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インタヴュー

シュタルケル・インタヴュー(その2)

1991年5月28日松本ハーモニーホール

インタヴュアー:渡辺 和(わたなべ やわら・音楽ジャーナリスト)

シュタルケル・インタヴュー(その1)からの続き。
4月28日、インディアナ州の自宅で亡くなった世界的チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの貴重なインタヴューが、音楽ジャーナリストの渡辺 和さんによって、1991年になされていた。

シュタルケルの哲学を知る上で、大変貴重な、20年後に日の目を見た、超ロング・インタヴューである。
プロフェッショナルとは


──教育、録音と質問してきましたが、聴衆の前で演奏するのはお好きですか。シュタルケルさんは録音も非常に多いし。


シュタルケル:私には4つの異なった仕事があります。まずは、聴衆の前で演奏すること。第2は教育。第3は録音。そして4番目の仕事は著作活動です。4つの異なった活動をしています。どれが重要かなんて言えませんね(笑)。

私の人生を考えて重要なのは、私がこれらの仕事を全てやっていることです。演奏で知られている人もいるし、教育者として知られている人もいる。音楽学者として著作をして知られている人もいる。レコーディングで有名な人もいる。私はその全部をやります。私の活動は、その全部なのです。


──それがあなた、シュタルケルさんなのですね。


シュタルケル:その4つをすることが私を他の人とは違った人格にしているのでしょう。私はプロフェッショナルです。


──その言葉は、堤さんとの対談でも非常に重要なものでしたね。


シュタルケル:プロフェッショナルという言葉を、人は往々にしてきちんと理解していません。何がプロフェッショナルなのか?

プロフェッショナルとは、一貫したものを持った人物のことです。求められたことを求められた瞬間に行ない得る人物です。ディレッタントも素晴らしい芸術家です。しかし、急に求められた全てを上手に演奏することはない。ホールが気に入らないとか、誰とやるのかなどで、上手に演奏しなくなる。

よくご存知のように、演奏家は2年も3年も先のある日の演奏会のプログラムを要求されたり、あるいは決められていたりするものです。そう、今晩の演奏会でいえば、私は全くコダーイに心を集中しています。バッハはなんとかなるでしょうが、今日のコンディションではコダーイはね・・・。

ですが私はプロフェッショナルです。演奏する必要がある。聴衆に向かって「今日はやる気がしませんので、別の曲をやります」と言う訳にはいかない。プロフェッショナルとは、与えられた状況において可能な限り完全に、必要とされたことをする存在なのです。教育なら教育に、録音なら録音においても。 与えられた条件で可能な限り自らを表現すること、私はそれが出来ます。
 

私が何をするのであれ私はそれを説明出来る、ということもまた重要なことです。それが私が教師であり得る根拠です。私は人々に、「よく聴いて私がやるように演奏するのだ、その方がもっと良いから」などとは言わない。「あなたが演奏するとして、このやり方とこのやり方とこのやり方の何処が違いますか?」と言います。「あなたがこのやり方で演奏したいのか、ではここはより長くするのか、もっと短くしなければならないのか」とね。そんなやり方をするので、私はプロフェッショナル教師で有り得るのです。


──あなたは堤さんとの対談でも、あらゆる演奏を説明出来る、とおっしゃっておりますが、例えば先日のカザルスホールでの演奏のブラームスのソナタを今説明していただけますか。


シュタルケル:何を説明すれば良いのでしょうか。ブラームスとベートーヴェンの違いはなにか、ですか。それとも・・・


──アマチュアの音楽愛好家に、その「説明」の例を見せて頂きたいのですが。


シュタルケル:音楽は基本的には言葉です。ブラームスの言葉はバッハとは異なっていますし、シューマンともバルトークともマルティヌーとも違っている。私はそれらの言葉全てを学ばなければなりません。ひとたび言葉を知ったならば、プログラムにブラームスがあれば、座ってブラームスの言葉で演奏します。マルティヌーであれば、その言葉を用いる。ディレッタントは全て同じ言葉を用います。


