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『おみぃのおと。』

 

ヴァイオリニスト 尾池亜美

第4回 痛みや恐怖は必要悪?

最近、グラーツでレッスンを受けていて気づいた。新しいことを教わった時にどこかでそれを受け入れたくないと思っている自分がいる。変化を拒むような。
 
クレス先生は自然な音楽性のために数えきれないほどの基礎を教えこむようなタイプの先生なのだが、これまで自分のやり方で上手く行っていたのに何で変えなきゃいけないの?と身体が主張している気がする。
 
頭は身体にこう言う。「今うまく行ってるだけじゃだめなんだよ、将来ずっと同じやり方で上手く弾き続けるために、いま大先輩から経験を分けてもらってるんだろう?」
 
身体は「そうだけどさ、いいじゃん同じで。先生のやり方は先生のもの、自分が真似することないじゃないか」と、なんだか乗り気でない。
 
頭は諦めない「だから、一度彼の経験の詰まった方法論を試してみるのも悪くないじゃないか。その中から、一番君の姿形に合った動きを選び取ればいい。そうすれば先生の経験のもと、君は新しい可能性を見出し、成長する」
 
身体「チェッ。わかったよ、やってみるさ。」
 
私達は変化を好まないことが度々ある。大昔、狩猟が主だった縄文時代から、安定を求めて稲作中心の弥生へと変化した。それから形は変われど稲作は今まで続いている。安定的な仕事は一般的に「善し」とされる。安定感のある人というのは大概誉め言葉として使われる。「安定」はとても善いもののように思われる。実際良いことではあるんだけど。
 
でも安定を良いと感じるにはそれだけの危険が必要なことを忘れがちである。
 
変化、危険、恐怖――これらは安定、安全、安心が善きものとして存在するために必要不可欠だ。
 
私がレッスンを受けるときに感じた抵抗、それは安定から逃れたくないと思う身体からの信号だろう。けれど時には負荷をかけないと成長は無いのだ。いや、時々でなく、私達が毎日練習をするのは毎日同じ作業を繰り返すためではなくて、一秒一秒成長をしつづけるためだ。それでないと意味が無い。
 
同じ練習を繰り返すのは単純に反復運動を「しなくちゃいけないから」「先生にいわれたから」するんじゃなくて、今ついてない筋肉がその反復運動によって付いて行き、脳みそでもその動きが定着し、そこに初めて成長があるからだ。そうして負荷をかけ続けて上手くなっていくんだ。
 
そう思うと辛いことなんてのは全部自分の成長のためになるといえる。スランプや苦労、そこからいかに抜け出すかを見つけ出せば、その経験はすべて心の筋肉となる。心の筋肉は人の「記憶力」に支えられて、なかなか落ちることはない。
 
ただ、なんでもいいから苦労しまくればいいのではなくて、自分に良い変化をもたらすタイプの苦労を自分で発見しなくてはならないのかな、とも思う。
 
だって、苦労人を発見して彼と同じ状況になろうとしたって成れるものではない。多くの練習を積み重ねて巨匠に成った人の真似をしても彼のような演奏家にはなれない。課題は自ら見つけないといけない。先生はその手伝いをしてくださるものだ。
 
弓を弦の上に置く向きを例にあげてみよう。今日は同門のアンナに撮影に協力いただいた。
 
先生が示唆してくれる方法は、時に恐怖を伴うことがある。「こんなことしたら汚い音出ちゃうんじゃないの?」と。でも、汚い音になるリスクを避けようとすると、私達は弓の毛のうち片側の半分しかほとんど使わなくなってしまう。
 

Ami Oike

French Romanticism

尾池亜美 ヴァイオリン

 

尾池亜美(ヴァイオリン)

佐野隆哉(ピアノ)

 

セザール・フランク:ヴァイオリン・ソナタ・イ長調

カミーユ・サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調Op.75

クロード・ドビュッシー:夢

 

定価2,500円(税込)

 

http://sp.tower.jp/item/3538794/French-Romanticism<通常盤>

楽器を構えた時に、右手首をくの字にさせて、自分から離れている方の半分の毛だけを使って、やわらかく弾く・・・安定的にきれいな音が出る。
やがてそれはクセとなって、勇気を持って弓の毛を100%使うことが怖くなってくる。それでも強い音が必要だからと75%くらい傾けたまま上から押さえつける・・・悪循環やん!
 
最初の恐怖がキッカケで悪循環へ至ることは避けなきゃいけない。ということは、最初は恐怖を感じることでもどんどん試してみないと。そうだ、逆側、手前側の毛を積極的に使ってみよう。
せっかく弓の毛が平らに均一に張ってあるのは、手前の毛も奥の毛もきちんと用途があるからで、それは細かい移弦がつづくときに弓の向きがコロコロ変わっても大丈夫なように平らに1.5センチ幅くらいに均一に張ってあるのだ。
 
最初はあまりここちの良い音はしないかもしれないが、音を出し慣れてくると、この向きがいかに便利かがわかってくる。
 
私も手前側の毛を使うのが怖くて、しつこく先生が言ってくれたおかげでいまは手前の毛の皆さんとも仲良く成ってきた。すると、移弦がいかに容易いことか。また、弓の毛が弦に当たる向きが多少変わったところで、音色にはさして変化がないことを覚えると、随分気楽に成って可動域が広がってくる。
 
恐怖や苦労を乗り越えた先には心身に筋肉がついて、自由度が上がっていくのだと確信した。アンナ、ありがとうございました。彼女は現在、ギドン・クレーメル主宰のクレメラータでも活動中、10月に来日公演を控えているそう。楽しみです。
 
最近、友人に教えてもらって某「地球大進化」という某放送局のドキュメンタリー番組のシリーズを一気に通して観た。少しでも多くの人に広まるという認識からか、現在もYouTube上から検索して観ることが出来る。そこでウン十億年前からの生命が、いかに危険にさらされ、時には95%もの生命が絶滅し、変化に変化を繰り返していまの人間に至ったかを事細かに教わった。
そうか生き物は恐怖、変化、死の繰り返しでここまで至ったのか。そう思うと、私達が「わるいもの」としてきているあらゆる要素――不安定、リスク、恐怖、痛み、苦労――は、全て生き残っていくために必要な要素じゃないか。
 
人間が地球を支配して、野生の動物に喰われてしまう可能性は減った。そしたら人間は互いに争うのではなくて、不必要な競争もやめて、お互いに善く生きていくために成長しなくちゃいけない。変化を受け入れ、リスクに勇気で立ち向かい、良い苦労と不必要な努力を選り分け、常に新しい気持ちで生に取り組んでいきたい。
 
私もすでにウン十年ヴァイオリンを続けてきたけど、続けるならこれまでの積み重ねに安住せず、新しい変化をもって引き続けたいと決意を新たにした。
 
歴史や科学の研究家の皆さん、番組を作ってくださった皆さんありがとうございます。(笑)
 
今日はこの辺で!チュース!

© 2014 by アッコルド出版

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