アコースティックの世界に惹かれ

 

──「男たちの宴」の編成は3人ですが、音楽は凄く大きく、雄大ですよね。

 

「そう感じていただけたら、最高に嬉しい。ピアニストの倉田信雄さんは、オーケストレーションを書かせたら最高に素晴らしい人で、ピアノしか触っていないですが、彼の中では、オーケストラが鳴っているんです。素晴らしいピアニストですよ。」

 

── だから雄大な音楽に感じるのですね。

 

「リハーサルでも、僕自身が、彼らに引っ張られて、自分自身が出会ったことのないような歌に、ライヴ本番さながらに出会っている。よくアマチュアの方が音楽は楽しめ楽しめ、と最初バンドを始めた頃というのは、下手でも何でも、スタジオに入って大きな音を出すのが楽しみで、でもそのうちだんだんそういう音に慣れていって、だんだん自分たちが出す音をなぞるようになってしまうものなんですね。だから、リハーサルで作り上げたものを本番で目指すみたいな、どこかで、そういう完全なるもの、完成形をライヴで再現してみたいというものがあったわけですが、今僕がやっているコンサートというのは、新たに起こることを期待している。

 

特にピアニストの倉田さんの演奏は、生ピアノの音が凄くよく聞こえてくるので、ピアノの旋律に、ぼくはいい影響を受けやすいのですけど、倉田さんは気持ちが良くなってくると、たまにブルーノート(ブルーノートスケール:長音階の第3音、第5音、第7音を半音下げた音を加えて用いる。ジャズやブルースでよく使われる)が混ざってくるんですよ。あと顔の表情で僕のエネルギーはすごく影響されるんです。毎回毎回そこで起こる化学反応、それこそライヴそのものです。コンサートをやっていて、すごくこちらが楽しい。」

 

── コンサートやライヴは、そういうものがあるからこそ、お客様はまた来たいという気持ちが起こるのでしょうね。

 

「例えば、立ち位置一つにしても、本来、正面を向いて歌うじゃないですか。でもリハーサルは正面向いてやらないんですよ。三人が内側に向いてやるんです。全員が、お互いの顔を見ながらリハーサルをする。それほど、関係性を感じながらできる向きは他にないですよ。僕の本当の希望は、本番でもそれをやりたいんです。会場でやるならば、ヴォーカルがステージの奥に入って、ピアノとチェロは客席を向くのでは無く、奥の僕の方を見るわけです。そうすると僕は正面を向いているんですけど、僕からはピアニストもチェリストも顔が見える。

 

実際、提案したのですが、横の照明が使えなくなるという照明的なテクニカルなことで、却下になってしまったんですが。本来、僕の中にある一番いい感性を感度よく引っ張り出せる場所は、ライヴ本番で、三人がトライアングルで向き合うスタイルなんです。ヴォーカルの立場で言えばそうです。たぶん他の場面では出ない声、一番繊細な声が出るんです。

 

歌って、そうでしょ。演奏もそうだと思うんですけど。リハーサルはある意味生きていないですよね。勿論リハーサルも十分楽しめているんですけど。本当に本番ならではの緊張感の中で、何か一つスイッチが入るじゃないですか。ステージに入った瞬間に拍手をうけて。で観客の前でスタートするコンサートの始まり。そこでスイッチが入るんですよ。ですからリハーサルでも繰り広げている同じ場面でも、本番でしか起こらないものがある。ライヴの場合、ハプニングという意味でなく、お互いの音と音との関係性で起こる何か化学反応みたいなものがあるんです。その瞬間がたまんないんです。

 

もうね。なにより幸せですよ。恋人には申し訳ないですけど(笑)。

僕は倉田さんのピアノに青弦のチェロ、マーティンのチェロに、恋をしているんです。

 

そういう誰かの奏でる音に恋ができるというのは、ミュージシャンとしては最高の幸せです。しばらくコンサートの間隔が空くと、リハーサルだけでもいいから、音を出したくなるんですよ。」

 

── アコースティックの世界に興味を持たれたのには、何かきっかけが?

