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3.11という数字が目に触れる頃になると、列島は特別な空気に包まれる。
それが、思い出したように為される現状報告であったりすることに、
同じ辛い過去と『被災地』という冠を持つ地の出身者としては、
どうにも別な悲しみを感じずにはいられないが、それでも、
忘れ去られるよりはいいと思ってしまう、歳月の厳しさである。
 
とも言いながら、この時期に、モーツァルトのレクイエムや、
ドヴォルザークのスターバト・マーテルなどを耳にすれば、いつになく、
心が震え、涙してしまう自分がいて、感情を封印しなければ、
日常を過ごせないという事実も否めない、そうも思う。
一年に一度、錆びた鍵を外し、大きく扉を開け、また新しい鍵を付ける、
それを繰り返しながら生きていくしかないのかもしれない。
 
追悼と音楽は、その成り立ちを考えれば密であるはずのものだが、
器楽曲においては(これもその成り立ちと関係して?)、それが
ストレートに表示されているもの―標題として掲げられているとか、
副題として付されているとか、そういう演奏指示があるとか―
は、決して多くはない。なので下手をすると、演奏者が曲の底流にある
作曲家の悲歎や追悼の念を知らず演奏していることもなくはないのである。
 
そんな中で追悼の曲として、ヴァイオリン弾き誰もが知る曲がある。
チャイコフスキーの《ピアノ三重奏曲 イ短調 作品50》(1881⁻2)。
よく目にする“偉大な芸術家の思い出にIn memory of a great artist”
という副題は、作品に付された献辞から来る。この曲は1881年3月、
パリで客死した旧友ニコライ・ルビンシュタインのために書かれたもの。
 
室内楽分野の作品数が両手に満たないチャイコフスキー、
ことピアノトリオに関しては、メック夫人宛の手紙の中で、
『これら3つの楽器による響きが生理的に受け付けないのです』
などと書いている。「だから」なのか「その割に」なのか、この曲は
ピアノトリオの枠を超えた重厚さがあり、50分にも及ぶ演奏時間は、
紆余曲折ありながらも保たれた友情の歴史を顧みるかのようでもあって、
弾き手にも聴き手にも長く感じさせない、素晴らしい曲である。
 
 
この後、ロシアでは亡き芸術家への“追悼音楽”として、
『ピアノ三重奏曲』を作曲するという流れができる。
 
アレンスキーは、1889年にモスクワで死去した、
名チェリスト、カルル・ダヴィドフの追悼のために、
《ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品32》(1894)を作曲している。
 
ラフマニノフの『悲しみの三重奏曲 Trio Élégiaque』も有名だ。
《悲しみの三重奏曲第2番 ニ短調 作品9》(1893)は、
チャイコフスキーの訃報を受け、わずか1ヵ月あまりで完成された。
 
ショスタコーヴィチの《ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調 作品67》は、
1944年41歳で急死した親友イワン・ソレルチンスキーに贈られた。
「彼の死の知らせを聞いて私を襲った悲しみをすべて言葉で表わすことはできません。私が成長できたのもすべては彼のおかげです。彼なしで生きることはあまりに辛すぎます」
 
ロシア音楽固有の、深く心に染み入る息の長い美しい旋律。
演奏者はそこに込められた繊細で且つ振り幅の大きい感情をすべて表現し、
聴き手を「泣かせる」ことを要求されもするが、これらの音楽にあっては、
泣かせるどころか、自身が自身のことのように涙してしまうこともある。
作曲家に一体化していくような、その感覚は気持ちよくもあり怖くもある。
音楽の力の凄さを、強く再認識する瞬間である。
 
もちろん、追悼音楽はピアノトリオに限られるものでもない。
上の流れでいけば、シュニトケは編成に拘らず追悼音楽を書いている。
例えば。曲名そのままに《ショスタコーヴィチ追悼のための前奏曲》、
《ピアノ五重奏曲》は亡き母のために。《オレグ・カガン追悼のマドリガル》
これは若くして癌で亡くなったヴァイオリニストのカガンのために。
 
もちろん、追悼音楽はロシアに象徴されるものでもない。
オーストリアの作曲家アルバン・ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》も、
その一つだろう。1935年の夏に書き上げられたこの曲に付された献辞は、
“ある天使の思い出のためにAndenken eines Engels”。曲そのものは、
ヴァイオリニストのクラスナーの委嘱によって書かれたが、その内容は、
18歳で亡くなったマノンという女性への鎮魂である。
(マノンはアルマ・マーラーと彼女の2人目の夫ワルター・グロピウスとのあいだに生まれた娘で、ベルク夫妻が可愛がっていた女性)
 
 
演奏家はその演奏に、「家庭の事情」を出すことを許されない。
作曲家にも、人知れず、悲しみに彩られた曲もあるはずだ。
誰の人生にも“別れ”は付き物で、決して避けることはできない。
 
