top of page

ゴルトベルク変奏曲を弾くときは

自分も聴衆

 

──松原さんにとってゴルトベルク変奏曲の演奏はライフ・ワークですね。

 

「私は、これまでにいろいろなアンサンブルを経験し、例えばベートーヴェンの弦楽四重奏曲は全曲演奏しましたし、いろいろな作品と向き合ってきましたが、そういった経験を踏まえても、このゴルトベルク変奏曲には、今までになかったものを感じます。

 

私達の演奏、つまりパフォーマンスというものは、聴衆に迫っていく、訴えかけていく、メッセージを送る、というのが基本的な概念、姿勢だと思っていました。

 

ところが、ゴルトベルク変奏曲を演奏する際には、その概念が覆されるというか、私達演奏家自身も聴き手に近いのです。

 

勿論、演奏することはもの凄い緊張感の中で行なうわけですが、演奏の最初から最後まで、ある種どこか平穏な気持ちが自分の中にあって、しかも演奏している、という不思議な感覚なのです。」

 

──演奏者と聴衆という区分けでなく、一体化しているということですか?

 

「例えば、ものすごく美しい夕焼けを聴き手も演奏者も共に見ているような、そんな感覚でしょうか。

 

日没の太陽が我々に語りかけてくるのは、太陽自体が語りかけてくるというよりも、太陽を見た私達が、それぞれの価値観に照らし合わせて、それぞれが美しいと思ったりするわけですね。それが、音楽の原点にあることをゴルトベルク変奏曲が思い起こさせてくれるような気がします。」

 

深層心理に響く音楽

 

──音楽から与えられる感情・感動として、喜怒哀楽、というものがあると思いますが、そういったものでは語ることのできないものでしょうか。

 

「そうですね。言葉で説明するのは難しいですし、もどかしさを感じます。聴いていただくしかない、ということですね(笑)。

 

この作品は、もう一つ深い、深層の心に語りかけてくる力があると思います。感動という言葉はよく使われます。感動にはいくつかの層があるような気がします。表層のもの、例えば全身で受けるような感動もあります。

 

心の中にもいくつかの層があって、それぞれに感じる感動というものがあると思いますが、ゴルトベルク変奏曲は一番深いところに働きかける。決して聴いてたちまち興奮と感動に満ちあふれる、という種類のものではないですが、たぶん、私の経験からすると、それは何十年もその人の心の奥の方で持続する感動だと思うんです。」

 

──かつて、松原さん編曲の弦楽合奏版(+チェンバロ)で聴かせていただいたことがありますが、今回は弦楽五重奏(弦楽四重奏にコントラバス)のアレンジですね。

 

「そうです。全曲弦楽五重奏で演奏して、チェンバロは使っていません。『東京・春・音楽祭』で初めてこの版を演奏しました。その後、CDをリリースし、今回の演奏ではそこから、さらにアレンジして冒険してみようと思います。原曲をどのように表現するのか、アンサンブルの楽しさ、一人一人の個性が現われるようなアレンジ、ということで見直してみました。」

 

──打鍵の音楽を擦弦の音楽にするわけですが、そのときに留意なされたことは?

 

「一番重要なのは、低音、つまりコントラバスの配置の仕方だと思います。全体の響きの根幹をなす楽器なので、使い方によって曲の印象はだいぶ変わります。そこが一番楽しくもあり、難しくもあったところです。チェロとコントラバスのボーダーラインがないようなナチュラルな音楽ですね。

 

かといって一つの楽器で演奏しているように、ということではないのです。コントラバスの響きが加わることによって、音楽に与える美しさ、余韻、色、濃淡、そういうものがトータルでどういう響きになるのか、ということを想像することが、すごく楽しい。」

 

──カルテットにしなかった理由がそこに?

