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大阪の猛烈な暑さと湿気が少しは和らぎ出す9月初旬、市内中心部の各地で、約1週間にわたり昼から夜までクラシック音楽が演奏される。「大阪クラシック」なるイベントだ。9回目となる今年は、7日日曜日から13日土曜日が開催期間となった(そのため、当稿も変則的な掲載タイミングとさせていただく)。
 
2006年9月、当時大阪フィル音楽監督を務めていた大植英次の提唱で始まったこのフェスティバル、当初は小規模アウトリーチを特定地域期間に集中的に行なうイベントだった。御堂筋沿いの企業や商店、レストラン、カフェの公共空間や軒先を使い、行き交う大阪市民に大フィルのメンバーが中心となった室内楽の無料演奏を披露。市職員は現場の運営に協力するものの、音楽家という特殊な人々の扱いに戸惑うギクシャクした空気が流れていたのは否定し得まい。
 
大植監督の頭にあったのは、当時首席指揮者を務めていたハノーファーで開催し成功した「音楽の日」である。日本の大都市に比べれば遥かにこじんまりしたハノーファー中心部、中央駅から北ドイツ放送フィルのホールがある湖に至る辺りを舞台に、オーケストラ団員とハノーファー音楽院学生があちこちで無料の演奏を展開する。同趣旨のイベントを、「御堂筋」という南北に広がる軸に沿って大阪フィルを手兵にやってみた、手作り感の強いイベントであった。
 
単発で終わるかと思われた「大阪クラシック」は意外なほどの反響を呼び、翌年から恒例化した。「大フィル団員小規模アンサンブルの御堂筋近辺へのアウトリーチ」という性格は維持しつつ、市役所裏のレトロな大阪市中央公会堂や、御堂筋の北端にあたるザ・フェニックスホール、はたまた御堂筋からは遥かに離れたザ・シンフォニーホールなど、コンサートホールでのオーケストラ有料公演も開催されるまでに規模を拡大することになる。
 
プロデューサー大植英次が2012年春で大フィル監督を辞し桂冠指揮者となったため、この指揮者のカリスマ性とキャラクターを前面に打ち出した「大阪クラシック」が同じ形で継続されるか、些かの危惧もあった。だが、本年度の初日を眺める限り、「大フィル監督がプロデュースするイベント」では難しかった日本センチュリーや関西フィル、大阪交響楽団、大阪市音の団員もアウトリーチ系コンサートに参加するようになり、結果として「在阪楽団メンバー総出の大阪盛り上げイベント」としての性格が顕著になりつつある。橋本府知事・市長の文化政策により新たな方向性を探す必要に迫られた日本センチュリーと大阪市音とすれば、団にとって重要なイベントとなる可能性もあろう。
 
なお、大フィル関係者に拠れば、井上道義音楽監督の健康状態とは関わりなく、来年以降も「大阪クラシック」のプロデュースは桂冠指揮者大植英次が続けるとのことである。
 
このイベントで何よりも評価すべきは、イベントの担い手たる音楽家を原則的に全て現地調達している点にある。「大阪クラシック」は、言葉の最良の意味でのローカルイベントなのだ。今年の初日となった日曜日、演奏家も聴衆も、揃いのTシャツの裏方も入り乱れ、カオス状態一歩手前となった市役所近辺の会場で、大フィル広報担当者は「ラ・フォル・ジュルネさんのように、著名な演奏家を呼んでくるイベントではありませんので…」と恐縮した顔をしていた。
 
だが、恐縮などなさる必要はない。それこそが正に「大阪クラシック」の誇るべきセールスポイントなのである。世界のあちこちで都市型音楽イベントを成功させる辣腕プロデューサーを招聘せずとも、現在の日本で活動する指揮者にあって最もお祭り感覚に長けた大植英次という逸材が大阪には居た。そればかりか、そんなプロデューサーのパワーを空回りせずにきっちり応えられる音楽家が、地元に居た。大阪には豊かな音楽的資源があったのである。
 
