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“弦楽四重奏”は、独特な雰囲気を持っている。…らしい。
友人と演奏会を聴きに行けば、楽しかった面白かったという感想の後に、
大概、「でも」という但し書きが付くのが、興味深い。
 
ある友人は、「見てはいけないものを見ている感じがする」と言い、
ある友人は、「秘密の小部屋へ連れ込まれた気がする」と言い、
ある友人は、「宗教の儀式に参加している気分になる」と言い、
ある友人は、「哲学の講義を聞かされているようだ」と言う。
 
弾き手にとっても、“弦楽四重奏”は、
なぜか、どこか、何か、「特別」だ。
書き手が、そう書いているからなのか。元来、そういうものなのか。
とにかく、「特別」なのだ。
それは、例えば、こんなところにも表われている。
 
―弦楽四重奏
stringquartet(英) Streichquartett(独) quatuor à cordes (仏) quartetto d’archi(伊)
ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1の組み合わせによる室内楽重奏。
この演奏形態のために書かれた〈弦楽四重奏曲〉は、もっとも美しい和声と音色の調和が得られ、しかも技巧と変化に富み、器楽合奏の最上かつ最高の形式として、全合奏曲中重要な地位を占める。
 
音楽辞典からの引用だが、「弦楽四重奏は特別です」感が満ち満ちている。
もしや、筆者は弦楽器奏者? 文末を見れば、
やはりというか、井上頼豊先生(チェリスト)のお名前が…笑。
 
いや、もちろん、弦楽二重奏は弦楽二重奏で、
弦楽三重奏は弦楽三重奏で、ピアノ三重奏はピアノ三重奏で、
どの編成においても、室内楽はそれぞれ「特別」ではあるが、
弦楽四重奏の「特別」感は、抜きん出ている。
同質性の楽器編成でも、金管重奏や木管重奏とも違うニュアンスを持つ。
 
なぜ?
 
 
クラシック音楽は幼少期を、“箱”の中で生きてきた。中でも、
声を荒げることのできない弦楽器(チェンバロなども含め)たちは、
甘く豊かな音色を持ちながらも、その繊細で慎み深い性格から、
居場所をそこと定め、“小さな箱”に引き篭り、時を過ごした。
それは、ある程度の「群」であっても同じだ。
 
―室内楽 Kammermusik(独) chamber music(英)
元来は教会や音楽会場以外の、王侯貴族の宮廷の一室などで演奏される音楽の総称。古典派以後は、宮廷音楽の衰退と本格的な管弦楽の独立に伴って,各パートが独奏的な機能をもつ重奏のための音楽を指すようになった。用語としては16世紀に登場、宮廷の「(小)部屋Kammer」「広間chamber」に由来する。
 
かつて、多彩な響きを持つ多種多様な楽器編成の合奏団は、
その力強い響きを手に、戸外で催される儀式やダンスの伴奏に活躍していた。
一方で、同質弦楽器による重奏は、身分制度社会における上位者だけが享受できる、
限られた空間を満たすだけの、外部に出ることのない「静かな音楽」だった。
 
閉ざされた世界で、「誰かのため」に演奏していた小さな“群”は、
ときには、上位者自身が「楽しむために」演奏していた小さな“群”は、
簡素化と充実化を両立させる試行錯誤のうちに、黄金数4を引き出す。
 
それにしても、なぜ〈三重奏〉ではなく、〈四重奏〉なのだろう?
実は、この疑問、弾き手はあまり持つことがない。
弦楽三重奏に足りないものがあることを、実際に肌で理解しているからである。
第2ヴァイオリンの存在が、音域的にも、音質的にも、音響的にも、音楽的にも、
アンサンブルの充実に大きく貢献していることは、厳然たる事実だから。
 
○音色の同質性
○パートの平等性
○楽器間の絶え間のない対話
 
『弦楽四重奏の父』と称されるハイドンが現われる、ずっとずっと前から、
四声の楽器で構成されるアンサンブルにおいては、これら、
“四重奏の精神”と呼ばれるものの萌芽がはっきり見られるという。
精緻なポリフォニーを得た合唱がそうであったように。
 
「4人の理性的な人達が互いに語り合っているのを聴くと、
彼らの討論から何かが得られるような気がする」(ゲーテ)
 
