インタヴュー

フランスチェロ界の重鎮、アラン・ムニエ氏は、名教授としても名高く、多くの国際コンクールより審査員として招聘されている。過去2回の「ガスパール・カサド国際チェロコンクールin八王子」においても審査委員長として来日、第3回目の開催となる今年のガスパール・カサド国際チェロコンクールin八王子2013」も審査に参加される。
 
「今コンクールの審査員には、かつてないほどの高い道徳観念が求められているのです」と穏やかに語るムニエ氏は、コンクールという特殊な状況において、ひとりひとりの出場者を最大限に尊重する心、また理念上も妥協を許さないというご自身の姿勢など、ストイックでありながら温かく人間味にあふれるお話を展開してくださった。

 

また、目を輝かせて海が好きだと話す様子からは、フランス人らしいロマンチストな一面が垣間見られたことも印象的であった。

レースは海に対する冒涜

 
──ムニエさんは東京のガスパール・カサドコンクールをはじめ、多くのコンクールで審査員を務めていらっしゃいますね。ご自身はコンクールという制度に対しどのようなお考えをお持ちでしょうか。
 
Alain Meunier「それほど頻繁に審査員を務めているわけではありません。個人的には私はコンクール愛好家とは言えないのです。
 
私はヨットが好きなのですが、ベルナール・モワテシエ(Bernard Moitessier)というヨットマンをご存知ですか? 彼は多くの世界一周レースに参加し、あるレースでは世界を単独無寄港で一周半してしまったこともあるのですよ。
 
モワテシエは『レースは海に対する冒涜だ』という素晴らしい言葉を残しました。彼が多くのレースを制覇したにもかかわらず、このような言葉を残したことは意味深いと思います。彼は海を本当に愛してやまなかったのです。
 
私は『音楽』と『コンクール』の関係もこれに近いものがあると感じるのです。ただコンクールは、若い音楽家のチャンスやキャリアのために役に立つということは事実です。確かに矛盾した状況とは言えますが……
 
私はボルドーの弦楽四重奏コンクールの実行委員長も務めています。ヴァイオリンコンクール、チェロコンクールといったシチュエーションでは、『優秀な楽器奏者』であることが、賞につながることもあります。しかし、ベートーヴェンやモーツァルトの弦楽四重奏曲の音楽的内容を表現するには、『卓越した奏者』であるだけでは通用しないのです。」
 
──「卓越した奏者であるだけでは通用しない」とおっしゃいますが、ムニエさんにとってそこをひとつ飛び越えた芸術性とはどのようなものでしょう?
 
A・M「私はいろいろと矛盾を感じながらも、それに常に正面から向き合おうとしています。
 
このようなコンクール審査の場において、私は他の審査員の方と相容れない状況に陥ることがあります。違和感を感じてしまうのです。しばしば彼らは『ソリストとしての素質』や『卓越した技巧』、また『大きく響く音』などに注目します。このような要素は私にとって一番重要な事柄ではないのです。
 
私は繊細なものに惹かれます。必ずしもパフォーマンス面、周囲を打ち負かすような華々しさではなく、そういう精神的な面を評価したいと思うのです。私のような意見があってもよいのではないでしょうか?
 
……私自身、自分を『チェリスト』だとは思っていません。私にとってチェロは『音楽』をする手段に過ぎないからです。」
 
──先ほどのベルナール・モワテシエの言葉に通じますね。世界を征服することが目的ではない……
 
A・M「そう、大切なのは『世界を勝ち取る』ことではなく、『自分に勝つ』ことなのです。『自分に勝つ』ためにはどうすればよいかは、私にはまだわかりませんが……」
 

音楽は、現代に生きる者の為に存在する

 
──昨今の国際コンクールのレヴェルはとても高く、参加者も優秀な奏者ばかりですね。審査の過程でどのようなことをお考えになりますか?
 
