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1919年にワルシャワで生まれドイツ軍侵攻を逃れソ連に亡命、ユダヤ系音楽家として苦難の人生を送り、ソヴィエト崩壊後の1996年に没したこの作曲家が生計を立てたのは、主に映画音楽の作曲によってだったという。総計で50以上のフィルム・スコアを書いたばかりか、サーカスの伴奏音楽まで手を染めている。
 
ヴァインベルクの映画音楽として最も有名なのは、1969年に発表されソ連圏で非常に人気があったアニメ『熊のプーさん』であろう。Youtubeで簡単に視聴可能なので、是非ともご覧あれ。簡素ながら印象深い音楽が、素朴なアニメーションを効果的に支えている。
http://youtu.be/sqdiEUp6s4E
 
ソ連崩壊直前から脚光を浴びていたシュニトケも、映画音楽を食い扶持にしていた。映画という大衆娯楽が旧ソ連で広く浸透し巨大産業となっていたことは、作曲家にとっていかに重要だったかがよく判る史実だ。両者ともに所謂「混交様式」と分類される作品を遺しているのも、そんな背景とは無縁ではなかろう。
 
ユダヤ音楽からロシア民謡、革命行進曲や大衆歌謡、ジャズや西欧ポピュラー音楽、ロシア正教やカトリック、プロテスタントの宗教音楽、勿論、モンテヴェルディからヴァーグナーに至るオペラ、はたまた戦後のトータルセリエリズムまで、必要な音楽語法を必要に応じ効果的に用いることが求められる映画音楽の創作に従事していた作家にとって、オペラはその成果を発揮するに最も適したフォーマットであり得る。
 
とはいえ、オペラはあらゆる芸術形態の中で最も公的な存在でもある。いくら力があるといえ、現場はともかく政治的に有力な劇場関係者にコネがなく、旧ソ連では公的仕事に不可欠な共産党との繋がりもないヴァインベルクに、おいそれと大劇場からの委嘱がある筈もなかろう。演出家デヴィッド・パウントニー(不幸にも日本のファンには、新国立劇場創設以来最大の汚点と評される《ルル》の演出家として記憶される名かもしれない)に拠れば、ヴァインベルクをオペラに導いたのはショスタコーヴィチだったという。
 
なにせショスタコーヴィチは《マクベス夫人》騒動でオペラの難しさを知り抜いている。どんなに創作意欲をそそられようが、世界に向けた文化国家ソ連の作曲家代表であり共産党員でもある自分には、ポーランド人作家が綴ったホロコーストのユダヤ人を扱う小説のオペラ化など、決して許されないことはよく判っていたろう。亡命ポーランド人であり家族全員が強制収容所で殺されたヴァインベルクこそがこのテーマに相応しい才能であることは、ショスタコーヴィチならずも明らかだ。
 
ショスタコーヴィチからヒントを与えられたヴァインベルクは、台本作家の協力を得てロシア語の台本を完成、1968年には歌劇《パサジェルカ》の作曲を終えた(前述のアニメ『熊のプーさん』と同じ頃の創作である)。だが予定されたボリショイ劇場での上演は取り止めとなり、結局、ソ連時代には上演されることはなかった。
 
作曲者が没して10年目にモスクワで演奏会形式出の初演が成され、2010年にブレゲンツ音楽祭監督パウントニーの尽力で、同音楽祭で初の舞台上演が成された。共同制作に名を連ねたワルシャワ歌劇場とロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラで同シーズに上演され、2013年にはカールスルーエ(当稿でも《ドクター・アトミック》上演を紹介した意欲的な劇場である)でドイツ初演が成されている。
 
ポーランドと並びホロコースト犠牲者の関係者が多いアメリカでも関心は高く、今年の初めにヒューストン・グランド・オペラで北米初演。大いに話題となり、ニューヨークへの客演となった。なお、カールスルーエでの上演以外は、全てパウントニーの演出に拠っている。初演以降の数シーズンでこれだけの再演が重ねられ、初演とは異なる演出も出されている新作オペラなど、他にはアダムスの《ドクター・アトミック》くらいしかないのでは。
 
 
去る7月10日から13日、ニューヨークで開催された『リンカーン・センター・フェスティバル』の一部として、ヒューストン・グランド・オペラ制作のヴァインベルク歌劇《パサジェルカ(The Passanger)》が3公演あった。オペラ開演前にプレコンサートとしてこの作曲家の独奏ソナタやピアノ五重奏も演奏され、一種のヴァインベルク・ミニフェスティバルである。
 
