インタヴュー

日本を代表するヴァイオリニストの和波たかよしさんが、楽壇デビュー50周年を記念してリサイタルを行なう。デビュー当時から思い入れの深いブラームスのソナタ全曲が演奏される。
リサイタルを前に、様々な思い入れを語っていただいた。

楽壇デビュー50周年記念演奏会
和波たかよし
「我が心のブラームス」
Pf土屋美寧子
【日時】6月9日(日)14時開演
【会場】紀尾井ホール
【曲目】ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調Op.100、ディートリヒ、シューマン、ブラームス/F.A.Eソナタ、ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調「雨の歌」Op.78、同第3番ニ短調Op.108
【チケット】全席指定:¥5,000
【お問い合わせ】AMATI 03-3560-3010

http://amati-tokyo.com/performance/20120113.html

ブラームスのソナタの演奏プラスF.A.Eソナタ全曲



──50周年記念のリサイタルでブラームスの全曲を演奏されますが、和波先生が毎年なさっている八ヶ岳のサマーコースに20年前に取材に行ったとき、ブラームスの1番のソナタが演奏されていたことを思い出します。本当に雰囲気が合っていました。


今回のコンサートですが、前半に2番、F.A.Eソナタ全曲、後半に1番、3番というプログラムですね。


和波「僕は20代の頃からブラームスの全曲演奏をやってきましたが、曲目のバランスを考えて配置しました。


一番最初は、シエナのキジアナ音楽院で室内楽を教えておられたピアニストのセルジオ・ロレンツィ先生との共演でした。彼と初めて共演したのは1969年で、僕が24歳、彼が50代後半でした。その時はヴェネチアでベートーヴェンの作品3つを演奏したのですが、それが成功して次の年の1970年にブラームス全曲を演奏したんです。


若かったにも関わらずブラームスはレパートリーになっていたので、やはり昔からブラームスには特別な愛着があったと思います。


その後、26歳のときにソナタの1番を日本でロレンツィ先生とレコーディングもしました。ただ僕が29歳の時に亡くなられて、彼とのデュオはそれきりできなくなりました。ロマンティックで情熱的な素晴らしい演奏をされる方でした。それが私のブラームス体験の大きなものでした。


それから、今回のピアニストである土屋美寧子の恩師であるヘルムート・バルト教授と一緒に演奏するようになりました。美寧子の紹介で知り合ったのですが、1978年の6月にフライブルクでの全曲演奏を計画して下さいました。もちろん僕はブラームスばかりを弾いていたわけではないけれど、今にして思えばブラームスが合う、と思ってくださった方が多かったと思う。


その時、バルト先生は、2番、3番、1番の順を提案されました。やはり、一番は名曲中の名曲ですから、最初にやってしまうのは、勿体ない、という考え方ですね。


1983年、ブラームスの生誕150年の年に、バルト先生とは東京でブラームスのピアノ四重奏曲や五重奏曲を演奏し、さらに石橋メモリアルホールで芸術祭参加として、2番、3番、1番を演奏して、文化庁の芸術祭優秀賞を受賞しました。


そして美寧子とは、個々には演奏していましたが、全曲演奏をしたのは、1990年代に入ってからです。3年くらい前には名古屋の宗次ホールでやらせていただきました。その時は1番、2番、F.A.Eのスケルツォ、そして3番の順でやりました。


今回、2番、3番、1番で行こうと思ったのですが、事務所からF.A.Eも弾いては?という話があって、当初僕は、この曲はブラームスが書いたのは一部分ですし、ブラームスの全曲演奏には相応しくないと思っていたのですが、facebook、ツイッターで意見を聞いてみたら、あちこちから、やれやれという声が出てきて(笑)、これはやった方がいいのかな、と思って。


1968年頃、江藤俊哉先生がF.A.Eを全曲演奏されたのを聴いたことがあったので、曲としてのイメージはあったんだけど、改めて音源を聴いてみて、シューマンが作った4楽章、これは何なんだと思って。最後の方は32分音符ばかり並んでいるんですよ。練習曲みたいな感じ。ちょっと二の足を踏んだ。


