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去る11月29日土曜日、東京郊外の実践女子大に出かけた。第16回日本アートマネージメント学会初日に開催された公開シンポジウム「文化芸術の振興に於ける大学の役割」を聴講するためである。
 
「日本各地で」なのか、「たまたま筆者の周辺では」なのかは判らない。だが、少なくとも筆者の周辺では、芸術音楽を振興してきた大学がその在り方を見直す事態が立て続けに起きている。ひとつは、津田塾大学が所有する津田ホールが、実質上の閉館を決めた事態。もうひとつは、キャンパス内で一般市民に公開する無料コンサートを盛ん行なう北星学園大学に、「従軍慰安婦報道に関連した教員を解雇せねば学生に危害を加える」という脅迫状が送り付けられた事件。全く性格が異なる両者とはいえ、共に大学を舞台とした音楽文化振興が危機的状況に晒された事例であることはご理解頂けよう。
 
津田ホール存続問題で当事者となっているプロデューサーから、上述のシンポジウムを聴講し中身がどんなものか教えてくれまいか、との連絡があった。正直、アートマネージメントという学問が極めて現実的な問題に関心を示す可能性はそれほど高くあるまいと思ったものの、テーマがテーマである。とにもかくにも、日野の実践女子大キャンパスまで赴いた次第。シンポジウムに触れる前に、大学絡みのふたつの事態を手短に説明しておこう。
 
 
本年度末を以て津田ホールの貸し出しを中止する、という告知がホール側からあったのは、5月の連休前のことだった。その後も、以下のURLのページに記された以上の事実は、公式には何も発表されていない。
http://tsudahall.com/THHP/index2.html
 
ホールが閉館になるということは、ホールのスタッフも解雇され、ホール主催公演や共催公演も全てなくなるということである。津田塾大学同窓会の津田塾会が千駄ヶ谷駅前にホールを建てて以来、所有者が同窓会から大学そのものに移ったとはいえ、津田ホールは座付き制作スタッフや照明等裏方スタッフを持ち、自主公演も行なってきた。初期に於いては、1960年代以前から日本の音楽界を熟知する向坂正久氏がプロデューサーとして関与。90年代後半頃は、「派手で大向こう受けを狙うテレビ屋萩元晴彦のカザルスホール」VS「現場叩き上げで地道で堅実な向坂正久の津田ホール」という感すらあったものだ。
 
敢えて言えば、「スタープロデューサーが腕力で捻開く室内楽界革命の場としてのカザルスホール」に対し、「変革の手法を含め日本音楽界の室内楽伝統を正統的に継承する場としての津田ホール」、という印象である。ある意味、玉砕戦法とも言えた萩元路線に対し、向坂氏の敷いた堅実な路線は、今に至るまでの津田ホール主催公演及び共催後援の傾向を決定することになったと筆者には思われる。
 
直接のライバルのカザルスホールが20世紀末に主婦の友社から日本大学に売られ、すったもんだの挙げ句、大学側の方向転換で閉館となる。そして今、同じく大学がオーナーとなった津田ホールも、格別に大学施設らしい活動を展開することもないまま、その歴史に幕を閉じようとしている。
 
大学が立派なハードウェアと専属スタッフを有し、主催コンサートを行ない、演奏者やプレゼンターに水準の高い会場を提供する「文化芸術の振興」は、大学にとってどのような意味があるのか? そんな問いに正面から回答は、筆者の知る限り、未だされたことがない。
 
実践女子大で日本アートマネージメント学会のシンポジウムが開催されるその日、朝日新聞の朝刊に、同紙音楽文化欄担当記者吉田純子氏の以下のような文章が掲載された。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11480603.html
 
今に至るまで「津田ホールを守れ」という声が纏まった形にならず、なにもきちんと語られないままに時間だけが過ぎていく状況に、何らかの変化があるのか。
 
 
もうひとつの事例は、津田ホールほど直接に音楽芸術に関わるわけではない。だが、ことはより深刻とも言えよう。なにしろ、狭い音楽界を越えた「大学が地域とどう関わるか」という問題なのだから。
 
