50年の長きにわたって、メキシコと日本との交流を

まず総・白大理石の堂々たる会場の国立芸術宮殿の前に立って、我が眼を疑う思いにかられた。



初めてやって来たメキシコ・シティーは、なんとなく日本で無意識のうちに植えつけられていた“赤茶けた大地とサボテン”の風景とは似ても似つかぬヨーロッパ風の大都会で、この美術館とオペラハウスが同居する芸術宮殿の歴史を刻んだ大理石の色あいに、この国が決して芸術をおろそかにせず、19世紀から欧米の著名音楽家を招聘したり、同時にメキシコの演奏家たちがニューヨークやパリなどで大成功を博していたと伝え聞く歴史に合点。



この館内でのみ観ることが可能なメキシコの世界的に著名な壁画家たち、リベラ、オロスコ、シケイロス、タマヨなどの大作に圧倒されながら、黒沼ユリ子への祝賀コンサート会場に入る。メキシコが誇る作曲家マヌエル・マリア・ポンセの名を冠したポンセ・ホールと言う。小じんまりしたリサイタル・ホール風だが、そこでこの夜、満席の聴衆と共に、実にユニークなコンサートが開かれたのだ。前売り券は完売。当日売りを期待してやって来た聴衆は、泣く泣く会場をあとにしていた。



去る3月23日夜、50年の長きにわたって“音楽を通じてメキシコと日本の交流を深め促進させた貢献”に対して、黒沼ユリ子に捧げる祝賀コンサートがメキシコを代表する豪華ソリスト総出演で華やかに、また心温まる感動的な雰囲気の中で開かれたのだ。それは結婚50年を祝う金婚式にちなんでゴールデン・アニバーサリーと名付けられていた。



コンサートはまず、目賀田周一郎・駐メキシコ日本大使の黒沼ユリ子の偉業を称える祝辞に始まり、メキシコ文化芸術庁、国際交流基金の代表者らからの賛辞にバトンタッチ。丁度2年前に黒沼ユリ子が中心となって開いた9時間にわたる「東日本大震災・被災者連帯」マラソン・コンサートに出演したソリストたち、室内楽団、合唱団、オーケストラなどを紹介する映像と、黒沼ユリ子の日本での最近の活動についてのテレビ・ニュースの抜粋などがビデオで紹介された後、黒沼ユリ子は、ユーモアも交えた挨拶をし、拍手喝采されていた。私にはスペイン語が理解できなくて、非常に残念だったが。



こんな幸せの時が……



コンサートは、メキシコ近代音楽の父とも呼ばれている作曲家マヌエル・M.ポンセに敬意を表して、黒沼ユリ子・トリオが彼のピアノ・トリオから「アンダンテ・ロマンティコ」を演奏してスタート。



続いて5年前に彼女が音楽監督をつとめて日本でも公演し、大成功を博した4人の歌手たちが、団伊玖磨のオペラ「夕鶴」の抜粋を衣装もつけて登場して披露。見事な日本語(スペイン語のスーパー付き)と感情豊かな演技で熱演し、聴衆から「ブラーボ!」が飛び交う。このコンサートは黒沼ユリ子の司会進行で続いて行く。



今年没後100年を記念するメキシコの作曲家エロルドゥイのマズルカをヨゼフ・オレホフスキがショパンの香りを醸し出しながらピアノ独奏後、日本にもすでに大勢のファンを持つ黒沼ユリ子の愛弟子ヴァイオリニスト、アドリアン・ユストゥスとオレホフスキによってラベルの「ツィガーヌ」が情熱的に演奏され、聴衆を圧倒。



休憩をはさんでメキシコが世界に誇る打楽器アンサンブル「タンブッコ」が、コロンビア生まれでメキシコに帰化した作曲家ノボアの「サーベ・コモ・エ?何だか分る?」を、あたかも弦楽四重奏のように坐って木片をたたいたり、こすったりしながら一瞬の狂いもなく、しかも楽し気に演奏して聴衆の眼と耳を奪って大喝采を受ける。



続いてアカペラ六重唱団「ボス・エン・プント」が登場。人気絶頂の彼らはファンが多く、何を歌っても常に大成功を博しているそうだが、この晩は3曲目に何と中村八大の「上を向いて歩こう」を日本語で、しかもリーダーのホセ・ガルバンの新鮮味あふれるシャレたアレンジで歌って会場の全ての人を幸せにして魅了。



そしてラストに黒沼ユリ子とアドリアン・ユストゥスが笑顔で登場し、疑いもなく息の合った師弟によるヴァイオリン二重奏がオレホフスキのピアノ伴奏で演奏された。聴衆からのスタンディング・オベーションによる熱烈な長い拍手が続いたため、出演者全員がステージに再登場。黒沼ユリ子と抱擁を交わしながら、彼らは満面に笑みを浮かべて彼女に拍手を贈り続けるのを見て、私も感無量となった。果てしなく続くように見えたためか、ついに彼女はマイクを手に拍手を制し、頭を下げた。