事実として、今、大阪にクラシック音楽は根付いている。ことによると、文楽よりも根付いているかもしれない。歴史に「もしも」は無意味だ。だが、もしもこの「大阪クラシック」というイベントがなかったら、この御堂筋音楽祭が始まって3年目に府知事に就任し、次々と文化関連予算をやり玉に挙げていったハシモト旋風の中で、クラシック音楽界は遥かに危機的状態に陥っていたかもしれない。それを察してか、橋下新市長を前に市役所で大植英次が大フィルを指揮した一昨年の「大阪クラシック」初日には、たいそうな数の報道陣が押し掛けたという。
 
 
今年の「大阪クラシック」では、音楽的にとても重要な出来事がさりげなく起きていた。初日の午後3時から大阪市中央公会堂で開催された、大阪フィルの演奏会である。
 
コンサートマスター田之倉優秋とヴィオラ首席奏者小野眞優美が独奏を務めるモーツァルトの協奏交響曲と、ベートーヴェン交響曲第1番が演目。日曜午後のファミリー向け小編成オーケストラ公演として、何のへんてつもない演奏会ではないか、とお思いかもしれない。だがこの演奏会に、指揮者はいなかった。そう、このコンサート、37名の大阪フィル団員による巨大な室内楽だったのである。
 
このコンサートの意味や意義に関しては、後述の実質上の仕掛け人たる大フィル首席チェロ奏者近藤浩志氏のインタヴューをお読みあれ。本番終了後、次の公演に向け一息入れた楽屋での言葉だ。大仕事の後なのに、意外なほど冷静だったのが印象的である。
 
ことによると、この演奏会に最も冷静でいられなかったのは、プロデューサーの大植英次かも。同じ会場で大阪フィルを振っての「大阪クラシック」開幕コンサートを終えるや、御堂筋各地に点在する会場を次々とまわっては盛り上げ、演奏をじっくり耳にする大植プロデューサー、遥か難波が会場となる障害児施設の子供達のための演奏会に顔を出すので、当初はこの会場に出現する予定はなかったとのこと。
 
前半のモーツァルト《協奏交響曲》が終わる頃に、満員の聴衆に気づかれないようにソッと客席上手後ろから入ってきた桂冠指揮者は、筆者の顔を見るや「最初のピチカート、あれね、あれ、大変なんだよね」。初めてステージで演奏する我が子を袖で眺める親のような心配ぶりである。微笑ましい、などと言っては失礼千万だろう。まあまあと笑いながら、無言で肩を叩くしかなかった。独奏を終え、コンサートマスターに坐った田野倉が念入りなチューニングを終え、大きな身振りで指示を出す。管楽器のfpに弦楽器群がピチカートで応え、音楽が始まる。序奏が終わるや、すっかり安心した顔の大植プロデューサー、じゃあまた、といつもの調子で手を振り、そっと別の会場へと向かった。
 
大阪クラシックはまだまだ続く。「C.P.E.バッハ生誕300年」や「リヒャルト・シュトラウス生誕150年」など本格的企画ものから、二重奏から八重奏などの定番室内楽。はたまた、大フィル首席奏者らによるポップスアンサンブルの大阪デビュー、ボブ佐久間指揮大阪市音の映画音楽まで、浪速の音楽家達による様々な公演が並んでいる。
http://www.osaka-phil.com/oc2014/
 
 
――近藤さんは、今年も随分「大阪クラシック」でご活躍ですね。
 
近藤浩志:ええ、僕は今回は11回出てます。最多ではないと思いますけど(笑)。大フィルの中でも、いろんな人が室内楽やソロの活動をしているし、あまりしていない人もいる。「大阪クラシック」では、ひとりひとりの奏者の名前が出て、クローズアップされる。いつもはセカンドの後ろで弾いている人がどんなソロをやるんだろう、どんな室内楽をやるんだろうと、ひとりひとりに光が当たって、ひとりひとりにファンが付くかもしれない。
 
