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「日本で弦楽四重奏で喰っていくのは不可能」というのは、残念ながらどうにも否定のしようがない現実である。勿論、巌本真理弦楽四重奏団やクァルテット・エクセルシオなど、例外がないことはない。とはいえ、実質上のリーダーだった黒沼俊夫氏の未亡人に拠れば、マリカル時代は猛烈に無茶な生活で、特に若い中声ふたりには大きな負担だったという。後者も、弦楽四重奏を続けられる経済生活に対応するための郊外移転など、家族ぐるみでの協力(敢えて言えば、家族を含めた大きな生活の犠牲)なしでは成り立っていない。
 
山形弦楽四重奏団(以下Q)という団体がある。おそらく、現在日本で活動している現役プロ奏者による弦楽四重奏団としては、最も頻繁に「定期演奏会」を開催する団体であろう。なにしろ、基本的にシーズン中は2ヶ月に1度(山形定期4回+庄内定期2回)なのだ。一頃まではムジークフェラインのブラームスザールで毎月定期を行っていたキュッヒルQが、このところ2ヶ月に1度にペースを落としていることを考えれば、ことによると世界で最も頻繁に定期演奏会を行うプロの弦楽四重奏団のひとつと言えるかもしれない。日本でも、荻窪の名曲喫茶ミニヨンでほぼ月1度の「定期コンサート」を続けている東京ベートーヴェンQがあるくらいか。
 
意外かもしれないが、弦楽四重奏団で「定期演奏会」と称する演奏会を開催している団体そのものが、実は極めて少ないのである。正確に言えば、ほぼ皆無に等しい。ジュリアードQがアリス・タリー・ホールで定期演奏会を行うこともないし、アルバン・ベルクQがコンツェルトハウスのモーツァルト・ザールで定期演奏会をしていたわけでもない。日本の「定期演奏会」に最も近いのは「特定主催者の演奏会シリーズにレギュラーで出演」で、例えばブダペストQのワシントンDC国会図書館定期などはそのような形であった。要は、今風に言うところの「ホールのレジデンシィ」である。
 
もとい。山形Qについて。どういう団体なのか、筆者がくどくど述べるより、公式ホームページのプロフィルをご覧頂いた方が宜しかろう。
http://www.yamagata-sq.net/NewFiles/profile.html
 
このプロフィルをご覧になった読者諸氏は、「なるほど、山形交響楽団のバックアップがあってやれる団体なのだな」と思うであろう。そう思うな、と言われても無理な経歴に見える。ずっと気になっていたそんな山形Qの活動に、やっと接する機会が持てた。山形県第3の都市にして庄内地方の中心地、かつては西回り航路の出発点として繁栄した古都、酒田での演奏会である。アマチュアオーケストラ酒田フィルのフルート奏者にして、この地で「くろき脳神経クリニック」を営む黒木亮氏が、酒田市に8年前に開設した診療所のリハビリ室をジョンダーノ・ホールなるスペースにして開催する「サロンコンサート」。その第40回として去る2月15日に行われた山形Q第10回庄内定期演奏会に、ようやく訪れることが出来た次第。
 
前日に8年がかりの大プロジェクトだったモーツァルト交響曲全曲演奏を終えた山形Qの面々、冬で峠越えの道が閉鎖されたため、ぐるりと迂回路をまわって日本海側の酒田に至り、午後の演奏会に臨んだ。酒田フィルのメンバーも多く客席に座る満員のコンサートスペースで、酒田での全曲演奏を目指して10曲目となるベートーヴェン作品18の1を披露した後、高田三郎作曲《山形民謡によるバラード》から幻想曲を演奏。ホッとした気分が醸し出されると、いよいよモーツァルトとの長い付き合いの万感の思いを込め、モーツァルトのクラリネット五重奏曲が、同じ団員の川上一道がを加わえ演奏される。そして熱い拍手に応えたのは、勿論この団体の看板曲、クァルテット博士幸松肇氏に委嘱し初演した《最上川舟唄》である。舟唄の地元在住のヴィオラ倉田譲が歌い出す冒頭から、これ以上の「オーセンティック」な再現はない舟唄が弦楽器で歌われる。最上川河口に広がる酒田の人々は、皆がこの歌を歌えるという。そんな聴衆と共に過ごす、小さな、充実した楽興の時。
 