メディアや聴衆の関心も高く、NYタイムズ以下様々な媒体に紹介記事が掲載され、筆者が現地で出会った文化関係者の誰もがこの公演を話題にする。チケットは早々と売り切れで、友人が同オペラ管弦楽団で演奏しているアタッカQのヴィオラ奏者ルーク・フレミング氏もどうにも入手不可能だったそうな。
 
同時期には、歌劇《皇帝の花嫁》やバレエ《白鳥の湖》を携えたボリショイ劇場、中村勘九郎率いる平成中村座が来訪中。夏休みに入ったメトロポリタン歌劇場前の大広場には中村座の幟が林立し、縁日の夜店のような歌舞伎グッズの仮設店舗が並んでいる。各国を代表する大規模舞台の引っ越し公演が相次ぐこのフェスティバルにあって、無名作曲家の新作オペラがこれほどまでに注目を集めた理由は、ひとえにそのテーマにあろう。
 
かつては軍隊の駐屯地で、天井を支える柱がまるでないマンハッタン最大規模の巨大空間たるパークアヴェニュー予備役部隊本部が会場。歴史的建造物である。内部にアウシュビッツ強制収容所を再現、それに向かい合う仮設客席が設置される。原作小説は実際にアウシュビッツを生き延びた女性で、作曲者はナチスに家族全員を殺されているとなれば、経済的にも政治的にも、はたまた文化的にもユダヤ人の力が大きい街で、話題にするなと言う方が無理だ。ある意味で、世界のどの街よりもニューヨークにはこの作品を受け入れる土壌があるのかもしれない。
 
話の導入だけでも記しておこう。第2次大戦中、ドイツ親衛隊SSに所属しアウシュビッツ強制収容所で女収監人の管理(毒ガス室で殺す順番を決めるのも日常業務のひとつである)をしていたリーザは、戦後は経歴を隠し外交官夫人となっている。戦後15年、ブラジルへの赴任のために乗船した客船で、リーザはかつてアウシュビッツでガス室送りにした筈のポーランド系ユダヤ人マルタにそっくりな女旅行者を発見。パニックに襲われ、事情を説明するよう迫る夫に、収容所での過去を回想し始める…。
 
以降、娘をガス室に送られ精神をおかしくしかけた母親、ディジョンから連れられてきた15歳のフランス美少女、パルチザン活動を行なっていたロシアの先生、等々、ヨーロッパ中のナチス支配地区からアウシュビッツに送られてきた女達の様々な人生が錯綜する。リーザと、リーザが収監者内指導者に仕立てようと目を付けた気丈なポーランド人マルタとの間に、二十歳そこそこの娘達ながらまるで逆の立場にある者らの間でのドラマが展開。
 
クライマックスでは、軽音楽好きの収容所長の前でワルツを弾くよう強要されたマルタの恋人のヴァイオリニストが《シャコンヌ》を演奏し始め、驚いた親衛隊員らに殴り倒され、楽器を砕かれガス室に引っ立てられる。女旅行者がマルタかははっきり示されないままに、マルタ(らしき女)の「この人達を許しはしない、と残して死んでいった者らを決して忘れない」というアリアで舞台は閉じられる。
 
SS下士官のナチス礼賛三重唱などはあるものの、舞台の殆どは女声で埋められる。それも全員が丸刈りの囚人服かドイツ軍服。客船の三等船室の位置に埋められたアウシュビッツのセットの上を客船の一等船室とデッキが覆い、地獄と天国のように対比が成され、間に配された男声合唱が現代の視点から舞台状況にコメントする。
 
舞台のトーンは徹底して暗い。音楽も同様で、明るい音楽は船内パーティの場面で鳴らされるダンス音楽の断片くらい。SSの下劣さと狂気を象徴するように響くワルツも、気楽な音楽の筈なのにどす黒く響く。ロシア民謡やユダヤ旋律に基づく異なる性格のアリアが複数配置され、一聴耳に残るキャッチーなメロディはないものの所謂「現代オペラ」とは一線を画し、現代音楽に馴染みのない聴衆にも違和感を与えることはない。弦楽四重奏でもはっきり示されていた特定声部を際立って独立させて扱うヴァインベルクの書法は、地味なアリオーソで展開する歌劇に親和性が高いのは当然かも。
 
勿論、特定の感情表現を極端に拡大し旋律とする19世紀的歌劇とはまるで異なる。ひとつひとつを取り上げればそれだけでドラマ作品が出来そうな様々な人間関係や状況が淡々と描かれ、ガス室送りになって唐突に途切れる。そこで哀れさや悲しみを叫ぶことはない。テーマや設定された状況が余りにも厳しく、淡々と描くだけで充分過ぎる程に重く劇的な音楽になってしまうだけである。
 
