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世界初〈マッチ・コンサート〉!

サッカーとクラシックが

手を取りあう日 

サッカーとオーケストラとのクロスオーバー

 

6月10日より1か月にわたってフランスで繰り広げられたサッカー欧州選手権。7月10日の決勝戦まで順調に勝ち進んだフランスだが、チャンピオンの座に輝いたのは、スター、C・ロナウドの負傷退場にもかかわらず乱れを見せなかったポルトガルであった。

 

それはよいが音楽誌とサッカーにどんな関係があるのか……と首をかしげる方もおられよう。

 

決勝の日からほぼ3週間さかのぼる。第1リーグ終盤の6月21日、パリで世界初のイヴェントが実現した。サッカー試合の実況中継とオーケストラ生演奏のクロスオーバーという驚愕のプロジェクトだ。

 

折しもこの日はフランスの〈音楽の祭り〉。すべてのコンサートが無料となり、音楽ホールから路上演奏まで、国中があらゆる音楽に包まれる一夜。パリジャンは「今夜はサッカーか音楽か?」というジレンマから解放されたわけである。

 

この前代未聞のイヴェントを腕を広げて迎え入れたのが、オープンして1年半を経たフィルハーモニー・ド・パリであった。パリ管弦楽団をはじめ、数団体が拠点を置く大コンサートホールである。

 

ホールの大スクリーンの前には座席を除去して立ち見席が設けられ、そこで3400人がボルドーのスタジアムからの試合中継〈クロアチアVSスペイン〉の観戦に沸いた。しかし、得点、ペナルティなど、アクションを臨機応変にコメントするのは、解説者の叫び声でなくオーケストラのサウンドなのである。

 

筆者は、前回サッカーの試合をテレビ観戦したのが1998年のワールドカップ決勝戦(ブラジルを降してフランスが優勝した歴史的試合)というサッカー音痴である。実際にコンサートの直中に身を置くまでは、「〈スポーツと文化の融合〉という目的は立派だけれども……?」と半信半疑であった。しかし、コンサート開始後、その考えは吹き飛んだ。

 

フィルハーモニーホールの常連から、明らかにクラシックのコンサートホールに足を踏み入れるのは初めてという風の人々、国旗を頬に描きサッカーウエアをまとった筋金入りのサポーター……年齢層も幼児からお年寄りまで実に〈誰でもあり〉状態。皆が共にスクリーンの選手のプレーを喝采し、オーケストラに拍手を送り、子供や若者たちは踊りはじめ、年配の人は座席でリラックスして雰囲気を楽しんでいる。2対1でクロアチアが勝利をおさめ、会場の熱気は絶頂に。

 

クラシック音楽の民主化を常に理念としているフランスだが、これほど幅広い年齢層、社会層の聴衆が一堂に会し、共に熱狂したことがかつてあっただろうか。取材に殺到した各国のメディアも、パリの〈マッチ・コンサート〉をこぞって称賛した。

 当日、要の演奏を担ったのは、名門パリ地方音楽院の学生オーケストラ。そして、成功の鍵を握っていたのが、同音楽院長の指揮者、グザヴィエ・ドゥレット氏だ。サッカーとクラシックという対照的なふたつをどのように結び付けたのか、その秘密を惜しみなく披露してくださった。

 

 

試合の実況中継に合わせてコンサート

 

船越

この奇想天外なプロジェクトは、どのように生まれたのですか?

 

グザヴィエ・ドゥレット(Xavier Delette)

この〈マッチ・コンサート〉の構想と企画には1年半近くが費やされています。

 

源は〈TATANE〉というサッカー振興団体のアイデアでした。この団体は、青少年向けのサッカークラブの運営だけでなく、人々のつながりや連帯感を生む〈遊び〉としてのサッカー、その本来の意義を問い直す運動を行なっています。

 

この団体の代表者の一人で、専門誌〈So Foot〉の編集長であるサッカー評論家、ブリウ・フェロ(Brieux Férot)氏は、社会の格差間にある垣根を取り払うためには、スポーツと文化の交流が必要だと考えています。フェロ氏は音楽愛好家であり、サッカーの解説を〈音楽〉で実現することで、一味も二味もちがう新しい〈マッチ〉にしてはどうかと考えたのです。

 