――この音楽祭がないと、大フィルでは練習場でやるくらいしか室内楽はありませんよね。
 
近藤:普通のオケは、だいたいそうだと思います。僕みたいな首席とかは機会がありますけれど、なかなか皆がそういうことにはならない。こういう企画はオーケストラの活性化にもなるし、ひとりひとりのアンサンブル能力の向上にもなる。こういう機会があるからこそ、普段はやらないアンサンブルでやったり、やらないメンバーでやったり。勿論、毎年違うメンバーでやってる人もいますし、トリオとか弦楽四重奏とかだと、同じメンバーでもう2、3回やってる人達もいますね。
 
――この音楽祭って、私はやりたい、って自己申告するんですか。
 
近藤:僕の場合は、自分がやりたいのはひとつふたつ(笑)。あとは頼まれて、これをやりませんか、って。ピアノ三重奏は、田野倉君と、じゃあやろうか、ということになった。それに、若い世代をいろいろと紹介したいので、去年からクラリネットの船隈慶君とやってます。去年はブラームスのクラリネット・トリオで、今年は《街の歌》。
 
――こういう機会があるとないとでは、全然違いますか。
 
近藤:全然違いますね。やっぱり、オーケストラの皆の意識の中に必ず「大阪クラシック」というのがある。だから、それこそ何かの仕事でやったのを、じゃあ今年はこれをやろう、来年やってみよう、とか。こんな良い曲があるんだけどやってみない、とか。饂飩屋で食べてるときに、今度やらない、とか。飲み会で決まったりとか(笑)。いろんな人とのコミュニケーションの中にこの「大阪クラシック」という媒体があって、それが上手くみんなの演奏の向上とかになっている気がします。
 
――オケとすれば、「大阪クラシック」は充分に根付いた。
 
近藤:もう、根ざしてますよ。
 
――ところで、この指揮者無しオケというのは今年の大きな目玉だと思うんです。指揮者無しで大フィルがオフィシャルな演奏会をしたのは、初めてでですか。
 
近藤:ええ、そう思います。
 
――もっと少しプルト減らすのかと思ったんですけど。
 
近藤:いやいや、結構、大きいです(笑)。オーケストラ自体がもっとアンサンブル能力があれば、指揮者さんが来たときにもっと自由に出来る。各セクションがしっかりしてれば、もっとしっかりアンサンブル出来る。それが僕らの目指しているもの。田野倉君と話をして、やってみようか、ということになしました。
 
――はっきりと意図的に、指揮者無しでのアンサンブルをやろう、ということですね。
 
近藤:そうです。今年、初めてだったんです。まあ、来年、再来年と続いていく中で、ひとつひとつ積み重ねていけば、結構、いろんなことが出来るんじゃないかしら。大フィルのファンの方なら、凄く聴きたいと思って貰えるのではないかしら。それでベートーヴェンの第1番から。第9番はちょっと無理かもしれないけど(笑)、ハイドンとかモーツァルトとか、やれそうな曲は沢山あるし。そのうち、いろいろと他でも出来るように、なんとかしたいです。ここはホントに根付いているのでやれる。
 
――さりげなく、こういう場所でやってしまうなんて、なかなか策士だな、って。
 
近藤:そう(笑)、こういう普通のことの方がマニアックになっちゃうんですよね。みんなマニアックなことはいろいろとやってるから、こういう王道がマニアックに見えてしまうというのはあるかもしれませんね。来年も、多分、やりますよ。

大阪市内のあちこちには、夏の終わり頃になると「大阪クラシック」のポスターが目立つようになる。某市内文化財団の方が「今年は数がすくないんやないけ」と心配していたけれど、始まってみればどの会場も聴衆が押すな押すなの盛況ぶりであった。

第63回

「大阪クラシック」開催中

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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