 

「そうですね。コントラバスの大きさ、というものが重要です。私もカルテットに長期間携わってきて、カルテットの魅力というものを熟知しているつもりです。カルテットは凝縮した一つの世界を構築しています。そして、長年練り上げるということをカルテットの作品は、要求しているわけですね。それが弦楽四重奏の楽しみでもありますが、五重奏の場合は、もう少し広い。つまり、カルテットのように一点に集約された音楽というよりも、“緩い”音楽、と言って良いかもしれない。いろいろなことが許される、というか、可能になるような気がする。コントラバスが加わることによってある種の自由というか、おおらかさ、自由闊達さ、縛られない、そういう空気が生まれるのは確かだと思います。」

 

──響きに包まれる。

 

「包まれているのだけれども、けっこう空間が大きい。」

 

──カルテットのような切れ味鋭い、というより……。

 

「カルテットはまずは緻密でないと、作品の持っているもの、起きていること、事象を聴衆に届けるのは難しいですよね。

 

ただ、それは作品にもよります。五重奏と言っていますが、今回ゴルトベルク変奏曲を演奏している中での話なので、他の作品を演奏したときにどのように感想、感覚を持つか、というのはまた別の話かもしれません。

 

私が予想するに、ベートーヴェンの後期のカルテットを五重奏でもし演奏したらどうなるか。

 

その時に、勿論ベートーヴェンが書いた緻密なテクスチャー、壮大なストーリー、それをカルテットで表現した場合と、五重奏で演奏した場合とでは、勿論、音楽の素晴らしさ、緻密さは変わらないと思いますが、私は音楽の表現の幅が、一つ拡がるような気がするのですよ。」

 

──ベートーヴェンのカルテットは弦楽合奏でよく演奏されますが、それとも違う?

 

「弦楽合奏の場合は、一つのパートを複数の人間で演奏します。それはそれで大きな音像で、迫ってくるし迫力もあるし、響きも豊かです。五人の場合は、それぞれが人生を語り合うような感じがします。」

 

──カルテット作品を五重奏にしてみると興味深いでしょうね。

 

「それはあり得ることで、よく考えるのですが、今は、バッハの作品にもう少しトライしてみたいと思っています。今年、またバッハでCDを出す予定です。収録する曲の中から、今回オルガン曲の前奏曲とフーガBWV546を演奏しますが、全部で5曲くらいを収録する予定です。それから、シューベルトの晩年のピアノ・ソナタ、これを弦楽にしたときにどうなるか、ということを想像したりすると、結構“そくっ”としたりします。」

 

──コンサートで共演されるメンバーは。

 

「もう昔から一緒に演奏している信頼している仲間たちです。そういう人間的な信頼関係の中で音楽というのはできると思います。レコーディングをしていても、議論するようなことは全然なくて、本当に五人が思ったままを演奏しているのです。録音もほとんど一発録りに近いです。」

 

──ゴルドベルク変奏曲の鍵盤の演奏で参考にされるのは。

 

「やはりグレン・グールドの演奏は、強烈ですよね。彼の若い頃の速い演奏が印象に残っています。」

 

──聴かれる方にメッセージを。

 

「興奮するとか、インパクトがあるとか、そういう音楽ではありませんが、心の垢を洗い流してくれるようなそういう音楽だと思うので、癒やしというと言葉は陳腐ですが、そういう時間を過ごしていただければと思います。最初に演奏する前奏曲とフーガBWV546は、アレンジしたものとしては世界初演です。」(取材:青木日出男)

 

 

 

 

ヴァイオリニスト 松原勝也さん

ヴァイオリニストとして、ありとあらゆるジャンルの世界、ソロ、コンマス、弦楽四重奏、室内楽、ジャズ、即興演奏、……を表現してきた松原勝也さんが、ライフワークとも言うべきバッハの世界、しかもゴルトベルク変奏曲を追求している。

 

弦楽合奏版の編曲、そして今回は弦楽五重奏版(弦楽四重奏+コントラバス)を編曲し、演奏する。

 

ゴルトベルク変奏曲の魅力を中心に松原さんに語っていただいた。

弦楽五重奏で聴く

J.S.バッハ

ゴルトベルク変奏曲

演奏会直前インタヴュー

弦楽五重奏で聴く
J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲
(松原勝也編)

 

日時:1月7日(火)19:00開演

会場:津田ホール

料金:全席指定 一般¥4,000 学生¥2,000 出演:松原勝也Vn、山﨑貴子Vn、柳瀬省太Va、菊地知也Vc、吉田秀Cb

曲目:J.S.バッハ(松原勝也編)/プレリュードとフーガ・ハ短調BWV546

   J.S.バッハ(松原勝也編)/ゴルトベルク変奏曲BWV988

詳細:津田ホール03-3402-1851

   ミリオンコンサート協会 

   http://www.millionconcert.co.jp/

           03-3501-5638

© 2014 by アッコルド出版

bottom of page