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草津に行って来た。といっても、音楽関係の方ならばこの時期に温泉観光三昧とは思うまい。そう、草津音楽祭である。蛇足ながら、日本の人気温泉地ランキングでトップスリー常連に挙がる草津、別府、由布院のどれもが「音楽祭」を開催している(していた)のは、偶然ではなかろう。温泉地にはクラシック音楽が不可欠なのだ…多分。
 
今年で35回目を迎える草津音楽祭の正式名称は、「草津夏季国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」である。敢えて誤解を招きかねない言い方をすれば、そもそもこの草津音楽祭とは「著名講師を招いた夏季セミナー」だ。一般聴衆向けの演奏会は、あくまでもオマケである。
 
せっかく名人達がいて、夕食が終われば温泉に浸かるくらいしかすることのない客がいるのだから、演奏会もやってみるか、という趣旨で始まったコンサートがドンドン規模を拡大し、2週間にも及ぶ巨大なフェスティバルとなった。「この音楽祭、もの凄く巨匠先生方の人使いが粗いんですよ」と某参加者が苦笑するのも、音楽祭の成り立ち故だろう。
 
なお、日本に於けるもうひとつの巨大教育音楽祭たる霧島国際音楽祭も同じく1979年に始まり、今年で35回目を数えている。40回目となる木曽音楽祭も、その頃はマールボロ音楽祭を目指しセミナー型で開催していた。一方で、監督岸邉百百雄の「ゆふいんはセミナーはやらない、そういうのは他所でやってくれ」との宣言で、ゆふいん音楽祭がまるで別の道を選ぶことになるのも、同じ頃である。偶然の一致ではあるまい。
 
 
というわけで、たった1日といえ草津に来たのならば、セミナーを覗かぬわけにはいくまい。東京も久しぶりの曇り空で酷暑に一息ついた8月26日、草津はすっかり秋の冷たい雨の中。人っ子ひとりない緑のスキー場は低い雲に翳み、若い燕たちが超低空で飛行しては濡れそぼった身体を軒先で震わせている。音楽祭スタートからセミナーに使われてきた天狗山レストハウスは、雨が降れば講師の言葉も聞き取り難くなるかつての惨状は少しは改善されたような気もするが、やはり昔通りに雨音がバックに響き続ける。
 
セミナー参加者や関係者が殆どに思える数十人の客席の前、ウェルナー・ヒンク氏が坐っている。言わずと知れたヴィーンフィルの元コンサートマスターである。桐朋音楽部高校生から、宗次ホールの若手コンクールで名前を見る若手まで、4名の受講生はセミナー開始からもう何度もレッスンを受けているようで、それぞれ持ち時間30分程の公開マスタークラスながら、「有名な先生の顔見せ」ではなく指示内容は極めて具体的だ。
 
シューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番では、冒頭のドイツ語指示の意味を生徒に尋ね、実際の音にするためのフレーズの作り方を細かく指導。「マーラーが交響曲でシューマンの楽譜を改定したとき…」などというコメントは、様々な名指揮者の下でシンフォニックなレパートリーを知り尽くした講師ならではだろう。
 
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番第1楽章でも、序奏の後に独奏ヴァイオリンが登場する瞬間を念入りに指導。「この曲はソロが入るところでテンポが遅くなりますね。協奏曲でこのようなことが起きたのは、史上初めてでしょう。しばしば沈んだ音楽として表現されるところですが、そうではない。そう…モーツァルトがウキウキ道を歩いている。そこに、可愛らしいお嬢さんが向こうからやってきて、心奪われてしまった、というような(笑)。お判りかな、オペラなのですよ、モーツァルトの音楽全ては!」
 
ヴィーン国立歌劇場コンサートマスターの楽譜の見方は、単なるヴァイオリン名手のそれとは異なる。続くシューベルトの二重奏でも、シューベルトらしいアクセントの付け方、古典派のPPの意味(「音量ではなく、ちょっと内側に籠もったようなキャラクターがPPなのです。キャラクターを持たせながらも、音量はきちんと維持するように」)、等々。天狗山レストハウスの仮設舞台は、遠くで唸る雷の音などものともしない、真摯な眼差しで満たされていた。
 
