インタヴュー
シュタルケル・インタヴュー(その1)
1991年5月28日松本ハーモニーホール
インタヴュアー:渡辺 和(わたなべ やわら・音楽ジャーナリスト)
4月28日、インディアナ州の自宅で亡くなった世界的チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの貴重なインタヴューが、音楽ジャーナリストの渡辺 和さんによって、1991年になされていた。
シュタルケルの哲学を知る上で、大変貴重な、20年後に日の目を見た、超ロング・インタヴューである。
バッハをハンガリー風になんて弾いていませんよ
──あなたの名前は日本では普通ヤーノシュ・シュタルケルと呼びならわしているのですが、アメリカでは?
シュタルケル:シュターカーです。
──で、日本でのシュタルケルという発音は、あなたのハンガリー人としての要素というものを意識したものだと考えられるのですが、既に長くアメリカに住んでいらっしゃるシュタルケルさんにとって、ハンガリーとは何なのでしょうか。
シュタルケル:ハンガリーは私の生まれ故郷です。そしてそこで成長し、22歳で離れました。ですから、私は全ての音楽教育をハンガリーで受けております。それを超えたものとしては、ハンガリーは言うまでもなく生まれた場所でありますが、私は今となってはそこにいた2倍以上の長さを西側で過ごしているのです。
私のハンガリー時代の旧友は合衆国やフランスやドイツやイギリスにおり、ハンガリー人の友人や同僚とは深い友情と関係を持っています。音楽教育は確かに重要です。しかし、有名なフランツ・リスト・アカデミーは、ショルティ、オーマンディ、ライナー、ドラティ、フリッチャイなどの有名なハンガリー演奏家を育てた世界で最も重要な音楽教育機関でした。ですから、ハンガリーとの関係は言うまでもなくとても強いものがあります。
私に関する限り、私はもう43年間アメリカ人であって、それを誇りに思っています。アメリカ合衆国は今や世界で最も重要な音楽の場所になっています、その大きさだけからしても。合衆国は日本とは違って、一つの国家ではなく、州の複合体なのです。数千のオーケストラがあり、非常に偉大な音楽学校や偉大な音楽家がいます。それらは日本でも世界中でも知ることが出来る。
──あなたのレパートリーを拝見しますと、20世紀の西ヨーロッパ音楽に興味を持たれていらっしゃるようですが。
シュタルケル:20世紀に生きているなら、20世紀の音楽に関心を持たずには生きて行くことはできません。しかし私は20世紀作品のいくつかは演奏する必要があるとは感じていません。私の生徒が演奏するし、若い同僚が演奏しますから。私は自分にとって特別な個人的意味のある作品だけを演奏しています。それはバルトークであり、コダーイであり・・・
──マルティヌーは。
シュタルケル:いや、ドホナーニ。それから勿論、私の為に作曲された協奏曲などです。いくつかは、ミクロシュ・ロージャーなどたまたまハンガリー人作曲家のものもあります。ドラティもね。他に私に書いてくれた仲間といえば、ロバート・スターラー、ジャン・マルティノン、ベルナルト・ハイデン、ベーカーなど。それらの作品が作曲されるとき、私は共に働きました。それらは個人的に重要な作品です。勿論私はプロコフィエフやヒンデミットやショスタコーヴィチも演奏しますがね。
──カザルスホールでは、あなたの演奏するマルティヌーのソナタに非常に感銘を受けましたが。
シュタルケル:たまたま昨年がマルティヌー生誕100年にあたり、それまでに比べてマルティヌーへの関心が高まりました。私はマルティヌーのソナタ3曲を録音したことがありました。マルティヌーとは近い友人だったルドルフ・フィルクシュニーとも録音した。しかし練木さんとも第2ソナタと変奏曲を録音した。
──あなたの演奏、特にバッハの演奏からは、非常にハンガリー的なリズムが聴こえたのですが。
シュタルケル:それは私は聴きたくはないですね。そうは聴こえないことを期待しているのですが。私は、バッハはコダーイとは違って聴こえて欲しい。