A・M「真に例外的な才能を持つ人が昔より多くなったとは思いませんが、トップレヴェルの演奏をする人は本当に増えました。審査をする側としてはとても複雑な状況です。
 
もちろんコンクール審査中は、演奏者のテクニック面に注目しないわけにはいきません。第一、第二審査の段階では、私は自分の個人的な好みを忘れるように務めます。『私だったらこういう風には弾かないな』と思ったとしても、その人の演奏が一貫した考えに則っており、表現したいことが充分に伝わってきて、またテクニック的にも優れているのなら、私は受け入れ、評価するのです。 
 
私が自分の個人的な好みを優先するのは、ファイナルの段階のみです。」
 
──その「一貫した考え」というのは、テキストやスタイルの尊重ということを意味するのでしょうか?
 
A・M「当然そのパラメーターはあります。
 
しかし、皆が何かにつけて『尊重』と言いますが、テキストやスタイルの『尊重』とは一体なんでしょうか? 皆それぞれがテキストを『尊重』し、モーツァルトやベートーヴェンの真髄に近づこうと思って演奏しているのですよ! あまりにも多くの『尊重』の方法があり、こうなるとあまり意味があるとは思われません。一種の気取り、あるいはメディア向けのキャッチフレーズみたいなものです。
 
音楽作品は、作曲されたその時代のためだけに存在するわけではありません。音楽には大いなる力、魔力があるからこそ、生みだされた時代を超えて何世紀も生き続けていくのです。だからこそ素晴らしいのです。ベートーヴェンも『未来の人類のために』という言葉を残しているではありませんか。そう思えば、音楽はそれぞれの時代の流れや変化に沿った形を有する権利があり、そして当然現代に生きる私たちのためにも存在するのです。
 
その作曲家が生きていた時代に、その作品がどのように演奏されていたかという音楽学研究が現代では盛んに行なわれています。知識として必要であり、とても大切なことです。しかし、私はコンサートを聴いて、『1795年、ウィーンより』と署名された絵葉書を見るような感覚になどおちいりたくはないのですよ(笑)。
 
その作品を取り巻く時代背景などの知識を消化した上で、『2013年』と署名された演奏を、私は聴きたいのです。」
 

尊重とは……

 
──ならば、ムニエさんにとって本当に説得力のある、テキストやスタイルの「尊重」とは?
 
A・M「私にとって唯一のテキストの『尊重』の方法とは、作品の声に耳を傾けることです。
 
ここにpと書かれているからと書かれているからで弾こう……というような文字通りの演奏は、全く意味がないではありませんか。同じニュアンスだからといって、どこでも同じ弾き方をしていいはずがありません。と書かれていても、それがfffffに挟まれたものなのか、から盛り上がった先にあるなのか、といったことで、全く意味合いが違ってきます。
 
あるいは、クラシック音楽の作品には多くのレトリックがあります。たとえば、フレーズは多くの場合4小節で構成されていますが、それが1小節多かったり、あるいは少なかったりという場合がありますね。ここにもたらされた不均衡は偶然ではなく、何か必ず理由があるのです。
 
テキストに忠実であるということは、構成に忠実であることだと思います。作品の構造上、何をどのように配分、配置するべきかといったバランス感覚の問題でもあります。まず『作品を知る』ことです。
 
そして、作品が語りかけてくることを認識したら、自分が演奏での表現は語られている物語に忠実であるか、絶えず自分に問いかけることが大切です。
 
作品の内容が認識できていても、演奏する段階で全く違う風に弾いてしまうというケースがとても多いのです。つい感情的になってしまったり、自分のエゴを優先してしまったり……。私たちにアイデアを与えるのは『音楽』なのです。私たちが音楽にアイデアを与えては、音楽を小さく捻じ曲げてしまう結果になります。」
 

点数制にはうんざり


──カサドコンクールでの審査は点数制でなく、○×制と伺いました。この採点方法に対してどう思われますか?
 