 

「やっぱり、箱が鳴っている生の音が好きなんですね。だって敵わないですよ。敵わない。例えば、ピアノもエレクトリックピアノがどんなに進化しても表現としては、アコースティックのピアノには敵わないですよ。違う種類のものという受け止め方では、全然ありなんですけど。

 

生の音、というのは、空気の中に染みこんでいくじゃないですか。僕らのロックやエレキの音というのは、ある意味空気を破壊していくんです。それはその面白さがあるけれど。

 

ただ僕の場合は今、十数年間、声を失って、やっとまた歌えるようになった。それから復活してのコンサートなので、ある意味、デリケートな声さえも、なんか自分で感じていたい、というのが欲求のなかにあるんですよね。

 

シャウトして叫ぶ、というよりは、魂から上がってくる思いが、声になった瞬間みたいなもの、生まれる瞬間の声の立ち上がりのカーブを感じたい、みたいな。これ、モニターがでかかったら感じられないですよ。コンサートの時に僕の横に立ってもらったら分かるんですが、モニターからは、ピアノの音は出ていないです。生の音しか僕は聴いていない。

 

チェロがピアノに対してやはり少し音が小さいから、ピアノの生の音に対して、チェロは気持ち、そこに生声が消えない程度の音がモニターから返ってくるんです。僕のベストのモニターは、どこに座ってもいいんだったら、生のままです。僕もモニター無し。それが一番気持ちいい。ピアノとチェロの音のシフトを耳で感じながら、自分の声を自分の体の中に感じるんですよ。」

 

── ということは、よりクラシックの世界に近づいているような気がします。

 

「そうですね。繊細な部分、どちらかというとロックの世界でやっていた頃には、そこは聞こえなかった部分ですね。でも、ロックの世界で聞こえている部分もこのスタイルでは出せるので、ダイナミックスレンジが二倍になるわけです。そこは凄く楽しんでいます。

 

ロックバンドをやっていると、例えば、全体が100だとしたら、70以下は聞こえないわけですよ。勿論、マイクもかぶるし。でも、この編成というのはモニターもほとんど出していないので、吐息さえも全部拾えるんです。正に繊細な世界に入っていく入り口です。」

 

── 吐息さえも含めて歌である、芸術である、ということですね。

 

(続く)

 

 

1965年10月30日 広島県府中市に生まれる 中学2年生の夏、自分の感性とあう音楽に出会う。 16才の時に友人からアコースティックギターを譲り受け、翌年 学園祭にて歌で自己表現する喜びを知る。東海大学に進学後、音楽サークルでバンドを組み、青木和義と出会うきっかけになるライブハウスでアルバイトを始める。

1987年青木和義とT-BOLANの前身となるバンド“プリズナー”を結成。本格的にプロを目指す。同年11月22日、Being主催の第2回BADオーディション(目黒ライブステーションで開催)でグランプリを受賞。1988年7月22日“BOLAN”としてインディーズレーベル『YEAH』からインディーズデビュー。ライブ活動を年間100本以上行なう。

 

その後、メンバーとの音楽性の相違により“BOLAN”を脱退し、新たなバンドを複数掛け持ちするなどして音楽活動を続け、その過程で五味孝氏、上野博文と出会う。1990年再び、青木と組む道を選び、他のバンドで活動していた五味と上野を迎え入れ、“T-BOLAN”を結成する。

 

以降、15枚のシングル10枚のアルバムをリリースし、シングル、アルバムの総売上は1700万枚。1999年12月、ベストアルバム「FINAL BEST GREATEST SONGS & MORE」、VHS「FINAL BEST LIVE HEAVEN~LIVE&CLIPS~」をリリース、自伝エッセイ「泥だらけのエピローグ」を発売、12月をもって解散。以降、音楽活動を休止。 

2009年11月18日オフィシャルHPにて音楽活動再開を発表。11月26日には神戸ワールド記念ホールで行われた「ベストヒット歌謡祭2009」にて復活のステージに立ち、12月25日にはCCレモンホールにて「SECOND BIRTH Christmas Fan meeting #00 絆」無料招待で集まったFANの前で復活のステージを行なう。

T-BOLANのヴォーカリストとして一世を風靡した森友嵐士さんへのインタヴューを、これから数回に亘って連載する。
 
十数年に亘って、声を失った森友さんが、復活してからの活動を見ると、明らかにクラシックの世界に近づいている。
 
それは、彼自身におけるクロスオーヴァーなのではないかと私は想像する。
(青木日出男)

森友嵐士 ロングインタヴュー 第

森友 嵐士 1st Album「オレのバラッド」


TFCC-86346 ¥2,500(税込)

01.名前のない者たち
02.離したくはない(セルフカバー)
03.歌を見つけたカナリヤ
04.涙の壁
05.抱きしめていたい
06.誰よりオマエを愛してる
07.上を向いて歩こう(カバー)
08.月ノ夜ニ
09.悲しみが色をかえるまで
10.祈り
11.キズナ

 

iTunes
https://itunes.apple.com/jp/album/orenobaraddo/id432034316

© 2014 by アッコルド出版