ハンガリーでの教育は、最も古典的で、最も鍛え抜かれた音楽教育でした。ですから、私はバッハを演奏するとき、バッハはどう弾かれるべきか、と考える様に演奏するのであって、かつて、どのようにバッハが弾かれたか、ではない。私が見るバッハであり、それはベートーヴェンとも、ブラームスとも、モーツァルトとも、チャイコフスキーとも違います。マルティヌーなどともね。
しかしそれは決してハンガリー風な音楽などではありません。ハンガリー風とか、フランス風とか、日本風とかいう、国による区別などないのです。あるのは、ある人があるやり方で音楽を演奏し、また別の人が別のやり方で演奏する、という事実だけです。
もしも日本人の演奏家が、私や、私のインディアナ大学の同僚であるアメリカ人やハンガリー人やポーランド人に教育を受けるにせよ、彼らは可能な限り最高度な教育を受けているだけなのです。
まあ、あなた達みたいなジャーナリストが、ハンガリー風とか言いたがるのは良く判っていますがね。長く生きているから、どんな質問をされるのかは大体判ります。何を期待しているのかも(笑)。
演奏は好みの問題ですが、教育は音楽的原理となるのです
──ここに堤剛さんの本がありまして、その中には1988年のあなたとの対談が収録されているのです。その中で「チェロの芸術性は、まだ頂点に達していないと感じている」とおっしゃられているのですが。
シュタルケル:「良くない」というのではありません。「未だに無限のところにある頂点というゴールへ向かっている途上である」という意味です。
──わかります。で、そのチェロの頂点へ向かっての歴史という視点の中で、カザルスとはどんな演奏家だったのでしょうか。
シュタルケル:その答は実に簡単です。私はいつも言っているのですが、カザルスなしには私たちチェリストは存在しません。カザルスは現代のチェロ演奏を始めた人です。
ですから、彼はチェロ演奏史の中で最も重要な人物です。彼は、言うなれば、最初にチェロを舞台に載せた人物です。独奏楽器としてのチェロの在りようを創った人です。その前は、チェロは実際には独奏楽器ではなかった。素晴らしいチェリストはあちこちにおりましたが、彼らはあの曲のこの楽章をやったり、別のものをやったり、またはオーケストラの中にいた。
しかし、我々が今日知っているチェロ演奏の在り方というものは、カザルスと共に始まったのです。勿論それを超えて、彼は偉大な芸術家でした。
──あなたはカザルスとの直接とのかかわり合いはなかったのですか。
シュタルケル:6歳でチェロを始めた頃、私は彼に会って、紹介されました。私の師はカザルスの良い友達だったので、演奏会の後で紹介してくれたのです。彼はこことここにキスしてくれて(額とほっぺたを指さす)、私は1週間そこを洗わなかったね。その後、彼が死ぬ前にプエルトリコやシカゴで会っています。
──教師としての関係はなかったのですね。
シュタルケル:ありません。私はチェロの学習を15歳で終わりにしています。それ以後はチェロを学んだことはありません。それ以後、私は室内楽をピアニストやヴァイオリニストと学びました。西洋古典や、語学や、歴史を学びはしましたが、実際のところ15歳でチェロを学ぶのは止めたのです。その頃既にもう私は多くの生徒を持っていましたから。
──あなたの経歴を見ますと、8歳で生徒を教えた、と書いてあるのですが、これはどういうことなのですか。
シュタルケル:現在教えているように教えていたのではありませんよ(笑)。私の先生が、6歳の少女を連れてきて、彼女にどうやって演奏するのかを見せてやれ、と命令したのです。その時から、12歳になるまで毎週その少女を見ていたのです。実際12歳の時に、私は4人の生徒を持っていました。
──それはブダペシュト時代ですね。で、その頃から、シュタルケルさんは本当に多くの生徒を見てきたのでしょうが、そのあなた自身は、チェロ音楽の歴史の中で如何なる存在だとお考えになられておりますか。