──おっしゃることは判ります。なるほど、「説明」というのはそういう意味なのですね。


シュタルケル:時にはディレッタントの言葉はよりゴージャスで、もっと美しいことがある。彼らはその作品が求める言葉を実際は用いていないのですから。

しばしば説明することなのですが、あなたはベートーヴェンのソナタを習ったからベートーヴェンのソナタを演奏するのではない。ベートーヴェンの9つの交響曲や、弦楽四重奏曲や、トリオ、「フィデリオ」など他の全てを知っているべきなのだ、と。

私は人生で数千回以上オペラ演奏で弾いたことがあります。数千回以上シンフォニーコンサートで首席チェロ奏者として弾いたことがあります。私はそれらの作曲家を演奏した。で、それらの作曲家のチェロ作品でどう弾くべきかを決定した。チェロというものを基本にしてではなく、その作曲家の作曲活動全体の中に於いてなのです。


あなたにも聴衆にも理解して欲しいことなのですが、そんな部分が音楽を創ることの様々な種類で違いでもあるわけです。先日私はピッツバーグ交響楽団の演奏会を聴きに行きました。ロリン・マゼールが指揮していました。彼は音楽の全体像を理解している数少ない指揮者の一人です。こうやってフォルテッシモを出すとかだけじゃなくて、その作曲家がその作品の中で書いているどんなに小さな音符でも理解しているのです。彼はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を伴奏していましたが、オーケストラ伴奏の部分で、彼は独奏者がしていた以上にチャイコフスキーを演奏していました。独奏者も立派でしたが、音楽全体像の理解はそこには無かった。


──つまり、マゼール氏はプロフェッショナルである、ということ。


シュタルケル:彼はプロフェッショナルです。プロフェッショナル以上ですね。作曲家が書いていることへの総合的理解がね。あの作曲家はチェロの線を書いていないし。作曲家が音符を変更している。この変更の意味は全体から見てなんなのだろうか。旋律を上にやるのか、下げるのか。それとも次の楽句を準備するのか。それともそれまでの楽句を終わらせるのか。

オーケストラ全体を聴いていれば、オーケストラの中の誰かが、例えば第2トロンボーンが音を変更して吹いた。それも意味があるのです。作曲家がそうしたのは、たまたまそうなってしまったのではない。変更したのは作曲家なのです。だが、最上級の音楽家には、何の問題もないことなのです。


音楽は他の全てのことと同様に、異なった複数のレヴェルで考えられるべきものです。若い演奏家が舞台に出て、弓を完璧に操る。「ブラヴォー」ですね。しかしその彼方には、まだ別の高みが存在している。ですから教師は、生徒があるレヴェルに達したら、「ブラヴォー」と言って手を叩きながらも、別の水準では全てがダメということになる。


私は詩的な言葉では語りません、音楽で詩を語りたいのです。


──私たちは音楽の最高の水準に達することが出来るとお考えですか


シュタルケル:誰も今まで最高の水準に達したことはありません。進化の過程にあるのです。しかし誰でも、その人が生きている限り、高く高く達しようとしています。


──哲学的な質問かもしれませんが、あなたにとって「音楽の最高の水準」とは一体何なのでしょうか。


シュタルケル:楽譜に対する総合的な理解です。まず最初は、チェロでもヴァイオリンでもピアノでも、楽器をコントロールすることです。自分がやりたいことを完全に出来るようにすること。

それから、音楽的法則の全てを知る必要があります。良い音楽は、法則を持っています。音符の価値や、ダイミックの指示が何を意味するのか、とか。それを学ぶ必要がある。その過程において、作曲家による音楽語法の違いが判るようになります。

その後に、最後の学ぶべきこととして、それらの全てを心に持ち、それにあなた自身の個性的な意見を加える。これを詩的に表現する人もいますが、詩的になる必要はない。音楽自身の中に詩があるのです。あなた自身が、その作品の中に見る他の人とは違うものがあるはずです。

