楽曲演奏中に、自由気儘に装飾を施す奏者も多く、

「曲を損なう即興は止めよう」という声があったことも記録に残っている。

 

加えて、18世紀頃までの"作品"は、

リアルタイムの需要を満たすためのもので、「残す」ものではなかった。

評判が良ければ、同時代に何度か演奏されることもあったが、

過去に作曲された作品を"再演"するというのは、珍しいことだった。

 

時代は変わる。

エンターテインメント性の強い"消耗品"から、芸術的"永続的作品"へ。

 

そうして、今のクラシック奏者の多くが、その教育課程で学ぶのは、

「過去の楽曲を再演する」ための、あれこれ。

そこに『即興技術』は、あまり必要とされていない。

 

"即興""アドリブ(ad lib)""インプロヴィゼーション(improvisation)"

現在、これらは、別のジャンルのものだと考えられている。

(もちろん、クラシック畑でもできる人もいるので誤解なきよう)

 

そういえば、クラシックに疎い若い友人が、我々の仕事について、

「じゃあ、『カバー』が仕事なの? 徳永英明みたいな感じ?」

と、聞いてきた。う~ん。

 

「不思議な世界だねぇ」、そう言われたこともある。

確かに、そう言われれば、そうかもしれない。

 

 

演奏を頼まれ、確認する。

「(会場に)ピアノありますか?」

「え? ありません。ピアノがないとできませんか?」

 

― ピアノがないからといって、演奏できない訳ではない。

 

でも、ピアノがないと形になりにくいというのが、正直なところ。

ヴァイオリン一本でなんとかなるシーンなら構わない。

だが、よく聞くと、相手のイメージはそうではなかったりする。

 

いつだかの希望曲は、ベートーヴェンの"スプリング・ソナタ"だった。

いや、それは、さすがに、ヴァイオリン一本ではどうにもならない。

 

「そうですかぁ。ピアノないとダメですかぁ」「...」

「あ、電子ピアノではダメですか?」「...」

 

― 電子ピアノでダメな訳ではない。

 

「音響機器はありますけど、伴奏の音源とかありませんか?」

 

― 伴奏音源がない訳ではない。それで演奏できない訳ではない。

 

でも。でも。でも。

 

大抵の場合は、どんな条件でも、何とかして引き受ける。

それが仕事だし、喜んでもらえれば嬉しい。

でも、なんとなく釈然としない思いが残る。

 

巷で演奏される『ヴァイオリン&ピアノ編成』の楽曲は、

本来はオーケストラ伴奏の曲であったり、他の楽器の曲であったりと、

すでに、その時点で、「アレンジされたもの」であることも少なくない。

...でも。

 

自分を何から解き放てば、このモヤモヤがなくなるのだろう...。

 

 

― 即興できない。

― アレンジできない。

 

こんな「できない」もある。

― 楽器の調整ができない。修理もできない。

 

分業、進み過ぎだよなぁ。

 

「できないこと」は、まだまだある。

 

― すぐに移調できない。

― 他の楽器の楽譜(特に移調譜)は読めない。

 

多分、まだある。まだまだある。

 

どれか一つでもできれば、それは武器になる。

それを活かして、活動している人たちもいるし、

それを手に入れようと、真剣に勉強している人もいる。

 

今日も、ちっちゃなお弟子さんが、「できない」と言って涙を浮かべる。

『大丈夫 できないことを できるようにするために キミはここにいるんだよ』

 

「どうして、できないの!」と怒られることの理不尽さを知っている。

明日また、それに似た言葉を聞くかもしれない。

 

穏やかな日差しを浴びて、

ふと伝えてみたくなった、大人の傷心。

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第51回 ヴァイオリン弾き傷心のできないあるある。

© 2014 by アッコルド出版