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インタヴュー

倉田澄子(Sumiko Kurata Cello)

チェロを堤清氏(剛氏父上)より手ほどきを受け、齋藤秀雄氏に師事。桐朋女子高等学校音楽科在学中、日本音楽コンクールに入賞。



同大学在学中フランス政府給費生として渡仏。ポール・トルトゥリエに師事。パリ国立高等音楽院のチェロ科と室内楽科を首席で卒業。



帰国後はリサイタルやN響、都響、読響、日本フィル他と共演。テレビ、ラジオ出演を活発に行なうかたわら、ドイツ・エッセン音楽大学のマスタークラスに籍を置き、フランス人の「クアチュオール・エリゼアン」のチェリストとして、ヨーロッパ各地への演奏旅行を重ねる。



日中国交回復十周年記念に、中国より招待され2年間にわたり、瀋陽音楽学院における教授活動の他、各地で日本人の演奏家として初めて中国のオーケストラとドヴォルザーク、シューマンなどを共演。



日本では、サイトウキネン・オーケストラのメンバーとして出演の他、リサイタル、室内楽、伯母の長岡輝子「宮沢賢治の世界」の共演など、演奏活動を続け、最近ではチェロコングレス(2011年2月サントリーホール)でバッハの無伴奏を演奏。ロシア・サンクトペテルブルグで行なわれた音楽祭やフランスのマスタークラスの講師に招かれる。


桐朋学園「第7回生江賞」受賞。現在桐朋学園大学教授として、毎年行なわれるマスタークラスの講師や、内外のコンクールの審査員を務めるなど、後進の指導に力を注ぎ、レッスンビデオも多数。ドキュメンタリー映画「イーハトーブ幻想曲」に出演。演奏の他。ナレーターも務める(NHK)。CD:「フォーレ/チェロソナタ」「夢のあとに/倉田澄子チェロ愛想曲集」「フランスへの想い」(以上全てfontec)

倉田澄子 チェロ・リサイタル2013

 日本を代表するチェリストとして、長年活躍されている倉田澄子さんが、『父・倉田 高(たかし)に捧ぐ(生誕100年を記念して)』と題して、リサイタルを行なう。4月28日(日)13時半、浜離宮朝日ホール。
 澄子さんのお父様は、フランスの名チェリスト、モーリス・マレシャルの愛弟子。戦前に日本人として初めて国際コンクールで優勝し、パリのリサイタルを成功させて帰国。日本でも活躍したが、惜しくも32歳の若さで他界された。
 リサイタルを前に、倉田澄子さんに伺った。
(リサイタルは終了しました)

偉大な芸術家の想い出

​倉田私は古希を迎えたのですが、ちょうど父の生誕100年と重なりました。昨年、井上頼豊先生の生誕100年で、今年は父でしょう。青木十良先生がもうすぐ100歳で、ほぼ三人が同じ世代なんです。昨年は、頼豊先生の会がとても充実した素晴らしいものでした。



 私が今教えている子たちは齋藤秀雄先生のことも知らない世代ですが、父の名が出れば母も安心すると思うんですよ。母は『パパは、演奏活動だけで早くに亡くなってしまったけれど、あなたは、引き継いで教育活動もしているから、それでいいのよ』とは言うのですが、やはり父の名前が消えてしまうのは寂しいと思います。

 選んだ曲は、もちろん私が好きな曲です。特にチャイコフスキーの「偉大な芸術家の想い出」は、父に捧げようと思いました。」

──王道を行く楽曲ですね。

​倉田ベートーヴェンの5番は彼の最後のソナタです。実は、この三ヶ月後に4番を弾くことになっています。私はもうこれで自分の表向きの演奏活動はやめようと思っていたんです。教育活動と両方行なうのは寄る年波で大変ですから。誠心誠意生徒と向かい合うと結構エネルギーを使います。もらうエネルギーもありますが。だから、どちらかにしなくてはと思い立って、それで本当にこれで父に捧げて演奏は終わり、と思っていたら、7月に別のコンサートで演奏することになっています(笑)。フォーレのトリオ等。そこまでは頑張ろうと(笑)。