重要なのは、最後の部分に至るにしても、最初の二点は必ず保たねばならない、ということです。技術的なことと、音楽法則や要素に対する理解はまず完璧にする。その後ではじめて、それを超えたところに行くことが出来るのです。

音楽をとても詩的に感じることが出来て多くを語ることが出来る人であっても、最初の二点を踏まえねばなんにもならない。音楽を誤って理解し、楽器を誤って用いているならばなんにもならない。聴衆は私が考えている以上によく理解しているものなのですよ。


──アマチュアでも3つめのところまでいくことが可能ですか。


シュタルケル:アマチュアでも可能です。完全なコンビネーションは、ハイフェッツとオイストラフの結合ですが(笑)。それが完璧だね。


──教師としては、第3の点は教えることが不可能なのですか?


シュタルケル:私がですか? 誰にも不可能ですよ。人の中にあるものを引っ張り出すことは出来るでしょうけれど。それを助けることは可能です。しかし第1と第2の点は決しておろそかには出来ない。多くの教師は第3のレヴェルばかりを教えようとする。


──シュタルケルさんはその第3のレヴェルを「神」とか「平和」とか「愛」とかの言葉で語りはされないのですね。


シュタルケル:そうすれば簡単なんですけどね。私はそうは言いません。私は詩的な言葉では語りません。私は音楽で詩を語りたいのです。私は音楽について詩的に語りはしません。実に多くの音楽家が、第3のレヴェルで語っています。愛とか、若い人が凄い美人に初めて出会った時みたいにね。

私はそうはしません。「テンポを確認して下さい。なぜならここには大きな休符があり、長い時間を取る。それからクレッシェンドがあって、途中で止まらないで」って言います。


──それはプロフェッショナルの言葉ですね。


シュタルケル:プロフェッショナルなオーケストラの中にいて、指揮者が来て、息も絶え絶えに「ブラームスが欲しいものを感じて下さい」というよりも、機械的に「クレッシェンドして」っていうでしょ。私自身が私の中に探している「詩的」なものは、それとは違ったものです。詩的なものは音の響きの中にやって来なければなりません。言葉ではなくてね。


──堤さんとの対談で、「音楽のあらゆる面を言葉で表現出来る」、とおっしゃっていますが、それは今の第1と第2の部分ということなのですか。


シュタルケル:詩的な部分、イマジネーションの部分は、何をして、何をしようとしているのかによって説明出来ます。説明出来ない唯一のことは、何故この人がこういうことをしているのに、別の人はこういう風にしているのか、です。それは説明出来ないことなのです。


8歳の子供がある作品を演奏して、その演奏が如何に美しいかを言葉で説明しようとしても、8歳の心の何処からそんな美が出てきたかは理解出来ない。それはミステリーなのです。ですが実際に起きたことは、「クレッシェンドした」とかで分析的に語ることは出来る。レコードを聴いても、何をやっているのかを言葉で記述することは出来ます。

理解不可能なのは、何故ある人がこう考えて、別の人が違って考えているのかです。劇場に入って、ある俳優が「そしていま」と言ってせりふを止め、それから「何かが起こった」、と言ったとしますね。何故そこで止めたのだろうか。ある人は当然であると考え、別の人はたまたまそうなったんだと考える。全然違って捉えられる。


──第3のレヴェルを育てる為に、若い音楽家は音楽以外のことを学ぶべきだとおっしゃられる訳ですか。


シュタルケル:文学とか、美術とかをね。堤さんのことで言えば、彼にフランス音楽を教えている時には、絵画を見せに行きました。



──最後にあなたにとって音楽において最も重要なものは何なのでしょうか。


シュタルケル:音楽は私にとって、食べることや飲むことや愛し合うことと同じように重要なものです。私の最も重要なものであり、それなしには生きていくことは出来ないでしょう。


──では、自分が音楽家として生まれついているとお考えですか。


シュタルケル:私が良い演奏家であるか、ということならば、その通りです。


──で、あなたはプロフェッショナルである。


シュタルケル:プロフェッショナルです。それは、偉大であるかとか、どの水準であるかということとは関係ありません。だれが有名かとか、だれが成功しているか、とかの意味ではない。それは単に商業的な定義に過ぎません。