一方、パリ市も欧州選手権開催と文化的イヴェントをクロスする企画を望んでいました。こうしてパリ市からの賛同も得て、プロジェクトは進み始めたのです。

 

船越

どういういきさつから、ドゥレットさんとパリ地方音楽院がこのイヴェントを担うことになったでしょうか?。

 

X・D

2016年の欧州選手権のプロモートのために、パリ市は〈スポーツと文化の融合〉を象徴する企画を募っていました。それに応え、パリ地方音楽院では、欧州選手権参加国の24国籍の学生たちを集め、それぞれが楽器を手に自国の言葉でメッセージを送るというプロモーションビデオを制作しました。これは大変好評を博しました。 

 

同じ頃、フェロ氏はパリで〈マッチ・コンサート〉の企画を引き受けてくれる指揮者を探していましたが、企画の奇抜さのせいでなかなか決まらなかった。パリ市から私について聞いたフェロ氏が打診してきたときは、すでに4人に断られた後だったそうです。私が承諾した最初の変わり者だったということですね(笑)。

 

それに加えて、パリ地方音楽院にはオーケストラも、現代ポピュラー音楽のグループも、編曲者もいます。全ての条件が揃っていたのです。

 

船越

企画はどのように進行したのでしょうか?

 

X・D

最初は過去の欧州選手権の歴史的な試合の映像をもとに、ライヴシネマコンサートのような形を想定していました。しかし、このスタイルのコンサートはすでに定着していますから、実況中継のマッチに合わせてコンサートが実現できないものだろうかと漠然と考え始めました。このアイデアは前代未聞なので、企画に携わる皆が興奮しましたね。

 

サッカーはシナリオのない演劇作品のようです。試合には少しずつ盛り上がって解決に向かっていく、というドラマ性がありますし、様々なシチュエーションやサプライズ――この日の〈スペインVSクロアチア〉のように試合終了の2分前にゴールがあったり――に富んでいます。これらの要素は、内部に緊張感や多くの思想を含んでいるクラシック音楽にぴったりだと思いました。

 

 

4つの分類、52曲の選曲

 

船越

選曲はどのような観点からなさったのでしょう? クラシックから映画音楽、現代ポップスまで52曲がリスティングされていたということですが。

 

X・D

フェロ氏から、サッカーの試合の映像収録にも、超遠距離から超至近距離まで幾多の方法があること、また昨今は、現代社会の傾向を反映して、画面の移り変わりも非常に速くなっていると説明されました。

 

音楽もこのリズムに乗らなくてはなりません。したがってベートーヴェンの交響曲の楽章を最初から最後まで演奏するというわけにはいかないのです。多くの曲を用意し、それもすぐに曲から曲へと移り変われるようにする必要があります。

 

また〈TATANE〉の希望のひとつは、庶民的な地域のサッカークラブの子供たちをコンサートに招待することでもありました。

 

フィルハーモニー・ド・パリの常連から、クラシック音楽を聴いたことがないようなサッカー少年たちまで、混合した社会層の人々皆が楽しむためには、多彩なジャンルの選曲が不可欠です。また、オーケストレーションや編曲には、パリ地方音楽院の教授と学生が活躍してくれました。

 

選曲のイメージとしては4つに分類して案を練りました。クラシックの選曲に関しては、目的は曲あてクイズではないのですから、クラシックの超有名な曲はあえて選ばず、皆が耳にしたことはあるという程度の曲に焦点をあてました。

 

まずアクションに伴う、リズム感、スピード感のある曲。メンデルスゾーンの〈ルイ・ブラス〉、サン=サーンスの〈ファエトン〉など。

 

2つ目はその逆。映像と対照的を成し、遅いテンポの曲ながらも、その滑らかさでスピードの局面を描く曲。R・シュトラウスの〈4つの最後の歌〉より〈眠りにつくとき〉、ラヴェルの〈スペイン狂詩曲〉から〈夜への前奏曲〉など。

 

3つ目は、対戦チームの国に関連するレパートリー。まず国歌ですね。スペイン国歌はより華やかに、クロアチア国歌は室内楽のようなドルチェのカラーで、コントラストが美しく強調されるように音楽院の教授と学生がオーケストレーションをし直しました。

 

そしてスペインにちなんでアルベニスの〈アストリア〉や、クロアチアのバルカン諸国のカラーには、バルトーク〈ルーマニア舞曲〉、ブラームスの〈ハンガリア舞曲〉など。

 