三人でも五人でもなく、四人。
 
 
弦楽器の重奏合奏における各声部の均衡は、
早々に、幾つものパターンを生み出しながらも、
その歴史において、常に模索され、検討されてきた。
 
「ソロ」対「伴奏合奏」という形を取る“独奏協奏曲”が台頭して以降、
時代遅れの感ある合奏協奏曲の原理を継承したのが“四重奏”、
そんな風に書かれたりもしているが、そう簡単ではない気もする。
 
現存最古の弦楽四重奏曲は、A.スカルラッティが「楽器指定」をした、
《二つのヴァイオリン、ヴィオレッタとチェロのためのソナタ》とされている。
その流れを、タルティーニやサンマルティーニが汲み、やがて、
ボッケリーニが受け継ぎ、シュターミツ、ディッタースドルフらを経て、
到達するのが、あの『弦楽四重奏の父』ハイドンなのだと。
 
18世紀に、〈室内楽〉が発展したのには理由がある。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという楽器が市民権を得、
それら楽器の制作技術が高まり、黄金期を迎えていたこと。
その時期に並行して、弦楽器のヴィルトゥオーゾが活躍し始めたこと。
例えば、イタリアのコレッリ、タルティーニ、ヴィオッティ、
フランスのルクレール、ガヴィニエス、チェロのボッケリーニ、デュポール。
そして、何より、聴衆の拡大が始まったこと。
 
かのハイドンは、作品総数700曲とも1000曲とも言われる多作家だが、
中でも、その約一割を占める弦楽四重奏は、特権的位置にあるとされる。
全生涯に亘って作曲された弦楽四重奏は、初期の喜遊曲風なものから、
ソナタ形式を用いた “近代的弦楽四重奏”へと、素晴らしい発展を見せる。
ハイドンの後期弦楽四重奏は、後の作曲家たちのテキストとなった。
 
注目すべきは、もう一つのハイドンの功績である。
彼をロンドンに招待した、ヴァイオリニストにして有能な興行主、
ペーター・ザロモンの活動に刺激を受け、
〈弦楽四重奏〉というジャンルの社会的開放を試みたのである。
 
閉ざされていた門が開かれ、一般の音楽愛好家たちが、
多数、聴衆に加わるようになる。熱烈な音楽愛好家たちの出現。
“小さな箱”の蓋が、開いた。
 
ただし、箱の内と外、この二重生活が、
後に、弦楽四重奏を苦しめることになるのだが…。
 
 
面白いと思うのは、そういう流れの中で、
“弦楽四重奏”が『場』に迎合しなかったことである。
 
ハイドンは、『場』を外に向けて開放したが、『音楽』は内向きに掘り進めた。
自身の二面性に困惑し、その矛盾に今も悩み続ける“弦楽四重奏”だが、
その音楽は、(その作品に、出来不出来の差はあっても)
どの時代にあっても、どの作曲家の作品においても、
精神性高く、芸術性や尊厳を失うことはなかった。
 
ハイドンとモーツァルトの、弦楽四重奏による対話を通して、
弦楽四重奏曲の整備作業は、着々と行なわれた。
その真摯な芸術表現の追及と姿勢は、確実に後世に伝えられていく。
 
19世紀、社会がもたらした数多くの動揺が、音楽界を変貌させる。
例えば、「力強さに対する浪漫的な憧れを満たす交響曲の発展」
例えば、「独自の流儀で美技を繰り広げるヴィルトゥオーゾの出現」
例えば、「この二つを繋げるソロ対オーケストラ=独奏コンチェルトの巨大化」
「繊細さや慎み深さの世界はもう過去の産物になってしまった」との嘆きも聞かれた。
 
ヴァイオリンやピアノといったソロ楽器の、更なる音響増強。
演奏は職業演奏家の手に渡り、演奏者の技術力の底上げも相俟って、
音楽はどんどん華やかな方向へと進んでいく。
大規模な興行が開催される大ホール、そこに押しかける人・人・人。
 
そんな環境で、“弦楽四重奏”はどう生き残れと?
 
