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1300mの山中にあるバンフは気候も変わりやすい。雲の流れは常に速く、時折雷をともなった雨が突然振り出すこともある。今朝になってようやく、コンクールが始まって初めて雲一つない快晴を眺めることが出来た。空気中にゴミやチリが少ないここでは、実際には距離のある山々も近くに見える。バンフの地は前回のコンクール以来なので3年ぶりということになる。3年前と同じ場所であるのに、似て非なる雰囲気は取り囲む自然の中に動物が見えにくいということ。3年前に進行中だった工事が終わっていて、センターの周囲を車や歩行者が通行しやすいように、コンクリートの道が整備された。以前のような土の地面も多く残っているが、3年前に多く見られたような地リスやネズミの類いが、見られる数が少なくなってしまったようだ。数年前までは街中にも頻繁に降りてきていたエルク(大きな鹿)も、今では山中にあるバンフセンターにすら寄りつかなくなってしまった。利用者の利便性のためとはいえ、少し寂しい心もちは否めない。

 

そのバンフセンターで行なわれているコンクールも3日目に突入。昨晩で「シューベルト中期&20世紀作品ラウンド」を終えた全10団体がハイドンの作品に取り組む。昨晩のセッション修了後に再び即興演奏の行われているバーに立ち寄ったところ、出場者の何名かと話をすることができた。みな口を揃えて言うことには、やはりこの最初のラウンドが精神的にタフだったようだ。コンクールの最初に「古典作品&現代作品」が来ることは珍しく無いが、わずかなチューニングを挟んで全くキャラクターの違う曲へ頭を切り換えなければならない。それに加えて、普段のレパートリーとしては取り組むことの無いシューベルトの中期では、各団体とも常に不安との戦いだったようだ。コンクール事務局はここまで見越して課題曲を決めたのだろうか?


それに比べて第2ラウンドの課題のハイドンは、演奏者の準備も前ラウンドとは少し異なるようだ。国際コンクールに出場するようなクァルテットであれば、経験のあるハイドンの弦楽四重奏曲の数は少なくないだろう(複数年かけてハイドンの弦楽四重奏曲シリーズ”68”に取り組んでいるAttacca Quartetのような団体もいるのだ!)。課題の対象も全ての弦楽四重奏曲ではないにしろ、作品20、33、50、64、76、77と幅広いので、出場団体はこれまで取り組んだ曲の中からコンクールとして相応しく、自分たちの力を最も発揮しやすい曲を選んでくるわけである。


本日のセッションに先立つ9:00からは、東京クヮルテットとしてのキャリアを終え、バンフには審査員として参加している池田菊衛氏のトークセッションが行なわれた。詳しい内容は池田氏とコンクール事務局の正式な許可のもと、渡辺和先生が本ページにアップ予定なのでお楽しみあれ。この場では、トークセッション修了後、池田氏と東京Qの功績を称えるように、会場は総立ちでスタンディングオベーションだったことを記しておく。


朝・昼・夜と3回のセッションに分けて計10団体を聞き終えたのは22時前。10通りのハイドンの演奏を聴いたわけだが、弦楽四重奏を確固たるジャンルとして確立した作曲家の作品では、各団体の”基礎力”のようなものを感じることが出来る。また、このような古典的作品では「かくあるべし」というフォーマットに沿ったメソッドがあるが、団体の自己表現の方法として「その枠の中でいかに柔軟に表現していくか」と「いかに許される範囲でその枠を超えた表現を試みるか」という団体とで、キャラクターが分かれたことは面白い。


また同じハイドンとはいえ、作品20と77で大きく異なるキャラクターの違いを、どのように弾き分けているのかを確認するのも、また聴き手のインスピレーションを刺激される。

 

全て個別の演奏に関する言及は避けるが、ハイドンの中でも最も有名なマスターピースである「皇帝(作品76の3)」と「日の出(作品76の4)」を選んだ団体は合計3団体だったが、この演奏がとても印象に残った。聴くにも弾くにも慣れ親しんだ作品では、演奏する団体ごとに「どのように過去に無いオリジナリティ(個性)を出すか」という研究発表の場にも感じられた。


特に筆者の関心を惹いたのが、前回の大阪国際室内楽コンクールの優勝経験を持つAttacca Quartetの演奏だ。室内楽のマスターピースの一つである「皇帝」を演奏した彼らは、第2楽章ではドイツ国歌としても知られる有名な旋律を交代で朗々と歌い上げながら、少しずつ変化していく和声をしっかりと押さえて、クァルテットとしての基礎力を見せる一方、他の楽章ではイントネーションの変化、メロディーの収め方、アクセントの付け方などで、独自の音楽を展開していた。本人たちの意図したところか分からないが、聴き手に新たなハイドンの印象を与えたのは間違いないだろう。

 

また最初のラウンドで抜群の安定感を見せていたSchumann Quartetが演奏したのは作品77-1。すでにベートーヴェンが台頭してきているハイドン後期のこの作品では、古典派ながらロマン派の要素も色濃く、Schumann Q は優等生のごとく、優美で流線型の音楽を奏でていて一般聴衆の反応も高かった。

また、作品20-3を演奏したGémeaux Quartetは、ヴィブラートを抑制しながら、各パーツを丁寧に作り上げて組み合わせるような、ある種の生真面目さを感じさせる演奏で、ハイドンの初期の作品に真摯に取り組んでいたようだ。


10通りのハイドンの演奏があれば、会場の平均年齢が60歳を超えるような聴衆が若い頃から親しんでいるハイドンとは、異なる姿の音楽もあったように思われる。かつてのメソッドの上に新たな音楽が模索された21世紀のハイドンの響き。審査員の耳にどのように聴かれたかは、最終日に審査発表される「ハイドン賞」を待ちたいと思う。

そして今宵もバーでは、それぞれの1日を終えた出場者、審査員、聴衆が集まってくる・・・。

 

 

 

 

 

 

 

〜酒飲みたちの余談〜


昨晩のバーでは前回のコンクールで2位だったAfiara String Quartetの面々と再会することが出来た。Afiaraは同じく前回1位だったCecilia String Quartetと共に、特別演奏会に出演するために一種の「里帰り」を行っている。そのうちの一人が即興演奏の舞台に立つと、現在コンクールに出場しているヴァイオリニストも飛び入り参加。結果として随分ハイレベルな即興演奏を楽しめた。間に挟まれた高校生くらいの子にしてみれば、とても貴重な経験となっただろう。このような機会もまたコンクールの一つの楽しみである。
ちなみに、即興舞台で演奏している大人たちには、楽章間にビールで喉を潤している姿も。

バンフ国際弦楽四重奏コンクール 3日目

 写真・文:茂工 欄

 

バンフ便り(その4)

今回は東京Qとしても日本に馴染み深い池田菊衛と、先日サントリーホールでベートーヴェン・サイクルと弾ききったニコラス・キッチンも審査員で参加。

休憩時にはハイドンに分したスタッフがお出迎えも。
このようなユーモアは北アメリカならではだ。

© 2014 by アッコルド出版

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