こんなに速い曲でテクニックを見せる、ということは考えてなかったんだけど、やっぱり、じゃあやってみようと思ってもう一度よく研究してみたんです。


美寧子はシューマンが好きでリサイタルでいろいろな曲を取り上げるんですが、シューマン最後のピアノ曲の『暁の歌』もリサイタルで弾いたんです。とても不思議な音楽で、人間の魂が肉体から離れてどこか行ったような感じがするのですが、それと同じ世界だと思う、このF.A.Eの最後の楽章は。


僕は、シューマンのヴァイオリン協奏曲をロンドン・フィルと録音しているんですが、それにも共通するところがあって、これはやってみるべきだと思いました。


F.A.E.とはヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に」(Frei aber einsam)の頭文字をとったものという説が有力ですが、そうではないという説もあるんですね。ヨアヒムの到着を喜んで、これを作ったみたいな、そう言っているドイツ語の単語の順番をひっくり返した、という説もあって、よくわからないんですよ。


ただ、1853年にヨアヒムがハノーヴァーへやってくる機会にみんなで作ろうとシューマンが提案した。ディートリッヒはブラームスより四歳年上の作曲家です。で、分担して作った。大事な音はF.A.Eで作ろう、ということで作曲したらしいんですね。

 
ところで、シューマンのヴァイオリン・ソナタの三番が1950年代に出版されて、江藤先生も録音されているのですが、その三、四楽章にシューマンがF.A.Eの為に書いたものをあてているんです。しかも、F.A.Eソナタの初演の直後に作られているんです。だから、シューマンは三人の合作が気に入らなかったのかな、と。


そしてF.A.Eの楽譜はヨアヒムが持っていて、ブラームスの部分だけ出版を許したらしいんですよ。だから、全曲の出版もかなり遅れたらしい。何しろ謎の多い曲ですね。ブラームスの部分は、F.A.Eという動きの痕跡がないですしね。


僕が本当に興味深いのは、シューマンが書いた最終楽章ですね。シューマンの晩年ですが、ヴァイオリンで同時には弾けないGEGの音の組み合わせがあったりします。32分音符の連続とか、ヨアヒムは弾けたのだろうけれど、でもどうしてこんな音型を書かなくてはいけないのだろう、と思ったりしてね(笑)。


ブラームスの三曲のソナタに関しては存分に演奏してきた曲なのですが、今回、一から見直して今の自分らしく、しっかりとしたものを作ろうと思っています。」



ブラームスには片思い



──ブラームスという作曲家に対してどんな印象を。



和波「これは僕の片思いですね。もの凄くすきなんですよ。高校二年でヴァイオリン協奏曲を弾いて、その時の、ブラームスはいいな、という思い、そして江藤先生のアドヴァイスもあって、シンフォニーや歌曲のレコードをたくさん買ってきて聴いたんだけれど、その時の夢中になっていた自分が忘れられないです。


偶然にもロン=ティボー国際コンクールでもブラームスを弾くことになったんです。それは課題曲でしたから、他に選ぶこともできなかったですが。その時のリハーサルの興奮は、今思い出してもぞくっとするものでした。コンクールの練習なのに、オケの団員が総立ちで喜んでくれました。柔らかく包み込んでくれるようなオケでしたが、フランスの人たちもブラームスが好きですから、彼らの好んでいるブラームスを僕が弾いたのでしょうね。

あの日の感動が、ソナタの演奏にも向かわせたのでしょう。とにかくブラームスが弾きたい。ですから、若い頃のリサイタルにはブラームスの作品がいつも入っていました。ロンドンやベルリンでデビューしたときも、A durのソナタを弾きました。


1981年に国連に招かれたときに、三番を演奏しました。今考えたら、もうちょっと小品やポピュラーなものの組み合わせで弾いたらウケたのに、と思うのですが(笑)、当時は、そういうところで弾くのだったら、ブラームスって思っていました。


とにかく理屈抜きでブラームスが好きなわけですが、その元になっているのは、ブラームスの温かみです。僕が表現したいのは正にその温かみです。」


──切ない部分も感じるのですが。


和波「その切なさも、例えば慰めであったり、寄り添う、ということであったり、悲しみを共有する、ということだと思うんです。やっぱりメロディも美しいけれど、ブラームスならではの和声法の面白さで、そういうものを表現していると思います。ふつうには出てこない和声の動きがありますから。それは、ピアノに委ねるしかないけれど。