──演奏活動は是非継続していただきたいです。



“カフェ・澄子”

──最近では、以前にも増して、優秀な生徒さんが続々誕生しています。

倉田「おかげさまでね。いろいろなところで芽が出ていますね。ご存じのように宮田大君も、活躍しています。彼はとても謙虚でいい子です。



 それから、日本学生音楽コンクールは毎年になりました。というのは、日本音楽コンクールが3年に1度ということになりました。チェロのレベルは以前にも増して大変高くなっています。それで、署名運動をしたんですが、それでもだめだったんです。その代わり、学生のコンクールを毎年行ないます、ということで今年3回目。



 それで、昨年、生徒を8人出しましたが、8人とも本選に行ってくれまして、賞をいただきました。



──凄い成績ですね。優秀なチェリストが数多く誕生していますが。かつて、先生のレッスンを何度も間近で見させていただきました。先生の教え方が変化されたわけではないと想像するのですが。



倉田「本質的には変わっていないです。心の問題だと思います。テクニックは機械ですもの。通すだけです。桐朋では、自宅でレッスンすることが許されているので、私は、“カフェ・澄子”(レッスン室で、コーヒー、カフェラテなど数種類が飲める)も作って(笑)、レッスンしているのですが、この部屋に入ってきたときの雰囲気で、『何かあった?』と聞くことがあります。あるいは最初の一音で、あれー、なんかあったなぁ、とすぐ分かります。もちろん、何か良いことあった?という時もあります。音で分かります。

 人間同士のつきあいですから、まずそこから入ります。」



──先生のお言葉で、生徒さんが勇気づけられる?

倉田「そうだと良いのですが(笑)。今年、大学を卒業した生徒が5人いますが、それぞれみんな個性が違っていて、別の道をそれぞれ歩みます。大学3年くらいのときに、悩んでいる姿を見ると、『あなた、本当はこういうことがしたいんじゃないの?』と聞くのですが、そうすると『エッ、どうして分かったんですか? 実は小学校の頃からそれが夢でした』。



 そうするとそのための準備をしたりします。その生徒は生き生きしてきます。」



桐朋のチェロ・アンサンブル

倉田「ちょっと自慢話。桐朋のチェロ・アンサンブルを作りました。それは、ずいぶん続いていて毎年超満員。おかげさまで凄くうまくなりました。40人くらいの指揮なしのチェロ・アンサンブルです。



 なぜ私がそれをしたかというと、齋藤秀雄先生がお亡くなりになり、私が海外から帰ってきたら、昔のチェロのファミリー、という感じがなかったんです。ちょっと寂しい感じがしました。ですからこういうアンサンブルを作ることによって、上下の関係も無く、仲良くなれる、と思ったんです。第一回目の頃は、長谷部一郎君、古川展生君らが参加しています。井上頼豊先生もご健在でしたので、聴きに来ていただいたんです。その頃は「桐朋チェロ軍団」という名前をつけて「みんなでやりましょう」ということでした。もう、遅くまで練習してね。ポスターを作ったり。



 府中の森ウィーンホールで行なうようになってからは、毎年、超満員。チェロ科はいつも売り切れるの。12月に行なうので、夏休みくらいからみんな一生懸命練習するんです。いろいろ相談したり。



 これは自主的なもので、出たい子だけ出なさい、と言っているんです。義務的なものになると、良いことないから。やりたい子だけ集めなさい、というのが最初。いまだにそうなんです。でも、四十人も集まる。このアンサンブルが羨ましくて桐朋に入ってくる子もいるくらいです。女の子はドレスを着て、それも楽しみにしている子もたくさんいます。



 今完全に定着しています。今年も12月に行ないます。小林幸太郎君の編曲が素晴らしくて、この間も、チェロ協会のチェロの日の演奏に出ていましたが、彼は引っ張りだこなんです。桐朋のチェロ・アンサンブルは、毎年編曲が素晴らしいんです。」



海綿のように吸収

──近年では、宮田 大さんの活躍が印象的ですが、彼はどのような生徒さんでしたか?