先のドヴォルザークの《スターバト・マーテル 作品58 B.71》は、
彼がようやく作曲家としての明るい一歩を踏み出した矢先に起きた、
長女を生後二日で失うという悲劇から始まったと言われる曲である。
幼子を悼む気持ちをスケッチとして書き溜めるドヴォルザーク。だが、
多忙でなかなか曲を完成させることができない。そうこうしているうちに、
今度は長男を天然痘で、次女を薬の誤飲で相次いで失ってしまう。
それをきっかけに本格的に作曲を再開、一気に完成させた曲だと。
 
1777年、あれやこれやでザルツブルクを出たモーツァルトは、
母アンナとパリに住むが仕事は思うようにはいかない。挙句に、
翌年の7月3日、病で母を失ってしまう。この頃に書かれたのが、
数少ない短調の曲の一つ《ヴァイオリンソナタ第28番 ホ短調 K.304》 。
同時期には《ピアノソナタ第8番 イ短調 K.310/300d》も書かれている。
 
そう。モーツァルトの「数少ない短調の曲」ということで、
時期的に考えて、その根底に母の死があるのではないかなどと、
考えてみたくもなる訳である。もちろん、こういった関連付けを
よしとしない人もいる。それを裏付けるものがないからと。
 
1778年7月3日のモーツァルトのブリンガー神父宛の手紙には、
母を失った悲しみが、切々と書き綴られている。
7月9日の父への手紙は、母の死の報告が為されているが、
そこには、自身の悲しみを堪え、父を気遣うモーツァルトがいる。
7月30日の知人への手紙は、上記ヴァイオリンソナタのことなど、
仕事の話がメインで書かれているが、文章の端々に寂しさがある。
 
得たものと引き換えに多くを失った、天才と呼ばれた青年。
襲い来る深い悲しみと苦悩を、捻じ込むように笑顔の下に隠す。
静かな絶望はやがて諦念の境地に至り、曲に昇華されていく。
すっきりした譜面の奥底にある例えようもない孤独。
彼の人生を知らずとも、弾けば心の内に悲しみの気持ちが芽生える。
 
傷付きやすい脆弱な精神を抱え、明るく装わねば生きていけない、
そんなモーツァルトを想いながら、このソナタを弾くことが、
間違っているとも、悪いこととも思えない。
 
 
ある日、気が付いた。
どうも暗い曲が好きらしい。
落ち込んだときには、応援ソングなどを聞いたりもするが、
どちらかというと、明るく励まされるのは苦手。無理矢理、
気持ちの方向転換をするのではなく、落ちるところまで落ちて、
傷が癒えるのをじっと待つ方が合っているようだ。
 
しばらくして、また気付いた。
特に、“ラメント・バス”が好きらしい。
ふとしたときに聴きたくなって、何度も聴いてしまう曲、例えば、
モンテヴェルディ作曲《ニンファの嘆きLamento della Ninfa》、
そしてそして、ビーバーの《ロザリオのソナタ》のパッサカリア。
(ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ~聖母マリアの生涯からの15の秘蹟第16番独奏ヴァイオリンのためのソナタト短調“パッサカリア”)
 
―ラメントlament(英) lamento(伊) 
嘆きや遺憾、哀悼を表した詩や歌・楽曲のこと。「哀歌」「嘆き歌」「悲歌」「挽歌」と邦訳。
(1)死者に対する哀悼の意を表すための音楽。14世紀以来、大作曲家の死を悼んでこの種の曲を作曲する慣習が広がった。(2)悲哀に満ちた嘆きをあらわす音楽。17,18世紀のオペラでは筋が急転して結末に達する直前の場面に用いられた。(新訂標準音楽辞典 音楽之友社)
 
―ラメント・バスlament bass
バロック中期から後期には多種多様なオスティナート・バス (オスティナートostinato:ある一定の音型を絶えず反復すること) が用いられるようになるが、そのうち4度に渡るバスの音階的下降進行は「嘆き」や「悲しみ」を表す場面でしばしば修辞的に用いられた。これを“ラメント・バス”と呼ぶ。
 
ビーバーの《パッサカリア》は、およそ10分の演奏時間を、
「ソ-ファ-ミ♭-レ」というラメント・バスが延々支配している。
ラメント・バスのことを「執拗反復」などとも言うらしいが、
それはまさに、天使祝詞(アヴェ・マリア)をひたすら繰り返し唱え、
黙想する“ロザリオの祈り”、敬虔な気持ちにもなろうというものだ。
 
 
死を意識して書かれた『白鳥の歌』は
そこに、自身への別れの気持ちもあるのだろう。そう。
ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》やモーツァルトの《レクイエム》。
 
若い頃好きだった短歌を思い出した。
―白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよふ(若山牧水)
 
性格というのは変わらないらしい(笑)。
ちなみにこの「白鳥(しらとり)」はカモメだとか。
 
昔、流行った、渡辺真知子の歌を思い出した。
―かもめが翔んだ かもめが翔んだ あなたはひとりで生きられるのね
 
悲しいかな、人はひとりでは生きていけない。

 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第104回駆け抜ける悲しみ

Biber Passacaglia - The Guardian Angel [in accordatura]

Lamento della Ninfa - Amor - Claudio Monteverdi

© 2014 by アッコルド出版

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