「アッコルド」読者とすれば、この作品の音楽的頂点が《シャコンヌ》の引用であることが興味深いかも。真っ暗な響きの直中にいきなり凜とした姿を顕したバッハの音楽が、あっというまに変容され歪んだ大音響となる瞬間は、ヴァインベルクの真骨頂だ。そして、ベルクのヴァイオリン協奏曲やツィンマーマンの《兵士たち》での引用同様に、バッハの音楽の強さばかりが猛烈に印象付けられ、それを踏みにじる者の空しさが時空を越え客席にも共有される。「オペラ」という形を採ったが故に可能だった強烈なメッセージだ。正直に言えば、最後の悲痛なアリアよりも、この中断され悪意の中へと醜く変容されるヴァイオリン独奏の方が筆者には遥かに印象的だった。
 
マンハッタンの巨大空間に仮設された階段状の客席には、いつもに増して年配の聴衆が多かった。筆者の目の前でも、どう見ても普段は寝たきりに近い老人が、年老いた妻に手を引かれ、一段上る度に大きく呼吸してひと休みしながら、10数段の客席をよろよろと登っていく姿があった(流石に途中から周囲の聴衆も手を貸していた)。凍り付いたように舞台を眺め、終演後の拍手も所謂「感動」の涙や熱狂とはほど遠い、強いて言えば「こんな作品を、ご苦労様」という再現者達への感謝に聞こえる。
 
この場に集まった千人ほどのうちには、親族をアウシュビッツで失った者も多かろう。それどころか、実際にその場所を経験し、生き延び、自ら旅行者となって海を渡り新天地にやってきた者もいるだろう。初日には原作者も訪れたという。そう遠くないうちに、それらの人々も収容所で殺された大切な人々が待つ場所に向かうだろう。そうなる前にそんな人々に混じってこの作品に接したことを、貴重な経験として自分も生きていかねばなるまい。
 
 
総計6曲作曲されたとされるヴァインベルクのオペラ作品のうち、ソ連末期にモスクワ室内歌劇場で初演された室内オペラ《祝辞》及び《白痴》(ドストエフスキー原作に拠る)を除く殆どは、舞台上演されないままだった。2010年の《パサジェルカ》初演以降、欧米の地方歌劇場がヴァインベルク作品の世界初演や西側初演を競うようになり、2011年には英国はリーズのオペラノースで《肖像画》が初演され、同じプロダクションがフランスのナンシー歌劇場で再演されている。
 
来シーズンも、フランクフルト歌劇場がパウントニーとは異なる解釈に拠る実質上初の大がかりな新演出となる《パサジェルカ》を制作(劇場ホームページ上の抜粋映像を眺める限り、カールスルーエの演出は、大規模なセットや仕掛けは排し歌手の演技と合唱団とパントマイムの精密な動きを中心とした、いかにもドイツの中規模劇場らしい簡素なプロダクションである)、マンハイム歌劇場も《白痴》新演出の告知をしている。オペラに関する限り、ヴァインベルクは確実に復興している。
 
幕切れでホロコースト犠牲者らの「彼らを決して許さない」という声をストレートに舞台から語らせるこの作品を、ドイツの主要劇場のひとつたるフランクフルト歌劇場がどう処理するのか、大いに注目される。例えば、ウンスク・チンが韓国人女性の視点から従軍慰安婦をテーマとするオペラを作曲したとして、その作品を日本の新国立劇場が上演出来るだろうか。
 
現代に於いても、オペラとは際立ってコントラヴァーシャルな芸術たり得る。オペラは、贅沢な耳の娯楽で終わるものではない。そんな当たり前の事をあらためて感じさせてくれただけでも、ヴァインベルク以下、この上演を可能にしてくれた人々全てに感謝したい。

マンハッタンはアッパー・イーストサイド66と67通り、パーク・アヴェニューとレキシントン・アヴェニューの間のブロックまるまるひとつがアーモリーと呼ばれる歴史的建造物。1861年にリンカーン大統領の呼びかけで集まった志願兵が国軍第7連隊の訓練場及び司令部として建てられたマンハッタン最大の軍事施設で、今世紀にリノベートされ文化施設となっている。

第55回

ヴァインベルクの復興その2:オペラ

電網庵からの眺望

音楽ジャーナリスト渡辺 和

© 2014 by アッコルド出版

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