セミファイナルからは客席に音楽評論家や業界関係者も顔を出すようになる。

90歳まであと2ヶ月ちょっとのプレスラー御大、専門のアシスタントが付いているものの、身体も頭も猛烈にお元気。審査の最中にロンドンまで抜け出して練習していたとのこと。右のメネセス氏はすっかり白髪が似合うようになったのに。

やはりこの名前がここに据えられるのは大きい。旋律とリズムを明快にするボザール・トリオの芸風とは異なる若者にも、冷静な評価を下しているのは流石にホンモノだ。

優勝候補筆頭のファン・バーレル・トリオ。さて、本選の結果やいかに。

まずは読者の皆様並びに編集部にお詫びから。この「ミュンヘンだより」、速報とは言ってみたものの、4つの世界最高水準のコンクールが同時進行する状況をまともにレポートするにはひとりではとても無理であった。なにせこのコンクール、ギャラリーには当地在住のご隠居同胞ばかりか、ドイツ各地の音大で学ぶ日本の音楽学生も応援や見物に多数いるのだけれど、「1次予選から本選まで全部聴くのが当然で、ワンステージだけ眺めるのは例外」というバンフ大会とは作りが些か異なる。想定された聴衆像があるとすれば、「大都市に住む音楽好きが、時間がちょっと空いたので放送局や音大に立ち寄り、たまたまやっている高水準の若者の演奏をいくつか見物する」という感じだろうか。

 

そんなわけで、2次予選が始まるくらいの時点で、全てのレポートは不可能と判断。四方山話がもっぱらになった次第である。かててくわえて、当地を訪れる前から日本の某評論家氏に優勝もありと入れ知恵をされていたファゴットの小山莉絵さんが、見事にファイナルまで進出。日本人どころか、このジャンルでアジア人としては初めての入賞者の1位なし2位となった。それも2位を分けたのが。去る5月にベルリンフィルに入団したばかりでドイツの業界では知らぬ者ないフランス人女性なのだから、事の重大さはご理解いただけよう。流石に共同通信が日本へニュースとして配信したので、既にご存じの方も多かろう。かくて小山さんへの緊急取材が入りバタバタし、当稿が疎かになってしまった次第。「アッコルド」関係の弦楽器は残念な結果に終わっている中、お目出度い話故にお許しあれ。

 

 

さて、水曜日に行われたピアノ三重奏部門のセミファイナルについて記そう。ミュンヘンARDコンクールはこのステージから会場が旧城壁の東、プリンツレゲンテン劇場となる。ミュンヘンでは室内オーケストラや室内楽のメイン会場のひとつで、いかにもこの街らしい美しい劇場だ。とはいえ、バブル期以降に日本で無数に建てられた室内楽専用音楽ホールに比べれば、音響もなにもあったものではない。ピアノも弦もまるで響かず、音は全部自分らで作らねばならないし、反響を利用することも不可能。

 

ヨーロッパの室内楽演奏会場は教会のような極端に残響の深い場所か、さもなければ全く響かない集会場若しくは演劇用の劇場というケースが多いので、こういう場所できちんとピアノ三重奏の音が作れなければプロとして通用しないことは確かだろう。いずみホールやトッパンホールがいかに特殊な恵まれたハードウェアなのか、あらためて確認させてくれる。

 

劇場客席の真ん中に審査員席が設けられ、その前後数列は基本的に聴衆は入れないようにしてある。この日からは筆者にはコンクール公報からプレス用チケットが提供され、結果的に審査員席から2列下った席の周囲は評論家や業界関係者、はたまた審査員の関係者ばかり。なにせ参加人数が多いこのコンクール、セミファイナルに至らないと地元評論家は殆ど顔も出さないのだ。つまり、ミュンヘン・コンクールで業界関係者に自分を印象づけたかったら、何が何でもセミファイナルまでは到達しなければならない、ということ。この辺り、参加を許された段階でもう一種の選ばれた特別な存在といえるバンフやメルボルン、大阪とはちょっと違っている。平日昼からの有料公演とは言え、客席はそれなりに埋まっている。