A・M「私はこの方法を支持します。点数制にはうんざりさせられます(笑)。
 
点数制だと、判断があいまいな時に、つい中途半端な点数をつけてしまう恐れがあります。それは真摯に全力を尽くしている参加者の方に対して、敬意を欠く行為です。○×なら、この出場者を支持するのかしないのかという明確なポジションを、それぞれの審査員が持たざるを得ません。
 
コンクールの受験者の方々は皆、ある意味運命を賭して参加しています。それならば、審査する側も自分の選択に責任を持つべきなのです。その判断が『正しい』かどうかはともかくも、それが『勇気』のある行為であると私は考えます。」
 

フランス巨匠の伝統

 
──ムニエさんご自身の師、M・マレシャルをはじめ、M・ジャンドロン、A・ナヴァラ、P・トルトゥリエといった巨匠の存在もあり、フランスのチェロの伝統は世界的に有名です。このフランス派のチェロの発祥とはどういうものでしょう?その系譜を少しお話いただけませんか?
 
A・M「18世紀末のベルリンで、ベートーヴェンの初期のチェロソナタ(作品5)はフランス人チェリスト、デュポールによって初演されました。フランスのチェロのエコールはそれほど遠くまでさかのぼるのです。この時代の先生は、ナポレオンによって1795年に創設されたパリ音楽院で教鞭をとり、ヨーロッパ中、そしてロシアまでも教えに行きました。
 
またチェロだけでなく、ヴァイオリンの『フランコ・ベルギー派』の存在は言うまでもありません。ロシア派のヴァイオリン奏法も、フランコ・ベルギー派から生まれたといえるのです。
 
19世紀半ばには、ワーグナーをして『フランスのオーケストラほど美しい音色を持つオーケストラはない』と言わしめました。
 このようにフランスの弦楽器の伝統は、今でも世界に誇れる素晴らしいものなのです。」
 
──ムニエさんは、あらゆる国籍の方々の演奏を常にお聴きになっています。現代ではエコール、流派の違いが昔より明確でなくなったと思いますが、ご自身はどう思われますか?
 
A・M「そうですね。楽器に対するコントロール、技法という意味では、違いは以前ほど聴かれなくなりました。しかし、音色やフレージングにおいて、奏者の国籍の特徴が表れると感じることはあります。その国の生活様式や常識の特殊性が、弾き方に表れるということなのかもしれません。」
 
──日本の音楽教育についてどのような印象をお持ちですか?
 
A・M「日本の音楽教育は、第二次世界大戦以降から本格的に始まったように思われがちであり、確かに目覚しい発展を遂げたのは戦後からといえますが、実は明治時代からもう1世紀半近く、日本は西洋音楽と親しんできているのですよ。西洋音楽の教育が日本人にとって新しいものであるという観念は間違っているのです。
 
スタインウェイが設立されたのは19世紀半ばですが、20世紀初頭前後より日本でもピアノが製造され始めましたよね? 数十年の差に過ぎないのです。また同時代、ロシアのポグロム(ユダヤ人排斥運動)を逃れて、日本を経由してアメリカに移住しようとしたユダヤ人音楽家たちが、日本でレッスンをしていったという事実もあります。その後のドイツ人音楽家の貢献は言うまでもありません。日本にもその頃から西洋音楽教育が存在したのです。
 
戦前のマレシャル門下には倉田高さんがいました。マレシャルは彼の才能を非常に愛しており、高さんが戦争が始まる前に日本に帰国し、そして彼の消息が途絶えてしまった時は、本当に悲しんでいました……。
 
その後、彼の娘さん、澄子さんがパリでトルトゥリエに師事されました。今では彼女が素晴らしい若いチェリストを大勢輩出なさっています。このように偉大な才能が受け継がれていったことは、日本の音楽教育の伝統の証に他なりません。
 
国籍のメンタリティの特徴が音に表れると申し上げましたが、日本の生徒さんにはまだ『レッスンで自分の考えを主張することは、先生に対して失礼である』という考えが強くあるように感じられます。
 
もちろんレッスンで先生の指示に従うことは大切ですし、私たち教える側にとってはとても嬉しいことではありますが、私たちの西洋音楽を学ぶ上で、このようなおとなしい受身のアプローチは不十分なのです。」