倉田「私は教えることは、みんなに平等に教えました。ただ、もう本当に海綿のように彼は吸収してくれました。結局そういうことなのだと思います。同じことを言っても、通訳が必要な子と、必要で無い子がいる。例えば私が最初に3のことを言ったとします。そうすると、1だけしか持って行かない人と、それを5にも 6にも膨らまして持って行く人とがいるんです。彼は、本当に食い下がるようにして、いろいろなことを吸収しました。そして本当によく書き込みます。もちろん、今の子はみんなきちっと書き込みますが。


 これとあれとどちらがいい?と私は本人の意志に選ばせるんです。あなたはどう思う。私もそう思う、ということもあれば、こっちはどうかな? じゃあ、それでもう一度やってみよう、ということもあります。彼に限らず、私のところではみんなそうなんです。それで、彼はしっかり書き込んで、じゃあ、これでやってみます。と言ってにこにこして帰るんです。そういう謙虚な貪欲さ、というのは凄いです。日本音楽コンクールで一位になった時も、その日の夜に、電話が掛かってきて、『先生、レッスンお願いします』と言うんです。心配でしょうがないから、って。受かったことが逆に怖いわけ。そのくらい、喜んで驕ることがゼロの子なんです。



 ロストロポーヴィチのコンクールの時もそう。ビバホールのコンクール、全部1位だけど、謙虚なんです。」



──彼の演奏そのものからどんな印象を。



倉田「まず、10回演奏したら、10回とも彼の演奏は違います。それが素晴らしい。毎回生きている。今日の彼を聴きに行く、ということですね。前にうまくいったからといって安心してはいけないし、逆にあのとき、どうかな、と思ったことがあったとしたら、でも今日はきっと別の彼がいるだろう、という興味があります。それが彼の良いところであり、魅力だと思います。


 彼はスポーツも得意で、バレー部のキャプテンもしていましたから、『今試合してきましたー!』なんて言ってレッスンに来るんです。ちょっとあなた来週コンクールだから指だけは折らないでね(笑)、という感じなのね。


 やわなのは、だめね。大ちゃんはたくましい。鍛えてあるから多少忙しくても、風邪をひいても、吹き飛ばす。彼の上手なのは、切り替え。そこは学ぶべきところですね。ギューギューなタイトなスケジュールの合間に、山行ったり、海に潜ったり、いろんなライセンスも取っているし、それからバトミントンもやる。集中力が凄い。集中力が第一ですね。集中力が無い子はだめ。そして応用力、音にイメージがあるかどうか。あとは、メンタル面。しょっちゅうカフェ・澄子で(笑)。地方から来ている子は特にケアしています。


 それぞれみんな個性が違うけれど、私は育てるお手伝いをしているだけ。楽しみな子がたくさんいます。」



イメージ、音作り



──先生は、常に、音作り、ということをおっしゃっていましたが、その音のイメージ自体、変化することは?



倉田「多少はあっても、絶対あの音、というイメージは強いですね。その音のイメージだけは私は強いから。もしかすると、それは、父のSPレコードから聴く深い音であり、他で聴いた音であり、きっとこびりついているのでしょうけれど、それが出るまではとってもつらい。出たときには、こんなハッピーなことはないですね。母に言わせると、病気だと言っています(笑)。あなたのその病気はいい加減にしなさい、と言っています(笑)。


 イメージの無い子はだめです。それがあれば、テクニック的なことで手助けすることはできるけれど、無い子にこういう音だよ、ということで真似させただけでは、すぐに戻ってしまう。


 でも信頼関係を結ぶことができれば、そこから伸びるんです。
 私は、結局、音は使うけれど、自分が音楽の先生とか、チェロの教師という感じでは無いんですよ。たまたま道具がチェロで音楽の先生なんだけど、でも、何のお仕事でもそうで、結局心と心がつながるかどうか、ですよね。信頼関係が生まれ、チェロという楽器を通じて、お互いに一緒に、向上し合うわけでしょ。死ぬまで。いつも生徒には感謝されているんですが、とんでもない、こちらこそ有り難う、という気持ちです。」