また、前述の3つだけでは対応が難しい突発的なシチューエーション――得点など――に対応するためには、やはりロックやポップス系の、イメージがサッカーに結び付けられている曲がふさわしいと思いましたね。

 

映画音楽の中では、A・ヒッチコックの〈サイコ〉、JL・ゴダールの〈軽蔑〉などの他、A・シサコの作品〈Timbuktu (2014)(過激イスラム派に占領されたマリのトンブクトゥではシャリーア法律が課せられ、音楽も煙草もサッカーを禁じられるが、それに屈しない人々の姿が描かれた作品)〉の〈Football without a Ball〉を取り上げました。

 

余談ですが、この曲は、パリ地方音楽院のオーケストレーション科に在籍中のチュニジア人作曲家、Amine Bouhafaの作品です。また彼はこの曲で2015年セザール映画賞の最優秀音楽賞を受賞したのですよ。

 

 

試合の進行に合わせて選曲、演奏

 

船越

実況中継でコンサートができるという確信に到るには?

 

X・D

レパートリーについて考え始めたころ、コンサートをマッチの実況中継と同時進行で……という話が具体的になってきました。

 

実行日に関しては、2016年の欧州選手権の日程上、フランスの〈音楽の祭り〉である6月21日が一回戦の終り頃に重なるということがわかりました。一回戦の終盤なら一般の関心も高まっている時期と予測されること、また、一回戦中なので延長戦になる可能性はないという意味でも、この企画にはタイミングとして好都合だったのです。 

 

ここからは〈夢〉と〈現実〉の折り合い、理想を現実とする手段があるか否か、です。

 

スクリーンを持ち込んでオーケストラのリハーサルで試してみましたが、やはり先の読めないアクションにオーケストラを直ちに追随させるというのは無理でした。

 

そこで浮かんだ考えが、試合の〈実況中継〉とホール内での〈映写〉に2~3分間の時差をつくるということです。その2分間の間に、試合のアクションに完璧に沿うような曲を決め、試合状況とタイミングを合わせて演奏に持ち込むことができるような、連絡システムを設ければよいと。

 

〈司令部〉では、サッカーの専門家フェロ氏が、実況中継を見ながら状況を分析する。例えば「スペインが優勢だ」という風に。そして、編曲担当のパリ地方音楽院の教授と学生が、アクションの雰囲気にふさわしいと思う曲を用意された52曲――この52曲は、あらゆる状況を想定してあらかじめ分類されています――から選び、ステージ上の私に内線で指示を与えるというものです。

 

私の役目は指揮だけではありません。オーケストラのメンバーが皆イヤホンをつけるわけにはいきませんから、次に弾くべき曲を彼らに伝えることも私の役目です。各曲に番号をつけ、その数字を手と指を使って表すジェスチャーサインを決めました。

 

船越

責任重大ですね。すごいストレスではなかったですか?

 

X・D

いいえ、別に(笑)。

 

しかし、学生たちの集中力は素晴らしかった。決まっていた曲順は、選手入場の時のコープランド〈市民のためのファンファーレ〉、スペインとクロアチアの国歌、その最初の3曲のみで、残りの49曲はどういう順番になるか誰も知らなかったわけですから。曲から曲へと飛び回り、分単位で演奏表現を変化させなければなりません。そのうえに出される曲のサインにも注意しなければならないのに、指示に対してミスした人は誰一人としていませんでしたから。

 

成功の理由は、それぞれが自分の役割を完璧に果たし、強い信頼関係で結ばれていたことからチームワークが完璧に機能したこと、これに尽きるでしょう。 

 

船越

当日の会場にも相当の意気込みがなければならなかったでしょうね。フィルハーモニー・ド・パリのリアクションはいかがでしたか?