「この50年間、こんなに幸せな時が来るなどとは夢にも思ったことがありませんでした。ただただメキシコの素晴らしい音楽家の友人たちと、ここにお集まり下さった皆様、そして今後の私の人生で決して忘れることのできない素晴らしいコンサートの機会を作って下さったメキシコ文化芸術庁と日本の国際交流基金に心から感謝します」と、その時、私には理解できなかったが、彼女はそう語ったそうだ。



コンサートの終了後には芸術宮殿の2階テラスでカクテル・パーティーがあり、ワイン・グラスを片手に、箸で上手に巻き寿司をつまんで美味しそうに頬ばるメキシコ人たちに囲まれ、私は一瞬今、自分は何処に居るのだろうか、と不思議な気持ちになった。日本はすでにメキシコからそう「遠い国」ではなくなっていたのだから・・・。



「国際文化交流と一言でいってもなかなか容易ではありませんよ。ともすると一方的な日本文化の紹介に終わってしまうことも少なくありませんからねぇ。そういう意味では今夜のコンサートは理想的なものでしたよ。それもこれも黒沼先生が長きにわたって精力的に培っていらしたメキシコの音楽家との交流のおかげですね。さすがです!」とは、国際交流基金メキシコ事務所長の洲崎氏の弁。



「黒沼先生のメキシコと日本での半世紀に渡る多才なご活躍の歴史に感動しました。それから観衆を魅惑させる音のハーモニー。その音がヴァイオリンから出るのではなく先生ご自身から出ている妙技に、涙が出てしまいました。」と聴衆の一人の日本婦人。



「外務省のある大使と隣の席でご一緒しましたが<プログラムが素晴らしく、それぞれのアーティストの演奏も本当に素晴らしかったし、マエストラ・ユリコの話はユーモアがあって、楽しいコンサートでした>とおっしゃってお帰りになりました。私も同感で、これほど楽しめたコンサートは滅多にありません。先生が50年間積み上げていらした日墨の友好の絆が一晩のコンサートに凝縮されていましたね。まさに先生は日本とメキシコの音楽を通しての懸け橋とあらためて実感しました」とは、目賀田大使夫人からの言葉。



「素晴らしい演奏に、心が洗われる様で涙が止まりませんでした。音楽がどれだけ人々の魂を揺さぶる力があるかという事を、あらためて思い知らされましたよ。」とは若い日本人女性。



私は日本の方々としか会話ができなかったが、メキシコ人たちの笑顔から、誰もが同じように黒沼ユリ子の功績を疑いもなく認めていることは、スペイン語が苦手の私にも確実に伝わって来たパーティーだった。



日本の誇り



ひと言で「50年」と言うのは簡単だが、その日々がどんなに喜ばしかったり、苦悩に満ちたものだったかは、われわれ他人には想像もつかないことだ。が、この日のコンサートに同席できたお陰で、私にはメキシコでの黒沼ユリ子が、いかに多くの音楽家や聴衆から愛され、尊敬されているかを手にとるように納得できたので、日本人として、これほど誇らしいことはなかった。遠路はるばるだったが、実際に現地まで足を運んで来て同席でき、本当に良かったと実感した次第である。



なお、このコンサートについてはメキシコの有力紙「レフォルマ」「ラ・ホルナーダ」「ミレニオ」などが黒沼ユリ子とのインタビューを大きな記事にまとめて掲載していたり、コンサートの翌日には「テレビサ」のニュースでも報道され、来週には「教育ラジオ(ラディオ・エドゥカシオン)」局から実況録音が放送されるとのこと。

そして彼女には、今後もいくつかのラジオ局からインタビューの生番組に出演依頼が舞い込んでいると耳にしている。一人の日本のヴァイオリニストがこれほど外国でニュースになることを、私はこれまで聞いたことがないが、これは稀有なことではないのだろうか・・・。それが偽りのない実感である。

レポート

感動の嵐に包まれたメキシコの夜

黒沼ユリ子のゴールデン・アニバーサリー・コンサートに出席して

西松 朝男(オフィス・アミーチ代表)

Photo by Miho Hagino

お祝い演奏に駆けつけてくれたメキシコを代表する演奏家に囲まれる黒沼ユリ子さん

メキシコ人の日本語による「夕鶴」抜粋から

終演後、国立芸術宮殿の2階テラスでカクテル・パーティーにて共催者の方々と左から2人目、メキシコ文化芸術庁音楽局長ルイス氏、 右から5人目、国際交流基金メキシコ日本文化センター長・洲崎氏、右から3人目、黒沼ユリ子

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