 

今更ながらに、審査員の顔ぶれを記しておこう。まず興味深いのは、ミュンヘンARDコンクール前回のピアノ三重奏部門で優勝したテッヒラー・トリオのヴァイオリン奏者エスター・ホッペの名前だ。前回の覇者が早速審査員席に座っているなど、日本やアジアの大会ではあり得ないだろう。ボロディンQの伝説のチェリストのベルリンスキーの弟子で、今はヴィーンを中心にピアノトリオや、東京Q脱退後にコペルマンが結成したコペルマンQのメンバーとしても活動するヴァイオリンのボリス・クシュナーはオーストリアの学生レベルを良く知る巨匠だ。フランス人ジャン=マルク・フィリップ=ヴァルジャベディアンは、ラ・フォル・ジュルネに頻繁に登場し、ことによると現役では日本で最も名の知られたピアノ三重奏団のトリオ・ヴァンダラーのヴァイオリン。

 

ベルリンフィルの首席チェロ奏者マーティン・レールは、唯一大阪とメルボルンを共に制覇したトリオ・ジャン・ポールのチェリストでもある。グリーンハウスを継いでボザール・トリオの二代目チェリストを務めたメネセスは、ミュンヘンのチェロ部門の最高位獲得者でもある。

 

ピアノは、フロレスタン・トリオの創設メンバーだたスーザン・トーメス(彼女のブログ記事は審査最中も更新されており、とても興味深いhttp://www.susantomes.com/)、そして説明も不要な、室内楽ピアノ界の生き神様、御年90歳になろうというのにまだ数年先まで演奏会日程が決まっているというボザール・トリオの鉄人、審査委員長のメナハム・プレスラー。ピアノ三重奏の審査員としては恐らくは史上空前にして絶後のドリーム・チームだ。大阪やメルボルンの事務局は、ただひたすら指をくわえて眺めるしかなかろうに。

 

さても、かくも強力な審査員たちの前で5団体が演奏するセミファイナル用の作品が、これまた難物揃い。ひとつはベートーヴェンの作品70の1若しくは2。それにラヴェルかレーガー。そしてピアニストのファジル・サイが作曲した新作《スペース・ジャンプ》である。ベートーヴェンはひとつが超有名曲でトリオなら必ずレパートリーにしている《幽霊》。基本レパートリーのラヴェルと殆ど誰も弾かないレーガーが並べば、敢えて後者を獲る団体はあるまい。ところがここにトリックがある。サイの新作はこのレベルの奏者たちには演奏そのものは難しくない楽譜ならが(残念ながらこのステージに進めなかった日本のアルク・トリオに拠れば、「初見で弾けます」とのこと)、中間楽章に派手なジャズ風音楽を置いた音楽はラヴェルに極めて似ているのである。

 

結果として、ベートーヴェンで作品70の2を選んだ1団体を除く5団体が、「《幽霊》+ラヴェル+サイ」という決して座りが良いとは思えぬプログラミングになってしまった。この状況を意図して現出したとすれば、審査員団は相当に意地が悪いとしか言いようがあるまい。

 

稿も長くなってしまった。以下、登場順に各団体を概観しておこう。なお、あくまでもピアノ三重奏団としての評価や印象なので、個々の奏者の力量に関しては敢えて触れない。

 

最初に登場したトリオ・ラファエロは、昨年のメルボルンの覇者。この日は調子が良くなかったか、はたまた会場との相性か、演奏の水準はいつもどおりに高いものの、響きのバランスに些か問題も感じさせ、この団体の実力からすれば無難にこなした、という程度の演奏だった。これまでのステージのレベルを鑑みれば、そんじょそこらのコンクールならそれでもOKかもしれないが、そこは流石にこの審査員団、物足りない演奏では本選へ駒を進めさせてくれない。団としては大いに悔しいところだろう。