Alain Meunier Interview
アラン・ムニエ・インタヴュー
2013年4月28日 パリのムニエ氏のご自宅にて取材

インタヴュアー:船越清佳(ふなこし さやか・ピアニスト)

日本のアマチュア演奏家にもレッスンをしたい

 
──日本の傾向として、卓越したプロ音楽家の育成には大きな力が注がれてきたものの、反面アマチュア音楽家の教育は重視されていなかったように思います。これに関して何かご意見をいただけますでしょうか。
 
A・M「私が特に奨励したいのは室内楽の分野の発展です。
 
以前より、日仏交流の機関で、アマチュア音楽家向けの室内楽セッションなどの企画があれば、どれほど素晴らしいかと思っているのですが……日本にはハイレヴェルのアマチュア音楽家が大勢いらっしゃいます。私はぜひ、日本のアマチュア音楽家の方たちにもレッスンをしたいと思っているのです。
 
また、私が日本の状況で非常に残念と感じるのは、専門の機関においても室内楽の授業にあまり重きが置かれていないことです。とても優秀な奏者の方が多いのに、たとえば4人で室内楽となると、『1人対その他』という状況になってしまう……室内楽には、取り組み方、考え方といった面で勉強しなければならないことが多くあります。音楽大学の学長さん方が、この点に関して考慮してくださればよいと思うのですが……」
 
 
──最後に、ムニエさんご自身の最近の活動についてお聞かせください。
 
A・M「来年2014年に発売されるCD『モーリス・マレシャルへのオマージュ』を、7月にレコーディングします。収録曲はドビュッシー、オネゲル、ブラームスのソナタ第一番です。
 
2014年は、第一次世界大戦勃発100周年となります。マレシャルはアンドレ・カプレと戦友で、共に前線で活動しながら、兵士のために演奏も行なっていました。ある日、カプレがドビュッシーのチェロソナタの第一稿を手に入れてきたのです。彼らは前線で練習し、1916年にはドビュッシーの前で演奏したというエピソードがあります。
 
またマレシャルはオネゲルの親友でありました。そしてブラームスのソナタ第一番はマレシャルが最も好んで演奏したレパートリーのひとつです。」
 
 
──とても楽しみです。今日はご多忙の折、長時間ありがとうございました。

倉田 髙

アラン・ムニエ  Alain Meunier

1942年、第2次世界大戦中のパリで男4人兄弟の3番目に双子として生まれる。

 

7歳からチェロを始め、13歳でパリ国立高等音楽院に入学、15歳で室内楽、16歳でチェロのプリミエ・プリを獲得する。

 

18歳から突如音楽活動を停止し、音楽美学や音楽学などを学ぶが、22歳で再びチェロを手にプラドを目指し、カザルスの前で演奏する。

 

イタリア・シエナのキジアーナ音楽院に入学し、卒業後、セルジオ・ロレンツォ主宰のアンサンブル「ピアノ・クインテット・キジアーナ」のメンバーとして活動。

 

24歳からキジアーナ音楽院で教鞭をとり、フランス・リヨン国立高等音楽院の教授を経て、1989年からはパリ国立高等音楽院の教授として後進の指導にあたる他、「ボルドー国際弦楽四重奏コンクール」の総裁を務める。 

船越清佳 Sayaka   Funakoshi                

ピアニスト。岡山市生まれ。京都市立堀川高校音楽科(現 京都堀川音楽高校)卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。在学中より演奏活動を始め、ヨーロッパ、日本を中心としたソロ・リサイタル、オーケストラとの共演の他、室内楽、器楽声楽伴奏、CD録音、また楽譜改訂、音楽誌への執筆においても幅広く活動。フランスではパリ地方の市立音楽院にて後進の指導にも力を注いでおり、多くのコンクール受賞者を出している。


日本ではヴァイオリンのヴァディム・チジクとのCDがオクタヴィアレコード(エクストン)より3枚リリースされている。


フランスと日本、それぞれの長所を融合する指導法を紹介した著書「ピアノ嫌いにさせないレッスン」(ヤマハミュージックメディア)も好評発売中。

© 2014 by アッコルド出版