演奏終了後、昨日からの音楽漬け状態が抜けない山形Qメンバーに、会場となったジョンダーノ・ホールの袖でお話を伺った。それぞれのメンバーのプロフィルを眺めると、そのまま映画の1本も撮れそうな個性的な面子の話だけに、短い時間とは思えぬ充実した内容が語られた。本来ならば、当「アッコルド」の方針はノーカット掲載なのであるが、流石にちょっとそれでは判りにくい部分もあろう。
 
以下、山形Qの創設メンバーにして実質上のプログラムディレクターたるヴィオラの倉田讓氏と、同じく創設メンバーの第1ヴァイオリン中島光之氏の発言を拾ってご紹介する。山形という室内楽をするに丁度良い場所、そして意外なところから流れ込む日本の室内楽遺伝子の継承。山形に山形Qがあるとは、日本の室内楽界になんと幸運なことか。
 
 
◆せっかく文翔館があるのだし
 
――この団体は、山形交響楽団が皆さん弦楽四重奏をやってください、ということで始めた団体では…
中島&倉田:全く違います。
中島:今は全員、山形交響楽団の団員ですけど、最初は山形大学の学生が入ってました。ですから、山響のクァルテット、という意味ではありません。
――中島さんが始められた。
中島:最初から倉田さんと2人で。是非カルテットをやりたい、ということでした。倉田さんは入団前から、そういうのをやりたいと言ってた。始めたのは、彼が入った2000年からです。
倉田:僕はフリーの時代も長かったんです。僕が山響に入る前に、文翔館(注:山形市内にある山形Qの本拠地で、レトロな旧県庁旧会義堂がホールとして活用されている)で山形弦楽四重奏団というのがあったんですよ(注:堀正文、景山誠治、Va:豊嶋泰嗣、Vc:上村昇)。それが文翔館カルテット、という名前に変わった。こんな良いホールがあるのに、どうしてここに住んでる人達でやらないのだろう、もったいないじゃないか、と疑問に思ってたんです。それで、自分らでやることにして、文翔館の人や県の人に「山形弦楽四重奏団」という名前は使えますか、と訊いたら、もう使わないし商標みたいなものはないからご自由にどうぞ、ということで(笑)。
――要は、中島さんと倉田さんがクァルテットを作って、その場所が山形だったからこの名前になった、ということ。
倉田:まあ、そうですね。それから、当時は山響が無茶苦茶暇だったんですよ(笑)。年間のスケジュールがガラガラで、4、5ヶ月は休みがあったんです。音楽教室オーケストラだったので、音楽教室が出来ない冬場などは、まるまる3ヶ月くらい空いてるオーケストラだった。その間に他の(オーケストラの)手伝いに行ったりしてたんですけど、これは勿体ないよね、ということになった。
――練習する時間があった。
倉田:そうです。それと、借りる会場があった。
――文翔館は協力的だったんですか。
倉田:協力的でしたね。最初の頃は、1年に1度はホールを無料にします、という感じでした。今は指定管理に制度が変わってしまったので、それはないんですけど。
中島:もともとホール代は高くないんです。だからやれているんですよね。練習に使えている公民館も。
倉田:東京じゃ考えられないですよ。
――山形という場所だからやれている、ということですか。
中島:そうです。
――皆さん山形在住ですしね。
倉田:うちでもホルン・クァルテットをやってる連中もいるんですけど、仙台フィルの連中とやってるもので、スケジュールを合わせるのが大変で、結局、無理矢理やっても1年に1度がやっと、という。
 