シンポジウム3日前の11月26日、「文化振興に於ける大学の役割」を実地で目にするべく、札幌は北星学園大学キャンパスに出向いた。同大学内チャペルを会場に北星学園ミッションセンターが主催、経済学部勝村務准教授ゼミ生が授業として制作運営を行なう、「大森潤子<チャペルに響くバッハ>」が今年も恙なく開催されたのである。
 
この演奏会については、昨年も当稿で紹介させていただいている。本州より早い北海道の冬の初めに、札幌交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者の大森潤子氏がバッハの無伴奏ヴァイオリン作品を2曲ずつ取り上げる、入場無料のコミュニティ・コンサートだ。
 
日本各地のローカル文化施設の職員にアーツ・コンテンツ制作のノウハウを広めるべく設立された財団法人地域創造が、最初に見出したタレントのひとりが大森潤子というヴァイオリニストである。2006年に札幌に席を得た大森さんは、就任3年目から、新たな拠点でも「地域」を意識した活動を始める。実践の場となったのが、北星学園大学ミッションセンターだった。きっかけはあくまでも、大森さんと同大経済学准教授勝村務氏との個人的な出会いである。不特定多数の人々の前で音楽を奏でるコンサートの場として、たまたま大学という開けた既存組織が介在しただけのことだ。
 
夏の初め、「某教員を解雇しないと学生に危害を加える」という脅迫文書が北星学園当局に送り付けられた。事件の経緯に関して、当稿では触れるつもりはない。事件のそもそものきっかけを作ったと批判されても仕方ないマスメディアの及び腰な対応がどうあれ、教育界では大議論となり、多くの関係者に苦渋の決断を迫った非常事態であった(まだ解決したわけではないので、過去形で記すべきではないのだろうが)。
 
大森さんのコンサートや、同校で日本初の大学ミニレジデンシィの実験を数年間に亘り展開したクァルテット・エクセルシオの活動を通じ、筆者も北星学園大学の先生方や学生、はたまた教会関係者と知り合っていた。降って沸いた今回の騒動では、それら友人知人らが大学人として真剣に苦悩する姿を端から眺めることになる。
 
「音楽ジャーナリスト」として何らかの情報を発信してくれ、と筆者に直接連絡して下さる方もいた。だが、なにも語れられずにいた。軽々しい発言が出来ぬ類いの事態であることは言うまでも無いが、筆者の書き手としての立ち位置として、「まず現場の空気を感じないことには…」という意識が大きく働いたからでもある。かくて、筆者なりの対応が可能な大森潤子さんの演奏会にかこつけ(と言うのもまた失礼極まりないが)、北星学園大学キャンパスを訪れた次第。
 
北星学園内に流れる空気は、報道やウェブ上で伝えられる騒然とした(或いは、殺伐とした)それとは、かけ離れたものだった。この問題では、大学当局が「警備の多大な費用がかかる」という理由で問題の非常勤講師の解雇(正確には「契約更新せず」)の方針を固めたと伝えられている。多くの論客は、この説明を大学側の問題すり替えと批判したものである。
 
ところが、「大学と地域コミュニティとの関わり」という視点から現場を眺めれば、大学側の対応は現実的に至極当然であると納得も出来よう。そもそも、北星学園のキャンパスは日本では例外的な在り方をしている。この学校には、キャンパスを囲む壁がない。比喩ではない、大学が街の中にあるのだか街が大学の中にあるのだか判然としないアメリカの大学キャンパスのような、完全なオープンキャンパスなのである。学生の警備をするなら大学を囲む壁に穿たれた門に番人を貼り付ければ済む、数多日本のキャンパスとは状況が異なるのだ。
 
北星学園のキャンパスには、普段から周辺住民が溢れている。地下鉄駅の反対に住む周辺住民は、迷うことなくキャンパスを抜け通勤通学する。ガードマンらしき姿は駐車場の管理にあるくらい。こんな状況にあっても、そんな大学と周辺住民の姿はなにひとつ変わっていないという。だからこそ、平日昼間の大学キャンパス内教会での演奏会に、いつものように満員の市民が集まるのだ。北星学園キャンパスは、「文化芸術の振興」の場としての大学が極めて自然に機能している、日本では例外的な空間なのである。
 