 
マスタークラスを途中で抜け出し、会場間連絡バスで谷底の湯畑とは反対の山奥へと更に昇る。「草津音楽の森国際コンサートホール」への道は、ときに熊も出るそうな。終演後の宵闇迫る頃にひとりで歩いて降りるなど、滅相もないとのこと。皆々様、くれぐれもお気を付けて。
 
草津音楽祭音楽監督を務める作曲家西村朗の弦楽四重奏曲第5番の日本初演まで、1時間を切った。演奏を担当するのが昨年ロンドンで世界初演したアルディッティ弦楽四重奏団(以下Q)となれば、上州の山奥まで足を運ぶのも辛くはない。
 
群響コンサートマスター豊田耕児氏と共に創設時から関わり、長く音楽監督を務めた音楽評論家の遠山一行氏の後を継ぎ、西村朗氏が草津の監督となるニュースが伝えられてから、もう5年になる。現場の運営で中心的な活動をしてきた録音プロデューサー井坂紘氏の関心から、所謂現代音楽系の演奏会もそれなりに開催されてきた草津音楽祭だが、監督に現役バリバリの売れっ子作曲家を据えることがフェスティバルにどんな変化をもたらすのか、様々な方面から関心を持たれたものだ。なお、草津音楽祭の沿革や歴史は、こちらをご参照あれ。http://kusa2.jp/?mid=about
 
結果として、セミナーの在り方や、遠山氏の趣味嗜好が強く反映された招聘音楽家のラインナップは維持されつつも、明らかに新監督の意向に拠った演奏家の顔ぶれも入り始めている。この時期にサントリー芸術財団の現代音楽フェスティバルや武生音楽祭の為の来日なら不思議はないアルディッティQだが、草津のコンサートへの登場は初めてとのことだ。
 
ホールに到着すると、ステージではまだアルディッティQが新作の録音セッション真っ最中とのこと。しっとりと濡れた緑が目に優しいロビーで西村朗監督にご挨拶。「見ますか」、と第5弦楽四重奏曲の総譜を鞄から引っ張り出して下さった。作曲者が関係者と立ち話をなさる最中に、慌てて綺麗な手書きの譜面にザッと目を通す。3楽章が続けて演奏される新作は、意外に、と言っては失礼だが、弱音部分も目立つ繊細な響きの音楽のようだ。アルディッティの超絶技巧がひたすら盛り上がる第2番のような勢いとはちょっとばかり異なる。「私だって歳を取りますからね」と笑うものの、流石に緊張感は隠せないようである。
 
ロマン的な劇性とは関心が異なるヴェーベルン作品5やベルク作品3に続き、アルディッティQはステージから引っ込まぬまま、西村作品の巨大な楽譜を譜面台に載せた。20世紀末に弦楽四重奏創作を生き延びさせ、それどころか活性化させた張本人たるアーヴィン・アルディッティの還暦を祝い書かれた新作は、蛇年のアルディッティ氏をイメージし、インド神話の多頭大蛇「シェーシャ」を副題にしている。アルディッティ流の超絶技巧は前提にしつつも、第2番を連想させるケチャ風のパワフルな疾走感は一部に留まり、第3番に散りばめられた短いグリッサンドとは対照的な比較的テンポの遅い動きの長大なグリッサンドが印象に残る音楽だ。全曲がハ長調で結ばれると、客席で聴いていたクァルテット・エクセルシオの面々もビックリした顔を隠さない(勿論、古典派的な意味でのトニック終止ではない)。
 
エクセルシオの低音2人を加えた精密な《浄夜》に大喝采が飛ばされた後、蛇とはあの息の長く大きなグリッサンドのことですか、と間の抜けた質問をすると、西村監督はニヤリとしつつ「そうそう」と一言。忙しそうに録音編集室へと向かった。今回の演奏、カメラータで録音され、いずれ西村作品集として世に出る予定とのこと。なお、弦楽四重奏第5番も10月には全音から出版される。
 
楽屋口から外に出る。雨は殆ど上がったものの、山の上の秋の夕暮れはもう暗くなり始めている。35年目の草津は、これまでの草津でもあり、これまでとは違った草津だった。幸いなことに、この音楽祭、来年も無事に続いていくらしい。

温泉草津の象徴たる湯畑から車で5分程昇ったところの天狗山レストハウスが、音楽祭オープン以来のメイン会場。もうひと山上に音楽ホールが建てられてからは、事務局機能とセミナー会場となっている。

第61回

草津よいとこ

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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