 

X・D

私の理想のコンサートは、ロンドンのロイヤル・アルバートホールで毎夏開催されるロンドンの〈プロムス〉です。夏休みということで、聴衆はリラックスしていますが、同時に音楽に対する尊重もなおざりにされません。ホールの座席を取り払って設けられた立ち見席は普通の座席より安く、聴衆は寝転がったり床に座ったりするので、隣の人との関係もずっとフレンドリーになり、観客の間にも通い合いが生まれます。この雰囲気をぜひ取り入れたいと思いました。

 

ホール側の対応は終始して見事でしたね。舞台に大スクリーンの設備があったことは幸運でした。ただ、技術面では、フィルハーモニー・ド・パリのチームは半信半疑なところもありました。テレビ局が実況中継の映写を承諾するかどうか、また周波数の関係でテレビ映像をフィルハーモニーホールの大スクリーン上できちんと映写できるのか、といった心配もありましたが、フェロ氏がスポーツ関連のテレビ局をよく知っていたことも幸いし、問題はありませんでした。

 

マッチ・コンサートのために、立ち見席を設けることはフィルハーモニー・ド・パリも快諾しましたが、これも大変なことでした。一夜の間に一階席の座席を取り払う作業をしなければならなかったのですから。

 

 

All  You Need Is Loveは演奏せず……

 

船越

聴衆は、マッチに熱狂しただけでなく、オーケストラの各曲の演奏の終りに大きく拍手もしていましたね。

 

X・D

まずこれは〈マッチ・コンサート〉ですから、聴衆は試合の状況に応じて自由に動き、叫び、踊り、写真を撮り、スタジアムにいるように振舞っていいのです。 

 

一方で聴衆からはオーケストラへの称賛の気持ちも感じられました。聴衆は説明されるまでもなく、自然にコンサートの趣旨を理解し、それぞれが自発的な形で存分にコンサートを楽しむことができたようで、本当にうれしく思っています。

 

船越

試合自体もエキサイティングでしたよね。全てのシチュエーションが出そろっていたのでは?

 

X・D

口論のシチュエーションはなかったですね。実はこのためにビートルズの「All  You Need Is Love」を用意していたのですが、これは演奏する機会がなかった(笑)。

 

船越

日本では2020年に東京オリンピック開催をひかえています。開催中、こんなイヴェントがあればいいのにと思いますね。

 

X・D

大スクリーンがあればどこでも、またどんなスポーツ映像とでも実現可能だと思いますよ。野外コンサートでもいいでしょうね。

 

パリ市も2024年オリンピック開催地に立候補しています。今回の〈マッチ・コンサート〉は〈スポーツと文化の融合〉という理念に完璧に沿っていたということで、パリ市はキャンペーン中、候補地の実績の一例として紹介するそうです。

 

船越

このようなコンセプトは若い音楽家の社会進出につながると思いますか?

 

X・D

現代は、クラシック音楽のコンサートの形式も革新していき、各自が聴衆を広げていかなくてはならない時代です。少なくてもその方法のひとつではないかと。編曲を担当した学生は、今回の経験がよい〈名刺〉になると思いますよ。

 

船越

コンサート後、インタヴューに応える移民系のサッカー少年たちが目を輝かせて「クラシックも案外サッカーに合うね!」と口々に言っていましたね。

 

X・D

実は私自身サッカーにあまり興味がないのですが、非常に魅力的なチャレンジでした。『この社会層にはこのタイプの音楽』という先入観にとらわれるのは間違っていると、今回の〈マッチ・コンサート〉は具体的に証明したと思います。

   

船越

たくさんの貴重なお話をありがとうございました。

 

 

インタヴュアー:船越清佳

(ふなこし さやか・ピアニスト・パリ在住)

船越清佳 Sayaka   Funakoshi 

ピアニスト 音楽ライター

 

岡山市生まれ。京都市立堀川高校音楽科卒業後渡仏。

リヨン国立高等音楽院卒。

 

ヨーロッパ、日本を中心としたリサイタル、オーケストラとの共演の他、室内楽、器楽声楽伴奏、楽譜改訂、CD録音(日本ではオクタヴィアレコード〈エクストン〉より3枚リリース)等で活躍。

 

一方でライターとして「ムジカノーヴァ」で〈パリ・レッスンプロムナード〉を隔月連載を担当する他、「音楽の友」「レコード芸術」などへも定期的に執筆。またフランスではパリ地方の市立音楽院にて後進の指導にも力を注いでおり、多くのコンクール受賞者を出している。


フランスと日本、二国の長所を融合する指導法を紹介した著書「ピアノ嫌いにさせないレッスン」(ヤマハミュージックメディア)も好評発売中。

(C)Jean Baptiste Gurlia//Mairie de Paris

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