筆者の眼にした限り、今回の騒動で北星学園大学の貴重な空気は損なわれていなかった。そもそも、演奏会延期や中止、はたまた学外非公開、などという話が一切なかったのは、不思議と言えば不思議だろう。学内関係者に拠れば、今回の事態を受けて、周辺住民有志が大学を守る運動を始めようと申し出があったり、近隣地下鉄駅で「北星学園への卑劣な脅迫を許すな」というビラを撒く地域住民の姿もあったという。
 
大学コミュニティは、学生と教職員だけのためにあるのではない。そんな事実を北星学園関係者があらためて認識するきっかけとなったなら、この騒動にも何かしらの意味があったのかもしれない。コミュニティの中の大学という在り方を作るため、大森潤子のバッハやクァルテット・エクセルシオのベートーヴェンが、何の役にも立っていないわけがなかろう。極めて異常な騒動の中にあって、北星学園のキャンパスでは「芸術文化振興に於ける大学の役割」がしっかりと果たされていた。
 
 
些か話が長くなってしまった。11月29日の実践女子大学に於けるシンポジウムについて。
 
中央線が多摩川を越えた日野駅から、八王子方向に向け線路沿いに10分も歩いた住宅の中に、実践女子大キャンパスはある。無論、しっかりと壁に囲まれ、入口にはガードマンも常駐している。シンポジウムを主催する日本アーツマネージメント学会は、日本にいくつかあるアートマネージメント系学会のひとつで、参加団体は美術系やパーフォーマンス系の参加者が多い(日本音楽芸術マネジメント学会という団体もあり、こちらは12月7日に江古田の武蔵野音大で年次大会が予定されている)。行政が文化に関わるタテワリにはいくつかのラインがあり、ここは比較的文化庁の影響が強い学会と言えよう。
 
広い講堂で開催されたシンポジウムの詳細は、以下のPDFファイルをご覧頂きたい。
http://ja-am.org/pdf/16th_program.pdf
 
最初に置かれた文化庁 文化部 芸術文化課 支援推進室 室長補佐 小松圭二氏の基調演説から、この学会の関心が「大学の授業カリキュラムに芸術文化をどう関わらせるか」が中心であることは明かだった。冒頭、文化庁のシンクタンクとしての芸術系大学への期待が述べられ、それからは文化庁が様々出している提言の中で大学絡みのものを列挙し、大学への文化庁の補助金で文化芸術絡みのものにはどんな可能性があるか、事例が示されたわけである。
 
続く各大学の研究者諸氏による事例発表も、些か乱暴にまとめてしまえば、基本は「大学の授業で文化芸術はどのように用いることが出来るか」が専らの関心。それぞれの発表は極めて真摯なもので、それぞれの問題意識は明快。「芸術文化」が教育機関としての大学でどのように関わり、必要とされているか、現状を知る意味では大いに勉強になったことは確かである。
 
とはいえ、筆者が関心を持っていた「地域共同体の中での音楽芸術を介した大学の在り方」のような問題意識とは、些か違った議論であったことは否めない。どうやら似た感想を抱いた聴講者は筆者以外にもいたようで、質疑応答の席で元文化庁関係者の大学人から「アートマネージメントとは本来プロの団体を支援するために始まったものの筈だが、ここの議論では大学とプロの芸術団体の関わり方という問題が触れられていない」との批判があったことを記しておくべきだろう。
 
なんともまとまりのない話になってしまった。敢えて当稿の結論を述べれば、「大学と芸術の関わり方は実に様々で、実にいろいろある」というところだろうか。
 
津田ホールに関しては、来年の3月、それ以降も、注目していきたい。「ホールを守れ」ではない支援の仕方があり得るのか、考えるべき事は多い。

今年初めの大雪が明けた翌日の津田ホール。この頃、様々な噂はあったものの、ホールの存続そのものを不安がる声はなかった。

第74回

「文化芸術の振興に於ける

大学の役割」

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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