──その信頼関係は、かつて倉田先生ご自身の師匠に対しても。



倉田「齋藤秀雄先生もトルトゥリエ先生も信頼し、尊敬していましたからね。
トルトゥリエ先生の奥様はご健在でいらして、東日本大震災のときも、泣いて電話をかけていらして、ニースの家の2階を空けたから、こちらにいらっしゃい、って。もう、ぺしゃんこになっていると思っていらしたんです。世界中から、そういった有り難いお言葉をいただきました。イスラエル、フランス、ドイツ、スイス。有り難かったですね。

 何十年経っても、みんな私たちのことを覚えていてくれて、そうやって声をかけてくださる。親身になって心配してくださる。でも大丈夫だからって、言いました。」



──先生ご自身の奏法も進化を。



倉田「常にそう、と言いたいですが、まだアップアップしています(笑)。」



──次元の違う話をされていると思いますが。



倉田「そんなことないですよ。例えば、スポーツの世界では、昔では考えられないような記録が出て進化し続けていますよね。そういう現象は、テクニックの世界にもあって、テクニック的には生徒たちは何でも弾けますよ。チェロ・アンサンブルでも最近は、新曲を作曲家の先生に書き下ろしていただいているのですが、昔だったら、弾けないような難しいものも苦も無く弾けるから、作曲家にとっても有り難いですよね。難しいことも書けるから。そういう面では、遙かに進歩しています。


 ただ、クールかな。冷めている人もいる。もっと燃えるものが欲しい。言い方が古いかもしれないけれど。でも、熱いものを求める人がもっと欲しい。」



──全身全霊で演奏して欲しいと?



倉田「全身全霊は、みんなそうなんです。みんながということでは無いんですが、やっぱり求める音、というのがそこそこ綺麗で、鳴っていたり、刺激がある強い音、大きい音、という方が好まれるでしょう。レコーディングしても、現代では全部作られる。昔の良き時代のレコーディングは、カザルスでも多少傷があって、演奏は生きたものだけど、今のはすべて綺麗にできあがっているじゃない。どれ聴いても完璧。

 でも私は未熟でもいいと思うんだけど。不揃いでもいいと思う。良さはみんなが持っているのに、全部あるところまで水準を上げて、綺麗にまとめるでしょう。コンクールでもそうでしょう。


 それでも以前よりよくなったけど、まだそういう傾向が強い。外国行くと全然違う。宮田君が海外のコンクールで優勝したとき、テクニックだけでなく、やはり彼のオーケストラと音楽しよう、アンサンブルしよう、といった姿勢が評価されたのだと思います。」



その場に一緒に……



──リサイタルで共演されるお二人の印象を。



倉田「野平一郎さんは、作曲家であり、指揮もなさる。とっても学ばせていただいています。野平さんは正統派。深いです。今度特にベートーヴェンがあるので楽しみ。


 豊嶋泰嗣さんとは久しぶり。今特に、熟成されていて、もし共演できたら、と思ってお願いしたら、その日だけ空いていたのでとてもラッキーでした。お二人とも超ご多忙ですから、本当に良かったです。」



──今度のリサイタルの抱負を



倉田「私の父への思いを会場に来て下った方々と共有して演奏を捧げる、ということですね。そういうプライベートな思いに巻き込んで申し訳ないですが(笑)。だから、聴いてください、というよりはその場に一緒にいてくださいね、という感じです。


 私は父のことは覚えがありません。SPのレコードからの音だけですから。そういう自分のセンチメンタルな気持ちから、このリサイタルを企画しました。でも、野平さんや、豊嶋さんという素晴らしい演奏家に助けていただかないととてもできませんから。」



取材/青木

倉田澄子チェロ・リサイタル2013
 ヴァイオリン豊嶋泰嗣 ピアノ野平一郎

4月28日(日)13時半開演
浜離宮朝日ホール
曲目:ベートーヴェン/チェロ・ソナタ第5番ニ長調Op.102-№2、チャイコフスキー/ピアノ三重奏曲イ短調Op.50「偉大な芸術家の想い出」
全席指定¥5,000
詳細は、サウンド&ミュージッククリエーション

03-5797-5415 http://www.s-music-c.co.jp

Teddy(テディ)と一緒に

モーリス・マレシャル

倉田  高

© 2014 by アッコルド出版

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