危機を救ったのは、ベートーヴェンだったのかもしれない。
ベートーヴェンの作品、その主要ジャンルの中で、
最も遅く着手されたのが〈弦楽四重奏〉だという。それは彼が、
「これこそ最も崇高な音楽表現」という信念を持っていたからだと。
 
器楽音楽の純粋性の理念、その最も適切な表現媒体。
そこに内在する永遠性、峻厳な探求によって得られるもの、
それを演奏することによって演奏家は自己を発見するチャンスを得る。
加えて、四人で一つの芸術作品を創造せよという密な関係の要求、
それを成すことで得られる、非日常的な強烈なまでの一体感。
 
“弦楽四重奏”が無くなる訳がない。
 
 
ベートーヴェンにとって、仕事の依頼は書き始めるための動機でしかなく、
作曲の自発性が損なわれることはなかった。
比類なき高さに達したという、ベートーヴェンの弦楽四重奏。
特に後期作品は、「人類最高の音楽的記念碑」とまで言われる。
どう聴くか、どう感じるか、どう考えるか、どう判断するかは別にして、
ヴァイオリン弾きなら一度は聴くべき音楽であることは確かである。
 
彼は当然のように、先人の作品を研究することから始めた。
当時は「初版と言えばパート譜」、つまりスコアがなかった。だから、
まず、ハイドンやモーツァルトの作品のパート譜を自身で写譜、
スコアを完成させることで、様式や形式、構成、表現法を学んだという。
素人でも、それが学ぶに最適最良な手段であろうことは想像できる。
 
時代同じくして、ベートーヴェンの曲を演奏した、
シュパンツィヒ率いる弦楽四重奏団、彼らがこの分野における黄金時代を迎え入れた、
そういう記述も見る。楽曲に息を吹き込む、優れた演奏家たちは必要だ。
ベートーヴェンはその点、何に悩むことなく作曲することができた。
でも、それが、ある意味、彼を負の方向へ誘ってしまったことは皮肉だ。
 
「自己を希求する四重奏曲の姿に近付けば近付くほど、ベートーヴェンの音楽は当時の愛好家からは難解なものとして敬遠されるようになっていった」
「この曲に判断を下す根拠がない。なぜなら初演以降に演奏されたことがないから」(1826年に作品130の弦楽四重奏曲から切り離した《大フーガ》に関するグローヴ音楽辞典の第1版(1889)の記述)
 
ベートーヴェン以降の、弦楽四重奏の作曲数はそれほど多くない。
「ベートーヴェンの偉大な業績に重圧を感じて」とも書かれている。
しかし、「大きい会場には編成の大きなものの方が効果的だった」とか、
「ピアノが全盛期だった」「発表の場がなかった」「演奏家に恵まれなかった」
「依頼がなかった」…こういう理由の方が、どちらかというとしっくりくる。
 
シューベルト15曲、メンデルスゾーン7曲、ドヴォルザーク9曲、シューマンとブラームス各3曲、チャイコフスキー3曲、ボロディン2曲、スメタナ、ヴォルフ、フランク、フォーレ、ヴェルディ各1曲。
近代以降はドビュッシー、ラヴェル、シベリウス、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ各1曲、ベルクの《叙情組曲》、バルトーク6曲、ショスタコーヴィチ15曲。(続く)
 
有名どころを挙げただけで、これだけある。
それぞれを聴けば、これで十分だと分かる。
欲を言えば切りがない。
 
 
ショスタコーヴィチは、“弦楽四重奏”を、
「限りなく私的世界に近いもの」と言った。彼の作品について、
「ソビエト体制に生きる作曲家としての、公的な意思表示の手段が交響曲であったなら、人間としての自己表現の手法が弦楽四重奏だった」という文もある。
 
弦楽四重奏。
 
演奏家においては、それだけで生活していけるか(いや、生活していけない)、
という問題もある。
「練習? 自宅のサロンで」、そんな恵まれた環境はそうそうない、
という現実もある。
キャパ的にも音響的にも金銭的にも、手頃なホールが少ない、
という現状もある。
 
前途多難?
 
最近、SNSなどで「○○を弾きませんか?」的声掛けを見る。
(それは室内楽に限らず、オーケストラでもあったりするけれど)、
夢を同じくする者が集まり、それを演奏するという形、
「○○が好き」という気持ちの共有に、ある種の「親密性」も感じて、
室内楽のあるべき姿の一つではないか、という気もする。
 
ただ、最後まで個々の思いが平行線のまま、というのも悲しいし、
弾き散らかして終わり、というのでは少々腹も立つ。
 
PC画面に踊る文字。
「《死と乙女》弾きたい人~」「はぁい!」
「《ラズモ》やっちゃう?」「やるやる!」
 
このノリは…。ちょっと羨ましい。
 

ヴァイオリン弾きの手帖

ヴァイオリニスト、ヴァイオリン教師 森元志乃

第90回 「ラズモやっちゃう?」「やるやる!」

© 2014 by アッコルド出版

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