僕たちがデュオで作り上げる世界を初めてレコーディングしたのがやはりブラームスだったんですよ。長年の積み重ね、経験、想い出、そういったいろいろなものを、自分の50年に表現してみたい。


ですが、実際弾くのはいろいろ大変だと思います(笑)。若い頃のように力勝負はできないから、迫力で押す、といった演奏ではないでしょう。僕が今一番技術上気をつけているのは、音の輝きですね。古今の大演奏家もそうですが、歳を重ねてきた人たちのレコーディングを聴いていると、輝かしい部分というのはだんだん失われてくる。そういうのが多いんですね。



それでも生で聴くとそれなりの感銘はあるんだけれど、やっぱり録音で聴くとそのあたりは諸に分かってくる。ヴィブラートなのか、音の吸い付きなのか、何かコントロールが難しくなってくる。だから、力をそんなに入れなくても遠くに届く音、それを日々探求しています。そこをしっかりやっておかないと。遠くでやっているな、というう音楽にはしたくない。心に届かなくてはいけない。



音作りは常に継続しているわけで、少しずつ変わっていると思う。僕の音は僕の音なんでしょうけれど、でも自然と変わっていくんですね。ただ僕は十八年間、アンドレア・グァルネリを弾いています。楽器と相談しながら、どういう弾き方が一番合うのか、体の状態と楽器の状態を合わせて、少ない力で十分な効果を、ということを考えています。


そこを考える上で、バロック・ヴァイオリンの経験も生きるわけです。力を抜く、その抜き方がうまくならないといけない。効率良く弓が弦にコンタクトしていないといけない。」


──演奏家の体と共鳴するというようなことは?


和波「レコーディングのエンジニアの方は靴を履いているのと脱いでいるのとでは、音が違う、とよく言いますね。もちろん、手や腕でヴァイオリンは弾くわけですが、それだけではないですね。特に僕は腰や膝が柔軟であることがとっても音を作るのに大事だと思う。下半身が柔らかく、力を溜めておけるようにしたい。膝の屈伸をよく使う方がいますが、あれは、弾きやすいからやっているのではなくて、音に与える効果を考えている。江藤先生がよく、前に行けとか後ろに行けとか、動きを教えてくれましたが、強く訴えたいときには少し前屈みになる。伸びやかに歌いたいときは、楽器を少し高く上げる。そういう動きが自然にできたときが一番いい演奏になるような気がします。


僕の先生のヴェーグ先生も晩年は声を出していました。声を出すと、弓を返すときに楽になりますよね。そういうのも最近感じますよ。


僕はまだ初心者ですが、ヨガをやっているんです。呼吸法をずいぶんやるんだけれど、それは、演奏直前にはとてもプラスになります。心が落ち着きます。少しずついろいろな経験が加わっていますから、そういうものを取り入れたようなブラームスができればいいなと。


僕は紀尾井ホールが好きなので、そういう意味では不安がないから、きっと僕らしい音を響かせることができると思います。ここでは、室内楽もデュオも無伴奏も僕の弦楽オーケストラもやらせてもらっています。やっぱり何をやってもこのホールは楽しいですよ。あとは、お客様に来ていただくことですね。」



感謝の思いを込めて



──50周年という数字にどんな感慨を。


和波「50年よく続けてこられたな、という気持ちですね。考えてみると、僕より年上の現役ヴァイオリニストは、ずいぶん少なくなりました。まだいらっしゃいますが、多くはない。いろいろな問題で続けられなくなる方もたくさんいらっしゃる中で、本当にこれだけ続けてこられたのは運が良かったなと思います。それは、数え切れないほどの人たちへの感謝ですよ。自分は自分の人生の為に努力するのは当たり前ですが、それを認めてくれれ応援してくださる方がたくさんいたからできたわけでしょう。その事の恩返しという気持ちで自分はいつも演奏していかなくてはいけない、と思います。」取材(青木日出男)

和波たかよし・インタヴュー

楽壇デビュー50周年を記念して(6月9日14時 紀尾井ホール)コンサートは終了しました。

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