ある水準に達した音楽家は、区別分けの超えたところに存在するようになるのです。誰がいちばん素晴らしいピアニストかなど判らないでしょう。ルビンシュタインかリヒテルかホロヴィッツか、なんて。ある人は誰が好きで、ある人は違う人が好き、と言えるだけです。ひとたびそんな区別分けを超えた所に到達したならば、その音楽家は彼がしようと思うことが出来るのです。


──あなたは本当に偉大なプロフェッショナル音楽家だと思います。


シュタルケル:私はシカゴ交響楽団の首席にいたときは、偉大なプロ奏者でした。でもコンサートはしなかった。充分な経験を得たいと思ったからです。1948年から最大のマネージメント会社からコンサートをするように提供されていましたが、オーケストラにいた。まだその準備が出来ていないと思ったから。

みんなコンサートで演奏することの重要性を違って考えていますね。聴衆の心理としては、ステージの上の演奏家は魅惑的な喋り方をして欲しいと思っている。しかし私はそんな部分が好きではないので、大学町に住んで、大学教授となり、世界へと演奏会に出ていく。しかし明日の晩になれば、私は魅惑的なコンサートを終わりにして、飛行機に乗って家に帰れるのです。そして犬と遊んで、一緒に飛び跳ねることが出来る。それから、壊れている機械を直すことが出来る。


──長々とどうもありがとうございました。


シュタルケル:カザルスホールで演奏するのは全く楽しい経験でしたよ。ホールも音響も素晴らしかった。もう少し大きいといいんだけどねぇ。


──小ささが特徴の一つなんですけどねぇ。


シュタルケル:小さいということには確かにある種の利点はあります。聴こえるかどうかを心配しなくてもすみますからね。しかし小さいと2回演奏しなきゃならないからねぇ。昨日マネージメントにも言ったんだけど。次はもう少し大きなところでか、2回の違ったプログラムじゃなくして欲しいって。私は今度みたいにたくさんのプログラムを演奏するにはもう歳だよ。


──それはホールのプロデューサーの萩元さんには言えないことですね。


シュタルケル:いいかい、この一か月の間にだよ、サン=サーンスの協奏曲、ロココ・ヴァリエーション、シューマンの協奏曲、ショスタコーヴィチの協奏曲、ボッケリーニの協奏曲、ヴィヴァルディの二重協奏曲、ブラームスのソナタ2つ、バッハの組曲3つ、マルティヌーのソナタ、フランクのソナタ、ドビュッシーのソナタ。こりゃちょっとねぇ。それからコダーイ。


──今日がツアーの最後なのですか。


シュタルケル:そうです(笑)。

ヤーノシュ・シュタルケル
 

ハンガリーのブダペシュトに生まれ、7歳でブダペスト音楽院に入学し、アドルフ・シッファーに師事。
 

11歳でソロ・デビュー。1945年にブダペスト国立歌劇場管弦楽団およびブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者に就任。

1946年には祖国を去り、ヨーロッパ各地で演奏を行なう。
コダーイの無伴奏チェロソナタが1948年のディスク大賞 (Grand Prix du Disque) 。
1948年、アンタル・ドラティの招きでダラス交響楽団の首席チェリストに就任。
1949年、フリッツ・ライナーの招きでメトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席チェリストに就任。
1953年、ライナーがシカゴ交響楽団に移るのに伴ってシカゴ交響楽団に移籍。1958年まで在籍。
ピリオド・レーベルで1950年、コダーイの無伴奏チェロソナタを録音。一躍その名を世界中に知らしめた。
独奏者として、EMIやフィリップス・レーベルに数多くの協奏曲や室内楽の録音を残す。
1958年、インディアナ大学の教授に就任。彼の門下からは、堤剛をはじめ多くのチェリストが育っている。
2013年4月28日、インディアナ州の自宅で死去[1]。享年88。

© 2014 by アッコルド出版

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