シュタルケル:9歳の時に、私は自分で可能な限りチェロを演奏してゆこうと決心しました。私は素晴らしい音楽教師やチェロ教師に巡り会えて幸せだったと思っています。
で、私の教育者としての責務は明かです。このことは何度も何度も口にしていることなのですが、私にとって教育とは他の何にも増して重要なことなのです。
もしも何かを信じたならば、その信じるなにものかが保持され、将来に向けて保たれていくのを見たいと考えるでしょう。チェロにとってそれが出来ることは、教えることだけです。
これまでに私は100回以上のレコーディングを行なってきました。人々がそれらの録音を聴いて気に入るかどうかは、その人の趣味です。ある人は私の演奏が気に入るでしょうし、違った種類の演奏を気に入る人もいるでしょう。
しかしこと教育の効果の場合、教師は基本的原理となるのです。音楽的原理となるのです。
私は、人々が「シュタルケルは最高のチェリストだ」などということに興味があるのではない。私の関心のあることは、「シュタルケルはベートーヴェンのソナタをとても美しく演奏する」とか「ドヴォルザークの協奏曲を美しく演奏する」と言われることです。
録音について
──レコーディングは教育とは違ったものなのですか。
シュタルケル:そうねぇ、その質問を哲学的なものとしたいのならば、ある意味ではそうだともいえますね。何故なら、録音とはある意味で心情告白(テスタメント)であるからです。判りますか?
人生のこの瞬間において、この音楽作品を私はこの様に考えている、ということの表明ですから。何故なら、録音はコンディションが理想的です。
今晩私はコダーイを演奏しますが、コンディションは理想的ではない。どんな失敗をするかも知れない。
レコーディングは演奏家に、彼がその瞬間に何を考えていたのか再評価することをを許してくれます。何故なら、コンディションが最高の仕事をすることを妨げているかもしれない。それが厭なら、もう一度録音すれば良い。
単に音が違っていたとかいう問題だけではありません。テンポでもダイナミックスでも、気に入らなければもう一度演奏することが出来ます。レコーディングスタジオから歩み出た時、人生のこの瞬間において、これが私がこの作品に対して考えていることである、と宣言することが可能です。
その意味で、レコーディングは教育とも言える。第一の目的は芸術的告白ですがね。
──では、同じ作品を何度も録音することは可能ですね。
シュタルケル:4年、5年、10年と経つうちに、その作品に対し違った興味を持つようになりますから。私はバッハの組曲は4回録音してきています。毎回関心のありようは違っていました。
全く初めて録音した時には、これは何度も話していることなのですが、変化が多い。変化は若い演奏家にはよく見られることですが、今聴けばあまりに早過ぎたり、ある部分はあまりに遅すぎたりしていると感じるでしょう。ダイナミックスは大きすぎるし、あれこれ余りにもというところが発見されます。
ですが、技術的完全性には疑問の余地がありません。ですから、最初には、人間にとって可能な限り技術的に完璧に作品を演奏しようとするものなのです。それから後になって、上手に演奏出来るようになると、それはあまりに重要なことではないと思い始めます。
今日の演奏もそうですな。あなたが聴きながら演奏を調べても、それでもまだ充分OKというほどには演奏しますがね。ですが、もっと重要なのはメッセージなのですよ。
で、2回目の段階では、音楽の構成やバランスなどがより重要となっています。今では、音色やメッセージや語り口など全ての音楽的要素が、書かれている楽譜に変更を加えることはなくても、音楽家その人がその作品に何を見ているのかを表現しています。ですから、録音での変更は最小限のものとなってきます。完全さとは違ったことが重要になる。
ドヴォルザークの協奏曲も3回録音していますが、私が今回やったことは私が35年だか40年だか前にしたことよりもより良いのかどうかは言えません。違いというのはそのようなものではないのです。35年前はそう思わなかったが、今ではより重要と思えるいくつかの要素があるのです。(その2に続く)