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香港はランタウ島の空港を発ち、台湾上空を抜け、今、沖縄空域にかかろうとするところ。恒例となった旧正月前の香港滞在、第6回目となる「香港国際室内楽音楽祭」を見物に出かけた帰国の途上である。アメリカを拠点とするヴァイオリニストのチョーリャン・リンを音楽監督に迎えたこの音楽祭、今や香港で最も大規模な規模と広がりを持つ室内楽イベントとなりつつある。
 
そもそもある街で室内楽演奏会がそれなりに盛況となるためには、いくつかの条件が必要である。聴衆が存在することは言わずもがなの前提(実のところ、この要素はそれほどの絶対条件ではないのだが)、同様に重要なのは「室内楽をやりたい」と考えるプロの音楽家がある程度以上存在し、生活していることである。フリーのプロ音楽家が無数に生活するロンドン、いくつもの音楽教育機関があり世界中からやって来る音楽学生の数が猛烈に多いニューヨークやパリ、若い音楽家にとって生活費が比較的安いベルリン、等々。実は我が東京圏も、ある意味で相当に室内楽の条件が整った街なのだ。
 
クラシック音楽という些か特殊な視点で眺めると、香港は長く中国大陸の南にポツンと置かれた旧英国植民地の残滓だった。ロンドンからインド、マレー半島先端を経由し、遥かオーストラリアやニュージーランドへと至る巨大な大英帝国支配文化ベルトの、極東方向に向けた支流の最東端である。音楽に目覚めた若者が留学を夢見るのはロイヤル・アカデミーやロイヤル・カレッジ、次善の策はパースやメルボルンの音楽院である。外来演奏家の差配も、イギリスの大手音楽事務所の影響力が強かった。要は「イギリスのもの凄く遠い田舎」という状況が長く続いていたのである。現在、ヤップ・ヴァン・ズウェンデンを監督に急速に力を付けつつある香港フィルも、オーケストラとしてのルネサンスの道を開いたのは、20世紀末の植民地時代最後の頃にこの地にやってきたイギリス人指揮者ダヴィッド・アサートンだった事実は御存じの方も多かろう。
 
香港の音楽事情を話し始めればキリがない。室内楽に話を戻そう。乱暴に断言してしまえば、香港には音楽家たちが室内楽を大々的に展開するだけのプロフェッショナルな演奏家のプールが足りなかった。香港フィル団員による弦楽四重奏団や、音楽院の学生や卒業生に拠るアンサンブルは存在していたにせよ、都市の規模や重要性に比べれば相当にアンバランスな、世界の人口数10万の都市ならどこでもある小規模な室内楽活動であったと言わざるを得ない。20世紀後半以降に香港で所謂「一流」の室内楽を聴こうとすると、イギリス時代から続く旧正月明けの「香港芸術祭」にひとつ程度確保された室内楽枠がほぼ唯一。ジュリアードQやアルディッティQ、リンゼイQなどが香港シティ・ホールを会場に演奏会を開いていたものだった。
 
 
数年前から、ヨーロッパやアメリカの若い弦楽四重奏奏者から「今度、香港に行くことになったよ、そう、香港芸術祭じゃないみたいなんだ、なんか大学でやったりするらしいんだけど…」という話を聞くようになった。欧米ベースの音楽家とすれば、東京と香港など隣町、せいぜいがニューヨークとシカゴとか、ロンドンとミラノくらいと信じているらしい。そんな連絡に、香港にもどうやら違う流れが出て来たのかしら、と思ったものだ。
 
結論から言えば、2009年に「香港国際室内楽音楽祭」が始まっていたのである。最初は5公演と規模もさほど大きくはなく、イベントとして試行錯誤状態だったようだ。2012年に仕切り直し、保険会社J.P.モルガンがメインスポンサーになり、本格的な国際音楽祭として大きく変貌する。旧正月前の南国香港の真冬、国際的観光地としては閑散期の頃に、チョーリャン・リンの人脈を利用したアメリカ東海岸室内楽の巨匠や気鋭の若手団体を招聘、更に室内楽にも関心を抱く国際的著名ソリストを加え、様々なセッションを行う。そこに、20世紀後半から膨大に海外流失した中国人演奏家で、室内楽のジャンルでキャリアを重ねた実力者が里帰りし、要所要所を締める。
 
期間中にはコンサートばかりか、アウトリーチやマスタークラス、リハーサル公開なども併設されるのは、今時の都市型フェスティバルの常道。植民地時代はともかく、中国本土の影響力が日に日に強くなる今の香港では、室内楽聴衆がそれほど多い筈もない(中国聴衆はロマン派のオーケストラ作品やオペラは大好きなのだが)。となれば、少しでも室内楽を知って貰うため、毎年のテーマに沿ったプレトーク(中国語と英語の回が別に用意さる)やらレクチャーも大事なフェスティバルの一部だ。当日プログラム冊子が非常に教育的で充実しているのは、そんな努力の具体的な顕れだろう。
 