 

ヴァイオリンとヴィオラ部門では2次予選が終わった段階で全ての日本人参加者が姿を消し、弦楽器でセミファイナルに進んだのはシュテファン・ツヴァイク・トリオの白井圭のみ。この団体、ベートーヴェンのトリオとしては音色面の配慮が例外的に必要な異色作の《幽霊》ではなく、より古典的で端正な作品70の2を演奏。特に第2楽章の掛け合いや第3楽章のヴィーン風の歌謡では気持ちいい音楽を聴かせてくれた。些か小さくまとまってしまった感もあるが、このような音楽なのだ、という主張ともとれたのだからこれはこれでありなのだろう。ラヴェルの音色感に些か違和感があったのは、プロの演奏会レベルならば「こういうラヴェルもあり」と言えようが、コンクールというステージではどうなのだろうか。本選への進出はならなかったが、厳しい言い方になるが、この演目と現時点でのトリオとしての総合力から致し方ないところではあるまいか。

 

2時間の休憩を挟み、夜のセッションは演目に相性が良さそうなフランスの団体が続く。まずはトリオ・カレーニナ。ベートーヴェンの冒頭から響きがうるさくならず、バランスの良さが際立つ演奏を展開する。ラヴェルは本気で音程を配慮し始めるともにっちもさっちもいかなくなる難曲だが、極めて端正に纏めてきて破綻を示さなかった。正直、これまでのステージでは平均点は高いが強烈な印象を与えることのない団体と思ってきたのだが、このステージではそんなキャラクターが美点になったか、見事にファイナルへと勝ち抜けた。

 

もうひとつのフランスの団体トリオ・アタナッソフも、ロシアやイギリスの団体のように強烈な何かをギラギラさせることのない安定感で各ステージを乗り切って来た。流石にここまで来るとそれだけでは足りないか、技術的にも表現にももうひとつ何か欲しいところ。ここまで至ったことで学ぶことは多かろう。

 

最後に登場したオランダのファン・バーレル・トリオは、トリオ・ラファエロ、ブッシュ・アンサンブルと共に既にキャリアのある団体で、衆目の一致する優勝候補の最有力。このステージも他を圧倒するスケールと、どんな力演でも崩れないバランスは立派なものだ。ラヴェルではちょっと悪達者とも言える表現で会場を沸かせたので、ことによるとこの審査員団はダメ出しをするかとも危惧したが、流石にこれだけレベルが高いとセミファイナルならOKということか、無事に本選での演奏の機会が与えられた。

 

かくて土曜日午後4時(日本時間午後11時)からの本選は、たった2組だけで戦われることとなった。ギャラリーの関心は、既にどこが優勝するかにはない。まるで一昔前のミュンヘン・コンクールのような世界一厳しい審査員団が果たして優勝を出すかどうか、である。アマリリスQやヴォーチェQの前にギュンター・ピヒラーが俺を越えねば優勝と認めぬとばかりに立ち塞がった前回のパオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールを思わせる状況となってきた今年のミュンヘンのトリオ部門。さて、プレスラー御大を納得させる演奏は成されるのだろうか。

 

 

ミュンヘンのピアノトリオ結果速報。2位2団体で1位なし。

 

旧市街を東に抜けて直ぐ、擬似バロックのプリンツレゲンテン劇場は、ミュンヘンの主要な室内楽会場のひとつ。今世紀になってから弦楽四重奏やトリオのセミファイナル以降と、室内管と合わせる独奏楽器のセミファイナルはここが会場となる。

いよいよプレスラー御大本領発揮?  音楽ジャーナリスト 渡辺和

ミュンヘン国際音楽コンクール

Internationalen Musikwettbewerbs der ARD München

ミュンヘン便り(その4

© 2014 by アッコルド出版