兄・アウグスト
兄のアウグスト・ポラストリは1877年5月11日ボローニャ近郊のサン・ラッザロでとても貧しい家庭の長男として生まれた。
小さい頃から楽器作りにとても関心を持ち、本人の強い希望により僅か9才でラッファエレ・フィオリーニの工房に見習いとして入る。仕事が終わり皆が帰った後の掃除を済ませ、捨てる様な木を拾いヴァイオリンのテスタ(頭の部分)を作る練習に時間を忘れる程没頭していたと言われている。
その作品を見てフィオリーニは若いアウグストに徐々に仕事を与える様になった。
アウグストは、17才の時に父親を亡くし、母親と幼い弟たちを抱える一家の長となり、工房内でも職人達の長のポストに就き必死に働いた。次第にその無口で引っ込み思案の少年は、ボローニャ派の真の継承者として評価される様になり、その時代を代表する製作家の一人として大変高く評価されることになったのである。
その作風は師匠以上に緻密で完成度が高く、縁(ヘリ)は丸みのある盛り上がりを見せ、赤茶けた透明感のある柔らかいニスとたっぷりとした板の膨らみがバランス良く調和し、その時代のごく少数の製作家にしか真似する事の出来ない魅力を獲得した。
師匠の死後、若干20才で最初の工房を開き、短期間の試用期間の後、人生を通して使い続ける彼自身の型を作り出す事となる。
彼の楽器はたった60台ほどしかなく、その特別な音質が音楽界ですぐに話題となり大変な賞賛を受け、今日、市場で見つける事はとても珍しい。
1927年11月9日ボローニャにおいて弟に工房を託しアウグストの早過ぎる死は訪れた・・・
弟・ガエタノ
弟のガエタノは1886年ボローニャに生まれ、カステリオーニ通りにあるアウグストのアパートの一室ではあったが、工房の見習いとして幼年時代から兄のアウグストと共に仕事を始めた。
若いガエタノは全てを兄から学び、横板の準備をしながら木の荒削りをする事から始め、兄が新作楽器を作る時間を割いてでも、細かい修理やアンティーク仕上げの模倣に打ち込んでいた為、手から手へ兄アウグストに協力するうちに、大きく成長し切り離せない存在になっていく。
ガエタノは真の製作家として短期間で成長し白木の状態までの楽器を作り、兄が最後の仕上げとすぐそれと分かる独特のタッチのニスを塗るだけになっていった。
有名な「2羽の雄鶏の焼印」は2人の本格的な共同作業が始まった1914年以降から楽器の下部の横板に押される様になり、兄アウグストの死後もガエタノは生涯この焼印を使い続けた。
アウグストの亡くなった同年、ガエタノはG.ペトロニ通り11番に工房を開いた後、有名な国際コンクールで金メダルを受賞した兄のヴァイオリンを受け取るなど、他にも兄の仕事に対する沢山の賞を残念ながら彼の死後受け取る事になる。
1920年代から30年代の間にガエタノの技術は成熟の極みに達し、当時誰も意義を称える事の出来ない程のフューメ市展覧会からの表彰とイタリア王室から名誉ある十字勲章を受け取った。
楽器製作の仕事は兄ととても良く似ていたが、ニスはアウグストの典型的な「ボローニャの赤」の他に、より黄オレンジ色に近い色調を用いるなど、黒と茶色の松やにとチリや埃を沢山吸収したニスは、時に反射して紫色の様にも映り様々な種類に富んでいた。
f字溝の下部は常に深く取り除かれ、アウグストの全ての楽器同様、ガエタノの楽器も良く調整された表板が特徴的である。
最高の修理人で優れた鑑定人でもあったマエストロ・ガエタノ・ポラストリは、残念ながら僅かな直弟子フランチェスコ・アルバレッリとオテッロ・ビニャーミを残し、1960年10月5日ボローニャにてその生涯を閉じた。彼の多くの楽器はイタリアをはじめヨーロッパ中のコレクターと偉大な音楽家の手の中にある。
イタリアン・ヴァイオリンの巨匠達
オールドモダンヴァイオリンを中心に
イタリアンヴァイオリンの専門家として
世界中の音楽家、弦楽器製作家、鑑定家と
幅広い交流を持つパオロ・バンディー二氏に、
ストラディヴァリ、アマティ、グアルネリの
3大巨匠の後に続いた
1800年、1900年代の
イタリアン・ヴァイオリンの巨匠を
紹介していただくシリーズ。
今回は「2羽の雄鶏の焼印」で有名な
ボローニャ派のポラストリ兄弟。
中庭で製作途中の白木のヴァイオリンを眺めるアウグスト
1913年に製作されたアウグストの唯一のクァルテットとアウグスト
アウグストのエチケッタ
2羽の雄鶏の焼印
ボローニャ派の楽器を使用していた有名なボローニャクァルテット
アウグストの手書き領収書
ガエタノの写真
ガエタノの手書き領収書
ヴァイオリン 表
ヴァイオリン 後ろ
以下の写真は、クリック(タップ)すると、
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パオロ バンディーニ Paolo Bandini
イタリアンヴァイオリン研究家&コンサルタント
イタリア・ボローニャ出身。
若くしてエミーリア・ロマーニャ州高等裁判所専属骨董宝飾品鑑定士を務め、古美術・宝石商をしていた20代の頃、ボローニャ派弦楽器製作の巨匠O.ビニャーミに出会う。
古美術・宝石商を続けながら弦楽器の芸術の世界に魅かれ、巨匠O.ビニャーミの下ヴァイオリン製作を学ぶ。13年間にわたるビニャーミとの厚い親交は彼の死まで続き、その間A.ポッジ、M.カピッキオーニ、C.ポッラストリ等、歴史に残る多くの偉大な製作家とも交流を深め、オールド・モダン・ヴァイオリンの研究、専門家としての道を歩み始める。
イタリア弦楽器製作に関する研究、多くの書籍の原稿を手掛ける他、ピエモンテ州後援「イタリアンヴァイオリンの巨匠達」DVDを監修。
ミラノ・G.ヴェルディ国立音楽院より特別講師として招かれる等、イタリア各地で「イタリアンヴァイオリンの歴史と選定の仕方」講演会を行なう。
2006年、世界初の弦楽器インターネットオークション“Da Salo”の創設者の一人として注目を集める。
カッリガーリコレクションの保管者として多くの若手音楽家に弦楽器貸与を行い、イタリアを代表するヴァイオリニスト、U.ウーギ、S.アッカルド他、V.ムローヴァ、M.ブルネッロ、ヨーヨー・マ、G.ソリマ等と交流を持ち、多くの音楽家からイタリアンヴァイオリンの専門家として厚い信頼を得ている。
イタリアンヴァイオリンについてのご意見ご質問は下記のメールでお受け致します。
(日伊英3カ国語対応)