1月14日から21日の1週間、ヴィクトリア湾を臨む香港島各地で様々な室内楽コンサートなど総計20のイベントが開かれた今年の香港国際室内楽音楽祭、敢えてメインゲストとして名を挙げるなら、やはりチェリストのリン・ハレルだろう。ソリスト室内楽奏者の竹澤恭子は、昨年の諏訪内晶子に続き日本からエントリーだ。クァルテット好きなら、さりげなく登場しているクライブ・グリーンスミスとマーティン・ビーヴァーの名前に心を躍らせよう。言うまでもない、元東京Qのふたりである。室内楽のツウなら、ピアニストのウー・ハンの名前に膝を打つかも。リンカーンセンター室内楽協会のディレクターを夫のダヴィッド・フィンケルと勤める、知る人ぞ知るニューヨーク室内楽のドンだ。英国代表がピアニストノキャサリン・ストットというのもなかなか渋い人選。
 
台湾出身のウー・ハン同様の里帰り枠(?)としては、天才コントラバス少年から室内楽に欠くことの出来ぬ低音となったジャン・ダシュン(現在はミロQと同じくテキサス州オースティンを拠点にしているとのこと)、ミネソタ管の騒動で首席を辞め現在はロスフィルのクラリネット首席に転出したバート・ハラ。そして、フォルモサQのヴィオラ奏者としてロンドン国際室内楽コンクールを制覇したチーイェン・チェンが、室内楽巧者の隊列に加わる。
 
地元への目配りも忘れていない。管楽器らには香港フィルの首席クラスが加わる。アウトリーチや多重奏アンサンブルをこなす若手弦楽四重奏としては、ニューヨークの若手エッシャーQが招聘されている。日本ではナクソスにツェムリンスキー全集を入れている若手、と紹介した方が良いかも。
 
これらの蒼々たる室内楽のプロ達が香港島に集まり、セッションを重ね、ここでしか聴けないアンサンブルを披露してくれる。どこかの音楽祭で出来上がったパッケージを輸入したり、著名団体をカタログで購入し並べるだけではない。いくつもの室内楽音楽祭の裏を眺めてきた筆者とすれば、練習場の確保や移動など、考えただけで頭が痛くなってしまいそうである。とはいえ、こんな無茶な現場を重ねることでしか裏方は育たないことも確かなのだから、必要な苦労なのだろう。
 
 
昨年は、諏訪内晶子をトップにゲイリー・ホフマンやチョーリャン、そこにミロQが加わり壮絶なメンデルスゾーン八重奏曲を繰り広げ聴衆を熱狂させたオープニングだけを聴き、クァルテット・ビエンナーレが開催されるパリへと向かわねばならなかった。今年は香港フィルの取材も兼ねた滞在だったこともあり、最後の3日間を経験出来たのは幸せだった。
 
演奏そのものについて少しだけ触れておこう。竹澤らによるフェスティバルを締め括るエネスコの八重奏の精妙にしてパワフルな熱演(これだけの為にも4時間のフライトは苦にならないと思わされた)は言わずもがな、個人的に最も印象深かったのは若手とハレルら長老が加わったメンデルスゾーン六重奏曲でヴァイオリンを担当したマーティン・ビーヴァーだった。ヴァイオリンひとりにヴィオラふたり、そこにチェロとコントラバス、さらにはピアノまで加わる、如何にも若き日のメンデルスゾーン家サロンの音楽らしい特殊過ぎる編成故に、滅多にライブで接する事のない音楽である。主旋律を殆どひとりで担当したビーヴァーが、東京Q時代には殆ど見せることのなかった極めて魅力的な独奏者としての本性を存分に晒しつつ、室内楽として必要なバランスにきっちり収まる名人芸で魅了した。今はカリフォルニアでピアノ三重奏をやっているというこのヴァイオリニスト、もっと聴いてみたいものである。
 
このフェスティバルで香港に室内楽が根付くのか、それはまだ判らない。だが、ひとつハッキリしている事実がある。2012年以降、香港芸術祭が著名室内楽団体の公演を止めてしまったのだ。これだけ大量の、質の高い室内楽が披露された翌月に、何をすれば良いというのか。いかにも香港らしい割り切り、と言って良いのかしら。

香港島と九龍を結ぶ庶民の足、スターフェリーの乗り場にも、音楽祭の巨大な告知が出ている。ちなみにこの音楽祭、香港政庁とマッチング・ファンドを行っており、音楽祭の1ドルに対し2ドルを行政府が積むことになっているという。政治的には荒れ模様の香港だが、文化を手厚く支援する姿勢には変わりない。

第79回

香港の国際室内楽音楽祭

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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