◆今日の譜面は巌本真理Qのコピーです
 
――この団体のプログラムには、前衛とはちょっと違ったところの日本の近代音楽作品が並ぶというのが魅力です。これは誰の趣味なんですか。
倉田:まあ、僕ですね。それから、チェロの茂木さんが大好きなんですよ。
――高田三郎さんの曲とかがあって、それを山形の団体だから弾いてくれ、と頼まれたのとは違うわけですね。
中島&倉田:それは違います。
中島:山形Qですから出来れば山形の作曲家の曲をやるべきではないか、ということで、最初の頃は佐藤敏直さんとか服部公一さんとか。でも、曲の数も限られてますし。
倉田:ニューアーツの平尾真伸先生にレッスンを受けたことがありまして。彼が巌本真理と知り合いで、こういう譜面があるけど、と仰る。今日の譜面も、高田三郎さんの遺族から貰ったんじゃなくて、巌本真理Qが弾いていた譜面のコピーなんですよ。こういう曲あるよ、田中カレンさんとか、って彼がけしかける(笑)。
――へえ。。
倉田:年に何曲かやりたいな、とは思っています。でも、レンタル譜を借りるとお金がかかるし、結局、林光さんも佐藤敏直さんもそうですけど、直接知っている作曲家からか譜面を取り入れらればやる、ということです。
―い―じゃあ、作曲家が持ち込める、ってことですね。
倉田:まあ、そうですね。
 
◆山形だから続けられる
 
倉田:なんで続けられているのか、正直、疑問ですよね(笑)。ただ、プロフィルを見て頂ければ判るけど、僕らはアマオケ出身なんですよ。茂木さん以外は、みんな普通大学に行ってた。クァルテットを普通の人が続けたいと思うと、つまるところ会場費とか集客とか、お金が問題になる。でも僕らは、依頼の仕事があればそのうちから少しづつ貯金をして自主公演やろう、という調子でまわしている。今日の演奏会でいくら入るか、交通費くらい出ればいいや、くらいの感じでまわってるんですよね。
――とはいえ、年に6回定期をやろうというのだから、ただ事ではないですよね。
倉田:計算すると、練習を入れると年に80日くらい弦楽四重奏をやってるんですよね。
――今の環境なら、年に80日集まるのもなんとか捻出出来るから、やっていける。
倉田:そう。それから、例えば東京のオーケストラなんかだと、年間スケジュールがぎっちり決まっていて、団員の休みは降り番で対処してるでしょ。だけど山響って、昔の組合と労使で話し合って、オーケストラは月に23日拘束、って決まってるんです。だからキチキチに仕事が入っていても、オーケストラ全員が絶対に月に7日間は休みなんです、だから、その間をクァルテットに使える。家族サービスは年末年始のみ、みたいな(笑)。
――つまり、極めて自然体にやってる、頑張って年に6回やるぞ、みたいな使命感はないんですか。
倉田:まるでないですね(笑)。僕は音大時代にイソQとかよく聴きに行ってたんですけど、あんな風に一生やってるのもいいかな、って。ただ、継続していれば良い、という考えが強くて。でもやっぱり、継続するということなら、イソQが100回以上定期をやったのを破ってやろうかとか。
――さっきも楽譜の話が出ましたけど、山形には巌本真理Qの伝統もありますしね。
倉田:平尾さんの話で、真理さんはこういう風に弾いていたとか、そういうのは刺激になるんですよ。山響でも、巌本真理さんのレッスンを受けたなんて人がいるんです、まだ数人。山大(注;巌本真理Qのチェロ奏者黒沼俊夫は、本籍があった山形大学音楽部に積極的に関わっていていた)出身の方とかも。
――山形にこういう団体があることが、腑に落ちてしまいました。お疲れの所、ありがとう御座いました。

第10回酒田定期のアンコールに、山形Qが幸松肇に委嘱した《最上川舟唄》を披露する山形弦楽四重奏団。ヴィオラの倉田の独奏に、他のメンバーは楽器を打楽器のように扱って合いの手を入れていく。

第81回

山形に山形弦楽四重奏団あり

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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